34.優雅な謹慎生活
翌日、いつもの時間に起きて登城の準備をしていると、ウォルターさんが部屋に来て、城から早馬が来ていると告げられた。
慌てて身支度を整えて出迎えると、近衛騎士だというその人は宰相閣下からの命令書を手渡すと、すぐに帰って行った。
封書を開封してみると、そこには指示があるまで数日間は屋敷から出るなという、所謂謹慎処分を告げる内容だった。
やっぱり、昨日の行動が問題になっているんだ。何の許可も取らずに、仕事中にハイランディア侯爵領まで勝手に行っちゃうなんて、やっぱり拙いよね。何せ、超多忙な魔導室長の手を煩わせ、騎士団副団長復帰目前のファリス様まで巻き込んでしまったんだから。
ああ、それだけじゃない。隣国の王弟殿下にも、城内で農家の娘みたいな恰好をしているところを見られた挙句、碌に挨拶もしないで、今思えば失礼な態度を取ってしまった。それが悪かったのか。ううん、どれもこれもだ。
「まあ、リナ様。どうなされたのですか?」
自室の長椅子に倒れ込み、クッションを抱き締め、自己嫌悪のあまり悲痛な唸り声を上げていると、入室してきたノアさんに驚かれてしまった。
「思い悩まれることはありません。リナ様はお疲れで体調を崩し、自宅療養をなされていることになっているのですから」
確かに、命令書にはそういう理由で屋敷に籠れと書かれてあったけれど、それはこっちの立場を慮って、表向きはそういうことにしてくれているだけだ。
一応、私は世間的には、神託によって異世界から召喚され、英雄達と共に王女様を魔王城から救い出し、国を魔族の襲来から救った聖女様ということになっている。以前と違って、『聖女』なんていう大層な立場になってしまっているから、何かやらかしても他の官吏みたいに簡単に処分を下すことはできない。だから、表向きは病休にしといてやるから謹慎してろということなんだろう。
「……とはいえ、謹慎は謹慎です。大人しく部屋に籠って、反省文でも書きましょうか」
クッションを抱えながらそうブツブツぼやいていると、ノアさんが呆れたように息を吐いた。
「何を仰っているんですか。ほら、行きますよ」
「え?」
「せっかくたっぷり時間ができたのです。厨房で、みんなが材料を揃えてお待ちしておりますよ」
……なんと。
ガバッと跳ね起きて目を瞬かせると、ノアさんが目をキラキラさせながら大きく頷いた。
「まずは午後のお茶用のお菓子を焼きましょうね。それから、昼食の料理作りにも参加していただけますか?」
「よ、喜んで!」
午前中、料理人の指導の元、侍女さん達とワイワイおしゃべりしながら料理をして、それから庭に出ていろいろな花を摘んで屋敷内に飾った。
「こんなにいい天気なんだから、ここでお茶をしたいな~、なんて」
庭にいる時にそう呟いた言葉を誰かが話したらしく、お茶の時間にはウォルターさんが庭にテーブルや椅子、お茶セットをきっちり整えてくれていた。
これぞ、まさに思い描いていた貴族としての至福のひと時。ゆったりした時間の中、庭で美しい花々を眺めながら、優雅にお茶を飲み、美味しいお菓子をいただく。
城で働いたりせず、ずっとこのお屋敷にいれば、毎日こんな生活が送れるんだろうな。実際、別に嫌な思いをしてまで働かなくても、貴族としての生活は保障されている訳だし、そうしようと思えば実現不可能じゃない。
……じゃあ、今の仕事を辞めて、このお屋敷に籠る?
そう自分に問いかければ、考え込んだ挙句に首を横に振る自分がいる。何もせずにいたら、ザーフレムの田舎で過ごしていた時みたいに、このまま一人で朽ち果てていくのか、みたいな侘しい気分になりそうな気もするし。
それに、神託が今も継続していると主張する人々の手前、私もこの国の為に尽くしている態度を見せないといけないし。
だから、この国の人達に望まれる姿勢と優雅な貴族生活を両立させるには、ウォルターさんの言う通り、この国の貴族と結婚して子孫を残すという選択肢しかない。私の子に、この国を支えるような優秀な子が生まれるとは思えないけれど、『聖女』の子孫ってだけでそれなりに箔が付くのかも知れない。
「リナ様」
そよ風に揺れる綺麗な薔薇を見つめながら思考に耽っていると、屋敷内で仕事をしていたウォルターさんがやってきた。お茶の準備ができたとここへ案内してくれた時の穏やかな表情とは違って、何だか表情が固い。
「何かあったのですか?」
「ええ。リナ様。今、サストの街で購入した商品を届けに来たという商人が訪ねてきておりますが、お心当たりはございますか?」
そう問いかけられて、そう言えばサストで買い物をしたことをウォルターさんに報告していなかったと、今頃になって気付いた。
「そうでした。すみません!」
「なるほど。彼の商人の言っている事は間違いないのですね。分かりました。商品は代わりに受け取っておきますので、リナ様はどうぞそのままお茶をお楽しみください」
「でも、まだ代金を……」
「それも、こちらで対応しておきますので」
一礼し、サッと踵を返して去っていくウォルターさんの後ろ姿を見送りながら、私は頭を抱えて唸った。
どこまで迂闊なんだろう、私って……!
その後は優雅にお茶を楽しむ気分にもなれず、早々に自室に戻ると、そこにはすでにサストの街で購入した品が届けられていた。
「細長い箱の方がペンダントで、四角い箱の方が指輪だそうです」
ウォルターさんから言伝を受けていた侍女さんがそう説明してくれた。
細長い箱を開けてみると、エメラルドグリーンの石が埋め込まれた銀のプレートのペンダントが入っている。続いて四角い箱を開けてみると、透明感のある空色の石がついた指輪が入っていた。どっちも、確かに私がサストの店で買ったものに間違いなかった。
両方とも、取り敢えず自分用の宝飾品を仕舞ってある引き出しに収めた。謹慎が解けたら、早速ファリス様にペンダントを渡すことにしよう。
……ん? 待てよ。私にこの品が届いたってことは、ファリス様の手元にも、キャスリーン嬢に渡す髪飾りが届いているってことじゃないか。それを持って、大事な会食を台無しにしちゃったことを一緒に謝りにいくはずだったのに、こんな時に限って謹慎処分を食らっているなんて。
あ、でも、キャスリーン嬢にはすでに私一人で謝ったし、別に彼女も気にしてないどころか、逆にファリス様と婚約を解消したいんだって言われちゃったし。
ということは、結局、あの可愛い髪留めも、無駄になっちゃうのかなぁ。婚約破棄したい男の人から貰った髪留めなんて、例え受け取ったとしても身に付けることなんてないだろうしなぁ。
「こんなことなら、私が自分用に買っといたらよかったな。可愛かったもんな、あの髪留め」
「何ですか? リナ様。何か欲しいものがおありですか?」
私の独り言を聞きつけたのか、ノアさんがいそいそと近づいてきた。
「え? いえ、そうじゃないんですけど」
「そうですか? ご遠慮なさらないでくださいね? 聖女様なのですから、もっと高価な宝飾品をお求めになってもよろしいかと存じますよ」
そうは言われても、宝石なんて普段身に付けるには失くしてしまいそうで怖いし、夜会やお茶会だなんて滅多に出席しないから出番も少ないし。何より高価なものだから、どれが欲しいかと言われても選びきれないし、いざ買うとなると腰が引けてしまう。
もしかして、これって貧乏性っていう奴なのかな……?
翌日。朝食をとった後、また前日と同じように侍女さん達とお菓子作りに興じていると、ウォルターさんが厨房にやってきて、城から早馬が来ていると告げた。
昨日、病休を隠れ蓑にした謹慎処分を言い渡されたばっかりなのに、もうお許しがでたのかな。
慌ててエプロンと頭を覆っていた布を外して厨房を出ると、ノアさんに乱れた髪や服を整えて貰い、足早に応接室へと向かう。
けれど、そこで待っていたのは、きっちりと騎士の制服を着たファリス様だった。
「どうなさったのですか? ファリス様」
「どうも何も、宰相閣下からの命令書を届けにきたのだ」
差し出された封書を受け取りながら、謹慎処分を受けているのは自分だけだったという事実にショックを隠し切れない。……確かにファリス様は純粋に巻き込まれただけだから、当然と言えば当然なんだけど。
「初めてリナの屋敷を訪ねたのだが、いいところだな。城からは少し離れすぎているが、閑静で景色もいい。……どうした?」
ファリス様に顔を覗き込まれて、自分が命令書を皺になるくらい力を込めて掴んでいることに気付いた。
「ファリス様は、昨日も普段通り勤務なさったんですよね?」
「ああ。それがどうした…………もしかして、リナは自分が一昨日のことで謹慎を命じられていると本気で思っているのか?」
「そうではありません、と何度も申し上げたのですが」
私の背後に控えているウォルターさんが溜息交じりにそう言うのが聞こえた。
「執事の言う通りだぞ、リナ。これは陛下の御命令なのだ」
「陛下の?」
「一昨日、城に戻った後、廊下でフェルゼナットの王弟と出くわしだだろう? あれは、陛下にとっても想定外だった」
長い話になるから座れ、とまるで屋敷の主みたいにファリス様から言われてソファに腰掛けた。ノアさんが淹れてくれたお茶を飲みながら、ファリス様の説明を聞く。
「あの日、従来のリナの行動範囲と、あの王弟との行動範囲は重なるはずがなかった。そうなるように、綿密に計画が立てられていたからな。ところが、リザヴェントが想定外の行動を取ったせいでそれが狂ってしまった。その結果、王弟が陛下との会食に向かう時刻にリナがまだ城内にいるという状況を招き、廊下で出くわしてしまったという訳だ」
「……えっと、その、私とその王弟殿下が会うっていうのは、そんなに拙いことなんですか?」
確かに、農婦の格好なんてしているところを見られたのは確実に拙いことだろうけど、でも、そもそも顔を合わせること自体、事前に回避しようとされていたなんて、どうして?
首を傾げると、ファリス様は深い溜息を吐いた。
「リナ。フェルゼナットは一筋縄ではいかない国だ。我が国と帝国の間にある彼の国は、帝国との交易に欠かせない国であり、帝国の覇権的野望からの防波堤でもある。と同時に帝国と組んで我が国に攻め込んでくる可能性も排除できない、油断のならない国でもあるのだ」
「じゃあ、とっても重要な国なんですね。それなのに、私、あの御方にちゃんと挨拶もしなかったんです。やっぱり、拙かったですよね」
あの人にとってみれば、聖女様と呼ばれるからにはどんな素晴らしい人だろうと期待していたに違いない。それが、あんな挨拶もできない農婦みたいな恰好をした子だったんだから、さぞかし期待外れだっただろうな。……ううん、それだけじゃなく、この国自体が舐められてしまったとしたら。
「そうじゃない。……何と言って説明すればいいのか。とにかく、フェルゼナットは難しい相手なのだ。だから陛下は、不用意にあの王弟とリナを接触させたくなかった。なのに俺は、ただの護衛騎士という立場でしかないから、あの場ではあの王弟のすることを、ただ見ていることしかできなかった」
そう言って小さく溜息を吐き、肩を落としたファリス様を呆然と見つめる。あの時、隣にいたファリス様がそんな風に歯がゆい思いをしていたなんて、全く思いもよらなかった。
「リナ。あの男には気を付けろ。あの男の言う事を真に受けるな。言葉の裏側には必ず何かある。あの男が我が国に滞在する予定はあと半月ほどだ。その間、お前をずっと体調不良にして城から遠ざけておく訳にもいかない。そんなに長期間体調を崩させるほどひどい扱いをしているだの何だのと、難癖をつけてくるのがオチだからな」
そう言えば、昨日、馬車の中でウォルターさんにも似たようなことを言われた。どうやら、あの隣国の王弟殿下は、とっても面倒な相手らしい。
「分かりました。ちゃんと気をつけますから大丈夫ですよ」
そう答えると、ファリス様は上目遣いにこっちを窺いながら、年齢的にはリナの好みだからどうのこうのとブツブツ呟いていた。
失礼ですね。確かに、アデルハイドさんといいトライネル様といい、好きになった人達はあの王弟殿下と同じくらいの年齢かも知れないけれど、誰でもいいっていう訳じゃないんですからね!