62.アフラディアの砦にて②……アデルハイド視点②
荒野を埋め尽くすように魔王軍が押し寄せてくる。大半が小鬼や獣型の魔物で構成されていて、その上空を魔トカゲが翼を羽ばたかせながら旋回している。
突如、その魔トカゲが羽ばたくのを止めたかと思うと、巨大な身体を捩りながら落下していく。地上にいた魔物達のうち、避け切れなかった多数がその巨体の下敷きになり、更に苦しそうに暴れ回る尾に跳ね飛ばされて絶命する。
魔トカゲを仕留めたのは、リザヴェントの風魔法だった。
いつもの戦闘であれば、我々は上空から繰り出される魔トカゲの攻撃に苦戦しているところだった。最近では魔法砲弾などという兵器で応戦もするが、如何せん飛んでいる相手に対して命中率が低いのが難点なのだ。
魔トカゲの落下を期に乱れ始めた魔王軍の魔物が密集しているど真ん中に、リザヴェントが放った巨大な炎の塊が落下し、火柱が上がる。その威力たるや、魔法砲弾の数十倍だ。
「へぇ。便利なもんなんですねぇ、魔法って」
馬上でケイトが感心したように口笛を吹いた。
「ああ。ただ、あの規模の魔法を使える奴はそうはいないがな」
時間差で遠く離れたこちらまで届いた熱風で前髪が揺れる。赤く染まるその一角を見つめながら、その恐ろしいまでの魔力にただただ溜息を吐くばかりだ。
次々に繰り出されていく魔法の凄まじさを見れば、リザヴェントがこれまでの戦闘で己の魔法を抑制していた事が分かる。この天才魔導師は、王女救出の旅では魔族の目を引かぬよう、襲ってきた魔物を仕留められる程度に抑えた魔法を放っていたのだ。グランライトの王城でヴァルハミルと戦った時も、周囲になるべく被害を及ぼさないよう気を配りながら戦っていたのだろう。
だが、今は広い荒野に標的がひしめいていて、魔力を抑制する必要などない。それに加え、早くこの戦いを終わらせて俺をグランライトへ連れて行きたい、そんな焦りもあるのだろう。紫の長い髪を振り乱し、いつもより赤く見える瞳を妖しげに輝かせながら矢継ぎ早に巨大な魔法を放ち続けているリザヴェントは、ある意味魔族よりも恐ろしい存在に思えるほどだ。
魔王軍の先鋒部隊がリザヴェントの魔法で散り散りになったところで、振り上げた右手を勢いよく前方に振り下ろしながら突撃命令を下す。それを合図に、砦の前方に展開していたハイデラルシアの戦闘部隊が、大剣や戦斧を振るいながら魔王軍に向かって突撃していく。
いつもなら、小鬼などに数で囲まれて苦戦するところだが、今日は魔法で敵の数が減っている上に魔王軍は混乱して連携もへったくれもない状況に陥っているため、簡単に蹴散らし薙ぎ払うことができる。
魔物との戦闘に慣れていないグランライトの騎士には、小鬼は複数で取り囲んで倒せと講義で教えたが、俺達ハイデラルシアの戦士は個々の戦闘能力が高いので、少々の数なら一人で充分対処できるのだ。
前方で展開されている戦いを俯瞰し、部隊を指揮しながら、阿鼻叫喚の戦場の中で俺は唯一人を探していた。この戦いを終わらせることのできる、唯一人を。
「……いた」
呟くなり、愛馬を駆って混乱する魔王軍の中に踊り込む。その後ろをケイトがぴったりとついてくるのは振り向かなくても分かった。
時折、小鬼が射てくる毒矢を、槍を振るって空中で薙ぎ払い、飛びかかってくる魔犬を槍の穂先で串刺しにし、ひたすら前進しつづける。
リザヴェントの放った炎の塊が頭上を通過して進行方向に落ち、視界が赤く染まると同時に焼けるような熱風が吹き付けてくる。魔物の悲鳴と、その身が焼ける悪臭が充満する中を斬り抜け、ようやく辿り着いたと思った瞬間、相手がこちらに気付いたのが分かった。
ヴァルハミルと身体的特徴は同じだが、やや小柄で落ち着いた表情をした壮年の魔族だった。
「アゲイルだな?」
戦場の喧騒に掻き消されぬよう大声を張り上げると、その魔族はニヤリと口の端を吊り上げて目を細めた。
斥候からの情報によれば、アゲイルという名のその魔族は、同列にいた他の二人を説得し、魔将軍に就任したばかりだという。戦闘能力では己より若い二人には敵わないが、年長である分知略に長けていて、上手く二人を丸め込んだようだ。
アゲイル以外の二人は、決してお互いを認めようとしないほどの犬猿の仲らしい。ここでアゲイルが死ねば、恐らく残された二人は次の将軍位を掛けて本気で争い始めるだろう。仮にそうなれば、生き残った方も無事では済まない。そこを叩けば、魔王軍の力は一気に低下する。
そこまで上手く物事が運ばずとも、アゲイルさえ倒せば指揮官を失った魔王軍は一時的に撤退せざるを得ない。そうすれば、俺がグランライトへ行って戻ってくるだけの時間くらいは稼げる。
ヴァルハミルの強さは魔王軍の中でも突出していた。あのレベルの魔族が相手では、正直この部隊全員で掛かっても倒すことは困難だろう。当時、ハイデラルシア王国で最強と言われていた俺の父も、鍛え抜かれた精鋭の近衛隊も、全て奴の手に掛かったといわれているのだから。
だが、アゲイル程度ならば、俺とケイト二人がかりでかかれば倒すことはできるだろう。
しかし、俺はすぐに自分の考えが甘かったことを思い知らされた。
「……っ!?」
アゲイルとの距離を詰めようとした瞬間、横合いから魔犬が飛びかかってきた。槍を振るって穂先で殴り飛ばし、視線をアゲイルに戻した時には、すでに奴との間に多くの魔物が壁のように立ちはだかっていた。
アゲイルは己の力量をよく分かっているのだろう。ヴァルハミルとは違い、自分は全軍の指揮を執っているのだと己の役割を正しく認識しているらしい。
「人間相手に逃げるのか? 戻ってきて俺と戦え!」
襲い来る魔物を薙ぎ払いながらそう叫んでも、アゲイルは挑発に乗ってこない。逆に次々と魔物を盾にするように押し出してくると、自身は全軍の指揮を執りながら俺との距離を取る。
……これでは、アゲイルを仕留められない。
焦燥感に駆られ、魔物の血で滑る槍の柄を強く握りしめながら歯ぎしりする。
類稀なる戦闘能力を有する俺達ハイデラルシア人も、体力が無限に続く訳ではない。このまま膠着状態が続けば、敵陣の奥深くまで侵入しすぎている俺達は、いずれアゲイルの指揮の元で秩序を取り戻した魔王軍に取り囲まれ、なぶり殺しにされてしまう。
ここは一旦引くか。
しかし、それでは一気にこの戦いを終わらせることはできない。戦いが長引けば、リナの命が尽きる前にグランライトへ戻ることはできなくなってしまうだろう。
だが、もし引き際を誤って俺がここで死んでしまったら、ハイデラルシアは戦闘部隊を率いる者を失うことになる。俺の後を引き継げるほどの器量を持った者はまだいない。ライルハイド様は復興したハイデラルシアの王となられる方だ。あの御方を危険な戦場に立たせる訳にはいかない。
飛びかかってきた魔虎の口内に槍を突き刺した瞬間、衝撃と共に柄が折れて穂先が回転しながら飛び、地面に突き刺さった。舌打ちしながら手元に残った柄を投げ捨て、背負っていた大剣を引き抜き、目の前に立ちはだかった魔熊の首を一気に刎ねる。
振り向けば、ケイトも必死の形相で剣を振るっている。肩で息をしているところをみると、もう限界はそこまできているようだ。
……ここまでか。
天を仰ぎながら撤退を決めた瞬間だった。
すぐ前方で、一際巨大な火柱が上がった。
猛烈な熱風が襲ってきた。鍛え上げられ、何度も修羅場を潜り抜けてきた俺の愛馬でさえ、耐え切れずに棹立ちになる。それを何とか宥めながら後退し、周囲の魔物を駆逐しながら火柱が収まるのを待つ。
「ゲホッ、……あの魔導師、馬鹿なんじゃないの? 私達のすぐ近くに、あんなヤバイ魔法を放つなんて」
ケイトがむせながら忌々しそうに吐き捨てる。
「だが、その魔法のお蔭で俺達は十重二十重の包囲から抜け出せた。おまけに、一気に形勢逆転だ」
「え……?」
俺が指さした方向を見たケイトが目を丸くする。
未だ炎に包まれている円形状の範囲には、黒く焼け焦げた魔物が多数転がっている。生きている者などいないだろうと思えるその場の中央に、片膝をつき手にした剣で身体を支えているアゲイルの姿があった。あの炎の直撃を受けて生きているとは、さすがは魔族というべきだろう。
だが、かなりの深手を負っているのは間違いない。
大剣の柄を握り締めて愛馬から飛び降りると、ケイトが焦ったように呼び止める声を無視し、焼けるように熱いその空間に飛び込む。
身体から煙を上げながら荒い息を吐いているアゲイルが、己に迫る殺気にようやく気付いたようにゆっくりと顔を上げるのと、俺が大剣を振り下ろすのが同時だった。
「どうだ。役に立っただろう」
アフラディアの砦に戻ると、若干血の気の失せたリザヴェントが得意気な笑みを浮かべながら立っていた。その、幸薄い貴婦人を思わせる美しい微笑みに、周囲の兵達が魅入られたように彼を見つめている。
「さすが、グランライト一の天才魔導師だな。だが、そんなに魔力を消耗して大丈夫か? グランライトまで戻れるのか?」
まさか、王女救出の旅の終盤と同じ過ちを繰り返したのではあるまいな、と若干の不安を覚えつつ、冗談めかしてそう問うと、リザヴェントは問題ないと首を横に振った。
「魔法回廊を使えば、私の魔力など使わなくとも他の者の魔力で……」
そう言い掛けたリザヴェントが急に口ごもり、言葉を濁した。
「……おい。まさか、ここには他の魔導師なんかいないってド忘れしてた訳じゃあるまいな?」
睨みつけながら迫ると、リザヴェントはよろめき、壁に手をついて身体を支えながら項垂れた。
やっぱりそうか。
天才魔導師と呼ばれ、グランライトでも魔導師の長として国を支えている優秀な人物であるはずなのに、やっぱりどこか少し抜けた部分があるのだ、この男は。
「…………己の至らなさが情けない」
「驚いたな。あなたが素直に反省を口にするとは」
王女救出の旅では、王女を救出して魔王城から脱出した後、魔力不足で移動魔法が使えず、幾日も魔族の国を逃げ回ることになってしまったのだ。しかも、魔力が回復するまで魔法は使用禁止だと何度注意しても、魔物が襲ってくると魔法を使う。こちらが切れても素知らぬふりで、反省など微塵も見せなかった。
そんなリザヴェントが素直に己の非を認めて謝る光景を目にする日が来るとは思わなかった。
「だが、移動魔法でグランライトまで戻る訳ではない。少し休めば、魔法回廊を発動させるぐらいの魔力なら戻せる」
項垂れていたリザヴェントは、気を取り直したのかすぐに顔を上げた。
「その間に、お前はやることがあるだろう。リナに会うつもりがあるのなら」
リザヴェントが俺の背後に目を遣る。その視線の先を追うように振り向けば、そこにはケイトが立っていた。
魔物の返り血を浴び、熱風のせいで露出している肌の部分は赤くなっている。兜を脱いで黒い癖のある髪を風に晒しているケイトは、疲れ切っているだろうにそんな様子は一切見せず、俺の方をきつく睨んでいた。
「本当に行ってしまうのですか?」
「魔王軍は敗走し、撤退し始めている。新たな魔将軍を失った奴らが、今後再び攻め込んでこられるだけの体勢を立て直すにも時が掛かるだろう」
「だからこそ、今、奴らの背後を強襲して壊滅させるべきではないのですか!?」
ケイトの悲痛な叫びに、周囲の兵士たちが何事かとこちらに首を伸ばす。
「荒野も、その先の元ハイデラルシア領もまだ魔族の影響下にあり、魔物が多く潜んでいる。追撃すれば、こちらにも少なからず犠牲が出る」
「でも、こんな好機は滅多にっ……」
悔し気に息を吐きだしたケイトが、不意に表情を歪めた。彼女がそんな底意地の悪い笑みを浮かべるのを見るのは初めてだった。
「アレですね。隊長がこれまでになく弱腰なのは、グランライトに戻りたいからですよね? その、死に掛けているっていう子に、ただ会いたいだけなのでしょう?」
「おい」
その言葉に看過できない棘を感じて睨みつけると、ケイトは更に感情を昂ぶらせ、声を上ずらせながら食って掛かってきた。
「隊長は暇さえあれば、いつもその子の事を考えてますよね? その子がそんなに大切ですか? 魔王軍を壊滅させられるかもしれない折角のチャンスなのに、それを逃してでも会いに行きたいんですよね?」
「止めろ、ケイト」
俺に掴みかかろうとしてきたケイトを、駆け付けてきた者達が背後から羽交い絞めにして制止する。だが、ケイトは尚も暴れながら言葉を浴びせかけてくる。
「隊長は、私達よりもその子の事が大切なんですね?」
「違う。そういうのではなく……」
「私達の事なんか、どうでもいいんでしょうっ?」
「いい加減にしないか!」
カッと頭に血が昇って思わず怒鳴りつけると、ケイトはビクッと肩を揺らした。
「俺が、お前達のことをどうでもいいと思っているだと? そんなに俺の事が信じられないか?」
手を挙げずにいられたのが不思議なぐらい腹が立っていた。まさか腹心の部下に、己の祖国への思いを疑われるとは思ってもみなかったのだ。
すると、ケイトの表情がくしゃりと歪んだ。そのまま唇を噛んで俯き、肩を震わせている。
……は? ……泣いている、のか?
ケイトに初めて会ったのは、グランライトからテナリオへ辿り着いたその日のことだった。それから共に幾度も血反吐を吐くような過酷な日々を潜り抜けてきたが、彼女が泣くところを見たのはこれが初めてだった。
こちらに顔を見せないためか深く俯いてしまったケイトの両脇を取り押さえている若い戦士達が、無理に繕ったような笑顔を浮かべながら明るく振る舞う。
「いいんです、行ってください、隊長。例え魔王軍がまた攻めてきたって、数日ぐらい我々でもたせてみせますから」
「その代わり、お土産たんまり持って帰ってきてくださいね」
「……すまん」
快く送り出そうとしてくれてはいるが、彼らの本心など何も聞かなくても分かる。彼らも本当は、ケイトと同じ気持ちなのだ。
俺の存在は、ある意味魔王軍における魔将軍のようなものだ。いるといないとでは、部隊の士気に関わる。これまで、彼らは俺無しで魔王軍と対峙したことはない。だから不安で仕方がないのだろう。
それでも、俺は……。
縋るような視線に背を向けて足早に砦の屋内に向かいながら、私情を優先することに押しつぶされそうなほどの後ろめたさを感じながらも、それでもリナに会いたいという思いは掻き消されたりはしなかった。