30.神官エドワルドの後悔
今回は、神官エドワルド視点でのお話です。
知らせを受けて魔導師の訓練塔に駆けつけた瞬間、飛びこんできた光景に目を見張った。
人の皮膚が焼ける異臭が立ち込める中、あの冷静沈着な魔導師が、弟子の身体を抱きしめながら狂ったようにその名を呼び続けている。
駆け寄ると、こちらに気付いたリザヴェントは、ゾッとするような表情をしていた。
「リナが……」
よほど混乱しているのか、治癒をしようとしても、彼はリナの身体を離そうとしない。
「落ち着いて。まずは治癒をさせてください」
何が起きたのか分からないけれど、今はとにかくリナを診なければいけない。奪い取るようにリナの身体を引き寄せると、リザヴェントは蒼白な顔をして呻いた。
リナの両手は真っ赤に焼け爛れていた。治癒をしつつ、訓練着の上着を脱がせれば、火傷は肘の辺りにまで達していた。
傍に座り込んだまま、リザヴェントが状況を語る。魔法の訓練中、リナの魔力が体内で迷走し始め、体内で発動してしまった。慌ててリナの気を失わせて魔力の発動を止めたが、間に合わなかったのだ、と。
「これまでリナに魔法の指導をしてきたが、こんなことは初めてだった」
悲痛な表情を浮かべてそう語るリザヴェントの言葉を聞きながら、一つの可能性に思い至って、冷たい汗が全身から噴き出した。
「まさか、護神術を身につけようとしたことが原因では」
そう呟いた途端、いきなり襟首を掴まれた。
「貴様がっ……!」
「ちょ、……待ってください。まだ、治癒の途中ですから!」
長身のリザヴェントに吊し上げられて、危うく窒息しそうになる。けれど、床に横たわったままのリナを放置したままにしておく訳にもいかない。
「治癒が遅れれば、痕が残ってしまいます」
とてつもない殺気を帯びた目で睨まれ、緊張と恐怖感で跳ねる心臓を宥めながら、上擦った声で何とかリザヴェントを説得して解放してもらうと、治癒に専念する。
ようやく傷が癒え、呼吸が落ち着いたリナにホッと溜息を吐いて、背後に立ち尽くしたままのリザヴェントを振り返ると、何と彼は胸の辺りを押えながら苦しそうに顔を歪めていた。
「どうしたんですか。あなたも具合が……」
「いや、大丈夫だ。きっと、リナに触れたせいだろう」
そう口走り、ハッと息を飲むリザヴェント。
「それは、どういう……」
「何でもない!」
動揺し、フイと顔を背けて否定するリザヴェントを見ながら、ある会話を思い出す。
それは、王女救出の旅の最中。夜、リナが眠ったのを見計らって、大人の男同士で会話をしていた時だった。ファリスの女性遍歴の話題から、この不愛想で女っ気が全くないくせに、無駄に美しい魔導師へと矛先が向いた。
『……私は、基本女性が苦手なのだ』
そして、三人にせっつかれて彼の口からポロリと零れた、女性アレルギーという言葉。
今はもう平気になったが、しばらく前までは貴族の令嬢に近寄られただけで呼吸が苦しくなり、眩暈や吐き気、動悸に襲われて、酷い時には発疹ができたのだという。
そんなに恵まれた容姿を持っているのに勿体無いことだ、と皆で嘆いた。当の本人はアレルギー反応が出なくなった後も女性への苦手意識は消えない、でも左程不都合は感じないと気にしていない様子だったが。
それなら、リナは平気なのか? とファリスが訊けば、首を捻って「女性だと意識したことはない」と何気に酷いことを言っていた。寝息を立てて眠っているリナを見やって、本人に聞かれなくて良かったと安堵したことを思い出す。
……その、リザヴェントが。
「けれど、確か症状はもう出なくなったと言っていましたよね。それに、王女殿下を始め他のご令嬢方には、普通に接していたようですが」
多忙な彼だが、侯爵家の後継者として夜会などにも参加している。自分はそういう場に出席することはないので直接目にする機会はないけれど、特にリザヴェントが令嬢達に対して礼を欠く対応をしたり避けたりしているという話は聞かなかった。
「まさか、リナ限定で……?」
その問いに、逡巡した様子のリザヴェントは小さく頷いた。
「それは、アレルギー反応ではなく、恋なのでは?」
半分冗談で言ったつもりだったのに、目を見張ったリザヴェントの白い肌が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「……まさか。……そんな、馬鹿な」
胸を押えながら、喘ぎつつ壁に寄りかかるリザヴェント。
……嘘だろ。
そんな馬鹿な、はこっちの台詞だ、と心の中で叫びながら、呆然とした表情でよろめきつつ訓練塔を出て行くリザヴェントの後ろ姿を見送ったのだった。
リナには、本当に申し訳ないことをした。きっと、魔力が暴走してしまったのは、護神術と併せて習得しようとした悪影響が出たに違いない。
目を覚ましたリナに詫びると、彼女はあっさりと許してくれた上に、もっと努力すると言い出した。慌てて、もう護神術の指導はしないと言うと、物凄く悲しそうな顔をしながらも受け入れてくれた。
彼女は、自分の感情を飲み込んで、相手に合わせてしまう子だ。その諦めの良さが、見ていて物悲しい。
「怪我は治ったけれど、無理をしないこと。魔力が暴走したのだから用心して、体調に変化があったらすぐに知らせてくれ。もし、少しでも不調なら、明日の午前の指導は休むようにね」
そう言い聞かせたけれど、きっと多少調子が悪いくらいでは休んだりしないのだろうな、と思いつつ、頷くリナの頭を撫でた。
彼女はリザヴェントに距離を置かれていたことに気付いて、嫌われているのではと悩んでいたようだ。確かに、あんな事故があったのに、目を覚ました時に指導者がいなくなっていれば、そんなふうに疑うのも無理はない。
違うよ、逆だ。
けれど、リザヴェントのことを異性として好きという訳ではない、と言うリナに本当のことを伝える訳にはいかない。
きっと、リザヴェントはリナの近くにいると、動悸や息苦しさを覚えていたんだろう。それを、今までは過去に起きていたアレルギー反応だと混同していた。
でも、それが恋だと自覚してしまったら、彼は一体どういう行動に出るのだろう。まさか、これから命を掛けた任務に赴く仲間に、私情を挟んだりはしないだろうな。
……ああ、そう言えば、最近おかしくなった奴がもう一人いた。この前、大怪我を負って気を失い、治癒術を受けて意識を取り戻した後、リナが傍についていてくれなかったことを本気で悲しんでいた哀れな奴が。
リザヴェントに、余計なことを言ってしまったかも知れない。リナへの指導を誤ったことと併せて、激しい後悔に襲われた。
リナは護神術も習得したがっている。けれど、あんな事故が起こった以上、同じような危険に晒す訳にはいかない。
そもそも、神術と魔法を両方身に着けようとして、魔力が暴走してしまうという事例は過去にもあったのか。危険性が指摘されている記録があるのなら、それをちゃんとリナに示してあげなければいけない。ただ、君の実力が及ばないからという理由だけで、護神術の指導を止める訳ではないのだ、と。
神殿の図書館に籠って書物を手当たり次第に調べていると、不意に声を掛けられた。
「こんな夜中まで、熱心なことだな」
驚いて振り返ると、手燭を掲げた同僚が入ってくるところだった。
「ルーカスか。驚かせるなよ」
同年代の神官であるルーカスは、自分とは正反対の性格だが、不思議と馬が合う男だ。
「また、例の子の為に調べものか? そんなに尽くしてやりたいほど魅力的か?」
「そんなんじゃない」
「へぇ~。禁忌を侵して、神託の内容を探ろうとまでしたのに?」
動揺した訳じゃなかったが、手から資料が滑り落ちて床に散乱した。
「別に。こっちは王命が下された当事者だ。神託の内容が分かれば、それ相応の心構えができると思ったまでだ」
「お前も変わったよな。あれほど頑なに規則から外れる行為を嫌っていたのにさ」
厭味が込められた彼の口調に、つい苦笑してしまう。
ルーカスは、今回の神託の儀式に加わった神官の一人だ。実際に神託を目にし、王女救出のメンバーが国の危機を救うという曖昧な神託が下されるに至った経緯を知っている。
せめて、どこで誰がどんなふうに行動していた場面が映し出されたのか知りたいと思ったのだが、普段はお調子者のルーカスでもさすがに教えてはくれなかった。
儀式に関わった者は決して神託の内容を他者に漏らしてはならない、という禁忌を破れば、神官の地位を剥奪される。貴族の三男坊で、平穏無事にどこかの貴族家に婿養子として迎えられる道を望んでいる彼には、受け入れがたい頼み事だったようだ。
「まあ、前回の神託は、王女を救出できるという決定的なものだったからな。危機を救うなんて曖昧なことを言われても、不安になるのも分かるさ。でも、内容は絶対に教えないけどな」
明日も早いんだから早く寝ろよ、と笑いながらルーカスは図書室を出て行った。
確かに、今回の神託は曖昧で、どこでどうすれば我が国を救えるのか、何を持って救ったと判断されるのか、そして何より自分たちは生きて戻れるのかさえ分からない。
前回は、この目で王女救出の場面を儀式の際に見ていたから、大丈夫だ、と自分に言い聞かせることができた。けれど、今回の神託では、もしかしたら誰かの命が消える瞬間が映し出されていたかも知れない。もしそうであっても、それを知っている神官が口外することは絶対にない。
だから、不安で仕方が無い。自分が死ぬのも怖いし、自分以外の誰かが欠けると思っただけでも息が苦しくなる。
この図書館の奥、厳重に保管されている秘密文書の中に、神託を文言化するに至った記録も保管されている。けれど、その保管庫の鍵は神官長と副神官長が保管していて、同時に扉の左右の鍵穴を回さなければ開かない仕組みになっている。
つまり、自分がこっそりその文書を盗み見ようと思っても無理なのだ。
実現しようもない願望を抑え込み、再び書物に目を向ける。
――生き残るには強くなるしかない。
リナが前回の旅の途中、仲間に何度となく言われ続けていた言葉を、頭の中で繰り返しながら。