13.せっかくまた会えたのに
稽古で転んだ時に擦りむいた膝を庇うように歩きながら自室に向かっていると、長い廊下の向こうから何やら華やかな一団がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
うわぁ、まさか、あれって……。
慌ててどこか隠れる場所はないかと周囲を見回してみるものの、どこにも身を隠すところはない。それどころか、早々に向こうから発見されて声をかけられてしまった。
「あら? あなたは、もしかして」
わっさわっさと膨らんだドレスの裾を揺らしながら近づいてくる着飾った令嬢方の先頭をきって近づいてきたのは、やはりこの国の王女、ネリーメイア様だった。
確か、まだ十八歳のはずなのに、大きく開いた胸元はふっくらと盛り上がり、くっきりとした谷間が覗いている。コルセットで締め上げているにしても細すぎるウエストに、膨らませたスカート。まるで造り物みたいに完璧なスタイルに、ハリウッド女優のようなくっきりとした顔立ち。
『最強少女マリカ』は小説だったので、登場人物の姿は表紙と数枚の挿絵でしか見られなかった。しかも、その大半は主人公マリカを中心に描かれていて、後のキャラクターは一枚か二枚。どちらかと言えば二枚目半な役割だったアデルハイトさんなんて、その貴重な一枚もギャグっぽく描かれていたから、本物を見たときには思わず目を疑った。
それに、アニメチックな挿絵と実在する人間とでは見た目が全然違うのは当然で、寧ろ挿絵よりも活字で説明があった髪や瞳の色や服装、身体つきに関する描写の方が、ずっと現実に見る登場人物を忠実に表していると思う。
で、この王女様なんだけど、『美しい』とか『国王陛下が溺愛している王国の至宝』だなんて表現はあったけれど、ここまでナイスバディだなんて書かれていなかった。ううん、はっきり書かれていなかっただけで、多分そういう設定だったんだろう。そして思う。主人公マリカよ、これほど美しい王女様から婚約者を奪ってしまうなんて、あなたはどんだけ魅力的だったんだ、と。
魔王の城から救出した直後は、王女様がやつれていたのもあったし、移動魔法が使えるようになるまで耐えるのに必死で、彼女がこんなに美しいだなんて思う余裕もなかった。でも、こうやって城に戻り、本来の輝きを取り戻した彼女は眩しいほどに美しい。
でも、小説では主人公マリカは命懸けて救出した王女に恨まれ、城を出て旅立つことになってしまった。いくら王女様の婚約者が主人公マリカに心奪われてしまったからといっても、悪いのは心変わりした婚約者で、彼女に罪はない。その理不尽さもあり、主人公マリカを愛する旅のメンバーは、これまでの地位や名誉を何もかも捨てて彼女を追いかけて共に旅に出る。
……っていう元のストーリーとはかけ離れている今、私が王女様に恨まれているってことはないとは思うんだけど。ああ、怖いなぁ。
身を竦ませながら、記憶を頼りに礼の姿勢を取る。
「あなた、リナね? そうでしょう?」
すぐ目の前までやってきたネリーメイア王女は、何故か興奮を抑えきれない様子だった。彼女の後ろでは、麗しい貴族令嬢方が扇子を広げ、その陰で何かコソコソと囁き合っている。
「神託が下されて、お父様のご命令で城に戻ってきたとは聞いていたけれど、こんなに早く会えるとは思わなかったわ!」
あれ? 何だか、会いたかったと言われているような気がするのは気のせいだろうか。
「丁度良かったわ。今から皆で中庭を散策するの。あなたも一緒に来なさいな」
続けざまにそう言われ、げっ、と口から驚きの声が漏れそうになるのを何とか飲み込んだ。
……ええっ、今から? 私、剣の稽古を受けたばかりで汗だくの訓練着のままだし、髪も乱れて化粧も剥げかけなんですけど。こんな格好で、あなた方とご一緒するんですか?
どうやってお断りすればいいんだろう。第一、王女様にどんな言葉遣いで接していいのかも分からない。救出後、城に帰還するまでは非常事態だから無礼講ってことにしてもらっていたけど、今はその背後にいる貴族令嬢方の視線も痛いし、下手なことを言って問題になっても困るし……。
すると、王女様のすぐ後ろに立っていた背の高い令嬢が、口元を扇子で隠したまま、何か王女に耳打ちした。その間、チラリチラリとこちらに意味ありげな視線を送って来るのがとってもいやらしい。
「……そうね。あなたも何だか忙しそうだし。また今度、改めて誘うことにするわ」
そう言って真っ直ぐにこちらを見つめたまま、私の手を取ってぎゅっと握りしめてくる王女様。
……あれ? 何だか、王女様ってどっちかといえば好意的なんですけど。
やっぱり、婚約者を奪ったりしなかった私に対して、王女様が恨みを抱く理由なんてない。一応、命懸けで自分を助けに来てくれた者の一人なんだし、あの過酷だった最後の数日間はともかく、城に戻って日常を取り戻した今、少しは感謝してくれたりしているのかな?
美しい笑顔に見惚れつつ、そうだったら嬉しいなと思った。
王女様を先頭に、ぞろぞろと目の前を通過していく貴族令嬢達を、壁際に寄って少し頭を下げながらやり過ごす。すると、小鳥が囀るように囁き合う貴族令嬢の声が耳に届いた。
「……が仰っていた通りだったわね、あの程度の……なら、心配することもなかったわ」
「ほんと、皆様もお気の毒……」
「見て、あの有様を。まるで、……のようではなくて?」
ハッと顔を上げると、口元を扇子で覆った令嬢たちの、嘲笑するような視線がいくつも突き刺さる。
途端に、目の辺りがカッと熱くなって、喉の奥から何かがせり上がって来るような苦しさを感じた。
途切れ途切れに聞こえた声が、誰の何のことを言っているかなんて、私にでも分かる。
つまり、優秀で美形揃いの旅のメンバーに、異世界から来た女が同行するので、彼らがその少女と深い仲になるのではと心配だったけれど、そんな必要なんてなかった。あんな子と一緒に旅をしなければならなかっただなんて、彼らが気の毒だ、と。
王女様が引き連れていく令嬢達の姿が消えるまで、と何とか堪えていたけれど、一人になると思わず嗚咽が漏れた。
元の世界にもあった。美人は妬まれることもあるけど、ブスなら安心かといえばそうじゃない。自分より劣っているものを見て馬鹿にしたい、自分より劣っている者に出し抜かれるのは許せないという暗い感情を隠さない人は、どこにだってそれなりにいる。
もしマリカだったら、彼女は主人公マリカのように公爵令息の心も奪い、王女の怒りを買っただろう。小説には書かれていなかったけれど、きっとそれだけでは済まなくて、旅のメンバー全員を虜にしたことで、彼らに思いを寄せる多くの令嬢達の恨みも買ったに違いない。
だから……。マリカだったらなんて、嘆く必要なんてない。なのに、込み上げてくるのは、もし私がマリカみたいに綺麗だったら、あの令嬢たちを見返してやれるのに、という思い。
そんなふうに思うことは間違っているのかも知れない。でも、悔しくて仕方がない。
……あんな人達の優雅な暮らしを守るために、私は死ぬかもしれない旅に出なきゃいけないの?
それが、この世界に召喚された私の役割だから仕方がない。生活を保障されていたのも、城では侍女までつけて面倒を見てもらっているのだって、この国を救うという神託通りに私が働いてくれるという期待があってのことだ。なのに、あんな悪口を言われたからって、あんな人達なんかの為に命を掛けたくないと思うなんて。
でも、間違っていると分かっているのに抑えきれない。
マリカが美人で誰からも愛される子で、私がそうじゃないのは誰のせいでもない。でも、そういう場面を繰り返し見ているうちに、心の中に澱のように暗い感情が積み重なっていく。そんな暗い感情と同じように。
きっと、マリカがさっきの貴族令嬢のように私を見下した態度をとったなら、越えてはいけない一線を越えていたかも知れない。でも、あの子はそんなことはしなかった。だから、私はマリカのことを、ずっと好きでいられたんだ。
廊下の柱の陰にしゃがみ込んで嗚咽していると、ふと人の気配を感じた。
衣擦れの音に驚いて顔を上げると、何とそこには床に膝をついて私の顔を覗きこむ、心配そうなトライネル様の顔があった。
……うわ、最悪。
せっかくまた会えたのに、一番見られたくない人に、一番見られたくない姿を見られてしまった。稽古で髪はボサボサ、汗臭くて、顔は涙でぐちゃぐちゃで、化粧も崩れて酷いことになっているはず。
もう、どうしてこんなことに……。
驚きと悲しさと、いろんな感情がごっちゃになって、また涙が溢れ出てきてしまう。
「どうした。具合でも悪いのか?」
慌てて抱えた膝に顔を押し付け、トライネル様の問いかけに首を横に振る。
「怪我をしているのか? ともかく、こんなところで座り込んで泣いていてはいけない。どこかへ移動しよう」
その言葉と同時に、大きくて温かい手が私を抱えるように包んで立ち上がらせた。
「歩けるか? 無理なら抱き上げて運ぶこともできるが」
抱き上げて? 抱っこされるってこと? トライネル様に?
カーッ、と顔が熱くなる。それは願ってもないことだけど、でもそうなったら、その後、連れていかれた先で、どうして泣いていたか理由を訊かれるに違いない。
トライネル様に言うの? ブスだって馬鹿にされて悔しくて泣いていただなんて。自分を馬鹿にしているあの令嬢達みたいな人の為に、命を掛けたくありませんって。
「へっ、……平気ですっ! もう大丈夫ですからっ! ご心配をおかけして申し訳ありませんでしたっ!」
詰まった鼻を啜りあげながら何とか喘ぐようにそう言うと、ガバッとトライネル様に一礼し、そのまま猛ダッシュで部屋へ向かって走った。
呼び止められたら、追いかけられたら、捕まえられたらどうしよう……。なんて心配していたけれど、優しいトライネル様は何も言わずに見逃してくれた。