22.衝撃の事実
神殿へと続く長い廊下の先、広間へと伸びる通路から右へ入ると、屋外に出る。その先に、神殿の宝物庫や書庫、神官の宿舎等があるらしい。残念ながら、神職以外立ち入り禁止なので、屋外に出て行ってこの目で見ることはできない。
衛兵に頼んで呼び出して貰うと、エドワルド様は屋外の出入り口まで小走りに出てきてくれた。
「すみません、突然訪ねたりして。ご迷惑じゃなかったですか?」
「いや、大丈夫。夕食の時間までには少し時間があるし、ちょうど夕刻の祈りも済んだところだったから。で、どうしたの? まさか、どこか怪我して……」
先走りして慌てるエドワルド様に、慌てて首を横に振る。
「いえ、違うんです。ちょっとお聞きしたいことがあって。エドワルド様ならご存知かなと思ったので」
「どんなこと?」
「ハイデラルシアって村があるって聞いたんです。その村について教えて欲しいんですが」
すると、エドワルド様の柔和な表情が曇った。
「ひょっとして、アデルハイドのことが知りたいの?」
やっぱり、アデルハイドさんはその村に何か縁のあるんだ。目を輝かせていると、エドワルド様の厳しい言葉が返ってくる。
「リナ。そういうことは、まず本人に訊くべきだ。その上で本人が教えたがらないのなら、余計な詮索をするのは止めた方がいい」
そう言われて、返す言葉に詰まる。
平和な日本と言う国で生まれ育った私にだって、他人に話したくない過去はある。まして、魔族に祖国を滅ぼされ、ご両親も妹さんも亡くしたアデルハイドさんなら、猶更だろう。過去を語ることで、思い出したくない辛い過去を掘り起こすことになるから。
しゅん、として黙り込んだ私の頭上から、エドワルド様の溜息が落ちてきた。
「ハイデラルシアは、同名の国から逃れてきた東方民族が暮らしている村だ。彼らは、領主に毎年高額の税金を納めることで、その土地に住むことを許されている」
「えっ……」
「その税金を捻出する為に、男は各地へ出稼ぎに出るんだそうだ。彼もまた、その一人なんだろうね」
それで、料理長の言葉の意味が分かった。
アデルハイドさんは、何らかの理由で身売りした同族の女の人を花街から身請けして、村へ連れて行ってあげていたんだ、と。
「ありがとうございました」
これでやっと、胸のつかえが取れた。
「こんな説明で良かったのかい?」
エドワルド様は少し拍子抜けしたような顔をしていたけれど、噂の真相が分かればそれでいい。エドワルド様の言った通り、それ以上のプライベートに関わることまで踏み込んじゃいけない。
翌日は、久しぶりに寝つきが良かったせいか、とっても爽やかな目覚めだった。
ハンナさんは十日に一度のお休みの日なので、オシャレに協力してくれた若い侍女さん達、フレアさんともう一人のアンジェさんが私のお世話に来てくれていた。
若いっていうのもあるし、侍女の中でも目上のハンナさんがいないせいもあるのか、二人は朝から異様にテンションが高い。
でも、よくよく見聞きしていると、どうやらそれだけが理由じゃないみたい。色々と私の身支度を整えてくれながら、お互い何か囁き合っては楽しげに笑っている。
「どうしたんですか? すごく嬉しそうなんですけど」
そう訊くと、アンジェさんが頬を桜色に染めながら振り返った。
「あら、リナ様。分かります?」
「実はこの子、婚約したんです」
フレアさんがそう言うと、アンジェさんは照れながら私に左手を差し出した。その小指には、銀色のシンプルな指輪が光っている。
「ええっ、そうなんですか! それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます、リナ様」
手を叩いて祝福すると、アンジェさんは零れんばかりの笑みを浮かべた。
「これが婚約指輪なんですね。いいなぁ。でも、こっちの世界では、左手の小指にはめるものなんですね」
「あら、リナ様がいた世界では違うんですの?」
驚いたように、アンジェさんはパッチリした目を瞬かせる。
「はい。確か、婚約指輪も結婚指輪も、左手の薬指にはめるんだったと思います」
まだ高校生だったから、婚約指輪のことまでは詳しく分からないけど、確かそうだったと思う。
「まあ、そうなんですね。こちらでは、婚約指輪は左手の小指に、それを結婚が成立したら右手の小指にはめるんです」
そう説明しつつ、アンジェさんは、左手の小指に光る指輪を右手で愛おしそうに撫でている。ああ、いいなぁ、幸せそうで。
あ、そう言えば、公爵令息との婚約を解消したって言った時の王女様も、こっちに左手を見せるように振っていたっけ。あれは、「ほら、婚約指輪もしてないでしょ?」って意味だったんだなぁ。
やっぱり、元の世界とこちらの世界では、共通していることもあるけれど、生活様式や風習、文化なんかも結構違うものなんだ。面白いな。
……と、暢気にそう感心していた自分が、まさか数時間後に絶望の淵に立たされようとは夢にも思ってみなかった。
剣の指導が終わり、いつも通りに訓練所を出た時だった。
「聞いたか? 物凄い美人だってよ」
「ええっ、俺も見てみたいなぁ」
「あの美貌なら、あの御方が落ちたのも納得だって、門衛の奴らが言ってたぞ」
訓練所の外で、騎士さん達が何かこそこそと喋っていた。
「誰か来たんですか?」
そう声を掛けると、振り向いた騎士さん達は周囲を確かめるように見回した後、内緒話をするように小さな声で教えてくれた。
「実は、トライネル様の奥様が、国王陛下にご挨拶するために、先ほど登城されたんだ」
「……え?」
……トライネル様の、おくさま。…………奥、様?
「辺境の村の村長の娘だったのを、閣下が身分の差をものともせず、強引に結婚に持ち込んだんだそうだぞ。王女様とはまた違ったタイプの、清楚で儚げな美人だってさ」
「結婚、されていたんですか」
何だか、無機質な自分の声が、すごく遠くから聞こえる。
「らしいね。トライネル様は辺境伯だったから、将軍になるまで滅多に王都へ来ることもなかったし、奥様が貴族出身でないのもあって、式も内々で済ませたようだから、知らなかった人の方が多いよ。実際、俺も今朝まで知らなかったし」
俺も俺も、と幾つも声が上がる。
「それに、閣下は普段、結婚指輪を身につけていらっしゃらないからなぁ。何故だろうね。剣を握る時に違和感があるからかな」
「一緒に来ている娘さんも、まだ三歳くらいなのに、天使のように可愛らしいらしいぞ。将来が楽しみだなぁ」
「おい、こら。さすがに娘さん狙いは犯罪だぞ」
ふざけて笑う騎士さん達の声も、すごく遠くから聞こえてくる。
……ちょっと考えればすぐ分かるはずだった。トライネル様みたいな素敵な人が、あの年齢で奥さんも婚約者もいない訳がないって。逆に、今までなんで気付かなかったのか、知ろうとしなかったのか。
……分かってる。知るのが怖かったからだ。
まだワイワイはしゃいでいる騎士さん達の声を背中で聞きながら歩きだす。
……何やってんだろう、私。
沸々と自嘲気味な笑いが込み上げてくる。
トライネル様の為にも頑張ろうなんて張り切っちゃって、馬鹿みたい。本っ当に、馬鹿だよ。
結局、こんなオチなんだよね、私って。マリカがいてもいなくても、私は所詮道化者。凡人がいくら頑張ったって、雲の上の人には手が届かないんだ。
胸の奥にぽっかりと空いた穴から、身を切るような冷たい風が吹き込んでくる。
少なくとも、もう三年以上前に結婚していたってことは、私が幾ら頑張ったところで、トライネル様と結ばれることなんかなかった。……例え、私がマリカであっても、無理だった。
……でも、好きになっちゃったんだから、仕方ないじゃない!
ああ、もう……! どうして私って、叶わない恋ばかりしちゃうんだろう。
トライネル様もトライネル様だ。頑張っているようだね、期待しているよ、だなんて、あんなに優しい言葉を掛けてくれたのに。……だから、今まで頑張ってこられたのに。
こんなオチ、あんまり酷過ぎるじゃない。
ゴウッと風が吹き付けてきて、思わずよろめく。気が付くと、無意識のうちに城の塔の屋上に登っていた。
「何か、もう、どうでもよくなっちゃった……」
疲れてしまった。
この世界に召喚されてから、いろんな辛いことがあった。でも、仕方がない、諦めるしかないって、自分を騙し騙しここまでやってきたけれど、積もり積もったものが、支えを失って一気に崩れ落ちていくような感覚がした。
……何か、虚しい。
青く広がる空、遠くの地平に薄らと見える青い山々。眼下に広がる城下街。
私が命を賭して戦ったとして、この世界の一体誰が、私を心から愛してくれるというのだろうか。
「馬鹿みたい」
バカバカしくて、涙も出て来ない。ただひたすら胸の辺りが焼けるように苦しくて、頭が締め付けられるように痛んで、崩れ落ちそうなくらい身体が怠い。
押し寄せてくる疲労感に引き摺られるように目を閉じると、一際激しい風が吹き付けてきて、ぐらりと身体が傾いた。