18.昔、滅ぼされた国
それから三日後。
いつものように午前中は剣の指導を受け、午後から同じ訓練所で魔物についての講義を行うことになった。
どこからか運ばれてきた、背もたれのない木製の長椅子が並べられ、そこに騎士さん達が座る。
人数は二十人ほど。騎士団の各小隊を預かっている小隊長クラスの人達だそうで、ファリス様よりも年上に見える人が多い。雰囲気も、いつも見る若い騎士さん達とは違って落ち着いている。まず、彼らに魔物の知識を伝え、それを各小隊の騎士に伝達講習してもらうというのがファリス様の案だった。
騎士団は、基本的に王城と城下町周辺の警備が任務らしい。魔族の国から少し離れているこの国では、国境付近以外なら、普通に暮らしていて魔物に遭うことはまずない。だから、公爵子息の地方視察に同行していた王女様が魔王の手下に連れ去られた時も、随行していた騎士達は成すすべもなくやられてしまったんだそうだ。
アデルハイドさんの講義に添って、臨時の演壇として設置された四角いテーブルに伏せておいた絵を、見えやすいように掲げる。その絵は、私が三日かけてアデルハイドさんと二人で完成させた魔物のイラストだった。大きな紙に絵を描くのは結構大変だった。でも、自分で言うのもなんだけど、魔物の特徴的な外見と特性を表現できている力作だと思う。
「これは、小鬼系の魔物です。大体、魔王軍の歩兵といえばこいつらで、軍の先頭をきって突っ込んできます。知能は低いし、それほど強くもないですが、凶暴で数が多いから油断は禁物です。一人で複数を相手にしないこと。奴らは身が軽いから、いつの間にか取り囲まれて滅多打ちにされるでしょう」
アデルハイドさんは、私が描いた小鬼系魔物を差しながら説明する。相手が管理職クラスの騎士だということもあって、いつものアデルハイドさんらしからぬ丁寧口調で喋っている。
小隊長より格上の副団長であるファリス様にはくだけた口調なのは、やっぱり旅の仲間だっていう意識からなんだろう。本来なら、身分の差があるから不敬になるんだろうけど、ファリス様も別に咎めないし。
「大体は棍棒を振り回してきますが、額にこんな角を生やしている奴は、弓矢や毒矢なんかの飛び道具を使ってくることがあるので注意が必要です」
アデルハイドさんがイラストを指示しながら説明すると、ふうん、知らなかったな、と小隊長さん方は顎を撫でながら感心している様子だ。
「それから、魔王軍と戦うにあたっては、空からの攻撃にも備えなければなりません。魔鳥は片方の翼が成人男性の身長くらいの、大きな翼を持っています。基本的には、剣の届かない上空を飛んでいる魔鳥には、魔法による攻撃が有効的です。種類ですが……」
王城の絵師さんから都合してもらった絵具で簡単に色をつけた魔鳥の絵を掲げると、ほう、と声が上がった。
「喉の辺りにこういった赤い毛が生えている魔鳥は、炎を吐いて攻撃してくるタイプです。そいつらは炎属性なので、炎系の魔法ではあまり有効なダメージは与えられません。他にも……」
……そんなふうに講義は続き、魔物の中でも特にピックアップした五分類について説明して、今日の講義は終了となった。
騎士さん達が平民から講義を受けることを嫌がるんじゃないか、というアデルハイドさんが心配していたような事態にはならず、無事に終わってホッとする。
出口に向かう人達の中から、小隊長の一人がファリス様に近づいて話しかけている。属性によって魔法が効きにくいのなら、魔族の属性を見た目で判断できるよう、王宮魔導師にも情報提供したほうがいいのでは、と提案していた。
その通りだ。軍に派遣されるのは騎士だけじゃない。魔族や魔物の特性を良く知って対策を立てておくことは重要だ。その方向で考えている、と応じているファリス様達の会話に気を取られていた時だった。
不意に、背後からその声が聞こえてきたのは。
「さすが。実際に魔王軍に攻め滅ぼされた国の人間が言うことは、なかなか説得力があるな」
弾かれたように振り向くと、挑発的な笑みを浮かべながら去っていく小隊長達の姿があった。
彼らの視線の先には、それまでに見たこともないほど暗い目をしたアデルハイドさんの姿が。
「アデルハイドさん……?」
恐る恐る声を掛けると、アデルハイドさんはハッと我に返ったようにこちらを見た。ほんの一瞬だけ浮かんだ、無防備な子供のような表情に、キュッと胸が痛んだ。
「どうしたんですか? あの人達……」
「気にするな。言いたい奴には言わせておけばいい」
吐き捨てるように言うと、アデルハイドさんは嫌なものを払うように手をひらひらと振った。
「でも、さっきの、……滅ぼされたって」
聞いていいのか、聞かなかった振りをすべきだったのか分からない。でも、何のことなのか気になって仕方がなかった。
「ああ。昔、魔族の国に隣接していた人間の国が滅ぼされた。ただ単に、そのうちの一つが、俺が生まれた国だったってことだ」
初めて聞く話に愕然とする。まさか、アデルハイドさんにそんな過去があったなんて。
「……知らなかった。アデルハイドさんは、この国の平民出身だとばかり思っていました」
周囲も、アデルハイドさんは平民だと言っていたから、まさか別の国から来た人だなんて思ってもみなかった。
「ああ、そうか、リナは知らないのか。俺は見た目ですぐ、俺の祖国の者だって分かる特徴を持っているからな。黙っていても、知ってる奴にはすぐ分かる」
「特徴?」
「黒髪に、この色素の薄い目だ。後は、身体がやたらでかいのもそうだな」
確かに、この国ではあまり黒い髪の人を見ない。いても、同じように瞳の色も暗い色だから、確かにアルデハイドさんのような人は見かけない。
「でも、あんなふうに言うなんて……」
「騎士にもプライドがあるからな。ああやって一言言わないと気が済まないんだろう。放っておけばいい。いざ魔王軍が攻めてくれば、あいつらだって笑ってなどいられないさ」
平気なふうを装っているけれど、アデルハイドさんの言葉には、隠しきれない怒りと憎しみが滲み出ている。
魔族の国は勢力を拡大していて、隣接している人間の国がじわじわと浸食されているという話は知っていた。それは、もうずっと昔からのことで、これまでに多大な犠牲者が出ているということも。
その犠牲の中に、アデルハイドさんの生まれた国も含まれていたんだ。もしかしたら、彼が戦士になってギルドに登録し、魔物と戦い続けているのもそのせいなんだろうか。
アデルハイドさんは自分のこととなると茶化して、本当のことを話してくれない。私がまだ子供で、本心を語れる相手ではないと思っているからなのか。それとも、誰にも言いたくないほど辛い思いをしてきたんだろうか。
「本当に、もう気にするなって。ほら、帰るぞ」
大きな手で背を押されると、その手の温もりが背からじわじわと広がっていく。
祖国を滅ぼされ、あんな心無いことを言われながらも、アデルハイドさんは他国の為に戦っているんだ。
それは、正義の為とか他人の為とか、そんな綺麗な理由だけじゃないかも知れない。だって、この国が滅ぼされたら困るのは、この国の人だけじゃないから。この国が魔族の手に渡ったら、人間の住む土地は更に狭くなって、今は平和な国にも悪影響が出てくるだろうし。
私だって、今はこの国で神託によって召喚された者として保護されているけれど、他所の国に行ったらただの異世界から来た何も知らない人間だ。異端者として迫害されるかも知れないし、誰にも相手にされずにどこかで野垂れ死にするかも知れない。
どんなことを言われたって、頑張るしかないんだよね……。
ぎゅっと拳を握り締めると、軽く頭を叩かれた。見上げると、元の優しげな笑みを浮かべたアデルハイドさんが、どこか遠くを見つめるような目でこちらを見下ろしていた。
部屋に戻ると、何故かハンナさんが部屋の前の廊下で右往左往している。
「あれ? どうしたんですか」
別に帰りが遅くなった訳じゃないから、また心配をかけてしまったんじゃないよね。
私が帰ってきたのに気付いて、小走りに駆け寄ってきたハンナさんの表情は、何故か強張っていた。
「リナ様。驚かないで聞いてくださいね。実は……」
「ああ、ようやく帰ってきたのね!」
その時、澄んだ女性の声が廊下に響いた。女性にしては大柄なハンナさんの陰に隠れて見えないけれど、どうやら私の部屋から出てきたらしい。
「ずっと、わたくしの部屋や茶会に誘おうとしていたけれど、周囲の者が何だかんだと理由をつけてうるさく言うものだから、わたくしの方から訪ねて来たのよ」
その女性は、眩しいほどの輝きを放つ王国の至宝、王女ネリーメイア様だった。