表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
117/135

48.逃げ切るために

 近くの建物まで辿り着き、物陰に隠れて恐る恐る周囲を見回したけれど、私の逃走に気付いて追いかけてくる人はいなかった。

 でも、油断はできない。もし見つかって捕まったら一巻の終わりだ。一刻も早くアグリス達から遠く離れようと、そこからまた全力で走りだす。もう大丈夫だろうと思えるところまで来ると、ようやく立ち止まって息を整える。

 幸いにも、アグリスや目つきの悪い女以外に私を見張っていた人はいなかったらしく、追手が来る気配はない。それどころか、さっきまで屋外で大きな声が聞こえていたにも関わらず、今、周囲に人の気配はなかった。

 その代わり、耳障りな音を立てて何か黒っぽいものが複数空を飛んでいる。カラスかな、と思って目を凝らすと、それは全部魔蝙蝠だった。時々、そのうちの何匹かが高度を下げて家の屋根や壁にぶつかり、奇声を上げながら落下して地面の上で羽をばたつかせ、また空へと飛び立っていく。私が閉じ込められていた部屋に窓を突き破って飛び込んで来たのは、あの群れのうちの一匹だったようだ。

 どうやらここの住民は、魔蝙蝠を恐れて家の中に避難しているらしい。周囲の家はどこもドアを閉ざしていて、窓も内側から板などで塞いでいる。

 でも、私はトレウ村での視察で、この種の魔蝙蝠は見た目の恐ろしさに反して毒もなく血も吸わない、臆病な性格をしていることを知っているから別に怖くない。ただ、何か刺激を受けて防衛本能が働くと、こうやって集団で異常行動を取ることがある。その時に、やたらめったら体当たりをしてくるので、それだけは気を付けなければさっきのアグリスのようになってしまうのだ。

 きっと、アグリスもあの目つきの悪い女も、ここの住人もそのことを知らないに違いない。

 ……ありがとう、魔蝙蝠。助かったよ。

 これまで数々の魔物に痛い目に遭わされてきたけれど、助けられたのは初めてだ。

 空を見上げながら感謝すると、一刻も早く私を浚った二人から遠ざかるべく走り始めた。



 やっぱり懸念していた通り、ここはもうすでにフェルゼナットだった。

 村の道の脇に立つ標識らしき木製の立て札を目にして、がっくりと膝から崩れ落ちる。

 ほんの少しだけど、ここがグランライトだったらいいな~って僅かな望みを持ってたんだけど、やっぱり現実はそう甘くはなかった。

 ただ、村の中から樹海の木々が見えるくらい近い。だからこの村は、何かのきっかけで樹海から飛び立った魔蝙蝠の群れに襲われてしまうんだろう。

 今回、調査隊に加わるに当たり、頭に入れてきた西部一帯の地図を思い出す。

 確か、樹海の北を回り込むようにして、グランライトからフェルゼナットへ続く公路が伸びていた。どうやらここは、国境を越えた後、樹海に添って南に延びている公路沿いにある村の一つらしい。

 グランライトに戻るには、公路を北へ進んで国境を越えるしかない。でも、私が逃げたと分かったら、あの二人もすぐに後を追いかけてくるだろう。その追手をなんとか巻いて逃げ切る方法はないだろうか。

 例えば、このまま樹海を突っ切るとか。

 まさか、私が魔物の出没する樹海を越えてグランライトに戻ろうとするなんて、あの二人は思いも寄らないだろう。それに、あの目つきの悪い女は魔物を異様に恐れていたみたいだから、きっと樹海には近づきたくないはずだ。

 でもなぁ……。

 トレウ村の山で遭難しかけたことを思い出すと、躊躇ってしまう。それに、樹海って聞くとどうしても、足を踏み入れたら迷って出られないっていうあの有名な自殺の名所を思い浮かべてしまう。例え魔物に襲われなくても、遭難して死んでしまったら笑えない。

 どうすればいい?

 こうしている間にも、アグリスの意識が戻り、目つきの悪い女が平静を取り戻したら、私が逃げたことはすぐにバレる。例え今は近くにいないのだとしても、あの二人の知らせを受けたらすぐに応援が駆けつけてくるだろう。王弟殿下の命令でグランライトから拉致してきた聖女が逃げたとなれば、草の根を分けてでも探し出せ! ってなるに違いない。

 やばいよ。やばい。逃げ切れなかったら殺されてしまう。

 ここはフェルゼナットだ。地の利は向こうにある。その中で助かるには、相手の意表を突くしかない。

 よし決めた、樹海へ逃げる!

 でも、グランライトに到達するまで何日がかりの行程になるか分からない。その上、私は今、一文無しだ。荷物は全部セリル村のやどりぎ亭に置きっぱなしになっている。仮に、アグリス達が故意の失踪に見せかける為に私の荷物を盗んでいたのだとしても、逃げる時にはあの部屋の中には見当たらなかったし、あるかどうか分からない物を探している余裕なんて全くなかった。

 何か少しでも樹海を越える為に必要な物が手に入れられたらいいのに。でも、何か買うにしてもお金も持っていないし。

 焦燥感に駆られながら、ふと思いついて頭に手をやってみる。そこに細長い金属の感触が触れた瞬間、目頭が熱くなった。

 ……ファリス様。

 私の為にとわざわざ買ってきてくれたものを手放すのは心苦しい。でも、すぐにでも換金できそうなものなんて、この髪飾りか、陛下に持たされたブローチしかない。

 陛下はブローチを身に付けていろとは言ったけど、私にくれるとは言わなかった。つまり、これは無事に戻ったら、陛下にお返ししなければならない大切な御守りだ。だから売る訳にはいかない。

 簪に似た金色の髪飾りを握り締めると、私は近場の商店に走った。



 商店の閉ざされているドアをノックしたけれど返答はない。それでも構わずにドアノブを回してみると、幸いにも鍵は掛かっていなかった。

「ごめんください……」

 ドアを開けながら中を覗き込むと、カウンターの中にいた店主らしき中年女性が顔を上げ、ぎょっとした表情で叫んだ。

「ちょ、ちょっとっ! まだ魔物が飛んでるじゃない! 早くドアを閉めて!」

 キンキン声でまくしたてられて、慌てて中に飛び込むとドアを閉める。この村の住民って、なんで皆こんなに声が大きいのかな。

「すみませんでした」

「まったくもう。……で、何がご入用?」

 まるで喧嘩腰の対応だ。この店を選んだことを少し後悔する。

 店内を見回してみると、予想した通り旅に必要な物を扱っている店で間違いなく、欲しいものは揃っていた。鞄に保存食、水筒にナイフ、傷薬に痛み止め、雨具に毛布等々、王女救出の旅の経験を思い出しながら必要と思われる物を注文していく。

「それで、その支払いをこの髪飾りでお願いしたいんですが」

「はあっ!?」

 訝しそうに表情を歪めて凄んだ店主は、驚いて一歩下がった私が握り締めている簪を、目を寄せながら凝視した。

「貸してみな」

 ブスッとした表情のまま、店主は肉厚の手を差し出し、髪飾りを見せろと要求してくる。

 大丈夫かな。すでに、客に対する態度じゃないし。

 普通だったら、やっぱりいいですって断って、とっくに店を飛び出している。でも、今は緊急事態だ。何とかここで用事を済ませてすぐにでも樹海へ飛び込みたい。仕方なく、おずおずと髪飾りを差し出す。

 ふうん、と偉そうな溜息を吐きながら髪飾りを品定めしていた店主は、しょうがないとばかりに大きく溜息を吐いた。

「分かったよ。今回はこれで済ましておいてやる」

「本当ですか」

 良かった、と胸を撫で下ろし、鞄に入れられる物を素早く詰めて、毛布や雨具は丸めて紐で括り、鞄の上に結び付けた。

「あんたさぁ、どこまで行くの?」

 ずっしりと重い鞄を背負って店を出ようとした瞬間、やけににやけた顔の店主にそう呼び止められた。

「え? っと、その……」

「馬が必要なら、売ってやってもいいよ。代金は、そのブローチでいいからさ」

 馬。そうか、馬があれば樹海を越えなくても、公路を駆けて逃げられる。

「そうしなよ。北に行くにしろ南に行くにしろ、ここから次の村までは結構距離があるよ。そんな荷物を抱えて、徒歩じゃ大変だろう」

 店主はそれまでとは打って変わって、急に親切そうな声で気遣うように優しい言葉を掛けてくる。けれど、優し気に細められた目の輝きがぎらついていて逆に怖い。

 でも、店主のいうことも確かだ。馬で疾走すれば、追いつかれるまでに逃げ切ることだってできるかも知れない。

 どうしよう。と迷いながらブローチをぎゅっと握り締める。

 ――これを身に付けておけ。護り石だ。

 ブローチを差し出した時の陛下の顔が脳裏を過る。その声と、吸い込まれそうに青いその瞳を思い出した瞬間、これは手放してはいけない、という強い思いが込み上げてきた。

「……いえ、馬はいいです。ありがとうございます」

 私は首を一つ横に振り、そうかい、と不満そうに溜息を吐いた店主に頭を下げた。



 店を出ると、どこからか不気味な声が響いてきた。

 一瞬、追手が来たのかと身を竦めたものの、見れば一人の襤褸布のようなマントを纏った人物が樹海に向かって両手を掲げながら、良く響く低い声で呪文のようなものを唱えている。

「あれは……?」

「呪術師だよ。ああやって魔物を樹海へ追い返しているんだ。全く、最近隣の国の奴らが自分の国の魔物を樹海へ追いやっているらしくて、この村にもこうやってよく飛んでくるようになったんだよ。ああ、ほら、早くドアを閉めとくれ! 魔物が入ってきちまったらどうしてくれるんだい!」

「す、すみません!」

 勢いよくドアを閉めると、店の陰から首を伸ばしてこっそり呪術師の様子を窺う。

 本当にあの意味不明な呪文で魔物を追いやれるのなら凄いと思う。でも、残念だけれど空を飛び回っている魔蝙蝠の動きに変化は見られない。それでも、一心不乱に呪文を唱え続けている呪術師を見ていると、おかしくて吹き出しそうになりながらも、何か物悲しい気持ちになる。

 魔物に対する知識が少ないから、あんな迷信みたいなものにも縋りたくなるんだよね。元の世界でも、大昔は呪術で病気が治るなんて信じられていたらしいし。

 ああ、でもこの世界には魔法もあるし、実際に召喚された身としては神様の存在だって否定できない。元の世界と比べものにならないくらいファンタジーだから、もしかしたらあの呪文で本当に魔蝙蝠が樹海に戻っていくのかも知れないな。

 けれど、結局私が樹海に足を踏み入れる直前に振り返ってみても、村の上空を飛ぶ魔蝙蝠は全く減っている様子がなかった。

 

 

 樹海の中は、生い茂る木々の枝葉で日光が遮られているせいか、薄暗くてひんやりとしていた。正体不明の不気味な鳴き声が響き渡り、そして何が変な臭いがする。

 何だろう、これ。

 魔族の国では、生臭い瘴気の臭いで気分が悪くなったこともあった。でも、それとは違う、もっと強烈な臭いが辺りに満ちている。

「……!」

 その臭いの正体を見つけてしまった瞬間、吐き気が込み上げてきて口元を手で覆う。

 元は何だろう。魔犬か、魔鹿か。その骸が木の枝にロープで吊るされていて、人の目線の高さで微かに揺れていた。

「何でこんなこと……」

 慌ててその場所から離れたものの、また別の場所から臭気が漂ってくる。気を付けながら進んでいくと、枝から垂れ下ったロープの下に白骨化した何かの骨と皮が塊になって落ちていた。

 そう言えば、王都のギルドでオレアさん達が言っていた。フェルゼナットは、魔物を狩らずにグランライト側に追うようなことばかりしているって。

 さっきの店のおばさんは、グランライトがフェルゼナット側に樹海の魔物を追いやっているって言っていた。それは誤解で、グランライトの戦士が減って魔物の数が増えたのが原因でフェルゼナット側の魔物も増えているだけなのに、この国の人達はそう受け止めていない。そして、こうやって魔物の死体を樹海にぶら下げていることで、こっち側は危険だと魔物に悟らせ、グランライト側に追いやろうとしているのだろう。

 こんなことして、果たして効果はあるのかな。

 これが有効な手段になるのなら、グランライトでも村や畑を魔物の被害から守る有効な対策になる。

 でも、やだなぁ。風光明媚なトレウ村のあちこちに魔物の腐りかけの死体がぶら下げられている光景なんて見たくない。



 やっぱり、馬を買って公路を逃げていた方が良かったかな。

 樹海に足を踏み入れて一刻も経たないうちに、早くもそんな後悔に襲われていた。

 晒されている魔物の死体の効果なのか、これまで魔物には遭遇していない。でも、樹海には勿論道など無いので、自分がどっちに向かって進んでいるのか分からなくなる。

 樹海を西から東に真っ直ぐ突っ切れば、多分グランライトへの最短ルートになる。でもそれは、同時に樹海の最深部を踏破しなければならないってことだ。

 トレウ村の山の中で、魔力を使い果たして倒れたことを思い出す。迷って行き倒れになってしまっては元も子もない。樹海を出ないにしても、せめて自分がどこにいるか分かる位置をキープして進まなきゃ。

 そこで、樹海の外側を回り込むようにしてグランライトを目指すことにした。

 北回りに進むか南回りに進むかで迷ったけれど、結局北に向かうことにした。公路が樹海の北を迂回して作られているってことは、南側よりも人が通行しやすい地形になっているってことだろうと判断したからだ。

 それに、グランライトに辿り着いたら、公路に出た方がセリル村まで戻りやすいだろう。誰かに助けを求めるにしても、公路の方が頼りになる人に出会える可能性も高いだろうから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ