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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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49.樹海を迷走中

 果たして、北を選んで正解だったのだろうか。

 早速、人の背丈ほどの幹の太さがある倒木に行く手を遮られてしまい、早くもそんな後悔が脳裏を過る。 いやいや、今更南に戻る訳にはいかない。それよりもこの倒木を乗り越えるべきか、それとも左右どちらかに迂回すべきか。

 運動音痴の私は、自分の背丈より高い木の幹をクライミングする方法を諦め、無難に迂回する方法を選択した。根の方は樹海の奥側にあり、ここから見ると薄暗くて近寄りがたい。なので、先端の方に回り込むことに決めた。

 苔むした石の上を転ばないように下を見ながら歩いていると、不意にすぐ先の地面が無くなった。

「ひえっ……」

 慌てて倒木の枝に縋り付いて身を竦める。

 崖崩れでも起きたのか、ごっそりと地面がえぐり取られていた。倒木の枝が、宙に浮いたようにその上に張り出している。

 ただ、崖の上にある倒木の枝部分を潜り抜けたり跨いだりすれば、向こう側へ通過できそうだ。

 穿いている白いズボンが、倒木の屑や表面を覆っている苔でみるみる汚れていく。枝を潜り抜けた時に髪が引っかかり、纏めていた髪が解けてしまった。けれど、崖の縁ギリギリの所を通過しているところだから、そんなことを気にしている余裕なんて全くない。

 時間はかかったけれど、ようやく倒木を越えて反対側に到達した。

 ふう、と一息吐いた時、シャーッという不気味な音が聞こえた。振り向くと、私の二の腕くらいの太さがある魔蛇が、倒木の幹を乗り越えるように現れて鎌首を持ち上げ、ちろちろと舌を出している。

 ……ぎゃああああっ!

 悲鳴を上げたつもりだったけれど、恐怖のあまり声も出なかった。

 魔物は出ることぐらい分かっていたよ。寧ろ、今まで遭遇しなかったのが不思議なくらいだよ。勿論、覚悟はしてたよ。……でも、蛇だけは嫌あっ!!

 元々昔から、蛇だけは大っ嫌いだった。王女救出の旅の時も、魔蛇が出た時には悲鳴を上げて誰かの陰に隠れていた。しかもこいつらって、アデルハイドさんやファリス様が剣で真っ二つにしても、まだ動き回ってるんだよ? 本当に気持ち悪いったらありゃしない。

 でも、今は泣き叫んでも誰も助けてはくれない。しかも、魔蛇はすでにこちらを標的にして攻撃体勢に入っている。逃げようなんて背を向けたら、飛びかかってくるに違いない。

 この種の魔蛇にどれほどの毒があるのかなんてはっきりとは分からないけれど、毒消しの薬なんて持っていない。さっきの村で買えたのは傷薬だけだったから。噛まれて毒が回ってしまったら、とてもグランライトまで逃げ切ることも、助けが来るまで生き延びることもできない。

 自分でこの場を切り抜けるしかないんだ。腹を括らなきゃ。

 冷静になれと自分に言い聞かせながら、右手に魔力を集中させる。

「てぇいっ!」

 狙いすますと、思い切って魔蛇に炎の玉を放った。

 炎の塊は上手い具合にトグロを巻いていた魔蛇に直撃し、パッとオレンジ色の火の粉が舞う。

 シャアアアッ!

 炎に包まれた魔蛇は奇声を上げ、鼻が曲がりそうなほどの悪臭を放ちながらビタンビタンと苔むした石の上をのたうち回った。

 うわっ、気持ち悪い、気持ち悪い!

 余りの気持ち悪さに全身に鳥肌が立ち、全速力でその場から遠ざかろうと走り出す。けれど、ものの十歩ほど走ったところで、濡れた苔で滑って勢いよくすっ転んでしまった。

「……痛い」

 痛い。物凄く痛い。すぐには起き上がれないほど痛い。

 でも、半焼けになった魔蛇が復讐に燃えながら襲い掛かってくるような恐怖に駆られて、這いつくばりながら必死にその場から逃げた。



 幸いにも、魔蛇は追いかけてこなかった。

 私の魔法で息の根を止められたのかどうかは分からないけれど、引き返して確かめる気にもならないし、そもそもそんなことをしている場合じゃない。

 お腹が空いてきたので、足を止めてその辺にある平らな石の上に腰を下ろし、地面に荷物を置いて水筒の水でのどを潤す。荷物の中から干し肉とパンを取り出し、もそもそと齧って飲み込む。それから、さっき転んだ時に擦りむいた両掌や膝に傷薬を塗り込んだ。

 多分、もうそろそろ陽が沈む頃かな……。

 樹海の中はずっと薄暗いけれど、さっきからその暗さが増しているような気がする。

 トレウ村の山で過ごした時のように雨露を凌げる洞窟があればいいんだけど。そう思って辺りを見回してみるものの、それらしきものは見当たらない。

 険しい樹海の中を歩き回って、普段から運動不足の身体はすでに悲鳴を上げている。

 それでも、ここに座り込んでいたって何も解決しない。誰も今晩眠る場所を確保してくれないんだからと気力を振り絞って腰を上げ、荷物を担いで痛む足を前へと運ぶ。

 すると、木々の間にぽっかりと開けた空間に出た。その丁度中央辺りに、私の背丈の倍くらいの高さと、その倍くらいの横幅がある大きな石が鎮座している。

 野宿するならここかな。

 何となくそう思って、その石の陰に荷物を置いた。近くの地面に小石を円形に並べて、木切れや枯れ葉を集めて魔法で火を点ける。

 まるでその時を待っていたかのように、間もなくあっという間に夜の帳が降りた。冷気が吹き付けてくるように辺りを包みはじめ、慌てて毛布を羽織るように身体に巻き付ける。

 木の枝が爆ぜる音を聞きながら、立てた膝の上に顎を置き、揺れる炎を見つめる。

 場所も状況も違うけれど、少し前にも似たような状況に陥ったよね……。

 左胸で光るブローチを握り締めながら、つい大きなため気を吐いてしまう。

 トレウ村の山の中で迷ってしまい、こうやって一人野宿をしてからまだ何カ月も経っていない。フェルゼナットに馬鹿みたいな理由で拉致され、生きてグランライトに戻る為には仕方がなかったとはいえ、まさかまたこんな状況に陥ってしまうなんて。

 御守りだとこのブローチを持たせてくれた陛下も、まさか私が本当にまたサバイバル状態に陥るとは思ってもみなかっただろうな。

 自嘲気味に笑うと、不意に泣きたくなってきた。

 ……みんな、私の事、心配してくれているよね?

 目を閉じると、色んな人の顔が浮かんでくる。

 ファリス様は、私の事を助けようと動いてくれているだろう。もし、リザヴェント様が私を見つけてくれたら、一気に城まで移動魔法で飛んで帰れるのに。ウォルターさんやノアさん達にも物凄く心配されているに違いないから、早く帰って安心させてあげたい。陛下にはまた笑われちゃうかな。それとも怒られちゃうかな。

 ……まさか、アグリスが言ったように、私がサムエル殿下を好きになって、フェルゼナットへ逃げたって思われてなんかいないよね?

 不意に襲ってきた不安を振り切るように、何度も頭を左右に振ってぎゅっと自分の両膝を抱き締める。

 そんなはずない。私にそんな気はさらさらなかったって、みんな分かってくれているはずだ。

 やどりぎ亭の異常に気付いて駆けつけたファリス様は、私が自分の意志で失踪したんじゃなくて、誰かに攫われたんだって気付いてくれたはず。報告を受けた陛下は、私がサムエル殿下の手の者に連れ去られたんだって察してくれるはずだ。

 私にできることは、助けが来るまでフェルゼナット側に捕まらないこと。ううん、グランライトの領土まで逃げ切って、助けに向かってくれている人達に見つけてもらうまで生き延びることだ。

 いつ魔物が襲ってくるかも分からない状況だというのに、疲れ切っている私に睡魔は容赦なく襲ってくる。眠っている間にどんな魔物に襲われるとも限らないのに、眠すぎてもうどうでも良くなってくる。

 魔熊くらいの小さくて弱い魔物なら、火を怖がって近寄ってこないはずだ。トレウ村の山の中ですぐ近くまでやってきたやつもいたけれど、あの時は夜明け前で焚火が燃え尽きていたからだ。

 できるだけ近くの木の枝を集めてきて、焚火に太い枝を幾つか放り込む。細い枝はあっという間に燃え尽きてしまうけれど、太い枝ならしばらくは燃え続けてくれる。

 ざわざわと木々がざわめく音に混じって、得体の知れない生物の奇声が聞こえてくる。眠りかけてはその度にビクッとして目を覚ましていたけれど、そのうちいつの間にか深い眠りに落ちていた。



「……寒っ」

 骨身に沁みるような寒さで目を覚ました。

 大きな石にもたれ掛るようにして眠っていたせいか、それとも昨日からの無理が祟ったのか、身体が軋むように痛い。

 夜中に何度かくべたはずの木々は燃え尽きていて、細い煙が最後の足掻きのように一筋揺らめいている。

 白い霧が木々の間を音もなく流れていく。日の光が充分届かない樹海の中は相変わらず薄暗いけれど、夜が明けたのは分かった。

 よかった、魔物に襲われなくて。

 強張っている身体を、大きく伸びをして解す。疲れはほとんど取れていなくて、昨日転んだ時に打った両掌と膝はまだ疼いている。それでも、ここでずっと座り込んでいる訳にはいかない。

 鞄からパンと干し肉の塊を取り出すと、干し肉を削って切れ目を入れたパンに挟んで齧りつく。お腹は空いているけれど、あまり食欲はない。それでもちゃんと食べておかないと体力が持たないから頑張って食べる。

 食べ終わった後は使った物を鞄に詰め、使った毛布を巻いて紐で結び、鞄に括り付けて背負った。

 出発の準備が整うと、改めて周囲を見回してみる。

 樹海の奥深くに分け入るつもりはなかったけれど、魔蛇に魔法を放った後に無茶苦茶に走って逃げ、更にその後寝る場所を探してうろついたせいで、今自分がどの辺りにいるかよく分からなくなってしまった。このまま当てずっぽうに歩いても、いつの間にか元の場所に逆戻りしてしまうかも知れない。

 一度樹海から出て、自分が今いる位置を確認してみた方がいいかも。

 樹海は緩やかながら奥へ行くほど標高が高くなっている。だから、取り敢えず低い方へ、明るい方へ向かって歩いて行くことにした。自分の今いる位置と進むべき方向を確認できたら、すぐにまた樹海の中に戻ればいい。

 しばらく歩いていると、何か人の声のようなものが聞こえたような気がした。

 ハッとして立ち止まり、太い木の幹に隠れるようにして恐る恐るその方向に目を逸らす。

「……か?」

「いや、……」

 耳を澄ましてみると、何かを探しているようなその声は、緩やかな坂の下側のあちこちから聞こえてくる。

 もしかして、グランライトの人達が私を探しに来てくれた?

 ホッと安堵の息を吐くと同時に、じわじわと喜びが胸の奥から湧き上がってくる。

 やっぱりみんな、私のことを信じて助けにきてくれたんだ。アグリスにあんなことを言われて不安で堪らなかったけれど、心配して損しちゃった。

 意外と呆気なく助けが来たことに少し拍子抜けした感じもするけれど、こうやって私が樹海の中を通ってグランライトに帰ろうとしたことが、結果として早く救助して貰えることに繋がったんだと思うと、ちょっと得意な気持ちになる。

 それにしても、よく私が樹海の中にいるってわかったよね~、なんて思いながら声のする方向に足を踏み出した。

 その時――。

 頭上をものすごい音量の奇声と羽音が通り抜けていった。心臓が止まるかと思うほど驚いて咄嗟に頭を抱え、地面に伏せる。

「……なに?」

 一体何が起こったのか最初は分からなかった。

 音が遠ざかっていき、恐る恐る顔を上げてみると、木々の間から見える空に黒いものが羽ばたきながら飛んでいくのが見えた。どうやら、また魔蝙蝠が集団で飛び立ったらしい。

 そして、その音で驚いたのか、木々の向こうに見え隠れしていた人影が、悲鳴を上げながら逃げ散っていく後ろ姿が見えた。

 ええっ! ちょっと、私はここにいるのに!

 慌てて追いかけようとした時、明るい日が差し込んでいる場所をこちらに背を向けて走り去っていく人の姿がはっきりと見えた。

 ……違う。グランライトの騎士や兵士じゃない。

 長い槍を手にした、緑と黄色で塗装された簡易な鎧を着た人物。よく見れば、他に逃げていく人達も同じ格好をしている。

 ギルドの戦士って感じでもない。あれはきっと、フェルゼナットの兵士だ!

 それに気付いた瞬間、全身から汗が噴き出した。

 這うように近くの木の幹の陰に隠れると、壊れそうなくらい脈打っている胸を押えて喘ぎながら漏れそうになる悲鳴を飲み込む。

 やばい、やばい。危うく自分から捕まりに行くところだった。もし、タイミングよく魔蝙蝠が飛び立たなかったら、私はきっとあの兵士達に見つかっていた。

 きっと、アグリス達は逃げた私の後を追いかけたに違いない。でも追いつけなかったから、私が樹海に逃げ込んだって気付いたんだ。

 迷ってしまったら元も子もない、なんて言っている場合じゃない。捕まったら殺されてしまう。だって、サムエル殿下は私がフェルゼナットのものにならないのなら、殺してでもグランライトへ帰らせないつもりなんだから。

 ……自分のものにならないのなら殺すって、まるでストーカーじゃん。

 でも、そう言えば王城に滞在している時から、まるでストーカーみたいにどこからともなく私の前に現れていたよね。怖っ! あの時から気持ち悪いとは思っていたけど、よく考えれば物凄く怖い。

 でも、サムエル殿下は本当に私の事が好きでストーカー行為をしていた訳じゃなかった。ただ、フェルゼナットが持っていないものをグランライトが持っている。それが許せなかっただけなんだ。

 私は物じゃない。手に入らなかったから、なんて理由で殺されるなんて真っ平御免だ!

 恐怖からの反動からか、込み上げてきた怒りに任せて緩やかな斜面を樹海の奥へ向かってまっしぐらに登り始めた。



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