35.戦いの後で
ガツン、と頭頂部から首筋にかけて襲った衝撃の直後、今度は背中を強打した痛みで一瞬息が詰まる。痛みと恐怖から無意識に現実逃避しようと遠のきかけていた意識が、残酷な現実に引き戻されてしまった。
痛みで悶えつつ、身体が瓦礫の上にある事に気付いて、左足が解放されたと分かる。でも、痺れを伴った鈍い痛みを発している左足がどんな状態なのか、視線を向けるのが怖くて顔を背けた。
「……ぐっ」
すぐ近くで呻き声が聞こえた。ゆっくりと身体を仰向けにしつつその方向に目をやると、その場に立ち尽くして呆然としているヴァルハミルがいた。
赤黒い血をまとってヴァルハミルの胸から生えている、巨大な剣先。かなりの強度がありそうな特殊金属製と思われるヴァルハミルの鎧を貫通して、深く獲物を貫き、こちらにその姿を見せている。
ヴァルハミルがむせたように息を吐き出した瞬間、口から赤黒い血が大量に噴き出した。
目と口を見開いて立ち尽くしているヴァルハミルは、自分の胸から生えたその剣先を血走った目で凝視した。その足元に広がった血溜まりは、とめどなく滴り落ちる血で段々と大きくなっていく。
「……っ、この、……俺様が、……こんなところで」
顔を歪めて言葉を絞り出したヴァルハミルは、抗うように手で空を掻いた。けれど、更に深く押し込まれた剣先につられるように身体を大きく揺らすと、そのままがっくりと膝を折った。
「……………ア」
最期に王女様の名を呼ぶように口を動かすと、朽ち木が倒れるように前のめりに倒れ込んで動かなくなる。
……死んだ?
あれだけ深く胸を貫かれたんだから、と思いつつも、大きな瓦礫をひっくり返して現れたヴァルハミルの姿を思い出すと、そう易々と安心することはできない。でも、こちらからそう離れていない場所に倒れたヴァルハミルから少しでも遠ざかろうとするものの、頭も背中も左足も危機的な痛みを発するので動くことができなかった。
けれど、ひょっとしたら突然むっくりと起き上がって逆襲してくるかも知れない。そう思うと怖くて、動かないヴァルハミルから目を逸らすことができなかった。
「……リナ」
掠れた声で呼ばれて、ようやくそちらに視線を向ける。
ヴァルハミルが立っていた場所のすぐ後ろにあたる場所に、満身創痍のアデルハイドさんがいた。片膝を着いたまま苦しげに荒い呼吸を繰り返していたけれど、手を伸ばしてヴァルハミルの背に突き刺さったままの剣の柄を掴むと、杖のように支えにして立ち上がる。
「すぐ、治癒術の使える者を呼んでくる。待ってろ」
そう言って一歩踏み出したアデルハイドさんだったけれど、すぐに崩れ落ちるように膝を着いてしまう。
それはそうだ。動いているのが奇跡のような大怪我をしているのに、こっちの心配をしてくれるなんて。
「……ル……イドさ……」
私の方が怪我は酷くないのだから、助けを呼びに行くんだったら私が行きます、と言って呼び止めたいのに、何故だかうまく喋れない。
「何だ」
膝を着いたまま、這うようにこっちへ近づいてきたアデルハイドさんの顔は血塗れで、痛々しいほどの切り傷や擦り傷だらけだった。私に覆いかぶさるように顔を覗き込んだアデルハイドさんは、とても険しい表情をしていた。
「……ごめん、なさい」
この惨状を見て、深入りせずに、すぐにトライネル様に助けを求めに行っていたら良かったんですよね。ヴァルハミルの姿が見えなかったからって、余りに迂闊な行動を取ってしまったとちゃんと反省しています。……だから、怒らないでください。
頭を下げられない代わりに目を伏せると、思いがけない言葉が降ってきた。
「何故謝る? リナが身を挺して気を引いてくれたお蔭で、ヴァルハミルを倒すことができた。だが、そのせいでお前がこんな……」
血塗れの大きな手が震えながら、そっと私の頬に触れる。アデルハイドさんの声は今にも泣き出しそうで、聞いているこっちまで胸が苦しくなった。
「謝るのは俺の方だ。俺にもっと余力が残っていれば、お前がこんなことになる前にケリをつけられた。……こうしている間に、助けを求めに走ることもできるのに」
あの……。涙目でそんなことを言われたら、何だか私が死んじゃうみたいに思えてくるんですけど。
……って、ええっ! 私ってそんなに重傷なの? ヤバいの? 本当に死んじゃうの?
そう思ったら、何だか本当に死んでしまいそうな気がした。こんな痛みは経験したことがないってくらいに頭も背中も左足も痛いのは、本当にヤバいレベルの怪我なのかも知れない。
……嘘。……嫌だ。……まだ死にたくない!
そう思っているのに、段々と意識が遠のいていく。
「リナ。……リナ! 馬鹿野郎、しっかりしろ!」
私を抱きかかえるようにして、必死で叫ぶアデルハイドさんの声も、次第に遠ざかっていく。
ううっ。これって、明らかに戦闘でキャラが死にゆく場面じゃないか!
神託の『この国の危機』はヴァルハミルの襲撃であり、王女救出の旅のメンバーはその危機から国を救うことができました。……でも、メンバーはアデルハイドさんを残して、全滅してしまいました。お仕舞い。
だなんて、余りに酷い結末じゃないか……。
……はい。結局、私は生きています。
まったくもう、アデルハイドさんは何で、あんな今生の別れみたいな切羽詰まった物言いをしたんだろう。病は気から、じゃないけれど、あの時は本気で自分が死ぬものだと思い込んでしまったんだから。
でも、後から知らされたけれど、ヴァルハミルに掴まれていた左足首は複雑骨折していたそうだ。それに、逆さ吊りの状態から瓦礫の上に落ちたことで、脳震盪を起こしていた。ヴァルハミルに捕まった時に瓦礫で掠った右頭部からの出血も多く、ゴツゴツした瓦礫で強打した背中にも酷い打ち身が幾つもあったらしい。
それにしても、ヴァルハミルと戦った場所がグランライト王城で良かったと思う。何故なら、城内には治癒術を使える神官さん達が大勢いたからだ。
元の世界の医療技術でも助かったかどうか分からないような怪我でも、神官さん達が数人がかりで治癒してしまう。勿論、怪我が酷ければ酷いほどそれだけ時間もかかるし、痺れや違和感などが残るのでリハビリも必要だけど。
私が与えられていた部屋は、あの戦闘の余波で半壊してしまい、今は別の部屋を与えられて養生している。
魔将軍の襲撃から三日。
痺れや違和感も薄れてきて、ようやくゆっくりと歩けるまでになってきた。やっぱり、左足首の怪我は相当酷かったらしくて、足首から脹脛にかけてまだ痺れが残っている。
ヴァルハミルとその配下の骸は王都の外に運ばれ、焼却処分されたらしい。戦闘で崩れたフロアからは瓦礫が撤去され、建築職人が修復の準備を始めたとか。
騎士や兵士達と魔導師達が連携して戦いを進めたことで、被害は最小限に食い止められた。でも、犠牲者は皆無とはいかなくて、残念ながら数人の犠牲者と、多くの負傷者が出てしまった。負傷者は神官達によって治癒術が施され、もうほとんどの人が普通の生活に戻っているそうだ。
……そう、彼らも。
普通なら意識不明になるほどの大怪我を負いながら動いていたアデルハイドさんは勿論、頭部に大火傷を負ったファリス様も、瓦礫の下敷きになっていたリザヴェント様とエドワルド様も、奇跡的に一命を取り留めて、今はもう回復しているという。
……ただ、あれから三日経っても、誰も顔を見せてくれない。
最初は、助かったとは言え大怪我をした後なんだから、私と同じように動き辛いんだろうなと思っていた。でも、二日三日と時間が経つうちに、あれだけ指導したのに何の役にも立たなかった私に怒っているのかも知れない、という不安に襲われるようになった。
それに、あんな戦闘の後で、それぞれ重要な立場にいる彼らは私に構っている暇なんてないだろう。国の中枢である城を突然襲撃されて、危うく陥落させられるところだったんだから、今後の危機管理対策なんかも話し合わないといけないだろうし。
忙しいんだから仕方ない、と思っていても、やっぱり三日も会わないと不安だけが募るばかりだ。それに、以前高熱を出した時にお見舞いに来てくれたことを思い出すと、寂しくて仕方がない。
……やっぱり、ここは思い切って自分から会いに行こう。
彼らは私の仲間であり恩師なんだから、仲間であり弟子でもある私からお見舞いがてらご機嫌伺いに行くのも不自然なことじゃない。
ハンナさんに相談すると、まだ私の足の具合が本調子じゃないことを理由に渋られたけれど、最終的に四人分の焼菓子の包みを用意してくれた。
今日は指導を受ける訳ではないので、ハンナさんは久しぶりにドレスを着せてくれた。王女様やその取り巻きの貴族令嬢のような豪奢なものじゃなくて、飾りも少なめのシンプルなものだ。でも、そのドレスに合うように髪型も整えて化粧もして貰うと、気分が明るくなってきて、三日前にあんな恐ろしい思いをした記憶が幾分薄らいできた。
……さて、誰から訪ねようかな。
心の中で呟きながらも、足はすでにその方向へ向かっていた。
ヴァルハミルに魔王城へ連れ去られそうになるところを阻止してくれた命の恩人、そして、私が新しく与えられた部屋と同じフロアに自室を与えられている、アデルハイドさんだ。