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sen.  作者: 白井 滓太
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千の一

 お風呂から上がると、温まった体から湯気が立ち上っていることに気づいた。

『浸かりすぎだ』という父の言葉をのぼせた頭で軽く往なし、二階の自室に上がると、窓を開けて冷たい空気を取り入れた。

 澄んだ12月の空気が、体に心地よく染み渡っていく。

 机の上に置いてあるチロルチョコレートを一つ手に取り、糖分を補給した。ミルクヌガーの入った、三連タイプのものだ。

 夕飯に、鶏肉が出た為、今日はろくに食べていない。母親は、私が肉類が苦手なことを知っているというのに。

 母親にそう言うと『好き嫌いをしている方が悪い』と返されるので何も言い返せなくなる。体に栄養が行き届いていないせいか、高校生になったというのに全体的な発育が悪いのも否めない。しかし、その為に、あんなぐにぐにした油の塊のような物を飲み込むのは、苦行だった。

 風呂上がりの余韻に浸っていると、部屋のドアがノックされる。入っていいことを伝えるとドアが開き、愛猫のちょこが無遠慮に入ってきた。

 指先を差し出し、名前を呼ぶと、鼻を擦り付けてくる。何と愛らしいことだろう。

せん、お風呂上がったの?」

 ちょこを愛でていると、ドアの所に立っていた姉のももが話しかける。もちろん、気づいていなかったわけではない。どうせそのことだろうと思って、猫を愛でるのを優先したまでだ。

「うん。上がったよ」

「やっと上がったのね。あんたお風呂好きだから」

「でも、今日は二時間くらいしか入ってないよ?」

「それが、長すぎだっての。お父さんもお母さんもぼやいてるよ」

 確かに私はお風呂が好きだ。お風呂の中でゆっくりした時間を過ごすのと、何よりお風呂上がりの匂いが好きだ。けど、後に入る家族の迷惑は理解しているつもりで、普段はみんなより後に入るように、ちゃんと気をつけている。今日はたまたま両親ともテレビのバラエティーを見ており、部屋を覗くと姉もスカイプ?というもので誰かと話をしていたので、先に入っただけだ。……だが、ここで姉とそんな言い争いを繰り広げるのも不毛なので素直に気をつける、と言って、素直な妹を演じた。

「大体あんた、お昼も入ってなかった?」

「入ったけど?」

 悪びれもせずそう言うと、姉は嘆息し、そのまま何も言わず階段を降りていった。

 姉が何を言いたかったのかは、何となくわかったが、お風呂くらい自由に入らせて欲しい。仕方ないじゃないか。お風呂に入るのは、一日の中でも一、二を争うほどの楽しみなのだから。私は清潔感の無い腐女子や汚ギャルとは違うのだ。

 ……思うに、体臭というのは、容姿やファッションセンスよりも人の印象を変えると思う。

 指先に鼻を擦りつけていたちょこは満足したのか、窓の桟に飛び乗り、夜景鑑賞と洒落込んでいた。落ちないように網戸を閉め、体が冷めるまでそれに付き合う。

 百姉に小言を言われたせいか、もう一人の姉のことが、ふと頭をよぎった。去年まで、この家には長女の十夏とおかという姉がいた。……過去形なのは、大学入学を機に上京してしまったからだ。感情の起伏が激しい百姉と違い、十姉は物腰も柔らかく、年も少し離れていたせいか、私は可愛がられてきた。

 なんでも、卒なくこなす百姉との違いは、十姉は何をやっても完璧にこなしてしまう、所謂才女という点だ。

 ちなみに、私はと言えば何をやっても裏目に出てしまい上手くいかない。多分この家は、生まれてきた順に落ちぶれていく法則があるのだと思う。

 卑屈になっていると、少し寒くなってきた。

 体から出ていた湯気はすっかり消えており、白い吐息だけが宙を舞う。ちょこに断りを入れて窓を閉めると、日課を書く為、机に向かった。

 私小説、と言えば聞こえはいいが、それほど高尚なものではない。どちらかといえば、日記に近いものだ。

 簡単に説明すると、今日起こった出来事を、普段読んでいる小説調に書いていく。ただそれだけだ。

 先で述べたように、成績は並程度しかない私だが、昔から文章だけは褒められることが多かった。だが、そんな私とは裏腹に両親の期待は十姉と百姉に集まっており、褒められたことどころか、真剣に読んでくれたことすら一度も無い。

 そんな中でも、十姉だけは『文才がある』と褒めてくれて、私は作文や小論文などを十姉に見せては褒められるのが、楽しみだった。

 ……書き終えると、一息つく。内容は、特に特筆すべきことはない。うんと背伸びをした後、ちょこを残して一階に降りた。

 牛乳をコップ二杯分一気飲みした後、簡単に洗い、戻しておく。そして、風呂場に併設してある洗面所で歯を磨いて自室に戻った。

 先に布団の上で寝てしまっていたらしいちょこは、部屋に入ったのに気づくと目を細めたまま頭を上げる。時計を見ると、十時を少し廻っていた。まだ寝るわけではないが、部屋の電気を消して、デスクライトを点ける。後は、眠くなるまで読みかけの本を読む。これも、日課になっている。

 一昨日までは古書店で一気買いした太宰治を読んでいたので、昨日からはソフトに、適当に買ったライトノベルを読んでいる。高校生にとっても貴重な土、日休みが終わり、明日からはまた学校だ。そのことを考慮しての選択でもあった。

 好きなジャンルは特にない。目に付けば、ライトノベルでも純文学でも推理小説でも児童文学でも手を出す。活字を読むというか、本を読むこと自体が純粋に好きなだけだ。

 ……一時間も読んでいると、次第に瞼が重くなり始める。いつの間にか布団の中に潜り込んでいるちょこの存在に気づくと読みかけの本に栞を挟んだ。明日からの、一週間の始まりの憂鬱さを感じながらライトも消す。

 体を冷やしすぎたらしく、指先や足先の感覚を感じないほど冷えていた。

 せめて、布団の中で温々と寝ているちょこの体温を寄る辺に、私は瞼を閉じた。

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