第8話 住まいを探そう!
「次はこの部屋です」
ザクライ少年は地図を見ながらそう言って、軍務塔二階、空き部屋のドアを開けた。
彼はルシアとシンカの試合に審判として立ち会った卒兵で、メイロンに世話役を押し付けられた可哀想な兵士だ。今日もその一環でシンカの住まい探しを手伝わされていた。
「さっきの部屋もそうだったが、どの部屋もこんな派手なのか」
「自分は見た事が無いので分かりません。地味な部屋がよろしいのでしょうか?」
「地味というか質素がいいな。一応全部見てみるか」
「それでしたら、地図では地下や城壁内部の部屋が質素かと思われますが?」
「そこから先に見てもいいか」
頷くと、ザクライはシンカに先立って地図に目を落としながら政務棟の階段を降りた。
地下は風通しと日当りが悪いかもしれない、という事で城壁内部の空き部屋から回ることになったが、ザクライが城壁一番上の四階まで昇ろうとした時、足音がついて来ない事に気づく。振り返ると、謎の大男はずいぶん後方で、開いたドアから室内を覗き込んでいた。
急いで引き返すと、シンカはその低い落ち着いた声で尋ねた。
「ここは駄目か?」
地図を見たがその部屋に印はついていない。しかしメイロンに『彼の意向をなるべく聞いて欲しい』とも言われていた。
「メイロン様に聞いて参ります」
「すまない。ここで待っている」
真面目なザクライ少年は、機密たるシンカを人通りのあるところに待たせる事が気がかりで、メイロンの執務室まで走った。
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「え、あそこ?」
事務管長メイロンはやけに高い声で驚いた。
「はい、アスミ様が気にしているご様子で」
「いいもなにも、あそこ物置ですよ? 狭いでしょう?」
「それが質素な部屋がいいと申しておりまして……許可頂ければ幸いなのですが」
「まぁいいでしょう。問題はありません」
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正式に許可をもらってザクライはまた走って戻った。戻った物置部屋の前に、シンカはいなかった。部屋の中を覗くと、彼は埃だらけの本棚を眺めている。中は本当に狭く、部屋と階段の隙間の余った空間を活用しただけのような物置だった。
「メイロン様が許可をくださいました」
「そうか、ありがとう。ここにするよ」
ほとんど心を決めているらしい返事だった。
「しかし……まだ見ていない部屋の方が多いですし、ここは物置という話ですが」
「ここがいいんだ。駄目か?」
「いえ、アスミ殿がそうおっしゃるなら、問題ないとの事であります」
それ以外に答えようもない。ザクライは改めて部屋の中を見渡した。物置と言うより資料室に近い。左手に本棚、右手に長いソファー、正面の窓の下に棚がある。一番気になるのは埃と塵だった。戸棚も窓も石壁も、どれも白っぽくくすんでいる。本棚には歴史の本や兵法書が、これまた埃をどっさり被り、いつとも知れない読まれる日を待ちながら眠っていた。
「それではこの部屋を掃除致しますので少々お時間を……」
これはシンカの左手の挙手でもって遮られる。
「自分で出来る事は自分でやる。それより欲しいものがいくつかあるんだが」
「どのようなものでしょうか?」
シンカは必要なものを、そこらの紙に箇条書きした。少年が渡された紙に書かれた文字は、習いたての児童かと見紛うものだった。
「これだけ持って来てくれないか。無いものは無理にとは言わない。明日でいいんだが」
「本……ですね? わかりました」
住処が決まった時点で、ザクライ少年の今日の役目は果たされたらしい。
「メイロン様に報告に行って参ります。また明日の朝、伺います」
最後にこう言って部屋を辞した。
それを見届けてから、シンカはすぐ部屋の掃除に取りかかった。その日は掃除だけで一日が終わってしまう程、埃や塵は積もっていた。掃除が終わると彼はまたすぐに寝てしまった。
……その晩、シンカは師匠の夢をみた。
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夢にはよく忘れそうな人が登場するなんて言うが、一概にそうでもないらしい。彼はこのところ、師匠や博士の夢ばかり見ていた。
場所は小さな木造のコテージらしい。もちろん夢だから、そんな風情は明らかではない。
世界でたった一人のシンカが敗北した相手……師匠はシンカに背中を向けて、いつも趣味でやっていたボトルシップを作っている。シンカはそんな背中に、自分の強くなりたい熱意をぶつけているらしい。
「なんで強くなりたいんだい?」
夢の中のシンカには答えがよく分からない。とにかく強くなりたい、とオウムみたいに繰り返す。
「意味ねえよ。やめちまえ、強くなるだけなんて。なんの意味もねえ……お前さん、食べる人もいないのに料理を作るのかい?」
シンカの声が急にはっきりして師匠に反論した。叫んでいるみたいだった。
「それが道なら、生き甲斐ならばやるでしょう! 探究心のみを力に、人は動くでしょう! 意味がなくとも、誰も見ずとも、人は趣味に没頭するでしょう!」
師匠はたぶん仏頂面だ……いつだってそうだったから。
「お前さんは趣味で人を傷つけるのかい? 意味も無くその術を極めようとするのかよ? 私に言わせりゃあ、それは不純そのもの、武の忌避する不純物だ」
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「それは極論だ!」
そう叫んだ彼の前に師匠はもういなかった。代わりに見慣れない天井とまだ拭いきれない埃の匂いが、自分のいる場所を教えてくれた。
シンカは思い出しながら、一人で口走った。
『それは極論だ、傷つく人を守る力もある。それは武術を学ぶ意味そのものじゃないか』
『全然違う。見当違いも甚だしい、奇麗言の戯れ言だ。第一なぜそれを一番最初に答えなかった。お前さんはそんな事のために強くなろうとしてるんじゃないだろう?』
寝台がわりのソファーに座りなおして『たぶんこんな問答だったかな』と、一人で苦笑した。
部屋は奇麗に片付いていた。ザクライ青年に頼んだ本のスペースも空けてある。自分にはしっくりくる部屋はここだと改めて実感した。これ以下は狭過ぎるがこれ以上は余分な間取りになる。
窓の外はもう明るい。その下の棚には一目見て気に入った調度品が整列している。
陶器のボトルインクに羽毛のペン、燭台は気泡が渦潮みたいにとけ込むガラスでできている。とりわけ気に入ったボトルシップの中では、今日も緻密な造りの帆船が追い風を抱き込んでいる。一番この場にそぐわない真っ黒なパドルは、本棚と壁の隙間に押し込んであった。
今自分にできる事は『知る事』だ。そう結論づけたからこそ本を読み漁っていた。ついでに言えば、あまり外を出歩かないで欲しいとメイロンに釘を打たれていた。
起きてすぐ本を読み出したが長くは持たなかった……シンカは腹が減っていた。
「失礼致します」
すぐに戸を開けると、両手の塞がった好青年が入って来る。ルシアよりも若く見えるので、好少年と言った方がいいだろう。
「昨日頼まれていた本を持って参りました。なるべく分かりやすく詳しいものを持ってきたつもりです」
「ありがとう。そこらに置いといてくれ」
ザクライは『そこら』と言われた場所を見て、昨日よりずいぶん見栄えが良い事に驚いていた。
床には読まないであろう本が丁寧に紐で括られている。
「アスミ殿はずいぶん読書がお好きなのでありますね?」
「なぁ、先輩でも上官でも無いんだ。その話し方はなんとかならないのか」
シンカは彼からは色々と話を聞きたかった。そのためにも親密になって損はない。
「メイロン様にアスミ殿の意向をなるべく聞くように言われておりますので、アスミ殿がお望みであれば」
「じゃあそうしてくれ」
「……了解、しました」
しばらくかかりそうだ。
「さっきの質問だが、特別好きな訳じゃない。読まなきゃ何も分からない、ってだけだ」
ザクライ少年は黙ってしまった。どこか話しにくいようである。そこでシンカは考える……彼から有益な情報を最も効率的に引き出す方法を。
「街を散策したいんだが」
青年は分かりやすく、眉を寄せて少し困った顔を作ってくれた。
「メイロン様から無用な外出は控える様、言われているのですが」
「俺もそう言われている。でも色々と知りたいんだ。飯もあまり食っていないしな」
ザクライは顔を元に戻そうとしない。
「要は俺の異常な体質が露見しなければいい。君が見張ればいい。メイロンにそう言って許可を取ってくれないか」
「……分かりました。伺ってきます」
そう言うとザクライは一礼をして部屋を後にした。
本棚に新しい本を並べて気になったものをパラパラめくっていると、彼はすぐ戻ってきた。
「許可がおりました」
「早いな」
本当に早かった。シンカはザクライが伝えに行っただけで許可が出るとは考えていなかった。
「メイロン様からの伝言で、なるべく目立たない様に、との事です。それからこの服を着るようにと」
そう言ってありきたりなフィスカの平服を渡す。それに着替えるとシンカは柄にもなく高揚してきた。
街はルシアと入城するときに見たっきりだったが、自分の立場上、勝手には動けなかったし、そうでなくとも深夜で薄暗い街並み以外見るものがなかった。
「自分もすぐ準備してきます。ここでお待ちください」
そう言って出て行ったザクライが待ち遠しかった。