29.嫌われているのかも
魔導室に隣接している魔導師の訓練塔には、多少強力な魔法を使ってもびくともしない結界が張られている。その訓練塔で、リザヴェント様との訓練を始めて一カ月と数日。使える魔法の種類も一つ増え、魔法の威力も少しずつ強くなってきた。
相変わらず、リザヴェント様は私から一定の距離を保ったままだ。ほんの一カ月半ほど前には、私の手を掴んで家から引きずり出し、無理矢理城に連れてきたっていうのに、今では手を伸ばしたって届きようのない位置から近づいて来ようとしない。
あんなに忙しい方なのに魔法の指導を引き受けてくれているし、熱を出した時にはお見舞いに来てくれたのだから、嫌われてはいなんだと思う、多分。でも、近づいたらその分遠ざかっていくし、たまにこちらを見て顔を顰めていることもあって、避けられているなという感じがしていた。
……何かしたっけ、私。
こんな私でも、リザヴェント様のそんな行動を目にするたびに、実は地味に傷ついていた。これまで厳しい人だなとか、思考と行動が読めない変な人だな、とは思っていたけれど、嫌われているかも知れないと思うと気が滅入ってしまう。私を嫌いな人に、無理に接してもらうのは気が重い。
何が原因で、リザヴェント様に嫌な思いをさせてしまったのか。
先日、ふと思い至って訊ねてみた。もしかして、集落の人達から預かってきた荷物を抱えてきたせいで、蚤にやられたりはしませんでしたか、と。リザヴェント様は不可解な表情を浮かべた後、曖昧に頷いた。やっぱり、私のせいで不愉快な思いをさせてしまったのだと今頃になって気付き、慌てて謝った。リザヴェント様はどこか上の空だったけれど、気にする必要はないと言ってくれた。
でも、それからもやっぱりリザヴェント様は私を避け続けている。ファリス様のように密着し過ぎてくるのも困るけど、せめて前回の旅の時ぐらいの態度に戻ってくれないかな。
……王女様には、あんなに優雅な所作で自然に振る舞うのに。
堂々としていて、けれど流れるように美しくて。これぞいかにも王国随一の魔導師って雰囲気を醸し出していたリザヴェント様。そりゃあ、王女様に対するように私に接する必要もないんだけど、やっぱり扱いの違いをまざまざと見せつけられると、精神的な疲れを感じてしまう。
今日の指導も、まずは魔力を高める精神統一から始まる。
でも、今日は何だか身体の中の魔力が高まって来ない。……というか、高めようとすると気分が悪くなってくる。
肩こり? それとも、何か悪いものでも食べたかな?
ゾワゾワと吐き気までしてくる。けれど、遠く離れた壁際に立ち、腕組みをしたままこっちを睨みつけてくるリザヴェント様には、そんな不調を申し出るにも言い出しにくくて黙っていた。
それでも何とか続けていると、リザヴェント様から次の指示が出た。初歩の炎系攻撃魔法から順におさらいすること。これも、いつも通りだ。
魔法は、集中してイメージすることが重要だ。身体を巡る魔力を、実際に攻撃力として具現化するには、相当な気力と体力が必要になる。今はもう慣れたけれど、最初の頃なんて一回魔法を使っただけで放心状態になって、泥のように疲れ切ってしまったものだ。
魔力を高めつつ、集中して自分の手から魔力が炎となって飛び出すのをイメージする。瞬間的に強くイメージしないと、攻撃力は高まらないので気合いを入れる。
力を込めた瞬間、魔力を込めた両腕がカッと熱くなった。
……えっ?
堪えようのないほどの不快感が急激に押し寄せてきて、身体が内側から焼けるような痛みに襲われた。その痛みから逃れようと身体を捩りながら、悲鳴を上げたところまでは覚えている。
気が付いたら床に寝かされていて、強張った表情のエドワルド様がこちらを見下ろしていた。
「すまなかった。また、君の命を危険に晒すところだった」
エドワルド様は、私の両手を握り締め、それを額に当てて頭を下げた。サラッと音を立てて、金糸のような髪が揺れる。
「どういうことですか?」
訳が分からずに眉をひそめる。一体何が起きたのかもよく分からないのに、何で魔導師の訓練塔にいるのかも分からないエドワルド様に謝られるのだろうか。
「昨日、初めて護神術の指導を始めたよね」
「あ、はい」
確かに昨日の午前中、医学の指導の後、護神術についての説明と、使えるようになるための訓練を受けた。
「どうやら双方の力が、身体の中で喧嘩をしてしまったようなんだ」
「へ……?」
突然聞かされた衝撃の内容に呆然とする。
「君の魔力は、昨日の訓練で僅かに宿った護神術の力に影響され、体内で暴走してしまったようだ。リザヴェントが咄嗟に対応しなければ、どうなっていたか……」
私の手を握っているエドワルド様の手が震えている。それを見て、急に私も怖くなってきた。
「神術と魔法って、相性が悪いものなんですか?」
「いや。そうとは言い切れない。実際、過去に両方を習得した者の記録は残っている。けれど、基本的に神術は神官のみが習得するもので、神官は魔法を習得することはない。両方を習得するのは、神職を離れた後、僅かに残った神術に加えて魔法を習得しようとする者くらいで、両方の力を兼ね備えた者は『賢者』と呼ばれている」
……け、賢者?
あの、それって相当高度な技術なんじゃ……。それを、この凡人にやらせますか?
「けれど、まさかこんなことになるなんて。すまない、リナ」
「いえ。だって、エドワルド様だってこんなことになるなんて分からなかったんですよね? それに、私が両方の力をコントロールできなかったのも悪いんです。だから、もう顔を上げてください」
身体にはもう痛いところは全くないし、吐き気などの不快な症状もない。きっと、駆け付けたエドワルド様が治癒してくれたからだ。
私に護神術を教えてくれようとしたエドワルド様に悪気があった訳じゃない。寧ろ、私に出来ることを増やそうと考えてくれた上のことだ。だから、エドワルド様を責めるなんてとんでもない。
「これから、ちょっとずつ両方の力をコントロールできるように頑張りますから」
そう言うと、顔を上げたエドワルド様は猛然と首を横に振った。
「とんでもない。もう、君は護神術を使おうなんて思っちゃいけない」
「えっ……」
「今後は、もう少し高度な医学や薬学の指導をしていくよ。だから、護神術は諦めてくれ」
何てこった。お前には才能が無いから諦めろ発言されてしまった……。
ここで悔しさから奮起する人もいるんだろうけど、私は基本的に諦めのいい人間だから、大人しく引き下がることにする。
気分が落ち着いてきて、改めて周囲を見回して、リザヴェント様の姿がないことに気付いた。ここは魔導塔の訓練所だというのに、気を失っていた弟子を神官に託していなくなるなんて、いくら忙しい人だからって、あんまりじゃないだろうか。
……私って、本当にリザヴェント様に嫌われているのかも知れない。
小さく溜息を吐くと、どうしたの、とエドワルド様に心配されたので、つい弱音を吐いてしまった。
「リザヴェント様が、最近冷たいような気がするんです。距離を置かれているし、いつも胸の辺りを押えて苦々しい顔をしてこっちを見るんです。私、嫌われているんでしょうか……」
いつもなら、心の奥にしまっておく不満なんだけれど、思わぬ事故で心が弱っているのもあるのか、ついそんな相談をしてしまった。
すると、エドワルド様は少し焦った様子をみせた。
「……リナは、リザヴェントのことが好きなのかい?」
「へ?」
思ってもみない問いかけに、慌てて首を横に振る。
「好きっていうか、嫌いではないですよ。そういう問題じゃなくて、リザヴェント様は旅の仲間で、魔法の師匠ですから。嫌われているとすれば悲しいっていうか……」
しどろもどろになりながらそう言うと、エドワルド様は深い溜息を吐いた。
「心配はいらないよ。リザヴェントはリナのことを嫌ったりはしていない」
「そうなんですか?」
「ああ。でも、異性として好きという訳じゃないのなら、今のままの距離感に早く慣れた方がいいね」
エドワルド様の言葉の意味がよく分からなかったけれど、きっとリザヴェント様特有の事情があるんだろうと理解する。
「分かりました」
素直に頷くと、エドワルド様は複雑そうな笑みを浮かべながら、明日は無理をしないよう、体調が思わしくなければ午前の指導は休むようにと言って、優しく頭を撫でてくれた。