3.さらば、我が家
突然やってきたリザヴェント様は、お茶でも出しますからと言う私を完全に無視したまま室内を見回し、それから私を見て残念そうな表情をした。
……散らかっている訳じゃないと思うんだけど。掃除は毎日やっているし、元々物は少ないから散らかりようもないし。
リザヴェント様のこんな表情は、これまでにも何度か見たことがある。召喚されてこの世界の事情を聞かされている時や、旅の間に魔法を教わっている時、それから元の世界に戻れないかと訴えた時にも。
「……まさか、こんな所とは」
何やらブツブツと呟いているけれど、こんな夜分に一体何の用だろう。
リザヴェント様は全く意識してないだろうけど、一応ここは一人暮らしの女の子の家だから。この世界の貞操観念がどうなのか詳しいことは分からないけれど、日本だってこんな時間に彼氏でもない男性を家に招き入れたりはしないはず。
それに、無表情で取っ付きにくく口数が少ないのに超美形、というリザヴェント様と二人きりだなんて、気まずいことこの上ない。
「あの、一体どういったご用件でしょうか」
埒があかないのでこちらから話しかけてみる。
リザヴェント様はゆっくりとこちらに向き直ると、頭痛を堪えるように額に手を当てて目を閉じた。
ああ、まずいなぁ。何故だか分からないけれど、またご機嫌を損ねてしまった。
旅の間、いつもリザヴェント様の予想以上の粗相をやらかしては、雷を落とされたものだ。今の彼の状態は、その前兆。言うなれば、黒雲が湧いてきて遠雷が聞こえてくる状況だ。
半年に渡り繰り返された躾のせいか、私は肩を竦めながら、大人しく雷が落ちるのを待った。
「リナ」
「……はい」
「今すぐ、荷物を纏めろ」
「…………はい?」
驚いて、伏せていた視線を上げると、リザヴェント様は眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる。
……は? ひょっとして、私、ここからも追い出されるの? しかも、今すぐに?
余りに突然訪れた状況の変化に頭がクラクラする。
だけど、ここでこの人の前で取り乱したり泣き喚いたりしたところで何一つ事態は好転しない。それどころか、逆にこちらの立場が悪くなるだけだということは、これまでの経験から分かり切っていた。尤も、これ以上悪くなりようがないのかも知れないけれど。
何度か意識的に深い呼吸を繰り返して自分を落ち着かせると、すぐに行動に移る。
幸いにも、この三カ月間支給されたお金は、ここがあまりに田舎過ぎる為、使う場所がなくほとんど手つかず状態だった。この家には元々いろいろなものが揃っていたし、集落の人々が不足しているものを少しずつ持ち寄って助けてくれたお蔭でもある。
ここを出てどこか別の場所で暮らすには、まずお金が必要だ。それから、元々ここにあった物は持って行く訳にいかないから、あとは自分の衣服と、当面の食糧かな。
城からこの家にやってきた時に使った大きな鞄を床に置いて広げると、そこに思いつく物を次々に詰め込んでいく。
「ちょっと待て」
そうリザヴェント様に声を掛けられたのは、台所の貯蔵庫から堅パンとチーズ、干し肉などの携帯食糧を抱えて戻った時だった。
「そんなものは必要ないだろう」
「え、ですが……」
「お前はどこへ行くつもりでいるのだ?」
どこへ、と言われても、実際この世界の地理には詳しくない。だからここから追い出されても、どこへ行っていいのか分からない。
「あの、えっと、取り敢えずは……」
言いよどんでいると、盛大に溜息を吐かれてしまった。
何? ここを出てどうするか、この短時間でプランを立てておかなきゃならなかったの?
無計画な自分を責めているようなリザヴェント様の視線を受けて固まっていると、思ってもみなかった言葉を投げかけられた。
「城へ戻るのだ」
「……は?」
「移動魔法でな」
つかつかと歩み寄ってきたリザヴェント様は、私の手から食料品を奪い取ると、傍にあるテーブルの上に載せた。
「他に持っていきたいものはあるか?」
「……いえ、特には」
「では、行くぞ」
バタン、と乱暴に鞄を閉じたリザヴェント様は、そのまま留め金を掛けてヒョイとそれを片手で持ち上げる。そして、反対側の手で私の手を掴んで歩き出した。
「あ、あの……っ!」
何のために城に戻らなきゃいけないんだろうか。
まずその理由を訊こうと、抵抗して足を踏ん張ってみたものの、無駄だった。
一体、あの華奢に見える身体のどこにそんな力があるんだろうか、という勢いで、私は玄関ドアの外に引きずり出されてしまった。
玄関から二十歩ほど離れた庭の片隅に、地面に青白く光を放つ魔法陣が浮かび上がっている。
抵抗虚しく、リザヴェント様に続くようにその魔法陣の中に引きずり込まれると、すぐに視界が真っ白に染まる。
たった三カ月だったけれど、ここが我が家だと思って過ごした場所だった。それなのに、こんなに突然、こんなに呆気なく離れることになってしまうなんて。
集落の人達に教わって、次の種蒔きの季節には野菜を植えようと、一生懸命手入れをしていた畑。
井戸から水を汲み上げて、自分で綺麗に磨き上げた床や窓。
ガスもレンジもない台所で、竈に火を熾しての料理だって覚えた。
ここで自分なりに築き上げようとしていた、ささやかだけど大切なものが、一瞬でなくなってしまった。
いくら領主からの命令があったとしても、異世界から来た小娘に親身になってくれた優しい集落の人々にも、別れの言葉一つ告げられず仕舞いで。
「……何で」
理不尽なことばかりだ。
込み上げてくるのは、自分でも抑えがきかないほど熱くて苦しくて激しい、悔しいという思い。
でも、自分にはその理不尽に立ち向かう勇気も、抗う力も無くて。だから、大きな力に流されるまま、大人しく従うしかない。
そして、向かう先のない怒りは、自分を好き勝手に振り回し平気で傷つける相手に抗うこともできない自分へと向かう。
……悔しい。
込み上げてきた感情はとうとう喉を越えて、嗚咽となって漏れた。
込み上げてくる涙を堪えながら、顔を見られたくなくて俯く。
――泣くな。泣いて何が変わると言うのだ。泣く暇があるなら努力しろ。
旅の間、繰り返しそう叱った相手がすぐ傍に立っているというのに、また同じ失態を繰り返している自分が情けない。
情けないから、余計に涙が込み上げてくる。
リザヴェント様に握られたままの手が、締め付けられるように痛む。
「……すみません」
自由な方の手で涙を拭った時、白い幕が落とされたように光が消え、そこには別の景色が広がっていた。
円柱が立ち並ぶ、見上げるほど高い天井の広間に組まれた祭壇。
そこは、私が元の世界から召還され、この世界にやってきた時に倒れていた魔法陣だった。