19.王女様と内緒のお話
たった一人の侍女だけを伴って私の部屋を訪ねて来た王女様は、私が戻って来るまでここで待つと言って聞かなかったらしい。
訓練着のままで失礼なので着替える時間をくれるようにとハンナさんが申し出たんだけど、そのままで構わないとあっさり却下されてしまった。
しかも、二人きりで話がしたいからと言われ、ハンナさんと王女様が連れてきた侍女は、部屋から追い出されてしまった。
「わたくしもあまり時間がないの。だから、ほら、ここに座って」
王女様は自分が腰かけている長椅子の隣を軽く叩いて、私に座るよう促す。
……いやいや、無理ですって。
そう思ったものの、王女様の相手をしない訳にはいかない。仕方なく、長椅子の端に腰をかけると、王女様はずいっとその距離を縮めてきた。
「あなたには、助けに来てくれたお礼を言いたかったのよ。助けて貰った後も、城に戻るまでの間、随分と自分勝手なことを言ってしまったと後悔しているわ。でも、城に戻ったばかりのわたくしはとっても不安定だったの。ちょっとしたことがきっかけで、魔王に囚われていた時のことを思い出してパニックになってしまうものだから、あなたに会うことはできなかったのよ。お父様があなたを城から他の場所へ移したのも、きっとそのせいなの。ごめんなさいね」
そう言いながら、芸術品のような綺麗な手で私の手を取る王女様。
何ということでしょう。婚約者を奪った訳でもないのに、私が城から出るきっかけとなったのは、小説と同じく王女様だったなんて。
「でも、元気そうで何よりだわ。アリアデール領は風光明媚な所だし、街も大きいし、領主の侯爵はとても優しい方だから、過ごしやすかったでしょう?」
……ん?
きょとんとした私に、王女様は首を傾げる。
「あら、どうしたの?」
「いえ。私がいたのはザーフレムです」
「え……?」
「ザーフレムの領主様の遠縁になる方が住んでいたという家で、一人暮らしをしていました」
「……どういうこと?」
スッと音もなく立ち上がった王女様の手が、小さく震えているのが見えた。
「ザーフレムって、そんな。……しかも、一人暮らしですって?」
戸惑ったように揺れる王女様の目を見て、ああ、この人は本当に、私がもっといい場所でいい暮らしをしていたと思い込んでいたんだ、と分かった。
「何てことを。お父様ったら、どういうつもりで……。いいえ、こうなったのには何か理由があるはずだわ。ごめんなさい、リナ。あなたには、随分と嫌な思いをさせてしまったわね」
再び長椅子に腰を下ろした王女様は、再度私の手を取ると、宝石のように煌めく瞳を潤ませた。
うわぁ、綺麗。惚れちゃいそう……。
女の私でさえそう見惚れてしまうくらい、至近距離で見る王女様は美しい。
それにしても、小説では婚約者の心を奪った主人公マリカをヒステリックに断罪し、城内を混乱させたキャラだったのに、現実とのこの違いは一体何なんだろう……。
あ、アレだ。小説とは違って、今は婚約者の公爵令息とラブラブだから、王女様は悪役にならずに済んだのか。
「原因は必ずわたくしが突き止めるわ。ああ、本当にごめんなさい、リナ」
「そんな、何もご存じなかった王女様が責任を感じることではありません。それに、優しい人達に助けて貰ったお蔭で、それほど不自由はしませんでしたし」
そう、今だから思う。小説通りの展開にならなかった不満とか将来への不安はあったけれど、あの田舎での暮らしはそれなりに楽しくて充実していた、と。
「それよりも、王女様。シザエル様はいかがお過ごしでしょうか」
シザエルとは、王女様の婚約者、エスクエール公爵令息の名前だ。王女救出の旅に出る前には、魔物に襲われて負傷しているという理由で会うこともなく、旅から帰還した後は王女と再会して抱き合っている姿を遠目に見ただけの人物だ。
別に彼がどうという訳じゃなく、ただ話題を変えるだけにそう訊いただけだったのに。
「知らないわ。もうしばらく会ってないから。知りたいとも思わないし」
突然、王女様は眉間に皺を寄せると、フイッと横を向いた。
……ええっ! 王女様を怒らせちゃった。どうしてっ?
焦る私に、王女はニッコリと微笑んだ。
「あら、リナは知らなかったのね? わたくし達、婚約を解消したのよ」
「えっ……」
でも、私は二人の間を裂いたりしてないのに、何故?
「だって、あの人、わたくしが魔王の手先に攫われた時に、何も出来ずにただ震えていたのよ。しかも、もうわたくしは生きて戻ってこないだろうからって、他の令嬢に手を出したりして。それも、一人や二人じゃないのよ。これまで、王女の婚約者だからと抑えていた本性が出たんでしょうね。よかったわ、手遅れになる前に発覚して」
王女様は、私の目の前に左手を出して、ひらひらと振って見せると、それより……、と恥ずかしげに視線を伏せた。
どうしたのかな、と思っていると、視線を上げた王女様は、縋るような目でこちらを見つめてくる。その愛らしさに、思わず胸がドキドキする。待って、私にはその手の趣味はなかったはず、と思いながらも、王女様の大きく開いた襟元から見える深い谷間に目が吸い寄せられる。
「他の人達には言わないでね」
「……はい」
「教えて欲しいの。……リザヴェントって、どんな人なのかしら」
……ええええっ!
目を剥いた私の前で、王女様は顔を真っ赤にして、両頬を白い手で抑えて「きゃー、言っちゃった」などとはしゃいでいる。
どうって、どんな人って、……何て答えればいいんだろう。
「よく分からない人です」
そう答えると、王女様はがっくりと肩を落とした。
「そんな答えなら、いろんな人から貰っているわ。そうじゃなくて、もっと詳しく知りたいのよ。家柄とか経歴とかではなくて、彼がどんな人なのか」
……これは恋だ。間違いなく、王女様はリザヴェント様に恋をしてしまっている。でも、王女様は一体、リザヴェント様のどこに惚れたというんだろう。
「王女様は、リザヴェント様のどこが気に入られたのですか?」
そう訊くと、またも真っ赤になった王女様は、恥ずかしげに語った。
「……魔王城から助け出されてから城に帰還するまでの間に、わたくし、どうしても耐えられなくなって、あなたに酷く当たったでしょう? その時、リザヴェントは振り上げたわたくしの腕を掴んで、真剣に叱ってくれたの。王女ならどんな時でも王女らしく振る舞うべきだと。その時は、口うるさい男だとしか思わなかったわ。でも、冷静になって思ったの。お父様に可愛がられているわたくしを、そんなふうにちゃんと叱ってくれる人なんて、彼を含めて果たして何人いるのかって……」
そうか……。私もリザヴェント様には随分と怒られたけど、王女様はそういうふうに捉えたのか。
「それにね。魔力を回復させなきゃいけないのに、わたくし達が魔物に襲われそうになると、必ず魔法を使って助けてくれたわよね。その後仲間に詰られても、助けるのが当然だって毅然としていた姿がとっても素敵だったわ」
多分、毅然としていたというより、詰られてもどこ吹く風だったんだと思うけど。
「でも、わたくしは王女で、婚約者もいる。だからこの気持ちには蓋をしようって決めていたの。でも、あの男と婚約を解消した今では何の問題もないわ。リザヴェントはハイランディア侯爵家の跡取りだから、結婚相手として不足はないし。何より、奥手なところがいいわ! 女好きな男なんて、もう懲り懲り!」
勢いよくそう言い放ち、思わず興奮してしまったわ、と咳払いをした王女様は、急に真剣な表情になって私に詰め寄ってきた。
「いいこと、リナ。あなたも、ファリスには気を付けなさいね。あの男も、相当な女好きらしいから」
「……そうらしいですね。でも、私はどうやら対象外のようですから」
「甘い! 甘いわ、リナ。ああいう男は、女を何かの道具のようにしか思っていないの。自分を楽しませ気持ちよくしてくれる道具、何かを手に入れる為の駒だって」
「はあ……」
「だから、優しくされたら、何か裏があるぐらいに思っていた方がいいわよ」
その言葉に、ドキッとして思わず息を飲む。
最近、ファリス様が随分と優しくなったのは、やっぱり何か裏があるのかも知れない。
もうお時間です、と侍女が迎えに来て、王女様は帰って行った。
去り際、またこうやって二人でお喋りしましょう。その時には、リザヴェントについて知っているエピソードを色々と教えて頂戴と耳元で囁いていった。
「随分と楽しそうでしたね。一体、何をお話になっておられたのですか?」
ハンナさんに訊かれたけれど、内緒と言われているので話す訳にはいかない。
「うん、えっと、……恋愛観について?」
「まあ、そうなのですね。王女様もリナ様もお年頃ですからね。何より、王女様がリナ様を気に入ってくださって安心ですわ」
やっぱり、この城では王様の溺愛する王女様の影響力は結構大きい。だから、主人公マリカは城内に居づらくなって旅に出ることになったんだけど、どうやら今のところ私は王女様に嫌われてはいないようだ。
……うーん、そうだなぁ。折角だし、ここは私がひと肌脱いで、王女様の恋が成就するように協力しよう。




