15.さあ、どうする?
楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまう。
ふと気が付くと、窓から西日が差していて、厨房の方からはまた昼前と同じような喧しい音が聞こえている。
あ、マズい。お昼には部屋に戻るはずだったのに。きっと、私が戻ってこないって、ハンナさん心配しているだろうなぁ。
そう思い、ほろ酔い気分で機嫌よく喋り続けるアデルハイトさんに、今日はもう部屋に戻ると言おうとしたその時だった。
「ああっ、こんなところにいた!」
突然、厨房へと続くドアが開き、血相を変えた騎士さん達がどやどやと乱入してきた。
その瞬間、アデルハイドさんが背筋も凍るような殺気を放ち、壁際に立て掛けていた巨大な剣を掴んで立ち上がった。
「何の用だ」
突然巨大な悪鬼のような人物が立ち塞がり、ひいぃ、と声にならない悲鳴を上げて、騎士さん達は飛び退った。
酔っているのもあって半目になっているアデルハイトさんの目つきは、世にも恐ろしいものになっていた。
怖いっ。怖いですからっ。騎士さん達も真っ青になって震えている。止めなきゃ、と思いつつも、アデルハイトさんがあの巨大な剣を振り回したらどんな被害がもたらされるか分かっている分、恐ろしすぎて何もできない。
「貴様ら、リナを連れ戻しにきたのか」
わー、騎士に向かって貴様らって言っちゃってる。完全に酔っ払いだ。すみません、この人、酔っ払いですから許してあげてくださいぃ!
「そう……いえいえ、我々は探していただけで、……落ち着いてください、アデルハイド殿!」
「リナを虐めて、泣かしたんじゃないのか!」
「ちっ、ちち違います! 虐めたのは副団ちょ……あわわ」
歴戦の猛者の鋭い眼光に、まだ若い騎士さん達は完全に圧倒されている。
「何だと? じゃあ、その副団長とやらをここへ連れてこい。話はそれからだ」
剣を抱えたままどっかと腰を下ろしたアデルハイトさんに、騎士さん達は青い顔のまま顔を見合わせた。
――その副団長って、あなたの旅の仲間なんですが。
そんな彼らの心の声が聞こえたような気がした。
せっかく今まで楽しい雰囲気だったのに、アデルハイドさんはそれからむっつりと黙り込み、時々思い出したようにお酒を呷る。まるで、旅をしている時の彼に戻ったみたいで、怖いからこちらからは声を掛けることもできない。
厨房の方からは、無断で踏み込んできた騎士たちに怒鳴る料理長の声が聞こえてくる。清潔第一の厨房に勝手に踏み込んでくるとは何事だ、とかなんとか。ああ、どうか後で料理長が不敬だとか因縁をつけられませんように。
そんなことを思っていると、ようやくファリス様がやってきた。
「アデルハイド」
息を弾ませて飛びこんできたファリス様は、アデルハイドさんの眼光を受けて表情を強張らせた。
「お前がリナをこんなところに連れ込んでいたのか」
「ハッ、俺たちはただ、メシ食って喋ってただけだ。久しぶりに再会した仲間とそうして、何が悪い?」
――仲間。アデルハイトさんの口から出たこの言葉に、胸が熱くなった。少なくとも彼は私を足手まといのお荷物ではなく、仲間だと認めてくれて、再会を喜んでくれていたんだと分かる。
「あのっ、私が誰にも何も知らせずにここにいたのが悪かったんです。すみませんでした」
慌てて立ち上がり、ファリス様に頭を下げる。
きっと、私が戻ってこないと心配したハンナさんが、訓練場まで探しに行ってくれたんだろう。それで、騎士団の方々が城内を探し回っていたに違いない。本当に多くの人に迷惑をかけてしまったんだなぁと思うと、身が縮む思いだった。
「アデルハイドさんにも迷惑をかけてすみません」
騎士さん達が私を探しに来なければ、アデルハイドさんはずっと上機嫌でお酒を飲んでいられたのに。
「ああ? 全然迷惑じゃねぇよ。謝る必要なんてない。第一、何でそんなに血相を変えてリナを探し回ってたんだ? あんたら」
ガタンと音を立てて立ち上がったアデルハイドさんは、長身のファリス様より更に頭半分ほど背が高い。その上、必要以上にファリス様に近づいて、上から威圧するように見下ろしている。その威圧感に耐えられなかったのか、ファリス様が半歩下がった。
「……それは」
「リナが陛下の命令に背いて逃げるような子じゃないことは、分かっているはずだ。城内にいると分かっている者を、何故騎士団が総出で探さねばならん?」
その問いに言いよどむファリス様に、更にアデルハイドさんが詰め寄る。
「この城は、リナが自由に過ごせるほど、安全じゃないってことか?」
「そうではなく……」
唇を噛んだファリス様は、この場に足を踏み入れて初めて、私の方を見た。その表情が歪み、視線が床に落ちる。
「……悪かった」
「え?」
今のは、私に言った台詞だろうか。それとも、幻聴?
「つい、旅の時の様に厳しい指導をしてしまった。すまない」
「え゛っ」
やっぱり、私に対する謝罪の言葉だった! 何で? 何で急にそんなことを。
「そ、そんな、とんでもないです! ファリス様は、私の為を思って厳しく指導してくれていただけですし!」
寧ろ、優しいファリス様なんて、想像するだけで何を企んでるのかと思っちゃうし。
「随分と酷い、心無いことも言ってしまった」
ええっ! いいって言ってるのに、重ねて反省されてしまった! どうしちゃったの? ファリス様。もしかして、アデルハイドさんが睨んでるから……って、そんな訳ないか。
「……許して、貰えないだろうか」
聞いたこともないほど下手に出たファリス様の声に、ゾクッと寒気がした。
「そんな、気にしないでください!」
寧ろ、全く気にしてくれなくていいですから、と身振りまで交えて伝えたのに、逆に傷ついたような表情をされて焦った。やばい、何とかしなきゃ。ここは一応、許すとか許さないじゃなく、ちょっと話の方向を変えてみたほうがいいのかも知れない。
「……じゃあ、これからはもう少し、柔らかい口調で指導していただけると嬉しいなぁ、と」
「勿論、そのつもりだ」
恐る恐るお願いしてみると、驚くことに受け入れて貰えた。それに加えて、見たこともないほど萎れていたファリス様の表情に、段々と元の輝きが戻って来る。
よかった、正解だったと、ホッと息を吐き出した時だった。
「リナ、剣の稽古なら、俺でもつけてやれるぞ」
「えっ」
酔っ払いが、余計な口を挟んできた。
「アデルハイド!」
批難の声を上げるファリス様にニヤリと笑って、アデルハイドさんは続ける。
「魔物とやり合うなら、綺麗な型にはまった騎士より、俺のような太刀筋の方が参考になるはずだ」
「お前のように腕力が桁違いな者と手合せしたら、一撃でリナが吹っ飛んでしまうわ!」
ファリス様の突っ込みは正しい。多分、持っている剣ごと腕を砕かれてしまうと思う。
「そうか? だが、俺より力の強い魔物だっているからな。そういう相手とどう戦っていくか学ぶことも重要だぞ」
うっ。そう言われれば、それも一利あると思う。
――さあ、どうする?
かつての二人の師匠から、どっちを選ぶのかと視線で問われ、どうしていいか分からなくなる。
確かに、アデルハイドさんの提案も捨てがたい。でも、剣の指導はずっとファリス様がしてくれていた。ここでアデルハイドさんに乗り換えるなんて言ったら、何だか師匠に引導を渡すみたいで嫌だ。
「その、……剣の指導は、今まで通りファリス様にお願いします」
そう言うと、ファリス様はホッと肩を撫で下ろし、アデルハイドさんはチッと舌打ちをした。
「その代わり、また魔物との戦い方とか体術とか、またアデルハイドさんにも教えて貰いたいと思います」
「おお、任せとけ」
機嫌を直したアルデハイドさんの大きな手が、グリグリと私の頭を撫でる。
「俺は大概ここにいるからな。何かあったら、いつでも俺に言ってこい」
そう言って、ニカッと笑うアデルハイドさん。
すると、騎士さん達の後ろから、あんたはまだここに入り浸るつもりかい、と嘆く料理長の声が聞こえてきた。
部屋に戻る途中、傍を歩いている騎士さんがこっそり教えてくれた。ファリス様が、トライネル様から呼び出しを受けて、将軍の執務室へ行ったことを。そこで何があったのかは分からないけれど、戻ってきたファリス様は随分と悩ましげな表情になっていたらしい。私が戻ってこないと、ハンナさんが訓練所まで探しに来たと伝えると、顔色を変えたファリス様は部下の皆さんに城内を探すよう命じたんだそうだ。
ひょっとしたら、トライネル様から私が泣いていたのはお前のせいじゃないか、なんて訊かれたのかも知れない。それで、酷いことを言い過ぎたと思ってくれたのかな。
違うのに。ファリス様はきっと勘違いしている。そりゃあ、ファリス様がもうちょっと優しい言葉遣いになってくれるのは嬉しいけど、勘違いさせたままなのは心苦しい。でも、どうして泣いていたかなんて、本当のことは言いたくないし。
そんなことより、トライネル様は私が泣いているのを気にして、わざわざファリス様から事情を聞いてくれたんだ。将軍っていう凄い立場にいる方なのに、私にまで気を配ってくださるなんて、何て素晴らしい方なんだろう。
胸の奥がジーンと熱くなってくる。
よし、次に会った時には、今日の非礼をちゃんとお詫びしよう。そして、少しでもトライネル様のお力になれるように、出来る限りのことをするんだ!