16.騎士ファリスの決意
今回は、騎士ファリス視点のお話です。
※ご指摘を受け、将軍の台詞を一部変更しました。
早々に稽古を打ち切った後、リナが訓練所から出て行くと、文句の多い部下たちをどやしつけながら、宣言通りの罰ゲームを遂行させる。
……急に、色気づきやがって。
ヒーヒー喚いている部下達をいいザマだと見下ろしながらも、胸のモヤモヤが晴れない。
何だろう。もし妹がいたとして、まだ子供だと思っていたのに、いつの間に……とかいうのが今の俺に近い感情なんだろうか。
昨日まで化粧っ気の全くなかったあいつが、急に貴族令嬢のような化粧をしてきた理由はただ一つ。将軍に恋をしたからだ。決して、俺の為なんかじゃない。
断っておくが、別にリナが誰に惚れようが、どこの誰とどういう関係になろうが、俺には全く興味はない。好きなようにすればいい。
じゃあ、何故、こんなに悶々としているのか。それが分からないから余計に苛々する。
化粧をしてきたリナに、何故か異様に興奮し始めた部下共にも腹が立つ。可愛いとか、頑張れとか、急にちやほやしやがって。
リナは一度魔王城に侵入して生還したという、とんでもない実績を持っている。幾ら飛び抜けた実力を持つメンバーと一緒だったからといっても、無能な者ではきっと生きては戻れなかっただろう。その戦績だけで見れば、そこら辺りの騎士など足元にも及ばない。
それを、どこか下町の料理屋にいる看板娘をからかうようなことを言いやがって。
そんな奴らの下心なんか知らずに、暢気に手なんか振り返しているリナにも腹が立った。お前は人気者にでもなったつもりか? こいつらはただ女日照りで、剣を持って戦う女が物珍しいだけだ。騙されるな。
調子に乗った部下共に容赦ない制裁を加えていると、例の将軍から呼び出しがあった。
俺の直属の上司は騎士団長で、将軍から直接何かを命じられることはない。何事だろう。
訝しげに思いつつも、もしかしたら魔王軍との戦いについて何かしらの方針が決まったのかも知れないと思った。
何せ、神託は『王女救出を果たした者たちが、この危機を救うだろう』だ。俺たちが具体的に何をどうすれば魔王軍の侵攻から国を救えるのか、この神託からは何も分からない。
それなのに、この神託を受けて出された王命は、『魔王を倒す、若しくは魔王軍をかく乱し撤退に追い込む』。確かに、その二択の内の一つでも成し遂げれば、我が国が魔王軍に蹂躙される危険はなくなるだろう。
だが、どちらにしても、我々だけではどうにもならない。我が国や、近隣諸国との軍とも協力して戦わなければ、そのどちらも成し遂げることはできないだろう。
我々がいつこの城を発つのか、具体的にどの目的に向かってどういう作戦でいくのか、その方向性が決まったのかも知れない。だとすれば、おそらく他のメンバーも呼び出されているだろう。
だが、将軍の執務室に足を踏み入れると、待っていたのは例の将軍ただ一人だった。
机に向かって書類に署名をしていた将軍は、俺を案内してきた従者が部屋を出て行くまで顔を上げなかった。
「何故、私に呼ばれたか、理由が分かるか?」
そう言いながら、将軍はゆっくりと視線をこちらに向けた。強い光を湛えた濃い茶色の瞳には、どこか抗い難い人を惹きつける輝きがある。
「我々に下された王命に関してのお話かと思っておりましたが、どうやら違うようですね」
正直に答えれば、将軍は大きく頷いた。
「ああ。実は、例の神託の少女のことだが」
……リナの?
自然と、表情が強張る。リナの将軍への想いは一方通行で、片や将軍は歯牙にもかけていないと思っていたのに、まさか……。
「こちらの方にも、色々と情報が上がっている。お前は少し、彼女に対して手厳し過ぎるのではないか?」
「はっ……」
心拍数が跳ね上がる。畏まりつつ、落ち着こうと息を大きく吐き出した。
俺のリナへの指導状況が、将軍の耳にまで届いていると?
将軍は軍部のトップとして騎士団の訓練所を視察することもあったが、基本的にその管理運営は騎士団の専権事項であり、その内情が将軍の耳に入るのはよほどの不祥事や事故があった時だけのはずだ。
昨日から始めたばかりの稽古の状況が将軍の耳に入っているということは、将軍自らその情報を得ようと動いていたとしか考えられない。
不信感が頭をもたげた時、更に将軍は驚きの情報を口に出した。
「実は、先ほど彼女と廊下で会ったのだが、彼女は柱の陰で蹲って泣いていたのだ」
「……っ! 本当ですか」
思わずそう問い返してしまってから後悔する。将軍がそんな冗談を言うはずがない。
……リナが泣いていた? 訓練所を出る時には、そんな素振りなど全く見せていなかったはずだ。
確かにこれまでリナに対して、他の女性には絶対に言えないような、今振り返ってみると酷い言葉を浴びせてきた。だが、それに対してリナが俺を批難したり、反抗したりすることはなかった。けれど、もしかしたら口にしないだけで、一人で隠れて泣くぐらいに辛かったのだろうか。
猛烈な後悔が押し寄せてきて、顔から血の気が引いていくのが自分でも分かった。
そんな俺を、両手を組み合わせて肘を机に付き、冷徹な目で見つめていた将軍は、不意に思ってもみないことを言った。
「ただ厳しくするだけでは、人心は離れていく。もっと頭を使うことだ、ファリス」
「……は」
「彼女は我が国にとって必要な人物だ。だが、考えてもみろ。彼女には本来、我が国の為に命を掛ける理由は何もない。そんな彼女を繋ぎ止め、役割を果たしてもらうにはどうすればいいか」
リナに、命を掛けた任務を全うさせるには、それだけの強い気持ちでこの国を守りたいと思わせなければならない。それはつまり……。
「お前にその気がさらさらないのは分かっている。……だが」
息を飲む俺の目の前で、将軍はポケットから指輪を取り出すと、それをわざわざこちらへ見せつけるように右手の小指にゆっくりと嵌めた。
「堅物のリザヴェントや、あの神官にはできぬことだ。それでもお前ができないと言うのなら私がやるまでだが、……それで、お前はそれで構わないと思うか?」
雷に打たれたような衝撃にただ立ち尽くしていた俺は、ようやく我に返ると、喘ぎながら首を横に振った。
「……いい訳がありません」
「ならば、決まりだな」
将軍はスッと指輪を外すと、元のポケットに仕舞い込んだ。
覚束ない足取りで将軍の執務室を出て、騎士団本部へ向かう。昼を少し回った時間帯で、部下達はとっくに食堂へ向かっているだろう。
ところが、本部にある副団長室へ行きつく前に、走ってきた部下達に呼び止められた。
「副団長、リナちゃんが部屋に戻ってこないらしいんです」
それを聞いて咄嗟に思い浮かべたのは、リナが逃げた可能性だった。
「探せ、すぐにだ」
昼食もまだ食べていないのに、部下達は文句ひとつ言わずに駆け出していく。
将軍に知られる前に、何としてもリナを探し出さなければならない。でなければ、あの人はどんな手段にうったえてくるか分かったものじゃない。
あんな男に渡すぐらいなら、俺が……。
不意に突きあげてきた強い感情を、首を横に振って打ち消す。
……俺が、あいつに相応しい男をちゃんと見つけてやる。
どこを探しても、リナはいない。焦る俺の元に、ようやくリナが見つかったという知らせが届いたのは、日も傾いた頃だった。見つからないはずだ。まさか厨房の奥で、アデルハイドと談笑していようなどと、誰も予想できる訳がない。
泣いていた、と聞いていたが、化粧はすっかり落ちてしまっていたものの、少し目が腫れているぐらいで普段とあまり変わりないリナの姿にホッとする。
対して、久しぶりに再会した戦士アデルハイドは、恐ろしいまでの殺気を放っていた。味方であればあれだけ頼もしかった男だが、敵に回すと恐ろしい事この上ない。
――リナが陛下の命令に背いて逃げるような子じゃないことは、分かっているはずだ。
アデルハイドの言葉に、思わず目が泳ぐ。リナという一人の人間を信頼し、仲間として認めている者の言葉だ。それに引き換え、俺は……。
その言葉を聞いて、俺の心は定まった。
まずは、リナに今までのことを謝る。それから少しずつ、互いの距離を縮めていく。信頼関係のない今はまだ、俺がどんな忠告をしてもリナは受け入れてくれないだろう。特に、こと将軍に関しては。
アデルハイドが余計な対抗心を燃やしてきたことには驚いたが、何とか今まで通り剣の師としての立場を維持することができた。それにしても、素直に謝ることがこれだけ難しいとは、俺はこの若さでどれだけひねくれているというのだろうか。
昼食抜きでリナ捜索に全力を尽くしてくれた部下達を労い、そのまま食堂へ直行することを許可して副団長室へ戻る。自分の食事は、もう少ししたらこの部屋に運ばれてくるはずだ。
壁に掛けられた鏡に映った自分の顔をふと覗きこむ。
自分で言うのも何だが、容姿だけで言えば、決してあの将軍には劣らない。だから、これからは自然に優しい笑顔を浮かべられるよう、表情筋を鍛えなければ。
頬の辺りに手を添えて顔の筋肉を揉み解していると、騎士見習いの少年が夕食を持って入室してきた。鏡越しに目が合い、お互いとても気まずい思いをしたのは言うまでもない。