表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
122/135

53.その時、王城では…クラウディオ王視点

 イステリア領から飛来した伝書鳩で事件を知るや否や、椅子を蹴って立ち上がり、執務室を飛び出した。驚いて後を追ってくるジュリオスの制止も聞かず、ただひたすら神殿へと全力疾走する。

 城の一角にある中央神殿の広間に飛び込むと、その場にいた神官達が驚いて目を剥き、素早く畏まって首を垂れる。だが、今の私にとってはそんな恭しい礼など時間の無駄でしかない。

「神官長を呼べ!」

「これは陛下。何事でございましょう」

「すぐに、『神の涙』を探索しろ。理由は後で説明する。今すぐにだ!」

 私の剣幕に顔色を変えた神官達が大わらわで奔走する姿を急かすように睨みつけていると、後を追ってきていたジュリオスがようやく辿り着いた。

「リザヴェントを呼べ」

 まだ息が上がっているジュリオスにそう命じると、さすがは次期宰相と呼ばれる男だけあって、すでに私の意図を見抜いていた。

「イステリア領へ向かわせるのですね」

「ああ。だが、今すぐではない。『神の涙』がどこにあるのか分かってからだ」

 その秘宝の名を耳にしたジュリオスは、さすがに驚きを隠しきれない様子で目を見張った。

「……まさか、あの時リナに渡したあれが、『神の涙』でしたか」

 代々王から王へ受け継がれる秘宝の一つ。それがどのような形状でどのような力を持つのか、例え王の右腕と呼ばれるジュリオスであっても知り得るはずもない。

「よくそのような大層な物を簡単に持たせましたね」

 無造作に手を突き出してリナに手渡した時の事を思い出したのだろう。ジュリオスは呆れたように溜息を吐いた。

「こんなこともあろうかと思ってな。しかし、まさかあの者が本当に仕掛けてくるとは思ってもみなかった」

 それだけ、私が舐められているということだ。

 不意に込み上げてきた怒りに、爪が肌に食い込むほど強く拳を握り締める。

 身代金目的のかどわかしに、聖女に反感を持つ者の犯行。どれも否定はできないが、リナを攫った犯人の可能性が最も高いのはフェルゼナットだ。

 あの王弟が我が国に滞在していたのは、即位したばかりの私とフェルゼナットとの関係を強化するという名目だったが、奴の本当の目的は他にあった。

 フェルゼナットは、聖女が欲しい。

 元々、フェルゼナットは帝国の威を借りて存在しているような国だ。歴史を振り返れば、帝国を唆して共に我が国に攻め入ろうとしてきたことなど数えきれない。

 そのフェルゼナットでは、ここ数年、現王の失政が続いて国土は荒廃し、民の不満が高まっているという。その不満を逸らす為の手段をあれこれ模索しては実行するも、なかなか成果が上げられていないということも耳に入っている。

 その一方、グランライトでは王女が魔王の手の者に攫われるという悲劇が起こったが、絶望的な状況を覆し無事に取り戻すことができた。更に、魔将軍の襲撃を受けるもそれを返り討ちにし、王城壊滅の危機を逃れることができた。その立役者は、四人の英雄と、神託によって異世界から召喚された『聖女』と呼ばれる少女だ。

 その話はフェルゼナットにも伝わっていたらしく、あの王弟は我が国に到着した直後からリナに異様なまでの関心を示していた。

 あの国の特技は、執拗なまでの工作だ。欲しいものを手に入れる為には、平気でまことしやかに嘘を吐く。だから、純粋と言えば純粋、単純と言えば単純なリナをあの王弟に接触させたくはなかった。

 だが、あの王弟は我が物顔で城を闊歩し、度々リナに接触していたようだ。周囲からの助言もあってリナは相手にしていなかったようだが、例えリナにその気はなくとも、目撃者は好きなように解釈し、勝手に尾ひれを付け加える。

 そこに、意図的な悪意が介在していないとも限らない。

「ジュリオス、城内の様子に目を光らせていろ」

「御意」

 背後で一礼する頼もしい右腕を振り返ることなく、神官達の力によって淡い光を放ち始めた鏡を見上げる。

 不意に鏡から一筋の光が伸びてきて、すぐ傍の祭壇に置かれた地図の一点を差した。

「現在地はここです。国境の村シスルの北を国境に向けて移動中のようです」

 神官の声に、神殿の片隅で苛立ったように壁を何度も叩いていた天才魔導師がゆらりと顔を上げ、素早くこちらに近づいてくる。

「やはり、犯人はフェルゼナットのようだ。国境を越える前に追いついて捕えよとファリスに伝えよ」

「仰せのままに」

 長身の美男子は鳥肌が立つほど恐ろしい表情を浮かべながら、神殿の魔法陣に足を踏み入れた。光のカーテンが立ち上り、消えた時にはすでにその姿はない。

 それを視界の端に捉えながら、祭壇の傍で地図に視線を落としている神官長に歩み寄る。

「神官長。『神の涙』は、こうやって今在る場所を探索できるだけか? 持ち主の安否や、周囲の情景を映し出すなど、他の力はないのか?」

 もしそれができるなら、リナの無事を確認することができる。どこにいるのか、どんな状況で誰に囚われているのか把握することもでき、それによってより的確な救出計画を立てて実行することもできる。

 だが、私の期待を無残に打ち砕くように、神官長は静かに首を横に振った。

「残念ながら、我々はそこまで把握しておりませぬ。何しろ、『神の涙』は王家の秘宝中の秘宝であり、我ら神官が管理し研究しております品ではございませぬゆえ。放たれている特殊な力を捉え、場所を特定することだけで精一杯でございます」

「そうか……」

 歴代の王のみが受け継ぐ秘宝は、本来王家の宝物庫で管理され、神殿による研究もほとんどされていないのが現状だ。もしかしたら『神の涙』には特殊な力を放つだけではなく、リナを救える力が備わっているかも知れないのに、その力の全容を知る者は誰もいないとは。つくづく、長年続いてきた我が王家の古い体質が嫌になる。

 黙り込んだ私を宥めるように、神官長は穏やかに目を細めた。

「ですが、『神の涙』は光の神の加護を受けたる秘宝でございます。ましてや、聖女様は神託によって召喚された御方。きっと神が御身を守ってくださいます」

「それならいいが……」

 口では懐疑的に答えながら、心では切に願ってしまう。偉大なる神よ、どうかリナの身を守りたまえ、と。

 鏡から伸びた一筋の光が、傍の祭壇に置かれた地図上の、樹海を北に迂回するように伸びる公路を示す線の傍に伸びている。その光はほんの僅かにだが、少しずつ地図の左上端へと移動している。

「間に合えばいいが、間に合わなかった時は……」

 その時は、王として決断を下さなければならない。

 フェルゼナットとの開戦を視野に、徹底的に強硬な手段を取る。それによって例え多くの犠牲を払うことになったとしても、国としての威信を保つためには致し方ない。卑怯な手段で聖女を奪われてもなお軟弱な態度しか示せないようでは、今後もフェルゼナットは我が国に対して同様の手を使ってくるだろう。それを許す訳にはいかないのだ。

 リナは自分のせいで多くの命が失われることを望まないだろう。できれば悲しませたくないが、この手に取り戻す為にはどんな非情な決断も下す。

 例えそのせいで、リナに嫌われてしまおうとも。



 無情にも『神の涙』の位置を示す光が国境を越えた。そのままフェルゼナット領を進むうち、光は段々と弱くなって消えてしまった。

「我々の力の及ぶ範囲の外に出られてしまったようです」

 申し訳なさそうに肩を竦めて首を垂れる神官長に背を向け、何か異変があったらすぐに知らせるように申し付けると、侍従を引き連れて執務室へ戻る。

「間に合わなかったのですね?」

 私が中央神殿にいる間も執務室で孤軍奮闘していたジュリオスが顔を上げる。国王の御璽が必要なもの以外の案件を処理し、政務が滞らないようにしてくれていたのだ。

「……ああ。済まなかった、お前一人に全て任せきりにしてしまって」

「いえ、これが私の務めですから。それより、お顔の色がよろしくありません。少し休まれてはいかがですか?」

「珍しいな。これほど仕事が溜まっているのに、お前が休めなどと言うとは」

 いくらジュリオスが処理してくれていたといっても、午後からほぼ丸半日手を付けなかった執務机の上は積み重なった書類で山になっている。これをそのままにして寝る訳にはいかないと椅子に腰を下ろし、背もたれに凭れて天井を仰ぐ。

 最悪の事態を想像すると、居ても立っても居られない。今すぐにでも軍を招集し、フェルゼナットに攻め込んであのサムエルの首を刎ねてやりたいという衝動に駆られる。

 しかし、私はこの国の王だ。常に冷静に事態を把握し、的確な判断を下さなければならない。強硬な手段を取るにしても、より効果的な方法を取らなければ犠牲だけ出して結果を得られないという最悪な状況に陥ってしまう。

 机に向かったものの、集中できずにいる私の前に立ったジュリオスは、疲れているだろうにそういった様子など全く見せない。普段通りの冷静な表情で、手にした書類を順に差し出してくる。

「フェルゼナットに放っている密偵に命令を下しました。三日もあればリナの正確な居場所を掴めるでしょう。ただ、その場で奪還したとしても、無事に我が国まで連れ帰ることができる可能性は低いと思われます。命を奪われる危険が大きいのであれば、寧ろ下手に手出しはしない方が賢明ではないでしょうか」

「そうだな……」

 フェルゼナットの気質を考えれば、自分の物にならない聖女などいっそ消してしまおうと考えるに違いない。

「それから、フェルゼナット国王への抗議文の原案はすでに用意してあります」

 更にジュリオスから差し出された別の書類を手に取って目を走らせる。その文面は、国王が感知していないところで王弟が不埒な真似をしたことを非難する、という内容になっている。

「密偵からの報告では、どうやらサムエルは求心力を失いつつある兄王から王権を奪おうと画策しているようですね。その為にも、聖女がグランライトを捨ててまで追いかけてくるほど愛されている、という演出をして、自分の価値を高めようとしているようです」

「クソが……!」

 思わず、国王として相応しくない悪態を吐き、机に拳を叩き付けた。

「まあいい。我が国がサムエルを犯人扱いしていれば、例えフェルゼナット王がリナの拉致に関わっていたとしても、状況が不利になれば弟を切り捨てて問題解決を図るだろう。要は、どれだけ早くフェルゼナット王に、リナを無碍に扱えばまずいことになるか思い知らせてやることだが」

 その為には、帝国の力を借りるしかない。幸い、留学中にそれなりの人脈を築くことはできている。ただ、帝国の力を借りるということは、借りを作るということだ。それが後々、我が国にとって負の遺産になることだけはできるだけ避けたいところだ。

 帝国への留学中、幾度となく皇太子から皇女の一人を妻にと提案されたことを思い出す。当時は自分が王位を継ぐことができるのか不確定だった為、左程の圧力はなかったが。

 リナを救う為に必要ならば、と思った瞬間、胸に切なく鈍い痛みが走る。そんな自分が馬鹿らしく笑いが込み上げてきて、誤魔化すように深い溜息を吐いた。



 翌日になると、どこから情報が漏れたのか、すでにリナが行方不明になっていると城内で囁かれるようになっていた。しかも、リナが自分の意志で愛するサムエルを追いかけてフェルゼナットに走ったのだという、覚悟の失踪説がその噂の大勢を占めている。

 下手に緘口令を敷けば無用な憶測を招きかねないが、根拠のない噂話を流布させておく訳にはいかない。城内の引き締めを図る一方で、慎重に噂の出所を探る。

 リナが、そんなことをするはずがない。彼女の心の中にいるのは、今でも只一人。どんな男が粉を掛けても、リナは自分を置いて去っていった男をずっと想い続けている。

 国王に、愛だ恋だなど必要ない。それが、私の持論だ。我が父は、絶世の美女だと謳われた母と、その母に瓜二つの娘に執心するあまり、失策を繰り返した。ネリーメイアを女王にと画策し、第一王子たる私を廃嫡せんとし、それが上手くいかないと悟るや帝国へ留学という名目で半ば無理矢理国から追い出した。ネリーメイアを担ぐ貴族ばかりを優遇し、国内の諸問題に目を瞑り、結果国の弱体化を招いた。

 だから私は人を愛したりなどしない。

 その点、リナは絶対に私の言葉に靡かないと分かっているから、気楽に接することができた。側室なるか、共寝をするかと揶揄い、あたふたするその姿を見るのが楽しかった。

 ……しかし、いつからだろう。私の誘いに首を縦に振らないリナに、虚しいような寂しさを覚えるようになったのは。

 私は基本的に、無能な者は嫌いだ。己の無能に気付かず、身分を傘に着て威張り散らす者など以ての外。ネリーメイアのように、ただ甘やかされて育った我儘娘など、見ていて胸糞が悪くなる。

 だが、同じ無能でも、不思議とリナには怒りが湧いてこなかった。余りの馬鹿ぶりに怒る気にもなれず、寧ろ微笑ましく思ってしまう自分に、自分自身が一番驚いている。

 決して美しくはないが、あの形容し難い笑顔を見ているとくすぐったさを感じてしまう。あの笑顔をもう二度と見ることができなくなってしまったら。そう思うと苦しくて、居ても立っても居られなくなる。

 リナがフェルゼナット国内に入ってしまった今となっては、下手に力尽くで取り戻すよりも、帝国を巻き込んで対外的な圧力を掛けつつ、軍事力もちらつかせて交渉した方が、彼女の身の安全を考えれば懸命だとろう。

 ただ厄介なのは、フェルゼナットが自らの非を認めて大人しくリナを返す可能性が限りなく低いということだ。下手に追い詰めれば、こちらにリナを返したくない一心で、不慮の事故や自殺を装って殺してしまう可能性もある。

 すでに帝国には、フェルゼナットの非道な行いを糾弾し、協力を求める書簡を発送した。フェルゼナットとの国境にはトライネル率いる一万の軍を派兵することが決まり、その準備で城内は物々しい雰囲気に包まれている。

 本当は、西に憂いなど抱えている場合ではない。せっかく極秘に進めていた計画が最終段階に差し掛かり、リナが樹海の調査から戻ってきた時には全てを明かす段取りができていたのに。

 その未来が打ち砕かれた元凶であるフェルゼナットに、猛烈な憎しみを覚える。そして、私の膝元で、己の欲望の為にフェルゼナットに加担している者達を絶対に許さない。例え、どんな事情があろうとも。

 フェルゼナットは、いつの間にか懐に入り込んでくる。甘い言葉で唆し、真面目な人間を変節させ、後戻りできなくさせる。それが発覚する頃には、こちらも少なくない犠牲を払って有能な者を切り捨てなければならなくなっているのだ。

 内通者は、我が国の人材でもある。捕えて処罰すれば、我が国も貴重な人材を一人失うことになる。サムエルが滞在中に城内を好き勝手に移動できたことを考えれば、内通者は一人ではないだろう。

 こちらが失うことになるものの大きさに愕然とする。だが、それも全て王たる私が不甲斐ないせいだと言われれば、返す言葉もない。

 


 ――無事に戻ってきます。

 リナの笑顔と声が脳裏を過る。

 こんなことになるのなら、樹海への調査隊になど参加させなければ良かった。お前の本当の望みはあの戦士に会うことだろう、と問い詰めて、恐らくは素直に認めなかっただろうリナを無理やりにでもテナリオへ連れて行けばよかった。

 リナ。戻ってきたら、お前の本当の願いを叶えよう。だから、無事に戻ってこい。

 『神の涙』よ。どうかその日まで、リナを護ってやってくれ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ