第6話 世界最後の記録④ 〜生き残ってこその幸せだと、僕は思うんだ〜
「あづい~」
低いテーブルに突っ伏した今日の女学生はさらに大胆なファッションだった。白衣の下に着ているものが、学者には下着にしか見えないのだ。
「それもファッション?」
「これは先生を誘ってるんですよー。どうですか? 今日の私?」
アニメのキャラクターみたいにスカートを翻して、天才少女が一回転した。
「とりあえず、『この子がこの論文を書いたんです』って紹介したら嘘だと思われるだろうね」
「あ! 読んでくれました? どうどう? どうでした??」
這い寄る少女のおでこに端末をぶつけて、学者は自らの無力を素直に吐露する。
「はっきり言って、ほとんど分からなかった」
「どこが分からないんですか? 私が手取り足取り首を取り、教えてあげますよ??」
「首は取らないでもらいたいね。まず分野が違うもの、至るところで熱力、量子、位相幾何が出て来る。決定的にお手上げなのがこの純数学みたいな項目だ、僕は数学が苦手なんだ」
「そんなのどうでもいいんですよ。大事な部分じゃないですから。要は光をゼロ点として重力軸を加えたフィールドに存在し得る、観測可能な生命体は三種類確実にある、って事さえ分かってもらえれば!」
「概念は分かるよ。でも根本の部分で理解出来てないと……なんかモヤモヤするんだ」
「あ! 私もそれすっごい分かります! 絵画の成績で『可』ときは『ハッ!?』って思いましたもん。その場で教師呼び出して問いただしてやりましたけど」
学者には幾何模様を書いた絵がハッキリ浮かんだ。
「概念だけで言わせてもらえば、確かにアンティキティラなら新しい宇宙外生命体、『空間軸方向に不自由で時間的に自由な生命体』を検出できるかもしれないね」
「そう、そうなんですよ! それ大事!」
自信ありげな言葉とともに詰め寄り、生徒が客員教授の鼻を人差し指で押したので、客員教授はそれに噛み付いた。
「痛ァ!」
「話は単純だ。僕たちは『空間的に自由で時間的に不自由な生命体』。だから重力という共通軸を用いて知的生命体を見つける」
「まあ目をつけるとすればブラックホールでしょうね、知的生命体なら。という条件付きの筋書きですが」
「なるほど面白い。僕が打診しておくよ、ちょうどアンティキティラの研究員にコネがあるんだ。あんなの論文書いて順番待ってたら何年かかるか分かったもんじゃないからね」
「ホントですか!? やったー!」
両手でガッツポーズを作って女学生は喜んだ。学者の知る限り、この少女は嘘を吐くのも本心を隠すのも、体裁を繕うのも得意ではなかった。そういったうわべの付き合いに全くと言っていいほど興味がないのだ。少女はひとしきり喜んでから、入り口に立てかけてある黒いポールに目をやる。
「ところでセンセー。これなんですか?」
生物専攻の女学生は大抵の学問に詳しかった。パドルの材料に関して、何か有益なヒントを聞こうかとも考えたが、学者は思い直した。彼女に情報を与える事は、シンカを不利な立場に追いやるかもしれない。
「友人からの預かりモノだよ」
「ふぅん……炭素繊維かな……高っかそー」
「僕はパドルなんか詳しくないよ」
「形が綺麗……なんだか日本刀を初めて見た時の事を思い出すな」
幾何的な礎がその目を肥えさせているのか、学者はその確信をついた本能的な言葉にゾッとした。
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学者が家に帰ると、自分よりもずいぶん大きな、血の繋がっていない息子が手持ち無沙汰にソファーを占有していた。机の上にはコーヒーカップが二つ。
「なあ? 解析は済んだか?」
「あの髪の毛の事かな? DNAの解析は一ヶ月はかかるよ。そこからさらに時間をかけないと詳しい事は分からない」
学者は大事な部分をあえて言わなかった。たぶんいくら時間をかけても『よく分からない』だろうという事実を隠した。たった一個体しか存在しない生命体の染色体なんか、現代の遺伝子学では到底分析しきれないのだ。
学者は急に話を転換した……もっとも、才能に恵まれた頭脳を持つ学者にとっては、話は続いているのかもしれない。
「最近暑いね……ねえシンカ? 人類はいつ頃滅びると思う?」
「なんだ急に?」
「まあそう言わずに聞いてくれよ。我々は科学を発展させ、過去のどんな生物にも例を見ない程の増殖と繁栄を実現している」
シンカは黙った。
「何か意見を言ってくれよ。シンカの悪い癖だ」
「続けてくれ。別に反論するような意見が見当たらない」
「では考えくらいは聞かせてくれ……もう一度聞くが、人類はいつ、絶滅すると思う?」
「こんなクソ暑い日が続けば、限界は近いかもな。数万年後か……数十万年後か」
大方の人類の予想はそんなものなんだろうな。学者はなんとなくそう思った。
「なぜそう思うんだね?」
「自分で言っているじゃないか。過去、例を見ない程の繁栄と増殖。これが起因するんだろう?」
「半分くらいは正解かな」
「じゃあ全部教えてくれ。勿体ぶられるのは好きじゃない」
学者はソーサーにコーヒーを戻し、立ち上がる。
「これは諸説あるが……人類がこのまま何万年も生存すると主張する学者は少ない。二酸化炭素の増加による温暖化で絶滅するという極端な学者もいれば、外的要因に依る急激な環境の変化に耐えられないと主張する学者も多い」
「他にもいくらでも要因はありそうだな」
学者はそのまま海を一望する大きい窓へと向かう。
「その通り。人口増加による食料やエネルギーの不足や、複合的な要因で窮地に陥った人類が、エネルギーや資源を求めて戦争を起こし絶滅する、という説も有力だ」
「核戦争か……」
「『知的生命体は皆、その知性が災いして核戦争によって滅びる』なんてユニークな事を言っていた人が昔いたらしい」
「まんざら冗談でもなさそうだな」
学者は振り返って、シンカの深く黒い瞳を覗き込む。
「ジョークじゃ無いのさ。核分裂ならまだいい……核融合になったら一発でこの星は終わってしまうからね」
「アポトーシスとか言うんだっけか」
「この場合は完全にネクローシスだね。『叡智に至り叡智に死す』。まあそんな事は良いとして、それらを加味したであろう有識者達の考える限界、人類が文明を保てる最長年数は約八百年。つまりあと千年と経たずに、人類は文明を失うというのが常識なんだ……絶滅では無く『文明を失う』という表現に抑えられているけどね」
シンカは少し逡巡した。無表情の中にも思考回路がフル回転している。学者はそれを知っていた。
「さすがに短か過ぎやしないか? 人間に限らず、生物は何億年と環境に順応してきたんだ。そんなにやわじゃないだろう」
「僕の物理生物学者としての見地から言わせてもらえば、それこそが人類最大の弱点なのさ。人類は生存競争の世界から著しく隔離されている。別段、知能において優れた人間が子孫を残す訳じゃない。もちろん身体能力や環境適応能力の高い人間が優先的に生き残るわけでも無い」
「……つまりは生存競争から離れ、自然淘汰による遺伝子的進化が見込めないと」
「その通り。頭脳も進化せず、肉体も進化しない我々に、元より明るい未来なんて存在しないと思わないか?」
学者はゆっくりと歩きながらシンカの様子を伺い、返答がないので話を続ける。
「にも関わらず、大多数の人間はこう主張するのさ。『私達は幸せに生きる権利がある』『自由に生きる権利がある』『頭の良い人達がなんとかしてくれる』」
「…………」
「ほら、また黙りだ。何か異議や感想はないのかな?」
「博士だって、まだ自分の意見は言ってない」
するどい反撃にも、学者は笑顔と余裕の構えを崩さない。
「僕も大多数の学者と同じ考えさ。そんな刹那的な考え方しか出来ない人間が蔓延っているようじゃ、そう遠くない未来に人類は文明を失う……というか、ほぼ確実に死滅するね」
「俺にはよく分からん」
この放り投げた言葉、思考を放棄した言葉を学者は許さなかった。他の誰かならいざ知らず、我が息子、親愛なる天才にだけは忘れて欲しくないと思った。
彼には、シンカには未来を変える力が本気であると信じているのだ。
「僕に言わせればね、人類に自由に生きる権利なんてありはしない。幸せになる権利だって無い。どこのどいつが言い出したのか知らないけど、そこに根拠や理由なんて無い。ただの願望だ。それに今、彼らの幸せを支えているものは何だと思う?」
「……さあ?」
「石炭は植物の亡骸、石油は動物の亡骸……我々は我々の祖先の亡骸を燃やしながら、幸せを主張する。二酸化炭素を無尽蔵に垂れ流し、エネルギーを枯渇させ、我々の子孫に明け渡すべき幸せさえ搾取して、自由を主張している」
「そう言われると……幸せに生きる事の罪深さを考えてしまうな」
学者は倫理的にどこか崩壊している。それは親しい者なら誰もが持つ印象だった。学者に言わせれば、世の倫理観がすべからく壊れているのだ。
「私達は先祖の亡骸を燃やしてHAPPYに暮らすから、後始末は孫のアンタ達で頑張ってよね、BYE-BYE! これが今の『幸せに自由に生きる』、という事の現状であり実状さ」
辛辣な言葉にも、息子はクレバーでクールだ。
「……今日はいつになくドラスティックだな」
「君の父親だからね」
「俺としてはもっと長く人類に生き延びて、あわよくば多くの人に幸せになって欲しいと願うね」
「もちろん僕だってそう思ってる。そしてそのために、頭が良かろうが良くなかろうが、人はみな努力しなければいけない」
「……なんだか怖いな。博士はどんな方法でそれを実現するつもりなんだ?」
「それを今考えているところさ。簡単なのはいったんリセットしてしまう事さ。いったん人を減らせばいい」
「根本的な解決にはならなそうだな……『減る人』とやらも可哀想だ」
「では君ならどうする?」
「…………さあ? 全く思いつかん」
学者は今から言う事が倫理観、価値観……そういった事に基づく生き方の強要であり、好ましくない事は知っていた。ただ、学者も自分の哲学と人生観は変えられず、図らずもシンカにそれを押し付ける形になる。
「考えなきゃあダメだよ。人は考える事によって今の世界を築き上げたんだ! 壊す方法だって真面目に考えなきゃあいけない!」
「地道に知識を共有して、幸せというものの在り方を考え直すくらいしか思い浮かばない」
「断言するけどそれは困難で難関で艱難な道のりだね。人はそう簡単に手に入れたものを手放せない。現状の幸せとはそれほど甘美なものであり、ヒトはみな子孫の幸せを願って努力するほど利口じゃない」
シンカはまた黙った。学者は父親としての自分が落第であり、沈黙という烙印がそれを証明している気がして心が病んだが、話し続けた。
「楽天的な連中は、『いずれ人類は宇宙に進出するから問題ない』なんて言うね。まあそれも一つの可能性ではある」
「しかし結局根本的な解決にはならないわけか」
「その通り。だからね、僕は思うんだ……人はいい加減、進化しなくちゃいけない。それが自然淘汰か遺伝子工学に依るかは問題では無いんだ。もはや古い倫理観や形骸化した常識をぶち壊さなきゃあならない時は、すぐそこまで迫っている」
「優秀な遺伝子を残し、劣等なるそれを排除すると? なんだか行き過ぎた民族主義みたいで怖いな」
「否定はしないよ。排他的だし差別的だし、選民思想でジェノサイドさ。しかし合理的ではある」
「幸せとやらを度外視すれば、な」
「生き残ってこその幸せだと、僕は思うんだ」
「……なるほど」
男は納得した様な面持ちで、空になったカップをソーサーに戻した。




