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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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56 そして、執事は…ウォルター視点

 リナ様がセリル村から姿を消したという報告は、ブライトン公爵家の家令を務める父を経由してもたらされた。ジュリオス様から、極秘に俺へ情報を伝えるよう指示がなされたのだ。

 その時は、まだ『神の涙』の位置を神官が追っている段階で、犯人もフェルゼナットだとは断定されていなかった。勿論、リナ様が行方不明になっているという情報自体が伏せられている段階であったから、聖女家の使用人達に伝えることはできない。

 これまでも、聖女家の様子をジュリオス様に報告する為に王城へ赴くことは度々あったから、不信感は抱かれないだろう。その日はすでに登城するには遅すぎる時間になっていたため、翌日平静を装ってノアに留守を託し、王城へ向かった。

 驚いたのは、すでに城内でリナ様に関する噂が流れていたことだった。しかも、末端の洗濯女や下男までが口元を歪めながら、卑猥な表現を交えてリナ様をこき下ろしている。

 怒りを堪えながらジュリオス様の執務室に足を踏み入れると、秀麗な顔に疲労の色を浮かべたジュリオス様が「聞いたか」と苦笑した。感情を押し殺していたつもりだったが、堪えきれない怒りの感情が表情に出ていたらしい。

 そこで、改めてリナ様がフェルゼナットに攫われたこと、未明に国境を越えられてしまったこと、今後は武力をちらつかせての外交交渉によって奪還を図ることを知らされた。

 それにしても、リナ様への誹謗中傷が酷過ぎるのではないか。

 確かに彼女は『聖女』という呼称に相応しい華がある訳ではない。何か特筆する能力がある訳でもない。接してみれば、王都のどこにでもいる町娘のような雰囲気の、とても貴族とは思えない平凡な女性だ。

 だが、これほど悪意ある噂が爆発的に広がってしまうほど嫌われていたとも思えない。寧ろ、王城でも使用人達には微笑ましく受け入れられているのではないかと思っていたが故に、彼らがリナ様を悪し様に罵るのを聞いて衝撃を受けた。

 だが、やはりそれには理由があった。

 フェルゼナットの息のかかった人間が、意図的にリナ様を貶める根も葉もない嘘を広めている。それを聞いた人間は、その悪意ある噂に己の負の感情を上乗せして広める。使用人達は耳に入る情報を鵜呑みにして、下品な言葉で怒りの感情を吐き出しているのだ。

 そして、貴族達は己の利益に繋がるよう、事実に蓋をして都合のいい情報だけを都合のいい形で流す。例えば、リナ様が夜会で陛下の瞳の色であるサファイアブルーの宝石を身に付けたのは陛下の指示であったのに、それがあたかもリナ様の策略であったかのように情報を改変し、正妃の座を狙っていたのだと悪意ある嘘まで上乗せする。しかも、陛下に拒絶され、その意趣返しでグランライトを裏切り、フェルゼナットへ寝返ったのだと反逆罪を口に出す者までいるという。

 フェルゼナットは、陛下がリナ様を取り戻そうとなさっても、それを許さない雰囲気を我が国に作ろうとしている。それでも陛下があくまでリナ様の奪還に突き進めば、王としての求心力を低下させることになってしまう。

 一体誰がフェルゼナットと組んで自国を窮地に追いやってまで利を得ようとしているのか。

 心当たりが多過ぎるのだよ、と疲れたように目元を揉み解しながら吐き出したジュリオス様の弱々しい笑顔が胸に突き刺さった。

「私を、セリル村へ行かせてください」

 ジュリオス様の執務机に手を突いてそう願い出ると、当然拒否されるものと思っていたのに、思わぬ言葉が返ってきた。

「勿論、そのつもりだよ」



 リナ様に対する謂れのない誹謗中傷を耳にしながら、荒れ狂う感情を抑えつつ、自分も裏切られてショックを受けているという演技を続けるのは、ファリス様にとっては至難の業だ。気が付けば、リナ様に関する悪い噂話をしている部下達を思い切り睨みつけている。

「ファリス様」

 不自然にならないよう声を掛けると、ハッと我に返ったように慌て、お喋りばかりしてないで仕事をしろと別の理由で部下を叱りつけてその場を取り繕っている。ご自分ではこれが精一杯なのだろうが、不自然なことこの上ない。

 俺はといえば、いつもきっちりと撫で付けている銀髪をボサボサに乱し、評判の悪い黒縁の丸眼鏡を掛け、文官の制服を身に付けている。フェルゼナットとの国境へ軍を派遣する準備の為、王城から移動魔法で派遣された文官の一人として紛れ込んでいるのだ。

 ちなみに、聖女家の執事である銀縁眼鏡の男は、すでに移動魔法で王都へ戻ったことになっている。聖女家の執事がうろついていては内通者達も警戒するだろうと、別人に成りすましているのだった。

 寸分の乱れもなく撫で付けた髪と銀縁眼鏡、という普段の印象が強いせいか、顔を隠すようにボサボサの髪を垂らし黒縁の丸眼鏡を掛けた俺が、聖女家の執事と同一人物だと気付く者はいなかった。ファリス様やリザヴェント様でさえ、変装した俺を不審げに眺め、声を掛けてようやく俺だと気付いて目を剥いたくらいだ。

 俺はセリル村内を調査する振りをして、噂の広まり方やその内容を調べた。そして夜になると、ファリス様やリザヴェント様と情報を持ち寄り精査する。

 そして、リナ様が攫われて五日目の夕刻。

 こちらでまとめ上げた情報を持って一度王城へ戻っていたリザヴェントが帰ってきた。確信めいた笑みを浮かべながら、二人の男の名を挙げる。それは、俺達が予想していた通りの人物だった。

 一人は調査隊の副隊長であり、国境までフェルゼナットの馬車を追いかけた際に、ファリス様が不安になるようなことを幾度も囁いてきたという、ルドルフという騎士。

 そしてもう一人は、対魔情報戦略室の文官、クラウスだった。



 ファリス様の命令で騎士達が部屋に踏み込むと、ルドルフは見苦しいほど狼狽えた。取り調べでも、自分はただクラウスに言われた事を信じ、本当に聖女がフェルゼナットと通じていると思い込んでいたのだと呆然とした様子で言い訳を続けた。

 ルドルフは、城内でフェルゼナットの王弟がリナ様と接触できるよう手引きもしていたのだと吐いた。しかも、その理由がファリス様の婚約によって傷ついたリナ様をフェルゼナットの王弟が慰めているというクラウスの言葉を信じたからだという。

 ルドルフが本心を語っているとは思えない。自分には悪意はなかった、ただ騙されていただけなのだと言い逃れをしているようにしか見えない。それに、例え騙されていただけだとしても、そのような信憑性のない嘘と己の主観によって根拠のない噂を振り撒き、国益を損なうような真似をする者は処罰されて然るべきだ。

 そして、クラウスの方はと言えば、両脇を体格のいい騎士達に抱えられて連行されてきたにもかかわらず、相変わらず人を食ったような表情を浮かべていた。

「何故、自分が捕らえられたのか、分かっているな?」

「さあ、意味が分かりません。いったいこれは何の茶番ですか?」

 ファリス様の顔が怒りで歪み、掴みかかろうとしたところをリザヴェント様に止められる。

 宥められて気持ちを落ち着かせたファリス様は気を取り直して尋問を再開したが、これではその遣り取りを眺めていたクラウスに舐められても仕方がない。

「お前には、フェルゼナットが聖女を拉致した件で、かの国に協力した容疑が掛けられている」

「……まさか」

 わざとらしく大きく目を見張った後、クラウスはニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。

「私も他の方達と同じように、薬を盛られて気を失っていたのですよ?」

「聖女に茶を淹れるよう頼んだのはお前だそうだな」

「確かにそうですが、この地方の料理が辛いのはご存じでしょう。夕食直後だったこともあり、皆喉が渇いていたんですよ。それに、聖女様が何かすることはないかって聞いてきたので、ではお茶を淹れてくださいとお願いしただけです。でも、そう言えばあの時、聖女様はやけに嬉しそうでしたね。もしかしたら、これは全員を一度に昏倒させて逃げるいい機会だって、思わずはしゃいでしまったんではないでしょうか」

「……貴様!」

 ファリス様はついに堪えきれずにクラウスの襟首を掴んで吊し上げる。

 それを見ているリザヴェント様も我慢の限界だったのだろう、敢えてファリス様を止めようとはしなかった。

 クラウスの顔が赤黒くなり、必死にファリス様の腕を叩く。このままでは絞め殺してしまうと危機感を覚え、歩み出てファリス様の腕を掴み、その視線がこちらに向いたのを見てゆっくりと首を横に振る。

 それを見て冷静さを取り戻したファリス様が手を離すと、クラウスは床に崩れ落ちて激しく咳き込んだ。そのまましばらく聞き苦しいほどわざとらしく荒い息を吐いていたが、いつの間にかそれが笑い声へと変わっていく。

 ファリス様が怒りを堪えながら地を這うような声で問いかけた。

「何が可笑しい?」

「……いえ、逆に僕の方が不思議ですね。どうして皆様、聖女様が無実だって信じられるんです? この国の人間でも、ましてやこの世界の人間でもない。貴族の位を与えられるに相応しい実力も持たないのに、優遇されて勘違いしているただの無能な女なのに」

 その瞬間、ファリス様がクラウスの頬を殴り飛ばした。床に倒れ込んで呻くその襟首を掴んで二発目をお見舞いしようと振りかぶる。

 すると、クラウスは血で真っ赤に染まった口元を歪めて薄ら笑いを浮かべながら、不敵にもファリス様を挑発的に睨み返した。

「噂通り、ファリス様の結婚話にショックを受けて、早々に自分に好意を抱いているサムエル殿下に鞍替えしたっていう線が濃厚なのではないですか?」

「止めろ」

 ファリス様は唸るような声で凄んではいるものの、振り上げたままの腕が動揺で震えている。

 この人は、リナ様がそれほどまでにご自分の縁談にショックを受けていると思いたいのだろう。……リナ様が、密かにあの戦士の瞳と同じ色の指輪を購入し、どうやら肌身離さず身に付けているようだという情報を耳に入れて差し上げるべきだな、これは。

 舌なめずりするような表情を浮かべ、すうっと目を細めるクラウスに危機感を抱いたのか、ファリス様は突き倒すように襟首を離して距離を取った。

 完全に動揺しているファリス様を手で制すと、代わってリザヴェント様がクラウスを尋問し始めた。

「やどりぎ亭二階大部屋で行われた、魔導師を交えた打ち合わせを提案したのはお前だそうだな」

「ええ、そうですが。それが何か」

「他の三名の文官は、不思議に思ったそうだ。確かに打ち合わせは必要だが、どうして魔導師まで一緒なのかと」

「これからしばらく行動を共にするのですから、お互いの情報を共有しておいた方がいいと考えたからです」

「大部屋を借り、机や椅子を運び込むまでに他の三名の文官と共に軽く掃除をしたそうだな。その際、お前が一人で給湯室に入っていくのが目撃されている」

「喉が渇いてきたから、話し合いの途中でお茶を出せないかと、カップやポットが揃っているか確認していただけですよ」

「リナが持参していた茶葉からは、薬物反応は出なかった。出たのは、ポットとカップからだ。リナでなくとも、事前にポットの中かカップに無味無臭無色の薬物を塗りつけておけば犯行は可能だ。勿論その場合、聖女も被害者ということになる」

「でも確か、ポットと聖女様のカップからは薬物は検出されなかったんですよね?」

「何故、それを貴様が知っている?」

「騎士達がそう話しているのを小耳に挟みました。それが誰だったかははっきりと覚えていません。しかし、あなた様はわざと聖女様が犯人だという核心的な部分を偽った。そこまでして聖女様を庇いたいのですか?」

 クラウスの切り替えしに、リザヴェント様は返答に窮する。

 確かに、俺達はリナ様がそんなことをするはずがないという前提に立って考えるから、ポットとリナ様のカップから薬物が検出されなかったのも、事後に真犯人が工作をしたのだという結論に至る。

 だが、リナ様が犯人だという前提に立ってみれば、茶を淹れた後で自分の分以外のカップに薬物を混入したと思うだろう。寧ろ、そう考える方が自然だ。

 クラウスの言い分も分かる。だが、それは彼が潔白であり、純粋に疑問を抱いたのだとしたらの話だ。そして真実はそうではない。

 俺は黒縁の丸眼鏡を外すと、懐から銀縁眼鏡を取り出して掛け直した。丸眼鏡のままだと、何を言ってもいまいち迫力に欠けるからだ。それにもう、俺が聖女家の執事であることを隠す必要はない。

 リザヴェント様の横に並んで立つと、冷ややかにクラウスを見下ろす。

「あなたには、茶に薬物を混入させることが可能だった。そして、聖女様を排除したい理由がある」

「聖女様を排除したい理由?」

 口元に笑みを浮かべながらも、訝し気に眉を顰めるクラウスに重々しく頷いてみせる。

「リナ様の存在自体が許せなかったのだろう? 自分が努力の果てにようやく掴み取った職に、何の努力も無しに迎え入れられたリナ様が憎くて仕方がなかったのだろう?」

「……まさか」

 僅かに動揺したのか声は掠れていたが、尚も否定するクラウスに止めの言葉を投げかける。

「惚けても無駄だ。カシュクロール伯爵は、すでに自供を始めている」

 その決定的な名を出した瞬間、クラウスは凍り付いたように表情を強張らせた。絶望したようにがっくりと項垂れると、やがて喉を鳴らしながらしゃくりあげるように笑い始める。

「……私はただ、脅されていただけなのです」

「かの伯爵は、あなたこそが主犯だと供述しているようだが?」

「まさか。伯爵は私に罪をなすりつけようとしているだけです。本当ですよ、信じてください」

 言い逃れができないと悟るや、途端に被害者ぶるクラウスを見ていると吐き気がしてきた。

 この男は、自分がしたことでリナ様がフェルゼナットでどんな辛い目に遭っているかなど、気に留めている様子は全くないのだ。

 その後、冷静さを取り戻したファリス様を中心に夜更けまで尋問は続いたが、クラウスはカシュクロール伯爵に脅されて協力しただけだと言い張り続けた。



 ファリス様に食らった強烈な一撃と、その後延々と続いた尋問でぐったりとしたクラウスの両脇を抱えて騎士達が部屋を出て行く。今日はもう遅い為、明日、王都に移送する為に拘束して別室に閉じ込めておくのだ。

 クラウスの白々しさに突き上げてくる怒りを堪え続けたせいで、さすがに精神的に疲れ切ってしまった。やどりぎ亭内に与えられている一室で仮眠を取ろうと廊下を歩いていると、ふと遠く離れた樹海の一角がほのかに明るく見えた。

 何だろう。落雷で火事でも起きたのか?

 昼過ぎから降り続いていた雨はすでに上がっているが、また雷雲が近づいているのかも知れない。

 ……あの樹海の向こう側にリナ様はいるのか。

 空を覆う闇より黒々と広がる樹海を見つめていると、不意に張り裂けそうな胸の痛みを感じた。

 確かにリナ様は貴族家の長たるに相応しい方ではなかったが、俺も決して褒められた執事ではなかった。そんな己の行いを反省し、少しリナ様の価値観に寄り添ってみれば、不思議と居心地がよく毎日が楽しくなった。

 リナ様。皆、あなた様の帰りを待っていますよ。

 王城内で広まっている噂を、聖女家の者が耳にするのも時間の問題だ。ノア達はさぞかし不安だろう。聖女家に仕えている彼女達への風当たりも強くなっているに違いない。

 これから始まるフェルゼナットとの外交交渉の末に、待っているのは戦争かも知れない。そうなってしまったら、あなたはとても悲しむでしょうね。自分のせいで多くの血が流れることなったら、繊細なあなたの心はそれに耐えられるだろうか。

 主を陥れた犯人を捕らえても、その先にはまだ暗闇しか見えない。それでも、いつかリナ様が無事戻ってこられることを祈りながら、前に進んでいくしかないのだ。



 部屋に戻ってもなかなか寝付けず、少しは微睡んだだろうか。

 同じ階の部屋のドアを激しく叩く音に、重い頭をもたげて起き上がった時だった。風が唸るような音と同時に、木材が砕かれる凄まじい音が響き渡った。

 驚いて跳ね起き、護身用の短剣を片手に廊下に飛び出すと、ファリス様の部屋の前に砕けたドアの破片が散乱していた。

 ……襲撃か!?

 一瞬、血の気が引いて立ち尽くしていると、髪を振り乱したリザヴェント様がファリス様の部屋から飛び出してきた。俺の姿を目にして笑ったその顔のあまりの美しさに、背筋が凍りそうになる。

「丁度いい所に。今、起こしに行こうと思っていたところだ」

「何かあったのですか?」

 ファリス様を起こす為に魔法でドアを吹っ飛ばしたがゆえのこの有様か。中にいたファリス様は無事だったのだろうか。

 俺の心配を余所に、リザヴェント様は近づいてくると俺の肩に手を置いた。

「ついさっき、王城から部下が飛んできた。『神の涙』の反応が、樹海の深部に現れたそうだ」

 間もなく、夜が明けようとしていた。


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