12.何故、そんな誤解を
リザヴェント様を追いかけていったまま戻ってこないハンナさんを待つ間、他の侍女さん方と共に荷物を解くことにした。
「こんなに重いなんて、一体何が入っているんだろう」
そう話しつつ、縛っている紐を剣で数か所切って外し、織り込まれていた麻袋の口を開いてみると、中から小さ目の麻袋や布で包まれたものが幾つも出てきた。
「あ、これって……」
その包みの一つを開けて中を覗いてみると、ミカンが入っていた。言葉が通じるせいか、物の名前はほぼ元の世界と同じで、だからとっても助かっている。
ミカンは私が暮らしていた田舎の特産品で、領主様が積極的に栽培を推奨し都市部に売り出した利益を領民に配分しているので、田舎とはいっても皆人柄は穏やかで、豊かとまではいかないまでも食うに困るような生活をしている人はいなかった。
私がミカン好きだってこと、知っててくれたんだ。
ジーンとしつつ、その他の包みも開いてみると、野菜や芋類が入った包みが次々と出て来る。それでこんなに重かったのか。
「あら、これは?」
包みを開けるのを手伝ってくれていた侍女さんの一人が、何やら丁寧に折りたたまれた布の塊を取り出して驚いた顔をしている。
「何ですか、それ」
「嫌ですわ、リナ様。これはおしめです」
「……は?」
……何でそんなものが。
「あら、こっちはもしかして産着かしら」
「あらあら、こっちには指貫が入っていたわ!」
包みを開いていくにつれ、何故か興奮し始める侍女さん達。
指貫? それがどうしたんだろう。何だか、嫌な予感がしつつも訊ねてみると。
「リナ様がいらした世界では違うかも知れませんが、こちらでは裁縫が得意な女性が花嫁に指貫を送る習慣があるんです。裁縫が得意ないい奥さんになれますようにという願いが込められているんですよ」
……あの集落の人達はきっと、私がどうして城に連れ戻されたのか、本当の理由を知らないんだ。
それにしても何故そんな誤解を、と複雑な気持ちになりながら、指貫を受け取る。裁縫が得意な女性ってことはエルさんだろうな、と想像しつつ、せっかくなのでありがたく頂くことにした。花嫁にはならないけれど、裁縫が得意になれば、取れかけたボタンを見ても躊躇わず、手早くその場で繕ってあげることもできるようになるだろうし。
有り難いけれど今のところ使う予定もない品々を部屋の収納に仕舞ってもらい、野菜や芋類は部屋の隅に固めて置いておく。旅に備えて野外料理のレパートリーも増やしておきたいから、これを厨房に持ち込んで料理人さん達に料理を教えて貰えないか相談してみよう。
ミカンは、お茶の時や食事のデザートとして出してくれるというので、侍女さん方に渡した。やっぱり城では、気が向いた時に気ままに剥いて食べるというのは、マナー上あまりよろしくないらしい。
包みが入っていた麻袋を処分しに部屋を出ていた侍女さんが戻ってくると、しきりに手や腕を気にしていた。どうしたのかと尋ねると、ひょっとしたら麻袋にいた蚤にやられたのかも知れないと、赤い発疹がポツポツと浮かんだ手を掻いていた。私が荷解きを手伝ってもらったばっかりに、と謝ると、商家の出身だと言うその侍女さんは、こんなもの小さい時から倉庫の荷物に隠れて遊んでいたから慣れっこだ、あとで薬を塗っておきます、とケロッとしていた。逆に、私やもう一人の侍女さんは大丈夫かと心配してくれる。いい人で本当によかった。
夕食時になって、やっとハンナさんが帰ってきた。けれど、いつもはニコニコしているハンナさんなのに、戻ってきた彼女はムスッとしていて、とっても機嫌が悪かった。何かあったのか訊くと、リナ様は何も気にする必要はありません、と言い放った後、悔しそうに下唇を噛んで目を潤ませている。
……言いたくないなら追及しないけど、一体何があったんだろう。
不審に思いつつ、忘れ物をわざわざ取りに行ってくれた上に届け物までしていただいたお礼に、ミカンをリザヴェント様におすそ分けしたいと言うと、これまたハンナさんは「そんなことをなさってはいけません」と冷たく言い放った。
……ひょっとしたら、リザヴェント様のような貴族の方々は、ミカンとか庶民が普通に食べられるものなんて口にしないのかも知れない。
旅の間、仲間に食べさせた食事の内容を思い出して、身悶えしそうなくらい後悔した。
翌日。今日は朝から訓練着に着替える。ファリス様が、これから毎日訓練場で剣の稽古をつけてくれるらしいので、向こうから呼び出しが来る前にこちらから出向くつもりでいる。
昨日の打ち身の箇所のうち、治癒術を受けなかった肩と左太ももは、見事に紫色になっていた。動くと響いて痛いけれど、これもエドワルド様の治癒術を自分から中断したせいなんだから、自業自得だ。
服装は昨日と同じ訓練着だけど、今日は髪型もメイクも気合いを入れる。……もとい、気合いを入れて頑張るのはハンナさんだ。
物心ついた頃から髪が短かった私は自分でヘアアレンジなんてできないし、まだ高校生だったからメイクもしたことはない。精々、体育の時間に日焼け止めを塗るくらいだった。
昨日の若い侍女さん方に教わったメイクを、ハンナさんが忠実に再現してくれる。……何だか昨日よりメイクが濃い気がするんだけど、うん、きっと気のせいだ。物凄く真剣な顔のハンナさんは、有無を言わせないオーラを発している。
そして、作り終わった私の顔は、なんだか自分じゃないみたいだった。確かに元の自分からは随分と華やかにはなっているけれど、……やっぱり思っていた通り、マリカみたいにはならなかった。
そして、今になって気付く。このメイクと髪型で訓練着は、違和感がハンパない。でもハンナさんはそうは思っていないらしい。
「とっても可愛らしいですよ、リナ様」
満足げに笑みを浮かべるハンナさん。朝から全力を尽くしてくれた彼女の努力を無にするわけにはいかないので、「ちょっと濃いかな」なんて言えない。それに、可愛らしいと言われれば、そうかな、と浮かれて顔が緩んでしまう、単純な私だった。
訓練場に向かうと、待ち構えていたファリス様は、こちらを見て明らかにぎょっとした表情を浮かべた。
「……お前、舐めてんのか」
ああ、額に青筋が浮かんでいる。おまけに、持ち上がった片方の口の端がヒクヒクと痙攣している。完全にお怒りモードだ。
「舐めてなんかいないです」
「だったら何だ、その化粧は! 色気で魔物と戦えるとでも思っているのか!」
思っている訳ないじゃん。何馬鹿なこと言ってるんですか。ほら、後ろにいる他の騎士の方々も、こいつ何言ってるんだって呆れ顔になってるじゃないですか~。
肩を竦めて怒られつつ、そう思って気を紛らわす。
「……まあいい、次から気を付けろ」
「はい」
やっぱり、明日からはもう少し訓練着に似合う薄化粧にしてもらおう。
訓練用の木刀を手に、ファリス様と対峙する。
騎士団の若手随一の実力を持つファリス様は、騎士団の副団長として朝から多くの部下に稽古を付けている。ファリス様が私の相手をしている間、騎士の皆さんは自主練や休憩をしているのだけれど、今は完全にギャラリーと化していた。
「リナちゃん、頑張れ!」
「副団長なんかやっつけちゃえ!」
誰が言ったか分からないけれど、彼らの中からそんな声が上がった。
勿論、ファリス様はそのまま捨て置いたりしない。その声のした方に向かって、「今、野次を飛ばした奴、後で腹筋三百回な!」などと非情な命令を下した。その後に上がるブーイングやエーイングを、ファリス様は華麗にスルーして稽古を続ける。
昨日、トライネル様との素敵な出会いにすっかり浮かれ切って、その緩み切った精神を諌めるように叩きのめされた経験から、今日は気を引き締めて稽古に臨んだ。
旅の間、教えてもらった基本の型を思い出しつつ打ち合い、たまに変則的に打ち込んでくるのをかわしたり叩いたりする。けれど、ファリス様の打ち込みは重く、すぐに息が上がってしまう。せっかくハンナさんが整えてくれた髪も激しい動きにすぐに乱れて、汗で顔に貼り付いてくる。
撃ち込まれた剣の威力によろめいて転ぶ。「立て! 死にたいのか!」と怒鳴られて素早く身構えて起き上がる。何度かそれが続いて、肩で息をしながら立ち上がろうとした時、またも騎士さん達から声が上がった。
「副隊長、酷い!」
「もっと優しくしてやってくださいよぉ」
「この鬼! 悪魔!」
明らかに応援に便乗した悪口まで飛んできて、ファリス様はとうとうキレた。
「言ったよな。野次を飛ばした奴は、腹筋五百回の上、腕立て伏せ三百回だと」
ええっ、増えてる! 鬼だ、やっぱり鬼だ……と騎士さん達がワイワイ騒ぎだして収拾がつかなくなり、今日の稽古は早々に終わることになった。
訓練場を後にする時、ふと振り向くと、十人近い騎士さん達がせっせと腹筋をしていた。
……お気の毒に。申し訳ありません、私のせいで。
そう思ってペコリと頭を下げると、それに気付いて爽やかな笑みを浮かべる人や、半身を起こした姿勢のまま手を振って来る人もいた。ファリス様と比べると華やかさでは及ばないけれど、皆、アスリートって感じでカッコよくて、日焼けした肌にニッと笑った口元から見える白い歯が眩しい。
思わず手を振り返していると、彼らの背後に仁王立ちになっているファリス様の絶対零度の視線を受けて、凍り付いた。
……分かってますよ。明日からは、ナチュラルメイクにしてきますから。