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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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33.粗末に扱われているの?

 ……え? どういう意味?

 言われた意味が分からずにフリーズしている私の前で、その人はいきなり衣擦れの音高く片膝を床に着き、私の右手を取ると、大きな両手で包み込むように握った。

 突然のことに驚きつつも、異国の人らしき高位の貴族の手を振り払っていいものか分からず、顔も身体も強張らせたまま動けずにいると、その人は憐れむような表情でこちらを見上げてくる。

「聖女殿ともあろう御方が、まるで農婦のごとき衣服を纏い、手を荒らし、このような時刻まで働いておられるとは」

「あ、……あの、これは」

 今日は偶然、いろんな事情があってこんな格好なんです、と説明しようと口を開きかけた時だった。

「我が国ならば、あなたをこのように粗末に扱ったりなどしない」

 真剣な顔でそう言われ、息を飲んだ。

 粗末に、って、……私、粗末に扱われているの?

「サムエル殿下」

 その時、宰相閣下の声が聞こえ、その人は素早く私の右の指に口づけを落とすと立ち上がった。

 この男性達の後を追うようにして、騎士二名を伴った宰相閣下が現れた。閣下は視界に私達を捉えると、驚いたように一瞬目を見開いたけれど、何か声を掛けてくる訳でもなく、そのままサムエル殿下と呼ばれた人に向き直った。

「どうかなさいましたか」

「いや。偶然、救国の聖女殿にお会いする機会を得たので、ご挨拶をしていたのですよ。いや、噂に違わず、神々しくお美しい方だ」

 ブッ、と思わず吹き出してしまい、慌てて口を押える。……ちょっと、誰だか存じませんが、社交辞令とはいえ褒め過ぎですよ。ほら、周囲の皆さんも呆れ顔若しくは苦笑いじゃないですか~。

 あまりの恥ずかしさに顔が熱くなって、両手で頬を押さえながら、上目遣いで周囲の反応を窺う。

 そして、宰相閣下の表情が視界に入った途端、スウッと全身から血の気が引いていった。

 か、閣下、怒ってる!?

 基本、温厚で穏やかな閣下の表情は強張っていて、こちらを見る目は痛いくらい冷ややかだ。

 そりゃそうだ。だって、仕事の途中で何の許可も取らずにいきなりハイランディア侯爵領まで飛んで行っちゃったんだもん。いくらリザヴェント様が暴走したっていっても、そのきっかけを作ってしまったのは私なんだし。

 偽装婚約破棄云々の件以降、宰相閣下がまだ完全に私の事を許してくれていないんだろうなとは感じていた。だから今回、私の言動のせいでリザヴェント様が突発的な行動を取ってしまったことに、そうとう怒っているんだろう。おまけに、見え透いた社交辞令という名の嘘に浮かれているところなんて見ちゃった日には、いくら懐の深い閣下といえども堪忍袋の緒も切れようというものだ。

 ああ、拙いなぁ。役に立ちそうな薬草の情報を持ち帰ったとか、そんなんじゃ許してくれないんだろうなぁ……。

 しょんぼり項垂れる私に、宰相閣下の声が投げかけられる。

「リナ殿、本日はご苦労だった。報告は明日受けることにする。今日はもう帰って休むといい」

「はい……」

 うわぁ、閣下、声も表情も引きつってる。今日の所は帰っていいけど、明日きっちり説教させてもらうぞってことだよね……。

 溜息交じりに返事を返すと、不意に横から手が伸びてきて引き寄せられた。

「リナ、行くぞ」

 耳元でファリス様がそう囁く。耳の中に息が入るくらい口が近くにあって、驚きのあまり体も心臓もビクッと跳ねてしまった。

「サムエル殿下。我が王がお待ちです。さあ、こちらへ」

 異国の殿下と呼ばれる人と私との間に、宰相閣下とファリス様が割り込む形になり、私は促されるまま反対方向へと歩き出した。

 けれど、何故だかあの人がまだこっちを見ているような気がして、振り向いてみたいという衝動が走った。けれど、振り向いちゃいけないと自分に言い聞かせて、ファリス様に促されるまま、肩を竦めながら足を速めた。



「大変でございましたね」

 馬車の向かい側に座るウォルターさんの膝の上には、今朝私が着ていたドレスが乗っている。

 城まで迎えに来ていた我が家の馬車と一緒にウォルターさんが待っていたのは少し驚いたけれど、そういえばトレウ村の山の中で私が行方不明になった時もはるばる迎えに来てくれたくらいだから、また今日も心配をかけてしまったのかも知れない。

 でも、今は以前のように委縮したりしないのは、お菓子作りの件で、ウォルターさんが私のことを気遣ってくれていることに気付いたからだ。

 そもそも、見た目も言動も完璧なウォルターさんに気後れして、言われることにいちいち過敏に反応し過ぎて、壁を作っていたのは私の方だ。きっとウォルターさんは、私が貴族社会で困らないようにと必死でアドバイスしてくれていただけなのに。

 そう思ったら、今までの苦手意識が薄れて気が楽になってきた。それと同時に、今まで無表情で冷たい印象だったウォルターさんの表情まで、少し柔らかくなってきたような気がする。お互い、歩み寄るって大事なことだよね。

「また皆さんにご心配かけてしまいました」

「いいえ、とんでもございません。寧ろ、今回リナ様は被害者です」

 強張った口調でそう言い切った後、ウォルターさんが「あのイカレ魔導師が……」って口走ったように聞こえたんだけど、首を傾げると、何でもありませんと冷静に否定されてしまった。

「でも、私のせいでファリス様にも貴重な時間を使わせてしまって」

「あの御方は、別にそんなことは気にしておられませんよ。寧ろ、役得だと思われているのではありませんか?」

「え?」

「ですので、リナ様がそこまで気に病む必要はございません」

 う~ん。仕事を抜け出して一日田舎でのんびりリフレッシュできてラッキー、ってことだろうか。でも、ファリス様は閑静な田舎で癒されるタイプじゃないと思うんだけどな。

「あ、そうそう。聞きたいことがあったんです。例えば、ファリス様が副団長に復帰する時、私がお祝いの席を設ける、だなんてことしたら非常識ですか?」

 そう訊くと、ウォルターさんは月明かりしかない馬車の中でも分かるくらい眉間に深い皺を寄せた。

「そういったことは、デュラン侯爵家、もしくは騎士団が主催するものではないかと。そういう席にリナ様が呼ばれて参加するという形が通常ではないでしょうか」

「ですよね……」

 やっぱりそうだよね。友達同士で、試験の合格祝いにハンバーガー食べに行こうって、そんなお気楽なもんじゃ済まされないんだから。

 仕方がない。もし復帰祝いのパーティが開かれるとしたら、お祝いの品を持って参加しよう。もし呼ばれなかったとしても、何かお祝いの品を贈るとか。……ああ、でも、そうなったら何を贈ればいいんだろう。

 溜息を吐いた時、ウォルターさんが小さく咳払いをした。

「そう言えば、リナ様はまだ、お屋敷に誰も招いていらっしゃいませんね」

「そうですね。はっ、まさか、それも非常識……」

「そうではなく。仲の良いご友人の方々を、お屋敷に招待なさってお茶会等を開くというのはどうでしょう」

 ……仲の良いご友人。

 その言葉が胸にズンと重く伸し掛かった。

 果たして、王女様以外に、私の事を友達だと思ってくれている人はいるのだろうか。

 誘われて参加するお茶会でも呼ばれて参加する夜会でも、上辺だけの挨拶程度で終わる人達ばかり。同い年ぐらいの貴族令嬢達には嫌われているし。

「いい考えですね。検討しておきます」

 でも、本当の事を口に出すのは悲し過ぎるから、そうさらりと流し、話を逸らす為に別の話題を振った。

「そう言えば、サムエル殿下ってどなたか知っていますか?」

「サムエル……? 隣国フェルゼナットの王弟殿下だと思われますが、どうなされたのですか? まさか、どこかでお会いなされたとか」

「はい。さっき、お城の廊下でばったり」

 そう答えると、ウォルターさんは顔に手を当てて深い溜息を吐いた。

「やっぱり、お城でこんな格好をしているところを見られたら拙かったですよね……」

「何か言われたのですか?」

「何だか、すごく哀れむようなことを言われてしまいました。びっくりしちゃって、いつもはこんなんじゃないんです、って説明も出来ず仕舞いで」

 ――我が国ならば、あなたをこのように粗末に扱ったりなどしない。

 あの真剣な眼差しと、低いながらも胸に響くような声を思い出して、胸がざわつく。

 元の世界からこの国に召喚されて、そのまま王女様を救出する旅に出て、帰って来てからはずっとこの国で過ごしてきた。だから、私にとってこの世界での価値観は、全部この国で与えられ、培われてきたものだ。

 でも、もしかしたら別の国では違うのかも。他国の人から今の私を見れば、聖女様なのに粗末に扱われているなって思うのかな。

 ああ、でも、あの人は今日の私の格好と、たまたま畑仕事を手伝ったせいで荒れた手と、迎えが遅くなってこんな時間まで城にいた私を見て勘違いしただけなんだろう。今度会ったら、ちゃんと貴族として扱って貰って、充分に贅沢な生活をさせて貰ってますって誤解を解かなくちゃ。

「リナ様」

 不意に低い声で呼ばれて顔を上げると、ウォルターさんが怖いくらい顔を強張らせてこっちを見つめていた。

「あの方にはお気を付けください」

「えっ?」

「言われたことを真に受けてはいけません。フェルゼナットは隣国であり、表向きは友好的に接していても、常に我が国と緊張関係にあるのです。あの方がリナ様に興味を抱くのも、何らかの意図があってのことです」

「……そんなに怖いことなんだ」

 どうやら、本気で哀れまれた訳じゃないみたいだけど、じゃああの人はどういう意図であんなことを言ったんだろう。

 想像もつかないけど、何だかそら恐ろしいものを感じて、ぎゅっと自分自身を抱き締めた。


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