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sen.  作者: 白井 滓太
3/6

千の十

 冬の木枯らしに雪迎えが空を舞っていた。今日も寒くなるのだろう。普段着ている制服の上にカーディガンを羽織り、通学用のコートを重ね、更に百姉から貰った、無意味に長いマフラーを首に巻きつけた。足元は、黒タイツを穿き、寒さへの対策は万全だった。憂鬱なのは、毎朝の通学手段である地下鉄だけだ。

 私は、人ごみというのはあまり好きではない。背が小さいというのも理由の一つだが、人とぶつからないように神経を使うのが、特に嫌いだ。けど、そのせいで自転車通学に切り替えるほどの根性もなく、家から遠い学校にしか受からなかった自分の頭の弱さを悔いるしかなかった。

 一週間の始まりはいつもこうだ。何かと卑屈になっている気がする。苦手な物ほど克服しろとは言うが、別に苦手なままでもいいとは思う。誰が得をするわけでも無いのに。

 見飽きた通学路には、最早何の感想も浮かばない。ただ平坦な道が続くだけだ。……いや、それどころか、今から学校に行くと考えただけで、私にとっては十三階段のようにも見えてきた。

 せめてもの癒しとして、ポケットの中にいつも忍ばせてある小説とチロルチョコレートが唯一の救いだ。

 続きを早く読みたいのを我慢して、小さな歩幅をいつもより早めに動かす……が、それも五分もしない内に疲れてしまった。風に揺蕩う横髪が煩わしく、マフラーの中にしまいこむ。

 髪も、随分伸びてきた。九月の初め頃に短く切ったというのに、もう肩口辺りまで伸びてしまっている。ちなみに、前髪は伸ばしていた方が好きなのだけど、校則の関係でこまめに自分で切っているので、さほど伸びてはいない。

 余り髪型にこだわりはないのだが、髪は短いほうが良い。いちいちセットしなくても済むし、寝癖が少々付いてても気にならない。ただ、美容院に行くのはどうも苦手だ。電話で予約することぐらいは苦にならないのだが、椅子に座り、髪を切られながら話しかけられると、言葉に詰まる。子どもの頃、母親が散髪していた時、耳たぶを少し切られたトラウマがあるので尚更だ。

 ……何も考えず歩いていくと、いつの間にか人が増えていることに気づく。考え事をしている間に駅周辺に着いていたようだ。ポケットから定期を取り出し、慣れた手つきでかざして改札を抜ける。最初の頃、定期の使い方が分からず、駅員に聞きに行った際に『お嬢ちゃんはこっちでも使えるんだよ』と小学生向けの料金の定期を勧められたのは良い思い出だった。

 人がたくさん行き交う中、駅構内へ入っていく。

 毎朝のことながら、既にいくつもの列が出来上がっており、その中でも比較的短い列を見つけると、素早くそこに並ぶ。

 数分待つと、地下鉄はすぐにやって来る。風を巻き上げ停車し、ドアが開いた。

 列を飲み込み、再びドアを閉めたのを見つめていると、地下鉄は『霜原しもばる』を後にする。

 学校へは20分ほどの道程だ。

 席が空いている時なら読書を始めるのだが、生憎今日は身動きすら取れないでいた。

 高速で流れていく広告を見つめながら時間を潰していると、目的地のアナウンスが流れた。

 人の波に流されるまま地下鉄から降り、改札を通って駅から出る。その頃には、同じ制服を着ている生徒の姿が見え始めていた。

 駅を降りれば、学校までは近い。行き交う生徒の波に紛れ、歩を進める。そして、校門が見え始めると、気分は一気に沈んだ。

 あぁ、今日からまた退屈な学校生活が始まる。

 吐き気を催すほどの生徒の波に紛れながら、私は一歩、校門をくぐった。


 ◇


 午前の授業は普段それ程苦痛に感じないが、月曜日に関しては体育があるので、そうとも言えなかった。

 インドア派の私は、他聞に漏れず運動が苦手だ。けど、別に嫌いというわけではない。体を動かすのは気分が良いという気持ちは何となくわかる。問題は、運動というのは一人では出来ないということだ。体を動かしたい気持ちとは裏腹に、運動神経が追いついていないので、他の人の足を引っ張ってしまうのは、いつも申し訳なく思う。

 今日はバレーボールだったので、いつものように、あまり喋ったことのない人達と組まされた後は、球拾い要員として腕を振るった。

 体育も終わり、昼休みになると、疲れきった体を引きずり、教室から中庭まで移動する。

 ベンチに腰を下ろして、まだ痺れたように震える手で、ポケットからチロルチョコレートと小説を取り出し、ようやく癒しの一時を始めることができた。

 持ってきたのは『星の王子さま』という本だ。タイトルは知っていたが、改めて読んだことはなく、古書店に行った際に見つけたので購入しておいた。

 チョコを一口齧り、そそくさとページを捲る。校舎から少し離れたこの場所は、昼休みの賑やかな声が遠く聞こえて程良い。

 入学当初は、クラスメートもそれなりに来ていて、本を話題に色々と話しかけてこられることもあったが、今となってはみんな教室で食べるようになり、わざわざこんな所まで来る人はいなかった。かように、本を読む人の「面白い」と読まない人の「面白い」には、根本的な差がある。後者は仲間を欲しがるけれど、前者は静寂のみを望むものだ。

 紙を捲る音が次第に早くなり始め、物語に没頭する。

 ……三十分ぐらい経った頃だろうか。いつも昼休みの終わりいっぱいまで読書をしていることが多いけれど、キリが良いので、今日はこのくらいで止めておく。ポケットの中に入ったチロル二本分のゴミを捨てるついでに飲み物を買おうと思い、中庭を後にした。

 ……自販機もあるが、中庭からだと購買部の方が近い。内装は駅の売店のようであり、入口はなく小規模だが、割となんでも揃っている。おまけに、昼休みの終わり間際なので、人も少なく、買い物もしやすかった。

 冷蔵庫の中から『いちごミルク』を取り出し、会計を済ませると店を出る。そして、設置されたゴミ箱にストローの袋を捨てて、その場で飲み始めた。

 やはり、いちごミルクは美味しい。これは、一つの答えだ。

 学生たちが行き交う姿を横目に、廊下を歩いていると、女子を連れて歩く、ある男子生徒の姿が目についた。

 彼のことは、知っている。名前は深谷ふかや 幸太こうた。小学校高学年の時までは、一緒に遊んだりしていた。端的に言えば、幼馴染というのだろうか。今となっては当時の面影はなく、むしろ、幼馴染で申し訳ないぐらいの好青年になっている。

 昔は私の方が身長も高かったのに、今となっては、父親と子どもくらいの差があった。

「……」

 二人は仲良く話をしながら歩いていく。その関係は、火を見るよりも明らかだった。

 結局、私は彼の『線』とは交われなかったということだ。

 そういう関係になりたかったわけではないけれど、昔からの知り合いと全く話さなくなるというのは、少し悲しかった。

 ストローを吸いながら、その様子を見送る。生徒たちが通り過ぎる中、結局幸ちゃんは一度もこちらを振り返ることはなかった。


 ◇


 長い一日も終わり、部活動生が青春に汗を流す中、早々に校門をくぐる。

 結局、今日発した言葉はいちごミルクを買うときに言った「520円から……」のみだった。

 後は、逆再生のように朝来た道を、ぼんやり歩いていると家に辿り着いていた。

 すっかり静まり返った家の中に「ただいま」を言うと、ちょこが二階からトコトコと足音を鳴らして降りてくる。寝ていたらしく、足元に来ると、大きなあくびをしていた。

 両親も姉もこの時間は基本的に仕事や大学に行っているため、家にいない。なので、のびのびと過ごすことができる。

 とりあえず、まずは一息つこうと思い、お風呂に入ることにした。今日は体育があったので、それなりに汗をかいている。

 ……夜にも入ろうと思っているので、さっと身体を流すだけに留め、お風呂から上がった後は、スウェットに着替えて半纏を上から羽織り、牛乳をコップ一杯飲み干す。

 そうしてさっぱりしたあとは、自室に篭もり、晩ご飯ができるまで、昨日の続きのライトノベルを読む。これが、帰宅部生の嗜み方だ。我ながら、完璧な活動内容だった。

 昼間読んでいた『星の王子さま』の続きも気になるところだが、自分の中のルールとして、家で読む本と外で読む本とは分けている。

 ベッドに寝転がり、うつ伏せになると、枕元に置いていた本を取って、早速読み始める。

 しばらくすると、ちょこもベッドの上に乗って、お腹の辺りに座りこんでくる。私という、良い枕を手に入れたちょこは、遠慮なく毛づくろいを始めた。

 室内に、ページを捲る音と、ちょこの寝息が聞こえ始める。

 ……変わらない。いつもと何一つ変わらない毎日だ。

 この後、ご飯を食べた後は、またお風呂に浸かり、本を読んで、就寝する。

 なんと贅沢な生活だろうか。友達がいなくても、こんなに幸せなのだということを教えてあげたいくらいだ。

 そうやって、幸せを噛みしめていた時、ふいに家の電話が鳴り響いた。

 こんな時間に誰だろう? と思いながら二階に置いてある子機を取って電話に出る。

「もしもし、姫宮ですけど……?」

『…………千ちゃん?』

 少し間があった後、声が聞こえた。その声の主が十姉であるとすぐに気づく。

 時々私から電話をかけることはあったが、向こうから、しかも夕方という中途半端な時間に連絡が来るのは珍しい。

「どうしたの? 何か用事?」

『ん……そうだね。お父さんとお母さんは仕事?』

「うん。ついでに言えば百姉は大学」

『あははは、ついでって』

 軽やかな、十姉の笑い声が聞こえる。

「十姉は? 仕事じゃないの?」

 大学を無事卒業した十姉は、今年の四月から働き始めている。この前電話した時は『忙しくて大変だけど楽しいよ』と言っていたのが印象的だった。

『うん……。ちょっと休憩。千ちゃんは学校帰りかな?』

「そうだよ」

『どう? 学校は楽しい?』

 いきなり学校のことについて聞かれ、戸惑う。基本的に家族には学校のことについてあまり話さない。それは別に話したくないわけではなく、話すべき内容がないからだ。

「うん。楽しいよ」

 なので、そういう時は、聞かれたことをそのまま引用することにしている。

「あ、そういえば、この前十姉が好きな作家さんの新刊が出てたよ」

そして、速やかに話題を変えるのが吉だ。疚しいことなどはないが、無闇に心配させるような必要もない。

『そうなんだ。じゃあ、後から買いに行かないと。もう読んだの?』

「私はもう読んだよ。結構面白かった」

 あらすじをザッと伝えて、感想を述べると姉は『うん、うん』と優しげにうなづいてくれていた。聞き手が親身に聞いてくれるというのは、話し手側としても嬉しく、つい長々と感想を語ってしまう。

 これが百姉ならば、うっかりネタバレを話してしまうと怒られるが、十姉はネタバレをしても平気な性格なので、それも安心して話せる要因だ。

 長々と感想を述べた後、十姉が仕事中だったことを思い出す。

「ごめん、つい長く話しすぎちゃった」

『いいよ。千ちゃんは読書が大好きだもんね』

 十姉が嬉しそうにそう言うので、なんだか少し気恥ずかしくなり、そろそろ電話を切ることにした。

「……じゃあまた」

『うん。お父さんとお母さんと、それから百ちゃんによろしくね。……じゃあね』

 十姉の言葉を聞き、電話を切る。相変わらず、十姉は優しかった。それだけに少し心配でもあるのだが。

 子機を元に戻して、また続きを読もうと自室に戻る。

 ……そういえば、十姉が何の用事で電話をしてきたのか聞き忘れていたが、まぁ……それは、今度電話した時に聞いておこう。

 陽の暮れ始めた部屋には、斜陽が差し込んでいた。まだ誰も帰ってくる様子はない。

 結局、夕飯に呼ばれる頃には、ライトノベルは読み終わっていた。


 ◇


 二度目の入浴を済ませ、部屋に入る。

 隣の部屋からは百姉の話し声が聞こえてきた。

 最近、スカイプ? というものを始めたらしく、頻繁に話していることが多い。

 私もそういったIT系のツールには、興味はあるのだが、父親から固く禁止されているので携帯すら買ってもらえていない。理由は、物騒な事件が多いのと、そういったものにのめり込まないように、ということらしい。

 今時、アナクロな女子高生も珍しいものだが、ネットを見るよりも、読書をした方が楽しいし、友達もいないので、別に困ることはなかった。

 入浴後の火照った体を冷まそうと窓を少し開けると、すきま風が吹き込んできた。

 今日は風が強いらしい。諦めて窓を閉めなおす。

 いつも布団に寝ているちょこは、今日はなぜか興奮しており、家の中を走り回っているので部屋には不在だ。おかげでのびのびと体を伸ばしてベッドに寝転がることができた。

 読んでいたラノベを夕方読み終わったので、新しい物を本棚から選んできた。以前に買っていて忘れていた夏目漱石の本だ。

 タイトルは『道草』という。

 少し前に『吾輩は猫である』と『こころ』を読んだことがあり、その際に一緒に購入したものだ。

 たまに見かける旧千円札の人物が、一体どんな物を書いていたのだろうと、興味本位で読み始めたのだが、やはり偉人の本は面白かった。

 個人的には昔の小説の方が味があって好きなのだが、かと言って、新しい小説が嫌いなわけではない。

 最近では、今の若者は『間違った日本語を使っている』と言われていたりするけれど、平安時代の言葉を今でも使っていたらおかしいだろう。

 時代が流れるように、古い言葉もまた淘汰され、新しい言葉が生まれていく。それでいいのだと思う。

 うつ伏せのまま肘をつき、大人買いしていた箱の中から出してきた、チロルチョコを齧りながらページを捲る。行儀の悪い格好だが、この姿勢が一番楽だ。

 食の細い私は、夕飯をすぐ残してしまうので、母親からはお菓子類を禁止されているのだが、これはお小遣いの中から購入した秘蔵のものである。私にとっては主食だ。

 読み始めると、隣から扉が閉まる音が聞こえた。百姉がお風呂に入るのだろう。

 そういえば、いつの間にか話し声がしなくなったな、と思っていると、ドアが開いた。隙間からちょこが顔を出し、我が物顔で部屋に入ってくる。ちょこが部屋に入ると、また無言でドアは閉まる。

 ちょこは、部屋の前で待っていることがよくある。多分、それを見た百姉が開けたのだろう。

 走り回り疲れてしまったちょこは、ベッドを一瞥し、私がいることを確認すると、椅子の方に飛び乗り毛づくろいを始めた。

 ちょこには申し訳ないけれど、私も読書中なので、譲る気はなかった。

 ちょこは毛づくろいが終わると、体を丸めて横になり、それを横目に再び読書へと集中した。


 ◇


 ……二時間ほど経っただろうか。

 読んでいる内に、無意識に足をパタパタと動かしていると足元から「にゃあ」と鳴き声が聞こえる。驚いて、足元を見ると、ちょこが目を見開いてこちらを見ていた。

 首輪についている鈴が、チリンと揺れる。

 いつの間にか、ちょこが来ていたことに気づかないほど集中していたということだろうか。完全に作品の世界観に没入していた頭を軽く振って切り替える。

 集中して本を読んだ後は、現実とのギャップに放心してしまうことがよくある。

 一呼吸置いて、起き上がると、大きく伸びをした。明日も早いので、今日の読書はここまでにしておこう。

 読みかけのページに猫をモチーフにした栞を挟む。

 寝る準備をする前に、日課を書く為、机に向かった。

 一言に日課というが、一応読んでいる本の文体と被らないように気をつけている。でないと、統一感が無いし、何より他人の文章に似せて書いても、それは私の言葉ではない。こういう物は、書いた人の人間性が如実に表れるものだ。

 まずは一日を振り返り、頭の中で筋書きを決めて、ノートとシャーペンを取る……と、簡単には言うが、筋書きを決めるところでいつも時間がかかってしまう。どれぐらい書くかというルールは特に設けていないので、文章量は日によって変わるが、それでも一日のことを書くので、少なくともページの半分くらいの量にはなる。

 チロルを齧りつつ、頭を捻り、ようやくどういう風に書くか纏まった時には、時間は零時を過ぎていた。

 明日も当然学校がある。急いで書いてしまおうと、ようやく書き始めた時、ふいに気配を感じ、後ろを振り返った。

 ……そこには百姉が何も言わずに立っていた。不意打ちに、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。

「……ど、どうしたの?」

 何も喋ろうとしない百姉にこちらから話しかけてみたが、返事はない。

 ただ、様子が違うことは何となくわかった。茫然自失というのだろうか。ドアに寄りかかり、伏し目がちにしている。

 普段、気丈な百姉にしては、珍しかった。

「十姉が、」

 遅れて、返事が帰ってくる。その声は震えていた。

「十姉が何?」

 そういえば、夕方電話があったことを伝えるのを忘れていた。何かあったのだろうか。更に聞き返すが、返事はすぐにこず、やがて、百姉はようやく重い口を開く。


「十姉が、亡くなったって……」



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