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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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46.話の通じない人

 全身が、まるで正座で痺れが切れたときのような感覚で、指の先さえも動かすことができない。それでも、目を開けた時、自分がこれまで見たこともない部屋に横たわっているのは分かった。

 一体何が起きたんだろう。どうして自分はこんな状態でここに寝かされているんだろう。

 訳が分からない。声を上げようにも、自分の喉から出た声は言葉にならないうめき声だけだった。

「気が付いたようですね、聖女様」

 いきなり低い声でそう呼びかけられて、飛び上がりそうなぐらいびっくりした。

 身体が動かないので、きっとこっちの動揺は向こうには伝わらなかっただろうけれど、本当に心臓が止まりそうなくらい驚いた。感覚が鈍くなっていたから、すぐ傍に人がいる気配なんて全く分からなかった。

 私の視界に入らない位置にいたその声の主は、ゆっくりと歩み寄ってきてこちらを見下ろした。まるで、虫けらでも見るように。

 初めて見るその男の人は、灰色の髪を後ろに撫で付けていて、長い襟足を外巻きにカールさせている。強張ったようにも見える厳つい表情のまま、その人は返事も出来ない私のことなどお構いなしに、無機質な低い声で喋り始めた。

「このような強引な手段を取らざるを得なかったことは、大変申し訳なく思う。だが、これも我が主の望みを叶える為。どうかお許しいただきたい」

 言っている言葉自体は私への詫びなんだけれど、この人の態度も口調も全く申し訳ないとは思ってなさそうに聞こえる。

 主って誰? 一体何の目的で、私をこんな所に連れてきた訳?

 聞きたいことは山ほどあるのに、声も出なければ口を満足に動かすこともできない。辛うじて開いている目で睨みつけようとするものの、表情筋は自由に動いてはくれなかった。

 そんな私を、その人は相変わらず冷ややかに見下ろしながら、驚愕の事実を告げた。

「私の名はアグリス。我が主はフェルゼナット国王弟、サムエル殿下だ」

 ……なっ、……なんですって!

 表情筋は全くといっていいほど動かなかったけれど、驚き過ぎて喉からグゥ、という蛙を潰したような情けない声が漏れた。

 サムエル殿下? 何で? 何であの人が出てくるの?

 もうとっくの昔に隣国に帰ったはずなのに、どうして今頃またあのややこしい王弟殿下が出てくるんだ。

 一体、どういうつもりで……っていうか、望みを叶える為に私を拉致するってどういうこと? 人質にでもするつもりなの?

「殿下におかれては、あなたに幾度も求婚なされたそうだが、あなたはグランライトへの義理立てか、はたまた脅しに屈したか、なかなか首を縦に振らなかったとか。それで今回、つつがなく我が国へ来られるように策を弄した次第」

 ……はあ? 冗談じゃないーー!!

 声が出せる状態だったら、絶対にそう絶叫していた。

 あの殿下は馬鹿なのか、それとも他人の言葉が一切耳に入らないのか。ともかく、私は本気であの人からの求婚をお断りしていたんだ。義理立てとか脅しに屈したとか、一切ないから!

 このアグリスという人は、主であるサムエル殿下から彼の勝手な解釈を交えた話を聞いて勘違いしてしまったのだろう。当てにならない主の言葉に振り回されてこんなことをしてしまうなんて、何という可哀想な人なんだ。

 ……ともかく、誤解を解いて一刻も早く調査隊の所へ戻してもらうしかない。

 けれど、悲しいかな。喋れないから誤解を解こうにも説明することができない。ただ、辛うじて動く首を出来る限り大きく横に振ってそれは間違いだとアピールするも、全く伝わった様子はない。

 アグリスは小さく溜息を吐いて、口元にだけ不自然な笑みを浮かべた。

「突然のことにて混乱しているようだ。もう少し、ゆっくり休んでもらおうか。薬が切れたら、今後の事についてもう少しじっくり話し合うとしよう」

 そう言い残すと、アグリスは踵を返す。

 待って、と手を伸ばそうとしたけれど、声は勿論腕もピクリとも動いてくれない。

 ちょっと待って! ……って、あ~あ、行っちゃったか。

 落胆して溜息を吐いた時、アグリスの代わりに視界に現れた目つきの悪い女性が、いきなり私の口元に布を押し当てた。

 ぎょっとしたのも束の間、頭の中に甘い匂いが充満して意識が遠のいていく。そのまま目の前が真っ白になって、また何も分からなくなった。



「全部、サムエル殿下の誤解なのです。私は自分の意志でグランライト王国の為に生きると決めています。求婚を断ったのも、グランライトへの義理立てとか脅されたからとかではなく、殿下と結婚するつもりが一切なかったからなのです」

 まだ痺れ感の残る口を必死に動かして懸命に説明しても、まるで彫像のようにアグリスは一切顔色を変えない。

 この人は私の言葉をちゃんと聞いてくれているのかな、と不安になってしまう。もしかしてこの人も、サムエル殿下と同じように他人の言葉を理解しようとしないタイプの人なんじゃないだろうか。


 目が覚めると、身体の痺れは粗方消えていた。けれど、ベッドから降りようとすると部屋にいた目つきの悪い女の人に引き止められて、どこにも行くことができなかった。

 ううん、引き止められたというより、力で無理矢理阻止されたって言った方が正しいかも知れない。女中って感じの身形をしているけれど、この人の目つきや身のこなしは只者じゃない。

 魔法を使えば逃げられたかも知れない。けれど、そんなことをしたら確実に相手に怪我を負わせてしまう。下手をしたら殺してしまうかも知れない。魔物相手に魔法を使うことは躊躇わないけれど、生身の、しかも女性に対して炎の魔法を振るうなんて絶対にできない。

 で、ベッドの上で出された食事をとり、目つきの悪い女の人の監視の元で用を足し風呂に入り、そうこうしているうちにようやくまたサムエル殿下の部下だというアグリスがやってきたので、私は必死に事情を説明しているところだ。

 でも、何だかこちらの言いたいことが伝わっているような気がしない。

「サムエル殿下に私の気持ちが伝わっていなかったばかりに、こんなことになったのはとても残念です。ですが、すぐに元の場所に返していただけるなら、私からも殿下に悪意がなかったことをグランライトの国王陛下にも説明し、外交問題にならないよう努めます。ですから、どうかすぐに私を解放してください」

「では、あなたは我が国へ来るつもりはない、と?」

「はい」

「それは困りますな」

 素っ気く私の言葉を一蹴したアグリスを前に、全身から冷たい汗が噴き出した。

 ああ、やっぱりこの人も話が通じない人なんだ。こっちが何を言っても、自分達の認識を変えるつもりは全くないんだ。

 サムエル殿下が相手だった時には、場所がグランライトの王城だったから、私には逃げ場所があったし味方もいた。でも、今は違う。ここがどこなのかは分からないけれど、状況的には完全アウェイだ。下手をすれば、このまま力づくでフェルゼナットへ連れて行かれてしまうかも知れない。

「困ると言われましても、私はフェルゼナットへ行くつもりは全くありません。一刻も早くセリル村へ戻らなければなりません」

 自分の意志を伝えようと、断固としてそう言い放つ。こういう時は、きっぱりはっきりと自分の意志を明らかにしないと。

 すると、それを聞いたアグリスは無表情なまま深い溜息と共に飛んでもないことを言い放った。

「あなたに、最早帰る場所がないとしても?」

「……は?」

 言われた意味が分からずにポカンと口を開けた私に、アグリスは口元にだけ大袈裟な笑みを作った。

「すでにグランライトでは、聖女は愛しい隣国の王弟殿下の元へ向かう為、同行者に毒を盛って遁走したことになっております」

「……なに、それ」

 体から一気に血の気が引いていく。

 ――……茶に、……何をっ。

 クラウスさんの苦し気な声。机に突っ伏してもがいている人達の姿を思い出す。

 もしかして、あれは私がやったことになっているの? 私が皆を、殺したことになっているの? どうして? 私は何もしていない。していないのに。

「今戻れば、あなたは裏切り者として捕らえられる。これまでの功績と差し引いたとしても、この罪は大きい。下手をすれば処刑されることにもなりかねない。そんなことになるくらいなら、大人しく我が国へ来られた方がよろしいのではないか?」

 私を犯人だと決めつけるようなアグリスの言葉に、カッと頭に血が昇った。

「そんなっ。私は毒なんて盛ってない!」

「あなたが茶を淹れたことは、状況証拠として残っている。何より、あなただけがあの部屋から消えたことが、あなたが犯人である何よりの証拠だ」

 ダン! とアグリスはサイドボードに拳を振り下ろす。その音に驚いて肩を震わせた私を見て、ほんの少しだけアグリスの無表情な顔が嬉しそうな色を浮かべた。

「……と、誰もが思うでしょうな」

 頭に上っていた血が、一気に冷えて引いていく。

 本当に、私が淹れたお茶に毒が入っていたの? それで皆、死んでしまったの……?

 ううん、そんなはずない。第一、あのお茶を飲んで倒れたのは私も一緒だ。茶葉かお湯か、それともポットかカップか。きっと、どれかに毒が入っていたんだ。同じ毒を飲んだのだったら、皆も私と同じように痺れて眠くなっただけで、命に別状はないはず。

 ……どうか、そうであって欲しい。

 祈るように手を膝の上でギュッと握り締める。

「我が国に来れば、それなりの地位を約束しよう。サムエル殿下と夫婦になるのがどうしても嫌だというのならば、形だけの婚姻だけ結ぶだけでいい。夫婦としての体裁を取り繕ってくれさえすれば、後は気に入った者を愛人にでもすればいい。こちらの指示通りに年に数回公式の場に姿を見せるだけで、後は王宮で優雅な暮らしを満喫することができる。どうだ、いい条件だとは思わんかね?」

 アグニスは、こっちの気持ちなどお構いなしに、得意気に好待遇をアピールしてくる。

 でも、とてもじゃないけれど信用なんてできない。私を拉致する為に大部屋にいた全員に薬を盛り、しかもその犯人が私であるかのように工作して、グランライトに戻れないよう画策した。そんな卑劣な手を使ってくる人達を、どうして信用できるだろう。

「お断りします」

「……何だと?」

「捕まったって構いません。私は犯人じゃない。信じてくれる人だっています」

 挑むようにそう言い放つと、アグニスは馬鹿にしたようにハッと鼻で笑った。

「果たしてそうかな?」

「……どういう意味ですか」

「あなたは元々、この世界の者ではない。異世界から来た、それこそどこの馬の骨とも分からぬ者だ。そのあなたが言うことを、これだけ証拠が揃っている状況で、信じてくれる者が果たして幾人いることか」

「……っ」

 物凄く痛い所を的確に突かれてしまって、返す言葉が出て来ない。

 ファリス様なら。リザヴェント様なら。エドワルド様なら。自分を信じてくれるだろう人達の顔が次々に浮かんでくる。

 けれど、それと同時に恐怖が押し寄せてくる。もし、彼らが信じてくれなかったら。裏切り者だと罵られ、本当に処刑されることになってしまったら。

 信じてくれると信じたい。信じなきゃいけない。……でも、絶対に信じてくれるという自信が持てない。

 唇を噛みしめて俯いていると、アグリスがごつい手でいきなり私の両腕を掴んだ。

「それに、そもそも、我々はあなたを手放すつもりは毛頭ない」

 物凄い力で、腕が折れるんじゃないかと思うほど痛い。けれど、それよりも鼻が触れそうなほどの位置から睨みつけてくるアグリスの言葉の方が恐ろしかった。

「グランライトが魔将軍を退けた、国を救った聖女の力を我々は何としても手に入れたい。……が、仮に聖女が我が国の要請を頑として拒めば、最悪その力をグランライトから奪うだけでも良しとする。それが、我が主の意向だ。……意味が分かるかね?」

 こちらを睨んでいる昏い深淵のような男の目がまるで死神のように思えて、恐怖で何の言葉も出て来ない。

「大人しく従った方が、身のためだと思うがね」

 アグリスは、また口の端だけに笑みを浮かべると、乱暴に私を突き飛ばした。

 ベッドの上に後ろ向きに倒れ込んだまま、自分の身体をきつく抱きしめるように身を丸める。

 こんなこと、何もかも夢だったらいいのに。

 怖くて怖くて、せり上がってきた塊で喉が塞がれたように苦しくて、ただ涙が滝のように流れ落ちていく。

 ――大人しく従わなければ、最悪、殺しても構わない。

 アグリスは、それがサムエル殿下の意向だと言ったのだ。


 ……つまり、最初から私に選択権なんてなかった。


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