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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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63.アフラディアの砦にて③……アデルハイド視点③

 我々ハイデラルシア人は魔族から祖国を奪い返す為に戦っているが、未だその地に戻ることは叶わず、王国の再興を宣言するにも至っていない。

 だが、例え国という組織は無くとも、俺はライルハイド様を頂点としたハイデラルシア人による組織に属し、戦闘部隊の長を任されている。例え魔法によって一瞬で往来できるのだとしても、その責任ある職務を離れて遠方の国へ向かうには、主の許可が必要だ。

 その姿を求め、砦内の廊下を足早に歩いていると、前方から目的の人物がこちらへ歩いてくるのが目に入った。

 その場で足を止めて礼を取ると、ハイデラルシアの王族の血を引く者としてはやや小柄で線の細いライルハイド様は、柔和な顔に優しい笑みを浮かべた。

「今回もご苦労だったね、アデル」

「はっ」

「いちいち畏まらなくてもいいよ。それにしても、さすがは天才魔導師と呼ばれるだけある人物だね。是非、今後も我々に協力して貰いたいな」

「グランライトの国王がお許しになるでしょうか。リザヴェントは、かの国でも貴重な人材でございますし」

「分かっているよ。ただの願望だから」

 ハイデラルシア王国の第二王子であったライルハイド様は、そうは言っていても冗談では済まない欲望を滲ませた表情をしている。

 ハイデラルシアが滅びた後、俺達とは別のルートで魔王軍から逃げ延びたライルハイド様は、隣国テナリオに身を潜めていた。テナリオとしては、かつて幾度となく国土を脅かしてきたハイデラルシアの王族を受け入れるには葛藤もあっただろう。だが、最終的には魔族の侵攻を食い止めるには各地に散らばったハイデラルシアの戦力を結集して防波堤にするしかなく、その為にライルハイド様に恩を売る方針を選択したのだ。

 祖国を失い、僅かな供の者と共に異国で明日をも知れぬ不安な日々を過ごしてきたライルハイド様は、見た目の柔和さからは想像もつかないほど苛烈な一面をお持ちの御方だ。予めリザヴェントがこの砦に現れた理由は報告してはいるが、魔族を退けたばかりの今、俺がグランライトへ向かうことを果たして許していただけるだろうか。

「それで、アデルはこれからグランライトへ行くのか?」

「はっ。ライル様のお許しがいただけるのならば」

 ふうん、と呟くライルハイド様の声が、垂れた頭の上から降ってくる。

 ここで、仮に「許さない」と言われてしまったら、俺はどうするだろう。ライルハイド様の決定に従わない自分を想像することはできない。けれど、リナに会いたいというこの思いを今更抑え込むなんてできるのか、その自信もない。

 そんな俺の心の葛藤を見透かしているかのように沈黙したライルハイド様は、やがて芝居めいたように大きく息を吐きだした。

「いいよ。アデルが大丈夫だと判断したのなら、その期間砦を離れることを許す」

 願ってもないその言葉にハッと息を呑んで顔を上げると、ライルハイド様は感情の読めない笑みを浮かべていた。

「これまでのアデルの多大な功績に、私はまだ何も報いてあげられていないからね。それに、他の者達も少しはアデルから自立して貰わないと、唯一人に依存していたのでは魔王軍の二の舞だ」

 やはりライルハイド様も、俺と同じことを考えていたのだ。

 俺とて不死身ではない。俺に何かあったとしても、ハイデラルシアの戦闘部隊が機能するよう、他の者達にも組織を支える存在として成長して貰わなければならないのだ。

「お許しいただき、ありがとうございます」

 再び深々と頭を下げると、「但し」とライルハイド様はそれまでとは打って変わって厳しい口調で命じた。

「必ず、ここへ戻ってくること。例え何があっても、必ずだ」



 自室へ戻ると、鎧を脱ぎ、少年兵に命じて用意させた湯で全身を清める。いくら一刻も早くリナの元へ駆けつけたいといっても、グランライトの王城へ足を踏み入れるのに、汗と埃と魔物の血に塗れた格好のままという訳にはいかない。

 清潔なシャツに袖を通し、その上から正装となる軍服を纏う。デザインはかつてのハイデラルシア王国軍と同じで、俺のはかつて父が着ていたのと同じ黒地に銀色の装飾が施されているものだ。

 着替えが終わると、リザヴェントから渡されたままになっていたリナの指輪を手に取った。

 ……リナが、これを身に付けていたなんてな。

 あいつのことだから、その意味など知らなかったなんてオチも有り得るな、と予想しながら苦笑いが込み上げてくる。もしくは、俺以外の、俺と同じ瞳の色をした別の男を想ってのことだった、なんてことになったら、責務も何もかも放り出してテナリオから駆け付けた俺はとんだ道化だって、いい笑い者になるのだろうな。

 掌に乗せた、俺のどの指にも嵌りそうにない小さな指輪をぎゅっと握り締める。

 そんな自虐的な想像ばかりしてしまうのは、あんな酷いことをした俺を、リナがまだ想い続けていてくれただなんて有り得ないと自分でも思うからだ。

 ――私も一緒に、連れて行ってくださいっ……!

 耳元で必死にそう訴える涙交じりのその声も、俺に縋り付いてきた細く小さな身体の感触も、今でもしっかりと記憶に残っている。

 あの時、リナはリザヴェントと婚約状態にあった。それなのに、俺と一緒にテナリオへ行きたいだなんてどういうことだ。まさか侯爵夫人となる為の勉学が嫌になって現実逃避したくなったのではあるまいな。せっかくの願ってもない縁談であるのに、そんな理由で放り出していい訳がない。湧き上がってくる喜びを抑えつけながら、心を鬼にしてリナを突き放した。

 であるにも関わらず、一人で厨房裏から自室に戻ろうとするリナに危険が及ばないか距離を保って後をついていきながら、その頼りない小さな背を後ろから抱き締め、奪い去りたい衝動に駆られていた。

 思いとどまることができたのは、リナを見つけて駆け寄ってきたファリスの姿を目にしたからだ。慌てて物陰に身を潜めて自制心を取り戻しながら、もうリナには会わずにテナリオへ発とうと心に決めた。また同じようにリナに縋って懇願されたら、振り払う自信がなかったからだ。

 なのに、リナはギルドの一室で戦士仲間だった奴らと別れを惜しんでいる俺の所へやってきた。開けられようとするドアノブを咄嗟に押えて、面白そうに俺を揶揄おうとする仲間達に喋るなと無言で圧力を掛けた。

 お前は俺と一緒に来ては駄目なんだと、グランライトに残って侯爵夫人になれば何不自由ない幸せな生活が送れるのだと説得するべきだと分かっていても、冷静にリナを突き放す自信がなくて無言を貫いた。

 あの時、俺は俺で精一杯だったが、リナにしてみれば無視されたも同然だっただろう。

 ……それなのに、お前はまだ俺の事を想ってくれていただなんて、そんなことありえないだろう?

 握り締めた指輪を拳ごとズボンのポケットに突っ込むと、胸に渦巻く後悔や不安、情けない己に対する怒り等の様々な感情を断ち切るように部屋を出た。



 リザヴェントの姿を探して、砦内に設けられた来客用の部屋に向かう。

 ノックもそこそこにドアを開けると、長椅子に横になって休んでいたリザヴェントが目を開け、ゆっくりと身体を起こした。

「意外と早かったな。ハイデラルシアの未来の君主は、なかなか理解のある御人と見受けられる」

 感心したように頷いているリザヴェントに、油断しているとどんな手を使ってでも引き込まれるぞ、と心の中で忠告しておく。

 それにしても、リザヴェントの顔色は芳しくない。俺達がアゲイルを倒すのに手間取ったばかりに、限界ギリギリまで魔力を使わせてしまったのだなと今更ながらに申し訳なく思う。

「大丈夫なのか? まだ休息が必要なら、魔力が回復するまで待っているが」

「フッ、これしきのこと。一介の魔導師程度の魔力ならすでに戻っている」

 疲れ切って青褪めた表情をしているのに、それでも普通の魔導師並みの魔力ならあると空恐ろしいことを当然のごとく言い放ったリザヴェントを前に、ただただ苦笑いしか出て来ない。それを、俺が疑っていると捉えたのだろう。

「嘘ではないと証明してやろう。ついてこい」

 不意に長椅子から立ち上がり、ややふらつきながら部屋を出たリザヴェントの後を慌てて追いかける。

 すでに日は落ち、空には星が瞬いていた。

 暗い砦の一角に煌々と光を放つ魔法回廊の入り口である扉の前に立つと、リザヴェントが扉に手を翳して魔力を注ぎ込んだ。

「……よし。グランライトと繋がった。行くぞ」

 不思議な紋様が描かれた黒い扉がゆっくりと開いていき、その隙間から漏れ出る眩い光が周囲の闇を照らし出す。

 先に扉の中へと消えたリザヴェントに続いて、俺も開いた扉の中に足を踏み入れた。

 中は不思議な光に包まれていた。

 背後で扉が閉まったような気配があり、振り向くとそこには扉はおろか何もなく、ただ様々な色の混じった光が渦巻いているだけだった。

 再び前方に目を向けると、リザヴェントが差し出した手のすぐ前に別の扉が現れた。彼の手の動きに合わせて、ゆっくりとその扉が開いていく。

 外へと足を踏み出したリザヴェントに続いて扉を出ると、そこには広々とした空間が広がっていた。

 その広間には扉が一つしかなく、重厚なその扉の前にはやや多過ぎると感じるほどの屈強な兵士達が配置されている。

 魔族や野心ある国に魔法回廊を悪用される場合を想定して厳重な警備体制を敷いているのは、何もグランライトだけではない。魔法回廊の中継地点である魔法陣がある場所には扉も設けられていて、魔力を注げば出入りが可能である為、各国とも厳重に管理しているのだ。勿論、アフラディアの砦でも同様の措置を取っている。

 扉の付近には、荷造りされた物資が数多く積み上げられている。恐らく、これらはアフラディアの砦に送るよう準備された支援物資なのだろう。グランライトが今後とも我々を支援しようという意志が感じられ、感謝で胸が熱くなる。

 広間を出てしばらく歩くと、ようやく見覚えのある場所に出た。確かにここはグランライト王城なのだと、今更ながらに実感する。

 俺達がアフラディアの砦を発った時、すでに日は落ちていた。だが、グランライトはまだ昼間だ。懐かしい平和な城内の光景に、ふとリナの笑顔が脳裏に蘇り、胸に迫るものがあった。

 リザヴェントに案内されたのは、かつてリナが使っていた部屋だった。

 扉をノックすると、中から見知った中年の侍女が出てきた。以前からリナのことを我が子のように気に掛けていたその侍女は、心労からか驚くほど老けてしまっている。リザヴェントの後ろにいる俺に気付くと目を見張り、涙ぐむと気丈に微笑んだ。

「リナ様もお喜びになられます、きっと」

 部屋に足を踏み入れると、ベッドの傍でエドワルドが微笑んでいた。一瞬彼だとは気付かないほどの変わりように驚き足を止めると、向こうからこちらへ駆け寄ってきた。

「戻ってきてくれたんですね」

「ああ。……リナは?」

 問いかけると、エドワルトは悲し気に目を伏せながら首を横に振った。

「まだ眠ったままです。傍に行って、声を掛けてあげてください」

 エドワルドに背を押されるようにベッドに歩み寄る。

 広いベッドに横たわっているリナは、俺の記憶にあるよりもげっそりと痩せ細り、青白い顔をしていた。生気の感じられないその顔をみた瞬間、大きな塊が喉を塞いだような息苦しさを覚えた。

「リナ……」

 ベッドの傍らに膝をつくと、恐る恐る手を伸ばし、そっと頭を撫でる。そうすると、いつもくすぐったそうな笑顔を浮かべていたのに、今のリナは何の反応も示さない。

 ――このまま意識が戻らなければ、もう長くはもたないだろうと言われている。

 アフラディアの砦でリザヴェントから聞いたその言葉を信じていなかった訳ではない。だが、今こうやってリナの死相が表れた顔を見つめていると、受け入れ難い現実を突きつけられてただただ愕然とするばかりだった。

 こうやって、守りたかった人を見送るのは三度目だ。

 最初は、母だった。グランライトへ流れていく旅の途中で倒れた母は、元々ハイデラルシア人にしては線が細く丈夫ではない人だった。王族の妻として民を導く務めを果たせないことを悔い、俺に全てを託して静かに旅立っていった。

 次は妹だった。母に似てあまり丈夫ではなかった妹は、俺がギルドの依頼を受けて各地を転々としている間に、流行病で苦しむ民を救うために花街に身を売った。俺が身請けできるだけの金を工面して助け出した時には胸を患っていて、それから一年も経たないうちに母の元へ旅立っていった。

「……リナ。お前まで、逝ってしまうのか?」

 俺の手をすり抜けるように、守りたいと願った人はいなくなってしまう。

 ふと、背後で扉が閉まる音がして、振り返るとそこには誰の姿もなかった。部屋の中は、俺とリナ、二人だけだ。もしかして、俺に別れを言う時間をくれたとでもいうのだろうか。

 ……冗談ではない。

 突き上げてきたのは、強烈な怒りだった。俺から大切な人を奪っていく、目には見えない運命という抗えないものに対して、震えるほど強く拳を握り締める。

 ……このまま死なせて堪るか。リナに幸せになって欲しいと願ったからこそテナリオへ連れて行かなかったというのに。俺がリナを傷付けてまでこの想いを振り切ったのは、一体何だったというのだ!

「リナ」

 掛布からリナの右手を引っ張り出して握り締める。冷たく感じられるその手を温めるように包み込むと、何度もリナの名を呼び続けた。

 母や妹のいる世界へ向かおうとしているリナを引き留め、こちら側へ呼び戻したいと、ただひたすらそれだけを願って。



 どのくらい時間が経っただろう。

 ふと、両手で包み込んでいるリナの指先がかすかに動いたような感触があった。

「……リナ?」

 ハッと息を呑み、期待を込めてその顔を覗きこんでみたものの、リナは依然固く目を瞑ったままだった。

 ……気のせいか。

 落胆しながら深く溜息を吐いた時、リナの目蓋がピクリと動いたように見えた。

 気のせいなどではない。咄嗟にリナの両肩に手をかけて揺すぶった。

「リナ!」

 怒鳴りつけるほどの大声で名を呼ぶと、目蓋が震え、薄らとその目が開いた。



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