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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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54.その時、魔導室長は…リザヴェント視点

 リナが、調査隊の一員として出向いたセリル村で、宿泊予定のやどりぎ亭から一人忽然と姿を消した。

 その一報を陛下の補佐役であるジュリオス様から聞かされるやいなや、床に着くほど長いローブの裾を蹴って神殿に向かって駆けだしていた。

 イステリア領の神殿には、過去に一度訪れたことがある。そこから馬をとばせば、セリル村まで半刻もかかるまい。

 だが、すぐにローブの袖を掴まれて引き留められた。

「待て。あなたには、陛下の指示通りに動いて貰わなければ困る」

「しかし、こうしている間にもリナは……」

「王城とイステリア領の間を、日に幾度も移動魔法で往復できる者はあなたしかいない。的確に素早く情報を遣り取りするには、あなたの存在が必要なのだ、リザヴェント」

 尤もなジュリオス様の言葉に、幾分冷静さを取り戻す。

 魔導室長という立場にあり、誰も足元にも及ばないほどの力を持つ私だからこそ、感情に流されず与えられた役割を全うすることが求められる。確かな情報も持たずただ闇雲にリナを探し回ったところで、そう簡単に見つけられるものではない。

 陛下が持たせていたという『神の涙』を、今、神官が探索している。リナが今いる位置を割り出すことができたら、私はその位置をセリル村にいるファリスに伝え、救出に向かわせる。今は、それがリナを救い出す一番の策だ。

 だが、分かっているのに、気持ちが急いて苛立ちを抑えきれない。

 イステリア領からの知らせでは、リナと共にセリル村へ赴いていた三人の魔導師は全員薬を盛られて意識不明らしい。でなければ、すぐにでも誰か一人が転移魔法で王城に戻って、昨夜のうちに急を知らせることができただろう。一報が翌日の昼近くになってしまったのは、魔導師が一度に三名全て潰されてしまったせいであり、魔導室長として痛切に責任を感じる。

 それに、もし二人以上が無事だったなら、片方の移動魔法で王城に戻ってきた後、もう一人の移動魔法で私をセリル村へ直接運んでもらうこともできた。それなら、イステリア領の神殿からセリル村へ馬を駆る時間も労力も短縮できたはずだ。つくづく、自ら事前にセリル村へ足を運んでおかなかった自分の至らなさを思い知らされる。

 伝書鳩での知らせでは、今のところ薬を盛られた全員の命に別状はないとのことだった。それだけが唯一の救いだ。魔導師の数は決して多くない。ましてやこれから、この国、いや、この世界の為に大きな役割を果たして貰わねばならない時に、一度に三名もの戦力を失う訳にはいかない。

「……まだか」

 時間が経つのが驚くほど遅い。苛立ちのあまり、無意識のあまり神殿の壁を拳で叩き続けていたらしく、何度かジュリオス様に落ち着くようにと声を掛けられた。

 どのくらい待っただろうか。祭壇の鏡が光を放ち、傍らの地図を見つめていた神官の一人がフェルゼナットとの国境に近い村の名前を挙げた。

「やはり、犯人はフェルゼナットで間違いない。国境を越える前に捕えよとファリスに伝えよ」

「仰せのままに」

 いつになく鋭い眼光の陛下に一礼すると、素早く魔法陣に飛び込み、移動魔法でイステリア領へと向かった。



 イステリア領主は有能だ。王城から魔導師が神殿に飛んでくることを予想して、すでに足の速い馬を用意していた。それに飛び乗り、待機していたファリスの部下に先導されながら馬を駆る。

 普段は移動魔法か馬車で移動している為、私は騎士ほど速く馬を駆ることができない。それでもできる限り速くと必死で馬に鞭を入れてセリル村に辿り着くと、ファリスに陛下の御命令を伝える。

 自分がついていながら、リナを攫われてしまったのだ。さぞかし感情的になって取り乱しているだろうと思っていたのに、意外にもファリスは落ち着いていた。犯人がフェルゼナットだと伝えた時には驚いていたが、すぐに十騎ほどを引き連れて公路を北へ向かう準備を始める。

 その様子を横目に見ながら、私は捜索隊の本部となっているやどりぎ亭の前に魔法陣を作成した。これで、王城の神殿とセリル村を直接移動魔法で往復することができる。

 一度城へ戻り、待機させていた三名の魔導師を連れて再びセリル村まで飛ぶ。何かあった時の伝達係にその三名を残し、意識を取り戻したもののまだ使い物にならない状態の魔導師達を連れて城へ戻る。神官の治癒術を受けて回復すれば、今度はこの者達が城からセリル村への連絡や移送を担うことが出来る。私のように日に何度も往復することは無理でも、片道ぐらいなら飛べるだけの魔力を持った者達だ。

「申し訳ありません。私がついていながら……」

 レイチェルは、私の顔を見た瞬間から泣き出し、神殿の一室に設けられた救護所に運ばれた後もずっと泣いている。そのせいで化粧が落ち、年齢相応の顔が露わになっているのにそれでも気付かずに、痺れの残る体を起こして必死に言い募った。

「リナちゃんは犯人じゃありません。あの子は、そんなことをする子じゃありません」

「そんなこと、言われなくても分かっている」

 何を当たり前なことを言っている。リナが自分の願望の為に他人を傷つけることなどできるはずがない。寧ろ、他人の為に自分を抑え込んでしまうような子だ。

 私の返答に、強張ったレイチェルの表情が安堵したように緩む。

 一体、何を心配しているというのだ。そんなこと、誰もが分かっているだろうに。

 治療を受けているレイチェル達の傍を離れ神殿の広間に戻った時には、すでに日付が変わる時刻になっていた。まだ祭壇の鏡の前には数人の神官が立っている。

 その中の一人に見覚えがあった。エドワルドと仲が良かった若い神官だ。確か、ルーカスと言っただろうか。彼は私に気付くと、悔しそうに顔を歪ませた。

「リザヴェント様。残念ながら、『神の涙』は国境を越えてしまい、感知できなくなってしまいました」

「……そうか」

 時間的に追いつくには厳しいと思っていた。最初に『神の涙』の位置を割り出した時点で、それは誰もが薄々感じていたことだ。

 けれど、もしかしたらあの男なら追いつき、取り戻してくれるのではないかと僅かな期待を抱いていた。だが、誰が責められるだろう。一番悔しがっているのは、他ならぬファリス自身に違いないのだから。



 すぐに移動魔法でセリル村に戻ると、緊急に組織された聖女捜索隊の本部となったやどりぎ亭の一室で仮眠を取り、明け方国境から引き揚げてきたファリスを出迎えた。

「……すまん、リザヴェント」

「謝る必要などない。状況を説明しろ。すぐに陛下へお伝えする」

 さすがに疲れ切った表情のファリスだったが、感情を抑え込むように淡々と国境で見た状況を報告する。

 リナを乗せていたと思しき馬車が、国境を越えてフェルゼナットへ入ったこと。追いつきかけていたファリスと馬車との間に、国境を護るフェルゼナット軍の兵士が立ち塞がったこと。夜半という時刻にも関わらず、駐屯地からも距離がある国境の平原にフェルゼナットの兵が展開していたことからも、これが計画的な犯行であったことは明らかだ。

「深追いしなかったのは賢明な判断だったな。例え精鋭揃いの騎士達がフェルゼナットの兵を蹴散らせていたとしても、その間にリナの身に危険が及んでいた可能性もある。それに、それが発端となって軍事衝突にまで発展してしまえば、一番悲しむのはリナだ」

「ああ。そう思ったから、俺も自重したんだ。……だが」

 ファリスは深刻な表情を浮かべ、縋るような目つきでこちらを見つめた。

「もし、仮にリナが、本当にこの国を出たいと思っていたとしたら……」

「何だと?」

 一瞬呆然とし、ファリスの言った言葉の意味を理解した瞬間、怒りが突き上げてきた。

「……貴様、これがリナの仕業とでも言うのか!」

「違う! そうじゃない!」

 ムキになって反論してきたファリスだったが、すぐにクシャリと泣きそうな表情を浮かべて俯いた。

「リナがこんなことを仕出かすはずはないのは分かっている。だが、リナの中に、この国を出たいという感情が全くなかったとは言えないのではないかと、この国にいるのは辛かったのではないかと、ここへ帰ってくる間、俺はそんなことばかりを考えていた」

「何を馬鹿な……」

「お前は知らないだろう? リナが、トレウ村から帰る前日の夜、宿泊していた村長宅を抜け出して、再び国境の山に向かおうとしていたことを」

 ファリスから聞かされた衝撃の過去に、驚きのあまり言葉も出て来ない。

 そのような情報は耳にしたことがなかった。それが事実だったとしても、宰相である叔父に報告されていなかったことは明らかだ。もしそれを知っていたとしたら、当然陛下の耳にも入っているはずであり、リナが城や自宅から離れた土地に赴くことにもっと神経を尖らせていたはずだ。

「あの時、思いとどまって戻ってきてくれたことで、俺はリナがこの国に留まることを選んでくれたのだと思っていた。けれど、そうでなかったとしたら? やっぱりあいつを、……アデルハイドを諦めきれないでいるとしたら?」

「確かに、リナの中でまだ奴の存在は大きいだろう」

 そう答えると、ファリスはあからさまに動揺し、悔し気に表情を歪めた。この男の心情を慮れば、同情せざるを得ない。

「だが、だからといってリナはこんな馬鹿な真似はしない」

「それは分かっていると言っただろう!」

 ファリスの口調が強くなる。憤然としたその表情から、ファリスが今回の件でリナを疑っているのではなく、何か別の事で後悔に苛まれているのだということは分かった。

「リナは、自分の望みを抑え込んで我慢してしまう奴だ。そんなことは分かっているのだから、本当は我々がもっと親身になってやらなければならなかったのではないか」

「お前は充分、リナの傍にいて守ってくれていたと思うが」

 魔導室長としてほとんどリナと会うこともできない日々を送ってきた私や、ハイランディア領の神殿で研究に没頭しているエドワルドなどと比べれば、ファリスはずっとリナのことを近くで気に掛け、力になってくれていたように思う。

 だが、ファリス自身はそう思ってはいないようだ。頭を抱えて肩を震わせながら、おぞましい妄想を口に出した。

「このままでは、リナはあの王弟の毒牙に……」

「止めろ!」

 ファリスのせいで最悪な状況を想像してしまい、咄嗟に拳で頬を殴る代わりに、魔法で衝撃波を放った。

 衝撃波を左の頬に受けて仰向けに吹っ飛んだファリスは、呻きながらゆっくりと起き上がると、切れた唇の端を手の甲で拭った。

 いきなりの魔法攻撃に怒っているかと思えば、ファリスは何故か吹っ切れたような表情をしている。迷いが晴れて清々しささえ感じさせる、……どちらか一方に振り切れた、危険な表情だ。

「リザヴェント。俺はフェルゼナットへ向かう」

「……何だと?」

 やはり、そういう馬鹿な道を選んだか、と怒りにも似た感情が滲み出てくる。

 私とて、それができればどんなにいいだろう。そんなこちらの心の内などお構いなしに、ファリスはまるで夢見る純情な少年のように決意を語り続ける。

「貴族としての身分も捨てる。騎士も辞める。ただの一人の男として、リナを救出する為にフェルゼナットへ潜入する」

 そこまで決意するほど、この男はリナのことを想っていたのか。

「お前、それほどまでにリナのことを愛しているのだな」

 人生を捧げるその覚悟に感嘆を漏らすと、何故かそう言われた側のファリスはあからさまに動揺した表情を浮かべた。

「愛……? い、いや、俺はただ、リナは大切な仲間で、……だから守ってやらねばならないから、その、………………つまり、そういうことだ」

 ……自覚がないのか。

 呆れて物が言えない。そう言えば、この男はあくまでも、リナの引受先がないのなら自分が嫁に貰ってやってもいい、という持論を語っていたな。

 だが、この男が一方的に好意を寄せていて、それがリナには全く伝わらずに空振りしているのは傍から見ていても明らかだった。自尊心のせいでその事実を認めることが出来ずに強がっているのかと思っていたが、まさか無類の遊び人として名を馳せ数々の女を泣かせてきたこの男が、自分の本当の気持ちに気付いていなかったとは。

 まあ、エドワルドに指摘されるまで、リナへの恋心を女性アレルギーと勘違いしていた私が偉そうなことを言えた義理ではないが。

「……いいから少し落ち着け、ファリス」

「俺は充分落ち着いているぞ。それよりも、一刻も早くリナを助けに行かなければ。早急に騎士団への退職願とデュラン侯爵家への書状を作成するから、お前はそれを持って王城へ……」

「ゆっくり休め、ファリス。今の状態では、正常な判断は下せまい」

 心はすでにフェルゼナットへ飛んで行ってしまっている様子のファリスとの間合いを一気に詰めると、振り返った奴の鳩尾に素早く一撃を食らわせる。

 通常なら余裕でかわされて掠りもしないだろう私の拳をまともに食らったファリスは、呻きながら床に崩れ落ちた。

 そのまま深い眠りに落ちたところをみると、やはり肉体的にも精神的にも極限の状態にあったのだろう。

 ドアを開いてファリスの部下を呼ぶと、自室のベッドに運んで休ませるよう伝えた。



 数人がかりで運び出されていくファリスの姿を見送りながら、先ほど耳にした衝撃的な話を思い返した。

 ……リナが、この国を出たがっていた?

 ふと、以前魔導室で、リナが自分にも移動魔法が使えるようにならないかと訊ねてきたことを思い出した。

 あの時、アデルハイドに会ってちゃんとお別れが言いたいと言ったリナの言葉の裏を、自分はもっと汲み取ってやらなければならなかったのではないか。例え極秘計画だったとしても、リナにはあの男に会える可能性を示してやるべきではなかったのか。

 悔やんでも悔やみきれないのはファリスと同じだ。だが、自分の全てを投げ打ってフェルゼナットへ飛び込んだところでリナを救い出せるかといえば、その可能性は極めて低い。

 まず、私もファリスも他国に潜入して隠密行動をとるには目立ち過ぎる外見をしている。それに、グランライトの貴族である私達は、仮にフェルゼナットに捕らえられてしまったら、人質としてどのように利用されてしまうか分からない。

 自分には、自分の立場でできることをするしかない。

 ともすればファリスと同じように暴走しそうになる自分を抑えつけながらやどりぎ亭の階段を降りていると、ふと階下で交わされている会話が耳に入った。

「やはり、聖女様はご自分の意志でフェルゼナットに?」

「ああ。フェルゼナットの馬車から降りてこちらに手を振っていたらしい。つまり、そういうことなんだろう」

「ええ、マジかよ。それで薬を盛って? 女って怖いな」

 恐ろしいと両腕を摩った騎士が、不意に肩を震わせてこちらを振り返る。

「……こ、これは、リザヴェント様」

 騎士の声は震えていて、吐く息は白い。その場にいた他の者達も、蒼い顔をして震えている。どうやら怒りのあまり、無意識に底冷えのする魔力を放出してしまったようだ。

「聖女が自らフェルゼナットへ向かうはずがない。根拠のない噂を口にするな」

「も、申し訳ございません」

 叱責すると、慌てたように頭を下げる騎士達を横目にやどりぎ亭を出る。

 一歩外へ踏み出すと、日差しの眩しさに一瞬目が眩んで立ち尽くした。

 リナがこの国を出たがっていたというファリスの言葉が脳裏を過り、胸が締め付けられる。

 こんなにもリナは孤独で弱い立場だったのか。改めて、それを思い知らされた。

 これまでこの国の為にあれほど尽くしてくれたというのに、こんなにも呆気なく根拠のない悪評で塗りつぶされてしまう。

 リナを取り戻せたとして、果たしてこの国で彼女は幸せになれるのだろうか。

「失礼いたします」

 そのままやどりぎ亭の入り口前で立ち尽くしていると、不意にそう声を掛けられた。

 振り向けば、さきほど受付前のホールに騎士達と共にいた文官の男が一礼し、脇を通り過ぎていく。

 あれは確か、リナと同じ対魔情報戦略室に所属している男だ。痺れ薬の影響で臥せっていたが、イステリア領の神官に治癒術を施して貰っていると聞いていた。もう回復したのか。

 しかし、リナとは同僚であるというのに、あのような噂話の輪の中に加わっていたとは。

 現在、対魔情報戦略室所属の文官は、聖女捜索隊の本部となっているやどりぎ亭から別の宿に宿泊場所を移されている。その宿泊場所に戻るのであろう男の後ろ姿を半ば睨みつけるように見送っていると、誰かが真横に立つ気配があった。

「お話があります、リザヴェント様」

「お前は……」

 聞き覚えのある声に振り向けば、見覚えのある銀縁眼鏡の青年が本心の読めない笑みを浮かべていた。


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