2.思いがけない訪問者
王女救出の旅は、約半年に渡る危険極まりない日々の連続だった。
人間が治める国でさえ、獣や盗賊が出るので油断はできない。その上、魔族の国へ近づくにつれて、出現する魔物のレベルも上がってくる。
死なない為には、死に物狂いで騎士と剣の訓練を重ね、魔導師から魔法を習い、神官から様々な知識を得るより他はなかった。
いくら怖いと思っても、馬に乗れなければ死ぬような状況に陥る可能性があると言われれば、人間幾らでも腹を括って馬を駆れるものだと実体験した。
お蔭で、こっちの世界に来てから、自分でも随分と逞しくなったと思う。
そう、魔法。こっちの世界に来てから得た唯一のチートは、魔法が使えるようになったことだろう。
でも、それだって、魔導師から虐待に近い暴言を浴びせられつつ、血反吐を吐きながら習得したのだから、簡単にチートという言葉で片付けられるのは納得いかない。
……マリカだったら、もっと器用にいろんなことをこなしたんだろうな。
暖炉の前に座り込み、燃える火を眺めながら、今日もそんなことを考える。
マリカだったら、旅の仲間に助けられるだけじゃなくて、彼らを助けることだってできただろう。
だからきっと、マリカは彼らの心を掴むことが出来たんだ。
だけど現実は、『最終兵器』として召喚されたのは、マリカではなく、私だった。
旅の仲間はグランライト王国随一の騎士、魔導師、神官等々と異名を取る面々だったにも関わらず、私が足を引っ張ったばかりに、誰もがまさに死に物狂い。常に殺気立っていて、色恋沙汰なんてそんな甘いことを言っていられる余裕なんて微塵もなかった。
一応、私も主人公マリカの台詞を思い出しては、ここぞと思う場面で口に出したこともあったよ。でも、その結果は睨まれるか無視されるか、はたまた失笑された後に罵られるかという散々な結果に終わってしまった。
だからこそ、旅が終わってこの殺伐とした空気から解放されたら、もしかしたら……、って期待していた部分もあったのに。
ううん、別に彼らを責めている訳じゃない。
私がマリカじゃなかったんだから駄目だったんだ。私だったから、こういう結末になった。それは、仕方のないことだったんだ。
山間の小さな集落の外れにあるこの畑付きの家は、この一帯を治める領主の親戚筋が所有していたもので、数年前までご隠居が暮らしていたらしい。
日々の生活に困らないだけの金銭や物資は領主から支給されるし、集落の人達が代わる代わる様子を見に来て、この世界での暮らし方を教えてくれる。
スマホもテレビもないので、一人きりで過ごす夜は長く、寂しいことこの上ない。
元の世界には戻れないらしいので、早くこちらの世界に慣れようと、夜は本を読むようにしている。幸い、話し言葉同様、文字も読むことはできた。
これからもずっと、この辺鄙なド田舎で、国からの支給を受けながら一人暮らしを続けていくのかどうかなんて分からない。こういう支援が死ぬまで与えられるとは限らないし。
でも、何もかも捨ててここを飛び出す勇気は、今の自分にはない。
……マリカだったら。
ううん、マリカだったら、こんな状況に陥ったりしていない。彼女だったらなんて考えちゃいけない。
あの日、マリカと掃除当番を替わらなければ、この世界に召喚されることもなかった。王女救出の旅で危うく死ぬような目に遭うこともなかったし、今もこんなところで一人寂しい思いをしているのも、元はと言えば全て彼女のせいだと言えなくもない。
「……マリカ」
私が消えた元の世界で、今彼女は何を思って生きているのだろう。
私がいなくなったのは自分のせいだ、なんて自分を責めて……なんかいないよね、あの子の性格からしたら。
いつも屈託のない明るさで周囲を幸せにしていた、太陽のように華やかなマリカ。
それに比べて、私は……。
……駄目だ。いろいろ考えてしまって、読書に集中できない。今夜はもう寝よう。
そう思って暖炉の前から立ち上がった時だった。
硬質なものを二度叩く規則的な音に、驚きのあまり文字通り飛び上がった。
恐る恐る振り返ると、そこには木製の玄関ドアがある。
……誰。
冷や汗が背中を流れ落ちる。
基本、集落の人々が訪ねてくるのは、日があるうちだけだ。夜は戸締りを厳重にして、誰かが訪ねてきてもドアを開けてはいけない、と教えられている。
見つめる私の目の前で、更にドアが二度鳴った。
咄嗟に、暖炉の上の壁に飾られていた剣をひったくるように手に取ると、いつでも抜けるように身構えた。
「……誰?」
「リナ。私だ」
誰何すると、ドアの向こうから男の声で誰かがそう答える。
私って、誰だよ。
誰だか分からないその声に眉を顰めながら、足音を立てないようにドアの前まで近づく。
「どなた様ですか」
この世界に、「私だ」で通じるような親しい人なんていない。こっちの名前を知っているようだけれど、集落で情報を仕入れた強盗かも知れない。
お世話になっている集落の人達が言っていた。この辺りは辺鄙な田舎だけれど、だからといって安全な訳じゃない。山賊や、食うに困った流れ者が、押し入り強盗を働くこともある、と。
剣の柄にかけた手にじっとりと汗が滲む。
相手が一人だったらいいんだけれど、複数だったら、まず魔法で陽動をかけて……。
「リナ、私の声が分からないのか? リザヴェントだ」
……リザヴェント?
数秒、ドアの向こうから聞こえてきたその名を頭の中に巡らせてから、ハッとなる。
「……リザヴェント様?」
それは、私をこの世界に召喚し、王女救出の旅において魔法の師でもあった魔導師の名だった。
でも、この国随一の魔導師として多忙な彼が、こんな夜分にこんなド田舎まで来るはずがない。
しかも、私なんかをわざわざ訪ねて来るなんて、有り得ないし。
それに、リザヴェント様の声はもっと素っ気なくて、冷たい感じのする声だ。間違っても、こんな「私の声が分からないのか?」なんて、親しい相手に投げかけるような言葉を使ったりしない。
「本当にリザヴェントですか?」
剣を構えつつ訝しげに問うと、返答に窮したように相手が黙りこくった。
……やっぱり怪しい。
玄関ドアや窓には、毎晩防護魔法をかけているので、よほどの相手でなければ打ち破って入ってくることはできないはずだ。それでも万が一ということはあるので、剣を抜いて身構える。
「……本当にリザヴェント様なら、私が開けずとも、防護魔法を打ち破ってこのドアを開くことはできますよね?」
迷いつつも、思い切って相手を挑発してみる。
ドアに防護魔法がかけられていると知ったら、家に押し入るのは無理だと相手が大人しく引き下がってくれるといい、と思ったからだ。
ごくり、と唾を飲み込んだ時だった。
バァン!と音を立てて、突然目の前でドアが勢いよく開き、壁に当たって跳ね返った。
悲鳴を上げることもできず、ただ目も口も大きく開けたまま、呆然と立ち尽くす私の目の前に、その人は現れた。
「……久しぶりだな」
反動で閉まろうとするドアを片手で押えつつ、紫色の長い髪を靡かせて入ってきた美男子は、間違いなく魔導師リザヴェント様その人だった。