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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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38.テラスでの出会い

 一瞬、夜会の喧騒も、会場に流れる優雅な音楽も、何もかも聞こえなくなった。

 ……今、妻になってくれって言われた? それって、完全にプロポーズじゃないか!

 でも、何故この人にプロポーズされるのか意味分かんないし、そもそも何故いきなりここでされたのかも分からない。だから、どんな反応をして、どんな言葉を返せばいいのかも分からなくて、ただ苦笑いを浮かべながら目を瞬かせることしかできない。

「リナ……」

 その時、どこか遠くで、私の名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 と思った瞬間、突然サムエル殿下の顔が近づいてきた。ぎょっとして身を引こうとしたけれど間に合わず、口髭が耳に触れるくらいの位置で囁かれる。

「答えは急がない。けれど、真剣に考えてみてくれないか?」

 そしてそのまま、柔らかくて温かいものが私の頬を掠めていった。

 ……げええええっ!

 全身に鳥肌が立つ。もしかして、いや、もしかしなくても、私、こいつにキスされた……?

「リナ!」

 今度ははっきりとその声が聞こえ、振り返ると、焦った顔のファリス様がご令嬢方を掻き分けて現れるところだった。

 ご令嬢方は、黄色い声を上げながら通り抜けようとするファリス様を僅かでも触ろうと手を伸ばし……本当に出待ちする追っかけに集られているアイドル状態になっている。

 哀れにもよれよれになった状態で現れたファリス様を見たサムエル殿下は、フン、と鼻を鳴らし、見下したような視線を残して去っていった。

「すまない、一人にして。あの男に何か言われたか?」

「えっ!? ……いえ、あの」

 まさか、プロポーズされましただなんて、……こんな皆さんの視線が集中している状態で言っちゃう? 

 うっ。尋問するようなファリス様の視線が痛い。でも、頬にキスもされましただなんて、嫌過ぎて認めたくないから口に出したくもない。

 何も言えないまま視線を逸らすと、ファリス様の向こう側からご令嬢方が突き刺さるような視線を向けてくるのが見えた。

 ――あなたは、今の生活に不満はないのか?

 不意に、さっきのサムエル殿下の言葉が脳裏を過った。

 ……本当は、ご令嬢方とも仲良くなりたいのに。

 貴族じゃない時は下賤の者だと馬鹿にされて。貴族になったら仲良くなれるかなって思っていたけれど、それでもやっぱり邪魔者扱いされて。

 私が異世界人だから。この国の生まれながらの貴族じゃないから。それなのに、皆の憧れのファリス様を独り占めしている……ような状態になっているから。

 だから仕方ない。仕方ないんだろうけれど、それでも寂しいものは寂しい。

 例えば、サムエル殿下の国なら、こんなことはないのかな……なんて考えが過ぎってしまう。

「少し疲れたので、風に当たってきます」

「そうか。じゃあ、あそこのテラスに……」

「いえ、一人で大丈夫です。ファリス様はここにいてください」

 そう言うと、ファリス様の返事も聞かずに歩き出す。

 と、私の行く手に、誰かが立ち塞がった。

「では、私とご一緒願えるかな?」

「トライネル様……」

 それは、黒地に金の縁取りをした将軍の正装に身を包んだトライネル様だった。

「いいな? ファリス」

 低く響くトライネル様の声からは、抗い難い何かを感じさせられた。だから、一人になりたいという気持ちを抑え込んで、頷くしかなかった。

 それはきっと、ファリス様も同じだったんだと思う。何か言いたげに口を開きかけたけれど、いいな? ともう一度トライネル様に念を押されると、敬礼をして引き下がった。



「あなたとこんな風にゆっくり会えるのは久しぶり、……いや、二人きりで話すのは初めてかな?」

 人の気配の少ないテラスで、厳かな雰囲気の正装で身を固め、僅かな明かりに照らされたトライネル様は、口では言い表せないほどそれはそれはもうかっこよかった。

 そりゃあ、美しさで言えばリザヴェント様には敵わないし、ファリス様の方が万人受けするイケメンだけれど、トライネル様は私の好みど真ん中だもん。やっぱり別格だ。

 でも、やっぱりいいな~、と思うくらいで、恋をしていたときのように心が震えることはない。きっと、私の恋心はアデルハイドさんと一緒に、テナリオに行っちゃったままなんだ。

「二人きり、でしたら、お恥ずかしながら、廊下で泣いている所を見られてしまったことがありました」

 あの時は、まだザーフレムから城に呼び戻されたばかりの頃だった。確かご令嬢方と廊下で鉢合わせして、凄い厭味を言われて、メソメソ泣いていたんだっけ。トライネル様に恋をしたばっかりの頃で、また会いたいなって思っていたのに、ドロドロな泣き顔を見られてショックで逃げて、……その後、裏庭で隠れて泣いていてアデルハイドさんと再会したんだっけ。

 不意に、アデルハイドさんの笑顔と優しい眼差しが脳裏によみがえってきて、目頭が熱うなりそうになるのを誤魔化すように夜の庭園に視線を移した。

「ああ、そうだった。そう言えば、あの時泣いていた理由を聞く機会もなかったが、やはり原因はファリスかい?」

 爽やかな笑顔でそう問われて、肯定も否定もできずに曖昧に言葉を濁す。ファリス様のせいというよりは、その追っかけの貴族令嬢の方々というか……。

「やはり、あいつでは無理か」

「……え?」

 普段のトライネル様らしからぬ吐き捨てるような口調に、どういう意味だろうと首を傾げた時だった。

「お兄様……!」

 おっとりとした可愛らしい声と共に、広間からテラスへ一人の少女が駈け出して来た。

「突然何処かへ行ってしまわれるのだもん。私、随分探したんですからね……」

 トライネル様の腕に縋りついた少女は、小声で叱責されて、ようやく私の存在に気付いたようだ。小さな悲鳴を上げて目を見開いた後、物凄く恐縮したようにトライネル様の後ろに隠れてしまう。

「こら、チェルシー。ちゃんと聖女様にご挨拶しないか」

「ああっ、やっぱり聖女様でしたかっ……。やだ、どうしよう、私、緊張しちゃって恥ずかしい……」

 目の前で繰り広げられている如何にも仲の良い兄妹といった光景に、何だか心がほっこりしてきて、自然と笑みが浮かんでくる。

「お兄様、ということは、その方はトライネル様の妹さんなのですか?」

「はい。ですが、ずっと地方の領地で暮らしておりまして、この歳になってもこの通り人見知りが激しくて困っているのですよ。先日、何とか社交界デビューには漕ぎ付けたのですが……」

「人見知りだなんて、……そんなこと、聖女様に言っちゃうなんて酷い!」

 トライネル様の背中をポカポカ叩きながら小声で文句を言うチェルシーちゃん。でも、その声もこっちまでちゃんと聞こえてますけどね。

「チェルシー様、はじめまして。私は、陛下より聖女の地位を賜っております、リナ・サクマと申します」

 一向にトライネル様の背後から出てこようとしないチェルシーに、苦笑いしながらこちらから挨拶すると、すらっと細くて可憐な少女がぴょんと飛び出してきた。

「わっ、わた、わたくしはっ! チェルシー・ランカス、と、申しますっ!」

 プルプル震えながらピョコンと頭を下げるチェルシーは、田舎娘丸出しで、とてもスマートで何でも完璧なトライネル様の妹とは思えない。

 けれど、よく見れば、女性にしてはちょっと小さめであっさりしている目元とか、すっと通った鼻筋とか、顔立ちはトライネル様によく似ている。

 何か、可愛い……。

 初めて会った人を前に緊張しておどおどしている所とか、綺麗なドレスに着られている感じとか、何だか親近感を覚えてしまう。

「王都へは、いついらっしゃったの?」

「ひ、ひと月くらい前です」

「それまでは、ずっと領地で?」

「は、はい。母が、私を産んだ後、ずっと身体を壊していたので、ランカス領で一緒に暮らしていました」

 こちらが尋ねると、チェルシーはつっかえながらもちゃんと答えてくれた。

 トライネル様の随分と年齢の離れた妹であるチェルシーは、産後の肥立ちが悪く寝付いてしまった母親と、静かな領地のお屋敷で暮らしていた。トライネル様が王都で騎士として実力を認められ、伯父である辺境伯の跡を継いで国境の領地に移り住んだ後も、チェルシーは父が治めるランカス領で母の看病を続けていたらしい。

 チェルシーも十五を過ぎて、もうそろそろ社交界に出て婿を探さなければならなくなった。王都の屋敷に移ったチェルシーだったけれど、数日前に出席した初めての夜会でカルチャーショックを受け、それ以来領地に帰りたいを連呼し続けているという。

「だって、皆、私の事を影で田舎臭いって馬鹿にしているんだもの。でも、それは事実だから仕方ないし、すぐに直せるものじゃないし。だから、もうこんな所にいたくないんです」

「分かる。分かるわ、チェルシー様」

 つい、チェルシーの手をガシッと掴んで賛同すると、物凄く驚いた顔をされた。

「そんな! 聖女様はとてもお綺麗だし、優雅だし、賢くてお強くて勇気があって、それでそれで……」

 それはどこの聖女様の話だろうか。少なくとも、私の事じゃないのは確かだ。

「私だって、この世界の事は何も知らなかったし、貴族として生活を始めたのは半年前の事で、今だって非常識なことをやらかしては叱られたり非難されてばかりよ」

「そっ、……そうなんですか?」

 おずおずと、それでもどこか嬉し気にこちらを見つめてくるチェルシーに、何だか先輩になったみたいで嬉しくなってくる。

「そうよ。だからお互い、頑張りましょうね」

「はい! わあ、嬉しい。聖女様に励ましていただけるなんて」

 屈託なく笑うチェルシーの笑顔を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。

 と、その時、会場のざわめきが一段と大きくなった。

「そろそろ、陛下のお出ましかな?」

 そう言うと、トライネル様は私とチェルシーの背を押すように会場へと導く。

 広間に戻ってみれば、一番上座の高い位置に、陛下の御姿があった。右にジュリオス様、左に宰相閣下を従え、正装した陛下はいつにも増して美しい。

「リナ」

 不意に声を掛けられて振り向くと、魔導師の正装をしたリザヴェント様が立っていた。

「リザヴェント様、いらっしゃっていたんですね」

「ああ。所用で出掛けていて、先ほど戻ってきた」

「相変わらずお忙しいのですね」

「まあな……」

「うわぁ、凄くお綺麗な方……」

 呆けたような声を上げて、チェルシーはぽかんと口を開けたままリザヴェント様を凝視している。まるで召喚された直後の私みたいな反応だな、と思わず苦笑した時だった。

「……うっ」

 苦し気な呻き声がして振り向くと、リザヴェント様が美しい顔を歪め、苦しそうに胸の辺りを押えていた。

 ……えっ!?

「リザヴェント殿、いかがした?」

 トライネル様が心配そうな表情を浮かべながら近づこうとすると、リザヴェント様は長い紫色の髪を乱しながら首を横に振った。

「何でも、ない。……失礼する」

 そう言うが早いか、リザヴェント様はあっという間に踵を返して人混みの中に消え去って行った。

 あれは、あの反応は……。

「私のせいですよね……」

 消え入りそうなチェルシーの声に振り向くと、彼女は悲し気に眉を下げ、しょんぼりと肩を落としていた。

「私があんまり無作法だったから、気分を害されたんだわ。申し訳ございません、聖女様。お話の邪魔をしてしまって」

「ち、違うのよ、チェルシー。あれは、そんなんじゃないんだから」

「え? では一体……」

「それは、……あの、うーんと、……とにかく気にしないで! 多分、今後もリザヴェント様のああいう場面を見ることがあると思うけれど、気にしちゃ駄目よ!」

 半年前まで、随分と目にしてきたリザヴェント様の奇行。そして、ここ最近では私がどんな格好をしていようと、全く目にしなくなったあの反応。

 ……それは、恋!

 何だろうな~。例えば、別れた彼氏が新しい彼女と歩いている所を目撃したら、こんな気持ちになるのかな~。そもそも、そんな経験ないからこの例えが合っているかも分からないけれど、……何だかモヤモヤする。

 それにしてもリザヴェント様。あなたってもしかしてロリコ……、いえ、何でもないです。


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