52.その時、セリル村では……ファリス視点
これから数話、他者視点が続きます。
セリル村の村長宅で開かれた村の若者達との交流を兼ねた会合を終え、宿へ戻る途中のことだった。
「ファリス様、大変な事が起きました」
調査隊の副隊長であるルドルフが、暗い夜道を駆けてくる。この男には、俺が会合に出席している間、残った騎士達の監督と明日から始まる調査の準備を任せていた。
耳打ちされたその内容に、驚きのあまり絶句する。
「何だと。では、リナは……」
「どこにもいらっしゃいません。他の七名は全員意識不明ですので、何が起きたのか詳しい状況は未だ不明です」
急いで駆け付けてみると、やどりぎ亭の大部屋にはすでに誰もいなかった。意識不明だというリナ以外の七名もすでに別室に運び出されている。
「すぐに王城へ知らせる。魔導師に……、そうか、全員やられたのか」
同行していた魔導師三人は全て意識不明。
三人共、ここから移動魔法で一気に王城へ戻れるだけの魔力を持つ者達だ。本来、こういった不測の事態が起きた場合に素早く王城との連絡を取り合う為に調査隊に加わっていたはずなのに、その全員が使い物にならない状態になっている。何と言う事だ、と思わず舌打ちした。
「イステリア領主館へ知らせ、協力を仰ぐ。この領内の街道を全て封鎖し、全力で聖女の捜索に当たる」
イステリア領主に早馬を出すと同時に、調査隊の騎士全員を招集して三つに分け、セリル村内とその周辺にある二つの村の捜索に向かわせる。手配が済んだ頃には、すでに真夜中を過ぎていた。
一呼吸おいて、やどりぎ亭の主人を尋問していたルドルフから報告を受ける。
やどりぎ亭の主人は、受付に置かれている呼び鈴を鳴らす音で待機室からカウンターへと出たところを、突然何者かに頭を殴られて昏倒した。しばらく経って目を覚まし、不審者が押し入ったのではと心配になって客室を訪ねてみると、どの部屋も反応がない。そこで、打ち合わせをするから大部屋を貸して欲しいと言われたことを思い出した。見れば、まだ大部屋には明かりが点いている。えらく長い話し合いだな、いやいや、もしかして入り込んだ不審者に襲われたのかもしれない。嫌な予感がしてドアを開けてみると、七人の男女が床の上に倒れていたのだという。
「一体、何が起こったのでしょうか……」
やどりぎ亭の主人がいる部屋に足を運ぶと、殴られた頭部に包帯を厚く巻いた彼は、責任を感じているのか肩を落として震えていた。
「聖女様、ご無事だといいのですが。お茶用のお湯を貰いに来られた時も、それはもう可愛らしい笑みを浮かべておいでで。まさか、そのすぐ後にこんなことになるなんて」
「リナ……、聖女が茶を?」
眉を顰めると、やどりぎ亭の主人はおずおずと頷いた。
「ええ。事前に調査隊の方に茶を飲みたいときに湯はどうすればいいと問い合わせを受けておりまして、こちらでご用意しますとお答えしておりましたので。それで、お茶を淹れる聖女様が取りにいらっしゃったようです」
「倒れていた七人全て、薬物による昏倒だと思われます」
ルドルフにそう耳打ちされ、思わず表情が強張る。それではまるで、リナが茶に薬を盛ったように聞こえるではないか。
動揺を押し隠しながら再び大部屋へと戻り、現場の状況を再確認した。
隣の給湯室には、茶を淹れたらしいポットと、茶葉が入った缶が残されていた。茶葉の匂いを嗅いで、これが以前、リナの家で出されたものと同じものだと気付いた。珍しい品種で、手に入りにくい品であることは知っている。これはリナが家から持ってきた物の可能性が高い。
イステリア領主には、夜が明け次第王城へ伝書鳩を飛ばすよう伝えている。鳩が王城へ着くのは昼頃になるだろうか。
「……リナ」
リナ以外の全員が薬物で意識不明になっている。しかも、どうやら茶を淹れたのはリナらしい。そして、淹れた本人が行方知れずとなれば、状況的にはリナが茶に薬物を混入して逃げたと判断するのが妥当だ。
……馬鹿な。リナがそんなことをするはずがない。第一、そんなことをする理由がない。
今すぐにでも馬を駆って、リナを探しに行きたい。今、どこでどうしているだろう。無事だろうか。恐ろしい目に遭っていないだろうか。一刻も早く助け出してやりたい。
しかし、今俺はこの調査隊の隊長という責任ある立場にいる。私情を差し挟んで一人勝手な行動を取る訳にはいかない。悶々としながら、ひたすらリナが見つかったという報告を待ち続ける。
夜が明ける頃、イステリア領主の私兵を引き連れた部下が戻ってきた。すでにイストの街周辺には領主の命令で厳戒態勢が敷かれたとのことだ。
身代金目的の誘拐か。それとも、聖女の存在を良く思わない一派の仕業か。
すぐに頭に浮かんだのは、エクスエール公爵の名だった。かの公爵家は、嫡男がリナに不埒な真似をした為、日和見的な若い騎士達の反感を買い、中立な立場にいた貴族達の支持を失って急速に権威を失墜させた。家督を継いた次男は現国王に忠誠を誓っているように見えるが、本心はどうだろう。
「……無事でいてくれ」
冷静になろうとしても、つい心の声を漏らしてしまう。
「ファリス様。ここは私共に任せて、少しお休みください」
「いや、いい。大丈夫だ」
ルドルフの言葉に首を横に振る。リナが今どういう状況にあるかも分からないのに休むわけにはいかないし、例え眠ろうとしても眠れないだろう。
騎士とイステリア領主の私兵合同の捜索が本格化したのは昼過ぎのこと。それでも、何も手がかりは得られない。
ようやく一人、二人と目を覚ました対魔情報戦略室のメンバーも、茶を飲んだ後、だんだんと眠気と痺れに襲われて気を失ってしまったというばかりで、リナの行方について手掛かりになるような話は聞けなかった。
ただ、やはり茶を淹れたのはリナで間違いなかった。レイチェルが茶を配るのを手伝ったらしいが、他の六人に聞き取りをした限りでは彼女が全員のカップに工作するのは状況的に不可能だ。
やがて魔導師達も全員目を覚ましたが、まだ体に痺れが残っている為移動魔法は使える状態ではない。
苛立ちばかりが募る夕刻前、やどりぎ亭の受付前に置かれているソファに腰を下ろして捜索隊からの報告を待っていると、突然外が騒がしくなった。
「何事だ!」
リナが見つかったのかと期待しながら立ち上がるのと同時に、やどりぎ亭のドアが勢いよく開いた。
「北だ、ファリス」
開いたドアから駆け込んできてそう叫んだのはリザヴェントだった。紫色の髪は無残に乱れ、白い肌は日に焼けて赤くなっている。だが、その表情は毅然として寒気がするほど美しかった。
「国境へ急げ。リナを連れ去ったのは、恐らくフェルゼナットだ」
リザヴェントの思いも寄らない言葉に目を剥く。
「フェルゼナットだと? 何故、そうだと分かった」
「陛下が、リナに『神の涙』を持たせていたのだ」
『神の涙』。実物を見たことは無いが、その存在は知っている。
それは、歴代の王が受け継ぐ宝の中でも、光の神の加護を受けた伝説の秘宝と評されるものだ。その秘宝の発する聖なる力は、グランライト国内であれば神官達の力によって王城の神殿にある鏡で捉えることができるという。
「陛下がそのようなものを。……まさか、リナが上着の胸に付けていたあれが」
リナの性格上、そんな伝説級の秘宝を無造作に身に付けたままウロウロできるはずがない。恐らくリナは、自分がそんな大層な物を陛下から持たされたという認識はないだろう。リナでなくとも、実際にその秘宝の実物を目にしたことがある者はほとんどいない。一緒にこのセリル村まで移動してきた自分も、まさかリナが身に付けているブローチが『神の涙』だとは思ってもみなかった。
リナが行方不明になったという知らせを受けた陛下の命令で、神官が『神の涙』を探索したところ、その反応は樹海を北に迂回してフェルゼナットに至る公路を国境へ向かって移動しているのが分かったのだそうだ。しかも、かなり国境に近い位置にまで至っているという。
「すぐに国境へ向かう。十人ほどでいい、ついてこい」
ルドルフにそう指示を出し、馬を準備させる。
リザヴェントは、イストの街まで移動魔法で飛んできた後、ここまで全力で馬を駆ってきてくれたらしい。セリル村までは一度も来たことがなかった為、そうせざるを得なかったのだ。
次は直接ここに飛んで来られるようにと、俺達が国境へ向かう準備を整えている間に、リザヴェントはやどりぎ亭の前の往来に素早く魔法陣を描く。そして、すぐに別の魔導師や援軍を連れて戻ると言い残して姿を消した。
「ファリス様。気になる話を耳に挟んだのですが」
用意された馬に跨った時、ルドルフが俺の耳元で囁いた。
「聖女様は、攫われたのではなく、意図的にフェルゼナットへ向かったのだという噂を耳にしました」
「何だと?」
「聖女様が、フェルゼナットの王弟殿下と毎日のように王城で語らっている姿を、幾人もの騎士達が目撃したという話は以前から聞いておりました。勿論、護衛についていた者によれば、聖女様は王弟殿下の誘いを全て断っていたというのですが、満更ではない様子だったという者もおりまして……」
「馬鹿なことを言うな!」
思わず怒鳴り声を上げてしまい、近くにいた他の騎士達や村人達が驚いたようにこちらを振り返る。
ルドルフは恐縮したように騎士にしては体格の良過ぎる体を小さくした。
「申し訳ございません。ただ、以前から聖女様はファリス様にお心を寄せていたご様子。ファリス様のご縁談が順調に進んでいることに心を痛めて、サムエル殿下の熱心な求婚にほだされてしまったのだという噂もありまして」
言い辛そうに語られるルドルフの言葉に息が止まりそうになった。
リナは俺の結婚話にショックを受けて、自暴自棄になって自分を好きだと言ってくれる男に走ったというのか……!
いや、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
「とにかく、リナを取り戻す。話はそれからだ」
樹海の向こう側へ沈もうとする太陽を横目に、公路を北へ駆けて国境を目指す。
「ファリス様、あれを!」
国境付近の平原に差し掛かった時だった。その声に視線を走らせれば、夜にも関わらず結構な速度でフェルゼナット領へ向けて走る馬車がいた。
「あれか……!」
更に馬の速度を上げ、もうすぐ追いつくところまで迫った時だった。飛んできた矢が眼前を掠め、慌てて手綱を引いた。
「ファリス様、フェルゼナット兵です!」
ルドルフが悲痛な声を上げる。
「グランライトの騎士に告げる。この地はすでに我がフェルゼナット領である。速やかに出て行かなければ侵略と看做し、相応の報復措置を取る」
ゆうに百を超えるだろう数の兵が行く手を阻み、その前方で騎乗しているフェルゼナットの軍人が声を張り上げた。
こんな夜更けだというのに、国境の平原に兵が展開しているなど明らかに異常だ。リナを攫った馬車を迎える為、ここで待機していたに違いない。
「我々は、フェルゼナットの地を侵すつもりなどない。その馬車に、攫われた我が国の要人が乗せられているという容疑が掛かっている。その疑いさえ晴れれば、我々は速やかにこの場から立ち去る」
そう呼びかければ、馬上の軍人が何かを指示し、立ち塞がる兵の壁の向こうに走り去ろうとしていた馬車を停めた。
まさか、素直にこちらの言い分を聞いて取り調べをさせるつもりかと驚きつつ見守っていると、馬車のドアが開き、フードを目深に被った人物が降りてきた。
「まさか、聖女様……?」
隣でルドルフが呟く声を聞きながら目を凝らす。
月明かりと、兵が掲げる松明の明かりだけでは、遠すぎて誰だか判別できない。それでも、その人物がこちらに手を振っているのは分かった。
「やはり聖女様は、ご自分の意志でフェルゼナットに……」
「馬鹿なことを言うな! あれがリナだとどうして断言できる!」
呆然と呟いたルドルフを怒鳴りつけ、馬車の中に戻ろうとするフードの人物を引き留めようと馬を走らせた瞬間、足元の地面に矢が突き刺さった。驚いて前足を跳ね上げる馬を制御して体制を整えた時には、すでにフードの人物は馬車の中に姿を消していた。
フェルゼナットの軍人が、我々と馬車の間に割り込むように馬を進めた。
「見ての通り、そちらの要人とやらは攫われたのではない。ご自分の意志で我がフェルゼナットへお越しくださったのだ」
「そのような偽り、信じる訳にはいかぬ!」
「偽りなどではない。我々は、我らが王弟殿下を慕い、グランライトを見限って我が国へ亡命を望む聖女様を無事お迎えする為にここで待っていたのだ。その目で見ただろう。聖女様は、グランライトへ戻る意志など無い!」
嘲笑を含んだ声と共に、風を切って矢が飛んでくる。
こちらは少数とは言え精鋭揃いだ。死ぬ気で臨めば、百ほどのフェルゼナット兵など蹴散らして馬車を停めることは不可能ではないだろう。だが、隣国の領地で隣国の兵相手に我が国の騎士が戦闘を仕掛ければ、外交問題どころでは済まなくなってしまう。
……それに、万が一、本当にリナが自分の意志でフェルゼナットへ行こうと思っての事だったら。
いや。リナがそんな事をするはずがない。トレウ村から戻る前の晩、夜中に村長宅を抜け出して山へ向かおうなどという不審な行動を取ったことはあるが、まさか仲間に薬を盛り、隣国の者を引き入れるような真似をしてまで国境を突破しようとするはずがない。
「どういたしましょう、ファリス様」
共に駆けてきた部下達は、例えどんな結果を生じようともフェルゼナットからリナを取り戻そうといきり立っている者達が大半だった。勿論、俺も彼らと同じ気持ちだ。だが……。
「……我々の一存だけで、戦争に発展し兼ねない行動を取る訳にはいかん。ここは、一旦引く」
そう決断を下す声が、悔しさで震えるのを堪えることができなかった。
フェルゼナット兵を盾に去っていく馬車を見送りながら唇を噛む。唇が切れて口の中に血の味が広がっていく。
もし俺が市井に暮らす一介の戦士だったなら、密かにフェルゼナットに渡ってリナを奪還することもできるだろう。だが、グランライトの貴族であり騎士団の責任ある立場にある以上、軽々にそんな真似はできない。これまでの人生で、自分の地位や肩書きを邪魔だと思ったことなどなかった。だが、今切実に思う。自分がもっと自由であったら、と。
……ともかく、あの男から見ても気色の悪い王弟の毒牙にかかるまえに、何としてもリナを救い出さなければ。