32.お迎えが遅い
食事の後片付けを終えた後、午後から畑に出て薬草の収穫を手伝いつつ、エドワルド様に薬草の種類や効能を教えてもらった。
ハイデラルシアの子供たちは、午後からは姿を見せなかった。その理由をエドワルド様に訊くと、彼らも神殿の敷地内に畑を与えられているので、そっちの作業や家の手伝いをしなければならないんだそうだ。
ハイランディア侯爵家や神殿の保護で生活するのではなく、彼らがこの地でできるだけ自立した生活を送れるようにという方針が取られているらしい。
籠が収穫した薬草でいっぱいになると、エドワルド様は宿舎の裏手にある小屋に向かった。その中は薬草の匂いが充満していて、長くいると鼻がおかしくなってしまいそうだった。
「ここが僕の研究所だよ。ここで薬草を加工したり調合したりしているんだ」
ちょっと自慢気なエドワルド様の声に見回してみれば、小さめの竈やらすり鉢やら、どうやって使うのか分からないような道具が所せましと並べられている。
実際にどうやって薬草を加工しているのか見たかったけれど、作業にはとても時間がかかるそうなので、今日の所は断念することにした。
その代わりに、エドワルド様から出来上がった薬を幾つか渡される。
「これが青露草から作った軟膏。効能と使用方法はさっき説明した通りだよ。こっちが赤陽草の煎じ薬。出血多量の者に煎じて飲ませれば血を補う作用が期待できる。で、こっちが……」
矢継ぎ早に説明され、ワタワタしながら紙に書き留めていく。いつものメモ帳は対魔情報戦略室の机の上に置いてきてしまったので、エドワルド様から頂いた紙にお借りしたペンを使っている。
その間、ファリス様は不機嫌そうな顔で机に肘を着き、こっちのやり取りを眺めていた。
城下に下りる訳でもなく、ギルドを訪ねる訳でもない。何の危険も無いハイランディア侯爵領の小さな神殿に、果たしてわざわざファリス様が護衛としてついてくる必要があったのかな。
宰相閣下によると、ファリス様は近々副団長として復帰することになっているらしい。だとすれば、色々と準備とか調整なんかで忙しいはず。それなのに私のせいで丸一日時間を潰すことになってしまっただなんて、本当にもうどうやってお詫びしていいものか分からない。
お詫びといえば、サストの街で買ったアクセサリーがもうそろそろ届くはずだ。あれから更にご迷惑をおかけしているけれど、取り敢えずは感謝の気持ちを込めてあのペンダントを贈ろう。それから、副団長に復帰する時にはお祝いなんかしてあげたいな。
……あ、でもそこまでしたら拙いのかな。一応、ファリス様はキャスリーン嬢という婚約者がいる訳だし。それに、お祝いもご実家の方ですでに予定されているかも知れないし。
……うーん、難しいな。そうだ、こういう時、常識的な貴族の振る舞いを、帰ってからウォルターさんに相談してみようっと。
「リナ、聞いてる?」
いきなりエドワルド様に至近距離から顔を覗き込まれた。ハッと我に返って誤魔化すように笑うと、やっぱりリナはリナだね、と呆れたように溜息を吐かれてしまった。
ドレスは一人で脱ぐのは何とかできるけれど、着るとなると至難の業だ。誰かに手伝って貰えればいいんだけれど、まさかファリス様やエドワルド様にお願いする訳にもいかない。
フラウはこのワンピースはもうきつくて着られなくなったと言っていたから、悩んだ末に今日の所は借りておくことにした。このまま着て帰って家で洗濯して、その後送るなり、またこの神殿に来た時に持っていくなりして返すことにする。明日、エドワルド様がフラウにそう伝えてくれることになった。
日が傾き、そろそろリザヴェント様が迎えに来る頃だと神殿に移動して待っていたけれど、太陽が地平線の向こうに沈んで夕闇が辺りを包んでも、神殿の魔法陣には何の変化も無い。
「まさかあの男、俺達の事をすっかり忘れている訳じゃないだろうな」
苛立ちを隠せないファリス様が、怒りの滲んだ声で低く唸る。
「……ああ、でも、リザヴェント様は凄く忙しい方ですから、仕事に追われて夕刻を過ぎていることに気付かずにいるのかも知れませんね」
「その可能性は大だな」
ファリス様が舌打ちした時、一度宿舎に戻っていたエドワルド様が、手燭を持って戻ってきた。
「何? まだ迎えは来ないのかい」
「はい、まだ。でも、もし来てくれなかったらどうすればいいでしょう」
今日一日どころか、何日もファリス様やエドワルド様に迷惑をかけることになったら、本当に何とお詫びしていいか分からない。取り敢えず、祭壇に向けて、早くリザヴェント様が迎えに来てくれるようお祈りしてみる。
祭壇に向かって念を送る私の背後で、エドワルド様が溜息交じりにぼやくのが聞こえてきた。
「困ったね。うちにはベッドは一つしかないし……。もしファリスが床で寝てくれるなら泊まれないこともないけれど」
「何だと? じゃあお前はリナとベッドで……!」
「そんな訳ないだろ! 僕も床で寝るってことだよ」
振り向けば、いきなり掴みかかってきたファリス様を、呆れたように振り払うエドワルド様の図。どうでもいいけど、何で私がベッドでお二人が床で寝ることになるの?
「あの、男同士なら同じベッドでも問題ないんじゃないでしょうか。だから私が床に寝て、お二人がベッドで一緒に……」
「「冗談じゃない」」
異口同音に、速攻で否定されてしまった。
まあ、確かに二十代の男性が二人、狭いベッドで添い寝するのは嫌だろうな……。
今晩の寝床はどうするか、それよりそろそろお腹も空いてきたし夕食はどうするかと深刻に悩み始めた頃、ようやく魔法陣が白く光り、その中からリザヴェント様が現れた。
「遅くなってすまなかった」
マイペースなリザヴェント様がしおらしく謝るのを見て、私達は顔を見合わせた。
「やっぱり、本当に俺達の事をすっかり忘れていたということか」
「いや、そうではない。何だ、やっぱりというのは。私のことをそういう風に疑っていたのか。心外だな」
柳眉を顰めてファリス様をひと睨みすると、リザヴェント様はこちらを見て目を丸くした。
「どうした、その格好は」
「ドレスでは動き辛くて、ハイデラルシアの方に服をお借りしたのです」
「動き辛い? それほど動く必要があったのか?」
不審げに目を細めたリザヴェント様の視線がエドワルド様に向く。けれど、エドワルド様は全く怖じる様子もなく、逆に余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「リナには、畑仕事を手伝って貰いました」
「何? 畑仕事だと? そんなことをリナにさせるとは……」
「それに、お昼にはスープも作って貰ったんですよ」
「なっ……」
「ああ、とても美味かった」
顔色を変えて絶句するリザヴェント様に、すかさずファリス様がちゃんといい評価を付け加えてくれた。そうそう、それが重要なんですよ。前みたいに激マズなものじゃなかったんですから。
「……そうか。私も食べたかったな」
長い指を唇に押し当て、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で呟いたリザヴェント様は、まるでおやつを食べ損ねた子供みたいで、思わずキュンとするぐらい可愛かった。
城へ戻ったのは、本当ならとっくに家に戻って夕食をとっているくらいの時間だった。城内は昼間と違って人の気配が少なく、静かなのに変な緊張感が漂っている。
今日はもう遅いので、対魔情報戦略室に寄らず、神殿から直接家に帰ることになった。
すでに聖女家の馬車が城の入り口で待機しているらしく、まだ仕事があるというリザヴェント様と別れ、同じく帰宅するファリス様の後ろについて歩く。エドワルド様から頂いた薬の入った袋や脱いだドレスは、神殿を出たところで待機していた城の侍女さん達が運んでくれている。
城内の廊下を歩いていると、ふと前を行くファリス様が足を止めた。
どうしたんだろうと思いつつ、歩みを止めると、ファリス様が半分身体を捻るようにして、左腕をこちらに伸ばしてきた。その手の動きからして、どうやら壁際に寄れと指示しているらしい。
疑問に思いながら従うと、足音や人の気配が廊下の向こう側から湧いて出てきたように近づいてきて、それは私の前を通過する直前で止まった。
「おや。そちらはもしや、噂の聖女殿では?」
豪華な衣服は、この国のものとは少し型や色使いが違う。何より、高位の貴族らしきその人の顔を、私はこれまで見たことがなかった。
薄い色合いの金髪を肩の下辺りまで伸ばし、同じ色合いの髭を形よく整えた、アデルハイドさんと同じくらいの年齢の男性は、細い眉を顰めて哀れむように私を見下ろした。
「ああ、何という事だ。救国の聖女に対して、このような扱いをしているとは」