33.拭いきれない不安
パキッ、バリバリバリ……。
突如起こった異音に驚いて顔を上げると、巨大な魔トカゲは口を大きく開けたまま完全に凍り付いていた。冷凍された魚のように霜を纏ったその姿がぐらりと傾き、落下していく。ややあって、地面に激突する鈍い音が聞こえてきた。
「リナ!」
「……リザヴェント様!」
振り向くと、崩れた壁の先の廊下から、魔導師の杖を手に駆け寄ってくるリザヴェント様の姿があった。
王女様が息を飲み、私の腕に縋りついている手にぎゅっと力を込めた。それに気付いて、ついさっきリザヴェント様のことで王女様を怒らせたことを思い出す。
「大丈夫か? 怪我は……」
眉間に皺を寄せつつも、心配そうに手を差し伸べてくるリザヴェント様の前に、咄嗟に王女様を差し出した。
「王女様が足を負傷されてしまって。ここから早く安全なところへお連れしたいのですが、この瓦礫を越えるのも大変で……」
お姫様抱っこして運んでくださいという思念を込めて見つめると、奇跡的にその思いが伝わったのか、リザヴェント様は素早く王女様を抱き上げて瓦礫の向こうへと運んでくれる。
リザヴェント様に抱えられた王女様は、私の意図を察知してこちらを軽く睨んだけれど、すぐに頬を赤く染めながら幸せを噛みしめているような表情になった。
私達が瓦礫の向こう側に達した時、背後で呻き声が上がった。
振り返った私の目に飛び込んできたのは、壁際に追い詰められたアデルハイドさんが、左目を押えて崩れ落ちる姿だった。
……嘘っ!
声にならない悲鳴を上げて駆け出そうとする私に、リザヴェント様は王女様を押し付けると、杖を突きだして素早く氷系魔法を放った。
今まさにアデルハイドさんの頭上に振り下ろされようとしていたヴァルハミルの剣は、その腕ごと凍り付く。
さすがはグランライト王国随一の魔導師様。私とは魔法発動までの時間も、魔法の威力も、何もかも桁違いだ。
こちらを振り向いたヴァルハミルは、見るも恐ろしい形相を浮かべながら、左手で発動させた炎の魔法で凍り付いた右腕を解凍し始めた。
「アデルハイド! 大丈夫か」
私達がいるのとは反対側の廊下から、ファリス様とエドワルド様が駆け付けてきた。ファリス様はアデルハイドさんとヴァルハミルの間に割って入って剣を構え、エドワルド様はアデルハイドさんを後方に下がらせて治癒を始める。
「できるだけここから離れろ。いいな」
そう言い残すと、リザヴェント様は瓦礫を乗り越えてヴァルハミルとの戦いに参戦していった。
……私も。
そう思う気持ちをぐっと堪える。このハイレベルな戦いに加わったところで、足手まといになるのは明らかだから。それに、王女様を無事に安全な場所へ非難させるという大切な役割を果たさなければならない。
「さあ、また私に掴まってください」
手を差し伸べると、王女様は首を横に振る。
「……でも、リザヴェントが」
切なそうに訴えてくる王女様に、思わず同調しそうになる。リザヴェント様のことが心配で、彼を残して安全な場所に逃げるのを躊躇っているんだろう。
私だって、四人のことが心配で堪らない。出来ることなら、足を引っ張らないように瓦礫の陰に隠れてでもこの場に残りたい。
でも、そんな自分の感情に流されている状況じゃない。
「王女様やこの国を守る為に、リザヴェント様達は戦っているんです。あなたが無事でいなければ、彼らは何の為に戦っているのか分からないじゃないですか」
そう宥めすかし、それでもやっぱり未練がましく首を横に振る王女様の腕を無理矢理自分の肩に回すと、引き摺るようにして私は戦いの場を後にした。
背後からは、振り向くのも恐ろしいほどの戦闘が繰り広げられている音だけが、遠ざかりつつもしばらく私達を追いかけてきた。
痛む左腕で王女様を支え、右手に剣を握り締めながら、廊下を先へ先へと進む。
もし、さっきみたいに外から魔トカゲが炎攻撃を仕掛けてきた時の為に、氷系の魔法もすぐ発動できるよう心構えをしておく。でも、身体の痛みに加え、ヴァルハミルとの戦いで精神的に消耗してしまったのもあって、なかなか集中できない。
王女様は、嗚咽を堪えながら声もなく泣き続けている。
最初は、自分のせいで好きな人を失うかも知れない王女様の気持ちに同情していたものの、力を込めて引っ張らないと歩みを止めてしまいそうになる王女様に段々と苛々が募り、つい言葉が口を吐いて出た。
「王女様、確か以前リザヴェント様に、『王女なら、どんな時でも王女らしく振る舞うべき』って言われたんですよね」
ややとげとげしい口調になってしまったけれど、爆発しそうな感情を抑え込んでいるんだから仕方が無い。
すると、王女様はぐっと下唇を噛みしめ、ツイッと顎を上げて前を見据えた。
「……そうね。そうだったわ」
と同時に、身体がぐんと前に進んだ。王女様が自分から前に進もうとし始めたのだと気付く。
「ありがとう、リナ」
どこか吹っ切れたような王女様の声に、思わずその美しい顔を覗きこもうとした時だった。
前方から、微かに何かの気配がした。それは、複数の足音で、しかも段々とこちらに近づいてくる。
……人間だったらいいけれど、もし魔族か魔物だったら。
思わず身構え、右手に握り締めている剣を握り直す。
けれど、予想はいい意味で裏切られ、廊下の角を曲がって現れたのは、数人の騎士達だった。
「王女殿下! ご無事でございましたか」
片膝を着き、敬礼する騎士達。
すると、王女様は私の肩から腕を引き、痛いはずの右足を地面に着けて凛とした姿勢になった。
「ええ。心配をかけました。国王陛下はご無事なのでしょうね」
まさに、王女様というべき威厳と風格を漂わせた、気高く美しい姿だった。隣に立ち尽くしたまま、思わず見惚れてしまう。
「はっ。陛下の命を受け、王女殿下をお探ししておりました」
騎士達に付き添われ、城の奥、王族の住まいのある場所へと、私達は無事に辿り着くことができた。
そこで待っていた国王陛下は、駆け寄ってくると王女様を抱き絞め、涙を浮かべながら無事を喜んだ。けれど、片や王女様は緊張の糸が切れたのか、そのまま気を失ってしまったのだった。
「君が、王女殿下を守っていてくれたのか」
近くにいた神官に肩の打撲や擦り傷なんかを治癒してもらっていると、不意にそう声を掛けられた。
振り向くと、銀色に輝く鎧を纏った、眩しいほどに凛々しいお姿のトライネル様が立っていた。多くの騎士や兵士を従え、この場所に逃げ込んで肩を寄せ合いながら震えている王族や貴族の方々を守りつつ、魔物迎撃の指揮も執っている。
「いえ。私はただ、ファリス様達が魔将軍と戦っている間に、王女様を安全な場所までお連れしようとしていただけです」
守るだなんてとんでもない。それどころか、アデルハイドさんが来てくれるのがあと少し遅かったら、完全に殺されていた。
だから、思いっ切り体当たりされてかなり痛い思いをしたことを、決して恨んだりしてないですからね、アデルハイドさん。
……ふと、左目を押えて崩れ落ちたアデルハイドさんの姿を思い出して、背中を冷たい汗が流れていく。いくら人間の世界で『最強』という評価を得ていて、一時は善戦しても、やっぱり魔族には通用しないんじゃないかという思いが湧き上がってくる。
「あの四人なら、魔族が相手でも大丈夫だろう。実力のない者が参戦しても足を引っ張るだけだから近づくな、とファリスも部下に指示を出していったようだ」
トライネル様にポンと背中を叩かれて、小さく頷いたものの、不安は消えてくれない。
私が行ったところで、何の役にも立たないどころか、トライネル様の言う通り足を引っ張ってしまうのは目に見えている。でも、仲間達が命を掛けて戦っているのに、安全な場所で一人のうのうとしていていいのだろうか。
「申し上げます。飛来した魔トカゲの数、残り五頭!」
「城内に侵入した小鬼、中庭に追い詰め殲滅中であります!」
次々ともたらされる報告を、トライネル様は大きく頷きながら受けている。
「これも、君たちが魔物との戦いに備えて、騎士達を鍛えてくれたお蔭だよ」
その言葉通り、騎士達は善戦しているようだった。魔導師と連携して空を飛ぶ魔トカゲの吐く炎を防いで翼を凍らせ、落ちてきたところを複数で仕留めるという作戦で、被害を最小限に食い止めているらしい。そして、魔トカゲの背に乗って城内に侵入した小鬼も、アデルハイドさんの助言通り複数で取り囲み、確実に仕留めているという。
そんな戦闘の様子は、城の奥深くにあるこの部屋からは窺えない。でも、どこか遠くの方から、断続的に地響きのような音が聞こえてくる。あれは、魔法の炸裂音じゃないだろうか。
もし、主人公マリカだったら、こんな場面ではきっと、仲間と共に戦っているんだろうな。
そう思うと、居ても立ってもいられない気持ちになる。
主人公マリカだったら救えたのに、私だったから救えなかった、なんてことになるのが一番怖い。
そんなことになるのが嫌だから、王女救出の旅でも必死で頑張って、物語通りに何とか旅の目的を果たすことができた。なのに、ここでもし誰かを失うことになってしまったら、私はそれを『続編の物語』として割り切ることができるのだろうか。
きっと、マリカだったら、と後悔せずにはいられないんじゃないだろうか……。