36.迷惑な王弟殿下
翌日、登城した私は、真っ直ぐに対魔情報戦略室に向かった。
城内は官吏などが働いている場所と王族が暮らす場所は明確に別れていて、勿論異国から来た大使等が滞在する場所も離れている。
だから、普通にいつも通り働いていれば、隣国の王弟と遭遇することはない。……はずなのに。
「これは、聖女殿」
……何故、対魔情報戦略室にほど近い中庭に、この人がいるの!?
植木の向こうから、背の高い金髪の男性が身を乗り出すようにして、勢いよく手を振っている。
本当に隣国の王弟殿下だろうかと首を傾げるようなその無邪気な笑顔に若干引きながらも、他国の王族を無視する訳にもいかずに会釈する。すると、サムエル殿下はまるで主人に呼ばれた犬みたいに笑顔を浮かべ、植木を掻き分けて駆け寄ってきた。
「私のことを覚えてくれているかな?」
「はい。勿論でございます、サムエル殿下」
隣国とは常に緊張関係にあるというファリス様の言葉を思い出し、礼儀作法に気を付けながら慎重に答えると、サムエル殿下は気持ちが悪いくらい満面の笑みを浮かべた。
「それは嬉しいな。聖女殿、あなたのことをリナとお呼びしても?」
うっ、それはっ!
思わず口に出そうになったのを必死で堪え、強張った顔の筋肉を総動員して笑みを浮かべる。
「殿下が、そうお望みならば」
「そうか。ありがとう、早速だがリナ、今度どこかでゆっくり話をしたいんだが」
えっ。何か凄くグイグイ来るんですけど、この人。
誰か助けて~、と周囲に視線を走らせても、通りがかりの官吏達は見て見ぬ振りで通り過ぎていく。
隣国の王弟殿下という厄介な相手に関わりたくないのか、それともそもそも私を助けたくなんかないのか。……あ、駄目だ。嫌な想像したら泣きたい気分になってきちゃった。
「そ、……そのようなお時間が取れればいいのですが、……その、何分、忙しい身ですので……」
何とか態よく断ろうとするものの、適当な理由が浮かんで来ず、自分でも拙いと分かるくらい狼狽えてしまう。
すると、サムエル殿下は明らかに気分を害したように不機嫌になった。
「なるほど。あなたは、それほどまでに時間も制約されているということか」
「えっ、いえ、そうではなく……」
「でも、心配いらない。そういうことなら、私に任せておいてくれ」
何か決意を固めたように真剣な顔で頷くと、サムエル殿下は狼狽える私を後目に、爽やかな笑顔を浮かべて去っていった。
……何なんだ。けど、悪い予感しかしない。
朝一だというのにドッと疲れが押し寄せてきて、廊下の壁に手を着いて大きく息を吐く。すると、どこからか、やる気がないなら帰れよ、という厭味が聞こえてきて、慌てて背筋を伸ばした。
そう、ここは神聖なる職場。二日も休んでいたんだから、その分気合いを入れて頑張らないと。
「こちらが、神官殿から提供していただいた薬です。こちらが青露草から作られたもので、効能としては……」
朝議を終えてやってきた宰相閣下に三日前の出来事を謝罪した後で、エドワルド様からいただいた薬の報告をする。
例え、どんな不測の事態が起きて私が仕事を続けられなくなったとしても、せめて得た知識だけはこの国やこの世界の人達の為に役に立って欲しい。だから、エドワルド様からいただいた知識はちゃんと伝えないと。
黙って私の説明を聞いてくれた宰相閣下は、軟膏の入った容器を手に取って眺めながら口を開いた。
「青露草の産地は?」
「えっと、……北の山岳地帯付近だと聞いております」
「量産は可能か?」
「ハイランディア侯爵領の神殿の畑でも育っておりましたし、作付け時期と育て方さえ工夫すれば可能とのことです」
「では、こちらの赤陽草は?」
そんな感じで突っ込んだ質問が来たけれど、ほとんどエドワルド様から聞き取ったメモを片手に答えることができた。
「……なるほど。我が領の神殿に出向いたことは、無駄ではなかったどころか、大きな収穫だったようだな」
宰相閣下の目が優しく細められたのを見て、詰めていた息を吐き出す。
「早速、先日報告して貰った白月草も含めて、これらの薬剤の量産化に向けて計画を立てるとしよう」
ああ、よかった。ありがとうございました、エドワルド様。あなたのお蔭で、私、何かこの国の為に役に立てたようです!
心の中でエドワルド様にお礼を言っていると、背後で何やら不穏な気配がした。振り向くと、クラウスさんが分厚い書類を手に、冷ややかな表情を浮かべて立っている。
「閣下。よろしでしょうか」
いかにも重要な話があります、と言わんばかりに割り込んで来たクラウスさんに気圧されるように、私は宰相閣下の前から退出した。ま、報告はほぼ終わっていたから構わないけどね。
でも、本当はサムエル殿下の件についても報告しておきたかったんだけどな。
難しい関係にある隣国の王弟殿下に、ゆっくり話がしたいだなんて言われちゃうなんて、面倒くさいことに巻き込まれそうで憂鬱だ。閣下に相談したら、その辺も事前に何とかしてくれるかなと期待していたんだけど。
それとも、このくらいは自分で何とかするべきなのかなぁ……。
午後から訪れた城下のギルドでは、三日も顔を見せなかったとオレアさん達に心配されてしまった。
そうそう、オレアさんたちは、青露草や赤陽草など、エドワルド様に教えてもらった薬の存在をほとんど知らなかった。片田舎の、魔物がほとんど出なくて戦士達が足を向けることのない地方の薬は、彼らにその存在自体知られていなかったらしい。
まだ、効果が期待できるって段階だからと言ったら、じゃあ俺達が効果を試してやる、と協力を申し出てくれた。
でも、それらの薬は王都では手に入らない。それに、私が貰ってきた薬は全て宰相閣下に渡してしまったので、まずはハイランディア侯爵領まで行ってエドワルド様に会い、薬を提供して貰うところから始めることになった。エドワルド様へ協力してくれるようその場で手紙をしたためて、オレアさんに託す。
うまくいくといいなぁ。あっ、でも、効果を試すには魔物にやられなきゃいけない訳で、そうなれば下手をしたら命の危険もある。
「無理しないで下さいね。薬の効果を試す為に、わざと怪我するなんて駄目ですよ」
命知らずの荒くれ戦士達がとんでもない行動に出るんじゃないかと心配になって、つい偉そうに釘を刺してしまう。
けれど、それを聞いたオレアさんは、ニカッと笑って声を張り上げた。
「な? 聖女様はお優しくて可愛らしい御方だろ?」
周囲にいた戦士さん達はガハガハ笑いながら、分かっているのかいないのか、その通りだと大爆笑する。
馬鹿にされているのか、それとも本気でそう思っているのか。多分前者だろうな。あ~あ、余計な心配をしちゃったみたいで疲れちゃった。
今日から、ファリス様は騎士団副団長へ復帰する為の準備に入り、ギルドに同行してくれているのは別の騎士さんだ。
これからは、騎士団から日替わりで騎士さんが私の護衛についてくれるそうで、特定の人がずっと担当してくれることはないらしい。
今日護衛についてくれている騎士さんは無口な人で、私がギルドの戦士さん達に揶揄われている間も、ずっと黙って背後に立っていた。
ファリス様のようにいちいち怒り出すのも困ったものだけれど、余りの反応のなさに少し不安も覚えた。本当に私に何かあった時、この人はちゃんと私を助けてくれるのだろうかって。
そんな不安を抱くのは、騎士さんにとっては失礼な話だ。不安に思うのは私の心の問題であって、実際に何かあったら、職務に忠実な騎士さんは絶対に私を助ける為に動いてくれるのだろうから。
慣れなきゃいけない。旅の仲間から離れて生きていくことに。
今回エドワルド様に知識を提供してもらったように、時々助けを求めることはあったとしても、常に誰かに傍にいて欲しいだなんて、そんな我儘はもう言っちゃいけないんだ。
今日はもうこのまま平穏に終わるのかな~、なんて油断していたら、城に戻ったところで国王陛下の執務室に呼び出しを食らってしまった。
……やっぱり、勝手にハイランディア侯爵領に行ったことを叱られるのかな、なんてビクビクしながら執務室に足を踏み入れると、陛下は手元の書類から顔を上げた。
怒っているようには見えないけれど、ご機嫌という訳でもなさそうな表情の陛下は、私と目が合うと、ふと気を抜いたような笑みを浮かべた。
「今日も城下へ出ていたのか」
その声も口調も、呆れたといった様子じゃなくて、労われているように感じられた。
「はい。遅くなって申し訳ございません」
「謝る必要はないよ。急に呼び出したのはこちらの方だ」
陛下より先にそう口を開いたのは、斜め後ろに立っていたジュリオス様だった。
陛下の執務机を回ってこちらに近づいてきたジュリオス様に促されて、手前にあるソファに腰を下ろすと、その向かい側に陛下が腰を下ろす。ジュリオス様は座らず、陛下の後ろに立った。
「明後日、城で夜会が開かれるのは知っているな?」
「はい」
確か、異国からの客人をもてなす夜会が予定されていると聞いたような。でも、その夜会には出席しなくていいからね、ってずっと前に宰相閣下から言われていたはずだけど。
けれど、陛下はあっさりとそれを覆した。
「そなたには、その夜会に出席してもらいたい」
「……え?」
えー、出なくちゃいけないの? 出なくていいって言ったじゃん! という私の心の叫びを、陛下は違う風に捉えたらしく、的外れな提案をしてきた。
「女性が準備に時間がかかることは承知している。必要とあれば、城内の衣裳部屋をひっくり返してでも、そなたに合うドレスを用意しよう」
「そ、それには及びません! 以前、夜会に出席した時のドレスもありますし……」
それより、何で急に夜会に出席しなくちゃいけなくなったんだろう。こんなこと、今まで一度も無かったのに。
疑問が頭を掠めたのは、ほんの一瞬の事で、すぐにピンときた。
サムエル殿下の仕業だ!
ゆっくり話す時間も取れないと言われたから、それなら夜会に引っ張り出してやろうって魂胆なんだ。やっぱり、とんでもない奴だ、あの人。
私の目の前で一瞬固まり、次いで考える人みたいな恰好で長い長い溜息を吐いた陛下は、その格好のまま、背後に立つ右腕を呼んだ。
「ジュリオス。ネリーメイアに協力を仰げ」
「御意」
すぐに踵を返して執務室を出て行ったジュリオス様の背後でドアが閉まる。
と同時に、陛下が上目遣いにこっちを睨みながら、唸るような声を出した。
「リナ」
「……は、はひ」
「私は、別に挑発に乗ったとか、対抗意識を燃やしている訳ではない」
「……は?」
「だがな。聖女を蔑ろにしているなどと言われては、国の要人が集う夜会にそなたを出席させない訳にはいかないのだ」
「あ、……はい」
やっぱり、サムエル殿下の仕業か。どうせ、夜会にも出席させないなんて、あまりに聖女をぞんざいに扱い過ぎるとか何とか余計なことを言ったんだろう。本当に迷惑な人だ。
「出席させるからには、私が責任を持って聖女たるに相応しい装いになるよう、準備を整える」
ご本人が前もって否定した割に、そう言い切った陛下の背後から、メラメラと対抗意識なる炎が燃え盛っているような幻覚が見えるような気がする。
まあね。異国の王族に非難されるようなことを言われたら、そうじゃないって見せつけたくなるお気持ちも分かりますよ。でも、できればそんな大層な夜会には出たくないっていうのが本音なんだけどなぁ。
……ほんと、余計なことをしてくれるよ、あの王弟殿下。




