第7話 『ソウル』について
===内、読み飛ばし可。
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『ソウルってなんだろう?』 《低年齢・児童向け》 フィスカ教育部
~前略~
ミゲル「じゃあ魂の力は、正しく学んでしっかり勉強すれば、社会の役に立つすばらしい能力になるんだね!」
ティナ「でも……もし使い方を間違えてしまったら、うまく機能しなかったり、人を傷つける力になってしまうかもしれないわ!」
先生「じゃあ今日は正しいソウルを身につけるために、どんな事をすればいいか学んでみよう」
ミゲル・ティナ「わーい!」
先生「では二人とも、まずは何もイメージせずに、自分のソウルを出してみて」
ティナ「私のは……なんだか形にならないわ。水っぽくて、手からこぼれちゃう」
先生「ティナさんのソウルは柔らかいんだね。それは悪い事ではなくて個性なんだよ。それに落ちたしずくを見てごらん」
ティナ「ふよふよしてて、なんだか可愛いわ」
先生「ティナさんのソウルは柔らかくて、しかも体から離れても崩れにくいんだね」
ミゲル「僕のソウルはすぐ形になったけど、すごく重いような」
先生「ミゲル君のソウルは大きくて、金属みたいで強そうだね。その重さを生かすか、軽くするかは君の自由だよ」
ミゲル「でも落としたらすぐに溶けちゃった……ティナさんみたいな力はないみたい」
先生「みんな性格が違うように、ソウルの性質も人それぞれなんだ。大きくて、重たくて、堅いソウルも立派な個性なんだよ」
~中略~
先生「大切なのは自分の特徴を生かして、自由で個性的なソウルを身につける事なんだ! もちろんそのためには、すごくたくさんの練習が必要だよ。フィスカの大英雄ソレイル様も、はじめは自分のソウルが創れなくて、学校の成績は良くなかったんだ。でもそれからとても努力をして、フィスカの総隊長にまでなったんだよ」
ミゲル「僕もソレイル様みたくなれるよう、頑張ってみるよ!」
ティナ「私も色々工夫して、試したくなってきたわ!」
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「勘弁してくれ……」
ここまで読んで、シンカは絵本を放った。そして絶望した。
(馬鹿げてる。いったいこの世界は本当にどうしてしまったんだ?)
こんなファンタジーの世界に迷い込むなんて……本来ならば歓迎すべき不慮の事態だが。
「見る事も触る事もできないんじゃ……」
まさしく絵に描いた餅だ、と言わんばかりに一人で愚痴って、兵舎のベッドに大の字になる。まだ昨日の返事を決め兼ねていたシンカは、考えを整理した。
まずメイロンやルシアの話を聞く限り、自分の求めるものはこの世界には無さそうだ……それは即ち『強い相手』。
本を読む限り、この世界ではこのソウルなる摩訶不思議な力をもって戦闘を行う事が一般的らしい。ならばシンカがいくら強い者を求めようともそれは無駄と言える。同じルールの中でなければ、そんな勝負に何の意味も無いとシンカは思っていた。
(……いや、違うな。重要なのはそこじゃない)
アスミ=シンカは考える。
(相手がいかに空想的でも、例えばそれが……そう! ドラゴンだったらどうだろうか? 自分より強大で、炎の息を吐く、鋭い爪を持った力強いモンスター。
そんな相手に俺はルールなんか求めたりなんかしない)
そんなとりとめも無い妄想に、覚えのある気配が割って入る。シンカは先に声をかけた。
「何か用か?」
「ぅわ! ビックリした!」
ファンタジー代表、空飛ぶ少女は小部屋の入り口の陰で、言葉通りに驚いていた。
「よくわかったね。おはよ」
彼女は開いたドアから顔だけを覗かせて笑った。
『世界中がこんな笑顔になれれば良いのに』。そんな風に思わせる笑顔だ。
「おはよう、何か用なのか」
「今日はお別れを言いに来たんだ。わたし、遠征に出ちゃうからさ……こう見えてもけっこう忙しいんだよ」
そう言いながら入室し、部屋の入り口で立ち止まる。シンカはベッドに座り直し、ルシアへ向き直った。ルシアは机にあった絵本を手に取って、何の気なしにめくり始める。
「うわ、懐かしー絵本」
「遠征? 戦争中なのか?」
「もう長いことね。いつからか分からないくらい」
「どこと?」
「西の『クヮコーム』っていう国。のんきな人たちは『四百年の趣味戦争』なんて言うんだよ。失礼しちゃうよね」
「侵攻しているのか? 侵略されているのか?」
「なんかヤだな、その聞き方。どっちもだよ……でも最近はもっぱらされる方かな」
彼女は絵本から目線を上げてまた微笑んだが、作り笑いなのは一目瞭然だった。シンカはうまく返す言葉を見いだせない。
「一応ね。万が一私が帰ってこない、なんて事もあるかもしれないから。あとの事はメイロンに頼んである」
「わかった」
「それじゃあね、また戻って来たら」
それだけ言うと、彼女は立ち去ろうとする。
「ルシア!」
呼び止めて、シンカはこの際に本当の事すべて話そうと思った。
「……何も話せなくてすまない」
精一杯に出て来た言葉はそれだけだった。自分でも曖昧な事を話すのがシンカは怖かった。話すことで、それが確定的な事実になってしまう気がした。
「本当だよ、シンカなんにも教えてくれないんだもん……もしわたしが無事帰って来たらシンカの事、少しは教えてよね」
振り返り三度目に見せたその柔らかい笑みが、本当の笑顔なのかどうか、シンカには分からなかった。
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三日前、シンカと戦った訓練場脇の石畳を、ルシアは引き返す。向こうからは兵舎に向かうメイロンが歩いてきた。
「話してきたよ。だいたい言われた通り」
「ありがとうございます」
「メイロンの考えはなんとなく分かるよ、彼、何かと便利そうだからね……でもうまくいくかな?」
「確率が少しでも上がるよう、ルシア様にお願いしたのです」
「なんだか元気なさそうだったけど。乗ってくれるかな?」
「彼を他国に渡す訳にはいきません。ルシア様もお気づきでしょう?」
ルシアは上の空で、独り言のようにつぶやいた。
「彼、何者なんだろ? 人間なのかな?」
「さあ? ただ一説には『ソウルによって生命活動を行うもの』を『生き物』と定義する説もあります。そういう意味で、彼は概念的にはゴーレムとかゾンビといった存在に近いのかもしれません……もっとも、そんなものが実在するのか、私は知りませんがね」
「シンカもね、この前、同じ事言ってたよ。『背中の翼で空を舞う人間が実在するなんて。空想の世界だけかと思っていた』って。笑っちゃうよね」
事実笑って、ルシアは飛び立った。
「ノーアルム卿によろしくお伝えください!」
メイロンがそう叫ぶと、ルシアは後ろに振り返って、無言で大きく手を振った。
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飾り気のない石のアーチを潜ると、すぐ右の戸は開いていて、珍奇極まりない存在は窓際の椅子で本を読んでいた。
よくよく考えれば、この男は自分を武芸者と名乗りながら、読書ばかりしている。その辺りから少しおかしいのかもしれない。
「今日は何を読まれているのですか?」
その言葉をノック代わりに、事務管長は小さな兵舎の一室に入った。シンカは寝台に座りなおす。
この無骨な事務管長は、その風貌とは裏腹にシンカに対してたいへん丁寧で温和だった。もっとも、ルシアに見せるあのニヒルな一面を隠しているだけかもしれない。
昨日同様、黒い外套の下から、焦げ茶のベストのような生地が、少しだけその色を覗かせる。
「子供用の絵本だ」
この歳になって『一人で絵本を読んでいました』というのは、普通は気恥ずかしい。
「そうですか……昨日の話の続きなのですが、考えて頂けましたか?」
絵本に対するリアクションが無いので、シンカはなるべく涼しい顔を作って、絵本をそっと置いた。
「当面、俺は行く当てが無い。そちらの迷惑で無ければ、俺からもお願いしたい」
「迷惑だなんて、とんでもない! 正直ほっとしていますよ。君の力は必ず大きな国益となりますからね」
メイロンは心底から胸を撫で下ろした。
「こちらこそ礼を言いたい。それで俺は何をすればいいんだ」
外套を机に置き、ソファーに座ったメイロンはいくつかの用件を話した。
城の空き部屋に住んでいい事。当面はこの国の民として、不自然の無い程度の教養とソウルについての知識を身につけるのが仕事である事。その他諸々……要はアスミ=シンカの力が露見せず、有効活用できるようにとの、配慮と指導だ。
話が終わると、シンカは交換条件を持ちかける。
「一つお願いがある。俺が研究する事や、そのための旅をする事を許可してくれないか」
「研究? 研究とはどのような事をですかな?」
「この世界についての、あらゆる知識や事実について」
「……目的は?」
「自分の身に何が起きたのかを明らかにするためだ。そう遠くないうちにメイロン達にも話す事ができると思う」
「そういう事でしたら、私に許可さえ取ってもらえば構いません。ただ戦時においてはそんな訳にもいきませんので。あしからず」
「分かっている」
「期待しています。あなたのその力がフィスカの繁栄と安寧に必ず役立つと」
「何の力も持たない事が、の間違いじゃないのか」
彼にしては珍しく、人前で自虐した。メイロンはルシアの言っていた事を思い出した。
『彼、元気なさそうだったけど』
※ソウル……ざっくり言えば『モノを創り出す力』。その力は素質や育った環境、趣味や趣向、訓練などにより形や性質を変え、大人になるにつれて安定する。
ソウルは使う人間の常識や創造性から大きな影響を受けるため、使う人間の資質次第では『モノを創り出す力』の限りではない。