11.リザヴェントの苦悩
今回は、また魔導師リザヴェント視点です。
……弟子が、女になってしまった。
追いかけてくるハンナを振り切って自室に駆け込むと、閉めたドアにもたれ、乱れた息を整えようと何度も大きく呼吸を繰り返す。額に滲んだ冷たい汗を拭うと、ふと長い袖を捲ってみれば、赤い発疹が薄らと浮かんでいた。
「……何ということだ」
ズルズルとその場に崩れ落ちると、高い天井を仰ぎ見る。
これからまた共に旅に出るというのに、こんなことでどうなるというのだ。
必死の形相で走る姿を見られたのか、慌てふためいたように部下達がドアを叩いて大丈夫ですかと問うてくるが、完全に無視した。こんな情けない有様を、彼らに見せる訳にはいかない。
女性アレルギーの原因は、幼い頃からのストレスだと思われる。
ハイランディア侯爵家の嫡男として生まれた私だったが、五歳の時に父が早世し、七歳の時に母が再婚した。侯爵家を継いだ現宰相の叔父が後継者にと望んでくれたお蔭で母の婚家へついていかずに済んだが、叔父には私より三つ年下の娘がいた。
その従妹ミリアーネと私は、徹底的に反りが合わなかった。まさに、天敵。初めて会った時から、お互いに相容れない存在だと認識した。
しかし、三つも年下の女の子と喧嘩をする訳にもいかない。しかも相手は当主の実子で、こちらは甥とはいえ養子に過ぎない。だから、あっちがどんなに酷い言葉をぶつけて来ようが、使用人たちを巻き込んで陰湿な嫌がらせをしてこようが、こちらが仕返しをする訳にはいかなかった。けれど、こちらが無抵抗だと知ると、調子に乗って更にエスカレートする愚か者は、何時如何なる世にもいるものだ。
七歳から十二歳で王立学院の寄宿舎に移るまで、執拗に続いたミリアーネの嫌がらせのせいで、私はすっかり女性不審に陥っていた。
当時、侯爵家の使用人だったハンナのように質素で穏やかな女性なら、女性と意識することもないので平気だった。だが、ミリアーネを思い起こさせる華やかで存在感のある女性が近づくと、反射的に身が竦み、息が苦しくなり、酷い時には身体に発疹が出るようになった。
魔導師として城勤めをするようになり、王侯貴族の令嬢達と接触する機会が増えるにつれ、女性への苦手意識は残ったままだったものの、慣れてきたのか次第にそんなアレルギー症状は出なくなっていた。
……それなのに、何故今になってこれほど酷い症状が出たのだ。
しかも、よりにもよってリナが原因で。
リナが愛用の剣を田舎の家に忘れた。
ハンナがそう知らせて来たので、移動魔法を使って取りに向かったのは今日の昼前のことだ。昨夜あの家に行った時、移動魔法のポイントとなる魔法陣を庭に描いていたので、今度は領主の館を経由せずに直接そこへ飛ぶことにした。
リナが棲んでいた家の庭に移動すると、何故か集落の者らしき人々が数人、玄関付近でうろうろしていた。私が突然現れたので驚いたのだろう、何人かが悲鳴をあげて尻餅をついた。
「あ、あんたは、もしかして……」
その中から、体格のいい若い男が歩み出てきた。
「あんたか、リナを突然連れていったっていう、城から来た魔導師はっ!」
そう言うなり、男は突然胸ぐらを掴んできた。慌てた様子で止めに入る他の者達がすぐに引き剥がしたが、男は顔を真っ赤にしたまま息も荒くこちらを睨みつけていた。城の魔導師様に無体を働いて牢にぶち込まれても知らないぞ、と周囲に諌められてようやくその男は大人しくなったが、まだこちらに敵意を剥き出しにしていた。
「リナは、あの子は元気なんですか?」
こちらも体格のいい中年女性が、必死の形相で訊ねて来た。元気も何も、昨日までここにいたではないか。そう思いつつ頷いてみせると、女性はホッと胸を撫で下ろした。
リナの忘れ物を取りに来たのだと伝えると、何人かがリナに渡してほしいものがあるので持って帰って渡してくれないかと言い始めた。別に断る理由はないので承諾すると、彼らは集落へ向けて駆け戻っていった。
彼らが戻って来るまでに、と家の中に入り、壁に立て掛けたままになっていたリナの剣を手に取った。他にも何か忘れ物はないかと家の中を見回してみたものの、私にリナが必要だと思うものなど分かるはずもない。
外に出ると、あの若い男が腕組みをしたまま待っていた。
「リナは大丈夫なのか?」
そう問われて、すぐに返答はできなかった。泣かせてしまった、などと言ったら、この男はどうするだろう。まして、これから魔族の国へ旅立つのだなどと真実を言えば、私が城の魔導師であることなどお構いなしに殴りかかってきそうだった。
リナを城に連れ帰ることは、事前にこの地の領主には説明していた。だが、この集落の人間がそれを知らされたのは、今日になってかららしい。慌てて駆け付けて見ればすでにリナの姿はなく、呆然としていたタイミングで私が現れたのだという。
「……リナは、あいつは、美人じゃない」
何を思ったのか、その若い男はそう事実を述べ始めた。
「料理の腕もまだまだだし、裁縫は下手だし、正直言っていい女とは言い難い。あんまり喋らないし、地味だし、暗いし」
そう事実を並べ立てるものではない、幾らなんても可哀想ではないか、と思っていると。
「……でも、いい子なんだよ」
男はぽそりとそう呟いた。
そうだな。納得して頷くと、彼は突然ガバッと頭を下げた。
「リナのこと、よろしく頼む。あいつを幸せにしてやってくれ!」
勿論、私にとってリナは大切な弟子の一人で、旅の仲間だ。不幸になどなって欲しくはない。
「幸せにできるかどうかは分からないが、できる限りのことはする」
そう答えると、何故か男は感極まったように涙を滲ませていた。
その後、戻ってきた人々が担いできた荷物を受け取って、移動魔法で城に帰り、その足で直接リナの部屋に向かったのだが。
……まさか、こんなことになってしまうとは。
内偵によると、魔王軍は確かに動きを活発化させているが、まだ明らかに我が国に向けて進軍を開始する段階ではないようだ。勿論、だからといって油断はできない。近隣諸国と同盟を結んで迎撃する体制を整えている最中だ。
その一方、前回の旅の反省も踏まえ、我々に十分な準備期間を与えてくれるよう首脳陣に進言し、すでに受け入れてもらっている。前回の任務を遂行した功績を考えれば、そのくらい許されるべきだろう。
多少は時間があるのだから、リナにも出発までに身に付けさせたい魔法が何種類かある。早速明日からでも、魔導師の訓練場へ連れてきて指導を行う予定だったのだが。
「……っ、落ち着け、リザヴェント。リナはリナだ」
そもそも、何故突然リナを女性として意識してしまったのか。
さっき彼女の部屋で見たリナの姿を思い出して、またゾワッと鳥肌が立った。
……あの格好が原因か。
これまで見てきた、ボサボサ髪にどうでもいい恰好をした素顔のリナとはかけ離れた、貴族の娘のように化粧をし、髪を結い上げ、ドレスを着ていたリナ。
……止めさせなければ。でないと、私は彼女に魔法を教えることができないどころか、共に旅立つことすら出来なくなってしまう。
少し落ち着いて部屋から出ると、ドアの外でハンナが待ち構えていた。これ幸いと、リナを貴族令嬢のような格好をさせないよう頼むと、何故かヒステリックに喚かれ、フイと背を向けられてしまった。