28.訊きたいけど、訊けない
衛兵に、部屋に戻るのは少し遅くなると伝言を頼んで、厩舎へと向かう。
厩舎は騎士の訓練所近くの屋外にあるけれど、厨房の裏庭からそのまま外を歩いていっても行けるらしい。
道に迷いながらも、衛兵に教えられた通りに進み、ようやく厩舎へ辿り着いた時には、周囲は茜色に染まっていた。
厩舎の裏に回ると、逆さに置いた桶に腰を下ろしているアデルハイドさんがいた。膝の上に肘をつき、やや前かがみの姿勢で、北の方向をじっと見つめている。
私が近づいてくる気配に気付いたアデルハイドさんは、こちらを振り返ると、ゆっくりと身体を起こしながら、苦しげに眉をひそめた。
「……すまなかったな。ファリスの具合は?」
「騎士さん達に運ばれて行ってしまったから、分かりません。でも、大丈夫ですよ。エドワルド様に治癒してもらったら、きっとすぐに良くなります」
心配をかけないように、できるだけ明るい声で答える。
旅の間も、最前線のファリス様やアデルハイドさんは結構酷い怪我を負っていたけれど、エドワルド様の治癒術で割とすぐに回復していたから、今回もきっと大丈夫だろう。
そうか、とアデルハイドさんは小さく呟いた。
「驚かせてしまったな」
「本当に、びっくりしました。でも、あの小隊長にはずっと腹が立っていたから、アデルハイドさんに翻弄されているところが見られて、実はちょっと胸がスッとしました」
わざと意地悪な表情を浮かべて見せると、アデルハイドさんは乾いた笑い声を漏らした。
そのまま、沈黙が落ちる。
次にどんな言葉を続けたらいいのか、どうすればアデルハイドさんを励ましてあげられるのか分からない。
……でも、アデルハイドさんはいつもと違っていました。やっぱり、それはあの人の話が原因ですか?
思い切ってそう訊いてみたい。でも、きっとそれはアデルハイドさんにとって、触れて欲しくない事なんだろうし。
私だって、この前熱を出して倒れた本当の理由を、他人に知られたくはない。元の世界では、マリカというほぼ完ぺきな隣人の陰で埋もれてきた、コンプレックスの塊のつまらない凡人だった、なんて、こっちの世界の人には言いたくない。
それとは全然レベルが違うだろうけれど、アデルハイドさんだって他人に知られたくないことだってあるはずだ。それが、国や家族を失うという大変な思いをした人なら、特に。
悶々と思い悩みながら、アデルハイドさんからやや離れたところにもう一つ転がっている桶を逆さにして腰を下ろす。同じように北の山を見つめながら、あのどこかに黒髪と水色の瞳を持った人々がひっそりと暮らしているんだ、と思いを馳せる。
田舎で三カ月暮らしてみて、この国は温暖で気候も穏やかな暮らしやすいところだと感じていた。でも、それはザーフレムが南の方にある地方だからで、ハイデラルシア村のある北部の環境はそれよりずっと厳しいんだろう。
茜色だった空に青い闇が下りてきて、肌寒い風が吹き抜けていく。思わずくしゃみをすると、アデルハイドさんは小さく息を吐いて立ち上がった。
「……風邪をひく。戻るぞ」
戻れ、じゃなく、一緒に城内へ戻るぞと言われたことに安堵する。嫌なことが立て続けに起きて、アデルハイドさんがもう城にいたくないと思っているんじゃないかって、実は心配していたから。
異国出身で平民のアデルハイドさんには、この国の為に命を掛けて戦う義務はない。それでも踏みとどまってくれているのは、この国に故郷の人々が暮らしているから。そして、その人達の為に大金を稼ぐため。
なぜ、アデルハイドさんがそこまでしなきゃいけないんだろう。
どうしてこんな辛い思いをしてまで、同郷の人達の為に尽くせるんだろう。
……私がその理由を知ることが出来る日は、果たして来るのだろうか。
私達は所詮、神託によって下った王命の為に結び付けられた『仲間』でしかない。その王命を果たすために協力はしても、それ以上の繋がりは望めない。
そう思うと、胸の奥がズキンと痛んだ。
王命を無事果たせたとして、その後私はどうなるんだろう。また、ザーフレムのあの家に戻ることはないのかも知れないけれど……。
先を行くアデルハイドさんの背を追いかけて、厩舎の裏から出た時だった。考え事をしながら歩いていたので、不意に立ち止まったアデルハイドさんに危うく後ろから追突しそうになった。
「こんなところにいたのか。探したぞ」
不意に聞こえてきたその声に驚いて見回すと、私達の行く手に立ち塞がっていたのは、十人を超える数の騎士達だった。
先頭に立つ騎士の顔には見覚えがあった。確か、名前は知らないけれど、確か小隊長の一人だったはずだ。
背筋を冷たい者が流れていく。
まさか、ヴォルス小隊長があんなに簡単にやっつけられちゃったから、騎士のプライドが傷つけられた、とかいう理由で襲撃してきたの!?
確かに、常になく苛々して暴走しちゃったアデルハイドさんに非がない訳じゃないけれど、この国の為にこれほど尽くしている人に対して、これはあまりに酷い仕打ちじゃないか。
アデルハイドさんの右手は、自然に左腰に履いた巨大な剣へと伸びている。このままじゃ、ここで戦闘開始になってしまう。いくらアデルハイドさんでも、これだけの数の騎士を相手に無傷じゃすまない。それに、訓練所の外で私闘に至ったとなれば、きっと双方に重い罰が下るに違いない。
「ちょっと待ってください!」
咄嗟に大声で叫んで、アデルハイドさんと騎士達との間に飛び出すと、両手を広げて双方を隔てる。
「何なんですか、あなた達。一人相手にこんなに大勢で。騎士なら、正々堂々と戦ってください! ……あ、いや、戦って欲しい訳じゃなくて、暴力に訴えるのはそもそも間違っていま……」
「勿論、一人ずつ相手をして貰うつもりだ。どうだろう、アデルハイド殿」
……あれ?
私の言葉を遮った小隊長の口調は、仕返しをしようとしている人物とはとても思えないほど落ち着いていて、友好的だった。
「噂には聞いていたが、実際にこの目で見て貴公の強さを肌で感じた。その貴公が繰り返し語る魔族や魔物に対しても、危機感を強く抱くようになった。この上は、我々の実力をその目で見て、魔王軍と戦えるよう導いてもらえないだろうか」
小隊長の言葉に、その後ろに並ぶ騎士達も一様に頷く。
呆気に取られたのは私だけじゃなく、アデルハイドさんも同じだった。
「……いや、俺は」
戸惑った様子で、アデルハイドさんは首を横に振る。
私としては、アデルハイドさんが嫌なら、小隊長の話を断って欲しい。でも、アデルハイドさんならきっと、ファリス様とは違った鍛え方で、彼らを強くすることができると思う。
「そう言わずに、引き受けて欲しい。我らには、国を守る義務があるのだ」
真剣な顔で迫る小隊長の真っ直ぐな目を見た瞬間、アデルハイドさんの表情が辛そうに歪んだ。
「……そうだな」
けれどすぐにその表情は消え、アデルハイドさんは小隊長の頼みを引き受けた。
ああ、でも仕返しじゃなくてよかった、と安堵した私は、その後、勘違いして先走った自分を省みて、恥ずかしさにしばらく身悶えすることになった。
その翌日、剣の指導を受けるために訓練所に行くと、驚くべき光景が広がっていた。
目の前で、完全防備の騎士達が、木刀を振るうアデルハイドさんに次々と薙ぎ倒されていく。
「魔物が型通りに攻めてくるはずがないだろう!」
素早く剣を繰り出し、防戦一方になっている騎士の足元に蹴りを入れて転ばせ、肩当ての上から容赦ない一撃を食らわせる。
「剣だけで戦おうとするな。魔物は爪や牙、あらゆる武器を使ってお前たちの息の根を止めに来る。死にたくなければ、どんな手段を使ってでも己の身を守り、相手の息の根を止めることを考えろ!」
……あれ? この台詞、聞き覚えがある。懐かしいなぁ。
そんな思いが脳裏を過った時、上座から指導の様子を眺めているファリス様と目が合った。
「もう大丈夫なんですか?」
近づいてそう訊くと、ファリス様は左手をひらひらと振って見せた。
「ああ。まだ少し痺れているが、怪我自体は完全に治った。その代わり、エドワルドにはそうとうキツイお叱りを受けたが」
……でしょうねぇ。いくら防具を着けているからって、アデルハイドさんの攻撃を腕で受けるなんて、今思えば馬鹿としかいいようがない。
でも、あの時ファリス様が割って入っていなければ、ヴォルス小隊長は何の防具もつけていない頭にあの一撃を食らうことになっただろうし、そうなっていれば多分命を落としていただろう。そんな事態になってしまったら、いくらファリス様が庇ったところで、アデルハイドさんは重い罪に問われることになってしまったと思う。
アデルハイドさんは、大暴れしているように見えて、今はちゃんと力加減を調整して攻撃している。
「そうだ。もっと心を強く持て! 何が何でもこいつを倒して生き残るんだという強い思いが、己を何倍も強くする。本能を研ぎ澄ませろ!」
木刀を跳ね飛ばされて、手を押えて蹲る騎士の肩を足で蹴飛ばしながら、アデルハイドさんは鬼の形相で叫ぶ。
「……いいんですか、騎士さん達に対して、こんな無体なことをして」
「ガイウスがそうしてくれと望んでいるのだから、構わない」
そして、ファリス様は教えてくれた。昨日、アデルハイドさんに指導を依頼したガイウスという名の小隊長が率いる小隊は、王国軍の一員として派兵されることが決まったのだと。
ガイウス小隊長は、当初から魔導師にも魔物の特性を伝達するように進言するなど、小隊長の中でも積極的な姿勢を見せていた人だった。その姿勢を買われたのか、それとも彼が小隊長の中でも下級貴族出身であることが決め手になったのか、とファリス様はこちらに聞こえるかどうかの小さな声で呟いた。
そして、それを知ったアデルハイドさんは、俄然やる気になったらしい。
その後、床に倒れ込んで呻いている騎士達の元に、神殿から駆け付けたエドワルド様率いる神官達が駆け付け、治癒を施した。ついでに、アデルハイドさんはエドワルド様に「いくら何でもやり過ぎだ」と怒られていた。
そんな光景が、それからほぼ毎日続くことになった。