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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
24/135

24.騎士ファリスの奔走

 塔の最上階へ続く階段を一気に駆け上がり、屋上へ出た途端目に飛び込んできた光景に、心臓が止まりそうになった。

 屋上を取り囲んでいる塀の低くなっている箇所へ倒れ込もうとしていたその身体を、必死で腕を伸ばし、その手を掴んで全力で自分の胸の中に引き寄せた。

「何やってんだ、馬鹿!」

 城内を走り回った挙句、塔の屋上にその姿を見つけ、不安で押しつぶされそうになりながら全力で駆け上がってきた。今もまた、心臓が早鐘を打ち、全身から汗が噴き出している。

 なのに、腕の中のリナは、ただ不思議そうに俺を見上げている。

 ……いや、変だ。いつも、あまり感情をはっきりと表に出さないリナではあるが、今の彼女の様子は明らかにおかしい。

 まるで、何か大切なものが壊れてしまったかのように、リナは危うい表情をしていた。


 ――お前ができないと言うのならわたしがやるまでだが、お前はそれで構わないと思うか?

 普段は身に付けていない結婚指輪をわざわざはめて見せながら、将軍は俺にそう訊いた。

 良いわけがないだろう。

 その場面を思い出す度に、何かを殴りつけたい衝動に駆られた。

 その日のうちに、人脈を生かして将軍の情報を集めた。すると、確かに五年前、辺境伯として国境地帯を治めている間に、一人の女性との婚姻届が出され、受理されていた。だが、当時はいくら有能な人材であっても、地方、しかも国境地帯の治安維持に追われて滅多に王都へ来ない辺境伯のことなど、華やかな王都の社交界では話題にも上らなかった。相手が平民の女ということもあり、将軍と親しい者は敢えて口を閉ざしていたのかも知れない。

 将軍がリナを口説けば、確かにリナはあっという間に落ちるだろう。だが、遅かれ早かれ、将軍が既婚者であることは知れる。そうなった時、真面目なリナがどれほど傷付くか。そう思うと胸が苦しくなった。

 けれど、今までのリナに対する態度が祟って、いくらこちらから将軍に近づくなと忠告をしても、リナは全く聞く耳を持たない。恨みがましい視線を向けて、適当に返事をされるだけだった。

 これではまるで、邪魔者扱いだな。

 これまで、俺に好意を寄せる令嬢に、「あいつは遊び人だから本気になるな」と忠告する男を鼻で笑ってきた。だが、まさか自分がその立場になるとは思ってもみなかった。

 リナと接していると、段々と自分に自信が無くなっていく。

 俺が微笑めば落ちない女はいなかった。俺が優しい言葉を掛ければ、誰もが顔を赤らめて俯いた。

 なのに、リナは胡散臭そうな目で俺を見て、あくまで淡々と稽古を続けるだけだ。

 俺って、そんなに魅力のない男だったのか……?

 しかし、相も変わらず令嬢方と廊下で擦れ違えば黄色い声を浴びせられ、遊び相手として付き合ってきた女性からは熱烈なお誘いを受ける。だが、不思議なことに、それに応える気気分には全くならなかった。

 いつまで経っても、俺とリナとの距離は縮まらない。だが、早くリナに将軍が既婚者であるという事実を伝えなければ、リナはどんどん将軍への想いを強くしていく。

 そう思って、指導が終わったあとで訓練所の端に呼び出したものの、部下共が邪魔をして伝えそびれてしまった。

 仕方がない。また折を見て話そう。そんな暢気なことを思っていた俺が馬鹿だった。

 その翌日、リナは部下共の噂話でその事実を知ってしまった。


 訓練所の外が騒がしいと出てみれば、若い部下共が何やら興奮している。その原因が将軍の妻と娘の登城であり、さっきまでリナとその話をしていたと聞いたときには、血の気が引いた。

 慌ててリナを追いかけたものの、侍女にリナはまだ部屋に戻ってきていないと言われて慌てて引き返す。

 脳裏を掠めたのは、過去の苦い思い出だった。完璧に近いこれまでの人生の中で、数えるほどしかない負の記憶の中でも、思い出すのも辛い過去。

 まだ、騎士見習いでしかなかった頃だった。俺を見初めた令嬢の一人が、結婚してくれなければ死ぬと言いだした。そんな脅し文句に応じるわけにはいかないと放置したら、彼女は言葉通りにそれを実行してしまった。

 ……未遂で済んだのは奇跡だった。彼女は親が選んだ優しい男と共に王都を離れ、今は地方で幸せに暮らしているという。

 恋に盲目になった女は恐ろしい。今思えば、それがトラウマとなって、俺は遊びと割り切っている女ばかりを相手にし、純情な令嬢に俺は女たらしだと見せつけるような行動をとってきたのかも知れない。

 リナを探して城内を駆けまわりながら、最悪の結果が脳裏を過る。だから、廊下の窓からふと見上げた塔の屋上にリナの姿を発見した時には、心臓が止まるかと思った。


 腕の中のリナは、泣いてはいなかった。心の何か大切な部分が壊れて、泣くことを忘れてしまったかのように。けれど、泣けない分膨らんだ悲しみで胸が張り裂けそうになっているのは、青ざめたその表情で分かった。

「泣けよ」

 そう言っても、リナは一向に泣こうとしない。もしや、このまま泣いたら涙と鼻水で俺の制服を汚してしまうと遠慮しているのではないかと、清潔なハンカチを手渡す。色男たる者、普段使いのものとは別に、女性の為にハンカチを用意しておくのは当然だ、などという昔からの癖で持っておいて良かった、と心の底から思った。

 どうすれば、リナは泣いてくれる? どうすれば、俺はリナを救うことができる? 分からないまま、ひたすらリナの小さな背中を、子供をあやすように撫で続けた。

 すると、ヒクッとリナの喉が鳴るのが聞こえた。見れば、リナは俺のハンカチで目元を押え、肩を震わせ始めた。

 泣け、と言っておきながら、いざ泣かれるとそれはそれでどうしたらいいのか分からなくなって狼狽えてしまった。

 何もかも遊びと割り切った女のあしらいには慣れていても、リナのような子の扱い方など全く分からない。

 自分に出来ることは、ひたすらリナを抱きしめて背中を摩りながら、自分の至らなさを詫びることだけだった。けれど、俺が悪いから俺を恨めと言っておきながら、本当に恨まれたらと思うとやるせない気持ちになった。


「……リナ?」

 泣き続けていたリナが腕の中でぐったりとしていることに気付き、慌てて顔を覗きこむと、泣き疲れて眠っていた。だが、泣いていたにしても、異様に顔が赤い。慌てて額に手を当てると、どうやら熱があるようだ。

 急いでリナを抱きかかえて塔から降り、部屋へと運ぶ。途中、見かけた衛兵に、エドワルドをリナの部屋へ向かわせるよう伝えた。

 リナの侍女には、熱を出して倒れたと言っておいた。

 リナのことだから、きっと自分が失恋したことを周囲に知られたくないだろう。あんなに将軍に熱い視線を送っておきながら、誰にもその恋心を打ち明けている様子はなかったのだから。


「それで、リナの具合はどうだ」

 ようやく熱が下がったリナを見舞った帰り、ばったり廊下で出くわした将軍に声を掛けられた。

「もう、だいぶいいようです。閣下、少しお話があります。宜しいでしょうか」

 俺が何を言いたいのか分かっているのだろう。苦笑いを浮かべながら肩を竦めた将軍は、自分の執務室へ俺を招き入れた。

「あなたは、リナの気持ちをご存じだったはずだ」

 不敬に当たるほどきつい口調で詰め寄ったのに、将軍は余裕の笑みを浮かべている。

「勿論、私もそこまで鈍感ではない。だからこそ、お前に言っておいたはずだ。妻子のいる私が彼女に手を出してもいいのか、と」

 思わず、音を立てて机を叩き、身を乗り出して将軍を至近距離から睨みつけた。それなのに、将軍はそんな俺を鼻で笑った。

「そんなに嫌なら、お前がやれと言ったつもりだったが? それとも、まさか手を出しあぐねているのか? 城内でも指折りの女たらしだと聞いていたが」

 目の前の男が将軍でもリナの想い人でもなければ、剣を抜いて刺し貫いていただろう。

 この余裕、この貫禄。この期に及んで、俺を焚き付けて思い通りに操ろうとしているのか。

 ……違う。何かが違う。

 怒りで渦巻いている胸の奥で、ふと違和感を覚えた。それは、段々と大きくなって、次第に冷静さを取り戻していく。

「……閣下」

 机から手を離し、真っ直ぐに背筋を伸ばすと、執務机を挟んで向かいに座っている男を見下ろした。

「あなたは何か、思い違いをされています」

「……思い違いだと?」

「ええ。リナは、男に誑し込まれて骨抜きにされなければ動けないような人間ではありません。彼女は、自身の頭で考え、最良と思える道を自分の力で進んでいける。そんな強さを持った人間だと自分は思っています」

 驚いたように目と口を開いた将軍は、やがて喉を鳴らして笑いだした。

「……分かった。お前がそこまで言うのなら、私は何も言うまい」

 それから、と将軍はポケットから指輪を取り出すと、愉快そうな笑みを浮かべながら指先で弄んだ。

「私がこれを普段身に付けていないのは、少々緩くて失くしてしまいそうだからだ。だから、別に深い意図はない」

 つまり、既婚者であることを隠してリナに近づくつもりはなかった、と将軍は苦笑した。

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