第3話 世界最後の記録① 〜天才二人〜
西暦2077。今年もあと三ヶ月という秋に、外では至るところでセミがけたたましく鳴いていた。
強い日差しを照り返す白い研究所の一室で、一人の学者は冷房を効かせて大学院生の論文を査読している。
つい数年前まで紙媒体で論文を持ち込む生徒がいた事を思い出して、学者は苦笑いした。
『文句を言っても仕方が無い上に、聞き届けてもらえないだろう』
そう思い苦情の一つも言わなかったが、前進する流れに見境いなく抗う文化の在り方には辟易した。ようやく出席番号順に端末から読めるようになったのだ。デスクと並行に足を組んで、とりあえず一口だけコーヒーを飲み、学者は板状の端末を読み始める。
論文はどれも玉石混交にさえ程遠く、角ばった石ばかりだったが、それらの中にも煌めく宝石が見え隠れするみたいで、嬉しく思った。しかしそれでは立場上の職務を果たしきれないため、赤ペンで気になる点にチェックを入れ始める。
本旨は社会に還元されるのか……この実験データは信頼性に乏しい……結論に恣意的なバイアスがかかっていないか……誤差が大きい……チェックする項目は毎年似た様なものだった。
三人分、似た様な査収を終え、四人目の名前を見て手が止まった。一番大きなタイトルにはこう記してある。
『位相幾何学、及び、生物学的繁殖の可能性から見る生命の新体系』
こんな『ざっくり』した論旨のタイトルは初期も初期の段階で棄却するのが一般的だ。しかしこの論文の内容が『ざっくり』していない事は、著者の名前とページ数が物語っている。
「777ページって……」
読む気が失せるページ数にそんな独り言を漏らした時だった。客員教授用に設けられた小さな個室のドアをノックする音がある。コンコンコン……三回だった。
「どうぞ」
「やー、今日もあっついですねー!」
ノックまでは律儀だった生徒、溌剌な女学生は出し抜けにそう叫んだ。大学院生だと言うのに、女子高生みたいな格好をしている。
「それは何かのコスプレかな?」
「ヤダ、知らないんですか先生? 最近こーゆーファッション流行ってるんですよ!?」
言いながら服の胸元を引っ張り、リボンの隙間をわざわざ強調する。学者(この大学院では客員教授だが)は彼女に好かれている事をよく理解していた。彼女はそれを理解してもらえる努力を十二分にしている。
「あいにく、流行には疎くてね」
「あっ! センセーそれアタシの論文じゃないですか! もう読んで頂けました?」
こんな子がこれほど長い(そしてたぶん恐ろしく本格的な)論文を書いたのかと思うと、学者は自分にかかっているバイアスを見極めずにはいられなかった。
人は見かけによらない。見かけで大抵の場合は相場が読めるが、白い白鳥をどれだけ観察したところで、例外は否定できない。
「ちょうど今から読むところだよ。それにしてもずいぶん書き込んだね」
「これでも削りに削ったんですよー」
「そうしたら偶然777ページになった?」
「もちろんラッキーナンバーだからに決まってるじゃないですか! 先生に幸せが訪れますように! あっ、コーヒー入れましょうか?」
忙しなく動き、誰よりも活発で、気が利き、研究熱心で、献身的で、美しく、聡明な、まさにパーフェクトと呼ぶに相応しい少女だった。外見は本当に、服装も相まって高校生の低学年くらいにしか見えない。
彼女は脇にあったスツールに腰を下ろした。長居する気かもしれない。
「いや、まだ残ってるから。先週告白された彼氏とはどうなったの?」
「その次の日に分かれました」
「はっや」
「男の人って女と付き合ったら、次はセックスする事しか考えられないんですかね? ほんと野生動物の領域を何千年うろついてるんだか……」
別段落胆する様子も、バカにする雰囲気も無く、ちょっと退屈そうに彼女はそう言った。
「動物である事は事実だからね。生殖本能として最高のパートナーを選んだ事は間違い無いんだから優秀だよ、その男子生徒は」
「先生。じゃあ私を生殖パートナーとして認めて下さるって事ですね!? 私、先生とだったら」
女学生が命乞いでもするみたいに学者の手を掴んだ。学者は頭こそ切れるが、それをコミュニケーションの場で発揮するのは不得手だったので、端末で生徒の頭を小突いた。
「いてっ」
「とりあえずこのページ数だと受け取ってもらえないのは知ってるね? どうするの?」
「センセーが読んでくださればいいんですよ。そしたらテキトーに短くして再提出します」
「まだ読んでないけど、これ理論(※)だよね? 理論だけ?」
「ホントは実験したいんですけど、難しいかも。今度『アンティキティラ』って観測装置出来るじゃないですか? あれじゃないと実験出来ないんですよね」
『アンティキティラ』について、学者はほとんど詳しくなかった。なんでも次元の位相をずらして宇宙を観測する装置であり、物理学と天文学の分野に用いられる大掛かりな設備らしい。その程度の知識だった。
「詳しく知らないけど、それを使ってどうするの?」
「ウチの予測だと、もしかしたら宇宙外生命体の信号が観測できるかもしれないんです」
彼女は天才だ。少なくとも学者はそう確信し、自分よりも生物学を前進させる、前途ある若者だと信じている。
そして天才というものは大抵その時代には受け入れがたい、寵児独特の突拍子も無い主張をするものだ。
他の者達が『地球外生命体』に躍起になってアンテナを宇宙に向ける中、彼女はすでに誰の目にも映らない世界『宇宙の外』にその目に見据えているらしかった。天才というものはいつの時代もそうだ。先入観を破棄して凡人とは違う次元に目を向けている。
「まあ急に言われても分からないから、とりあえず論文読んでみるよ」
「そうしてください!」
学者はこの大学において客員教授でしかない自分の立場を悔しく思った。きっと彼女はこれをほとんど独力で書き綴ったのだろう。自分がいなければ、もしかしたら誰にも理解されないかもしれない……いや、自分自身も読了し、真の意味で理解する自身はなかった。
唯一の救いは、少女がそんな事を気に病むタイプの人間ではない事だ。
「はい、愛情たっぷりのコーヒー!」
「そういえば、どうしてラボに? 何か報告があったんじゃないの?」
「あっ! そうそう。先生の出されたサンプルに変なのが混じってたんです」
急に真面目な態度で客員教授を見上げて、女学生は院生に配布された端末を取り出した。
「それか、それについてはいいんだ。僕が混ぜておいたものだから。君たちの誰かがサボったらすぐ分かるようにね」
「先生が?」
「うん。D-23-001でしょ?」
諳んじたナンバーに、女生徒は右手の四角い端末に目を通す。それは任意に選ばれた人間、成人男性の染色体に関する情報が載っていた……と言っても、ゲノム解析には時間がかかるため、大まかな情報が記載されているだけのスコアシートに過ぎない。
学者は不可解と疑念を抱いた。この天才少女が数桁のナンバーを記憶していないはずがないのだ。
「そうそう、それです」
「気がついたならそれでいいんだ。意外と早かったね、気がつくの」
女学生は『呆気にとられる』という所作を無意識にずっとする事で、客員教授を混乱させた。学者は雲行きを見据え後悔したが、時すでに遅し。
「誰だって分かりますよ……先生、何の染色体を混入したんですか?」
「何、って事はつまり、人間じゃあないって事は確信が持てるんだね?」
学者はDNAに関しては混じりっけ無しの専門家だ。ゲノムスキャンも始まるか始まらないかという早い段階で気がつく異常ならば、かなりの程度予想が付いた。そしてそのサンプルをこの生徒が見てしまったのは失態だったと確信したが、表情にも言葉にもそれは出さない。
ただ内心『アスミ=シンカという男のDNAはそこまで人と違うのか』と呆れた。
「何を『ヒト』と呼ぶかの解釈が難しいところですが……とりあえず染色体が54本の人間というのは聞いた事がありませんね」
「なるほど……いい答えだ。確かにヒトの定義なんて学問によってマチマチだね」
数枚の用紙をみながら、女生徒即答する。先ほどまでの可愛らしい、女らしさはどこかへ消えていた。
「でもこの生き物は……人間とはかなりかけ離れた形質を持っていそうですね。少なくとも人間のカタチはしていないかな」
可愛がって育てた大切な息子、立派な体躯で五体満足の、とても人間らしい男のDNAをこう一蹴されて、学者は馬鹿みたいにゲラゲラと笑いたい気持ちを必死で抑えた。
天才対決の第一ステージは、突拍子も無い遺伝子を持った、自分の息子に軍配が上がったらしい。もっとも、この少女はどちらかといえば幾何と物理畑で育った節がある。
こんなに痛快な事が他にあるだろうか? 私の息子はあんなに立派で、人間らしく思考をし、他人を思いやるのに、私たち人間は未だそれを享受する知性を持ち合わせていないのだ。この類まれなる天才少女がそうなのだ、もしかしたら自分だって例外じゃないかもしれない。
学者は急にニヒリスティックに、自虐的になった。
『ヒトの知性が彼を受け入れるまで、あとどれくらいの時間が必要だろうか……そして彼を生み出すにはもっと莫大な時間、労力、熱意、その他様々なエネルギーが必要なはず。だが我々にはもうそんな猶予は与えられていない……』
次に導かれるのはごく単純にして、あり得べからざる疑問だった。
『じゃあ彼は……私の息子は……アスミ=シンカは……なぜこの世界に存在するのか?』
「あの……先生?」俯く客員教授に、生徒は最終確認を求める。「とりあえずサンプルから除外しておきますね?」
「ああ、それでいいよ。それだけでいい」
それ以上の詮索をされては困る。院生で飛び級の少女『カミナ=ライカ』は一言二言事務的な要件を済ませて、退室しようと振り返る。
「あ。ちょっと待って、そのスコアシート置いていってもらえる?」
「わかりました」
女学生は少しだけ躊躇って、それを机に差し出し、丁寧に挨拶を済ませてドアの外へと消えようとした。
「わっ!?」
「あぁ、すみません」
少女はドアの外、目の前に立っていた男に思わずビクッと体を震わせる。立っていた男は背が高く、目から上がドアからはみ出して輪郭が半分見えなかった。
大男は一歩下がって道を開けたが、それでも学者の位置からは鼻までしか見えない。
「教授はいらっしゃいますか?」
「いますよ……そこに」
太い声で男は尋ね、女学生は小刻みに首肯した。男はのれんを潜るようにドアをすり抜けて部屋に入ってきた。ただ、目線は来たドアの方、出て行く女学生を追っていた。
「おかえり、シンカ」
「ああ、ただいま」
お互いちょっと笑いかけた。学者は大男、アスミ=シンカに小さなソファーを勧め、ポットのコーヒーを手渡す。特大のジーンズに3Lの黒いTシャツを着ていたが、たくましすぎる体には小さかった。
「どうしたの? めずらしいね。研究室まで来るなんて。山籠りはどうだった?」
「そう、聞いてくれ。俺より強い奴に出会った」
学者はコーヒーを含んでいない事に安堵した。冗談ではなく、吹き出していたかもしれない。今日は驚く事ばかりだ。
「ビッグフットか、天狗にでも出会ったのかい?」
「人間だ、しかも女」
『奇妙ではあるが、真実だ。真実は常に奇妙であり、フィクションよりも奇妙なのだから』、そんな事を言っていた誰かを思い返す。
大真面目に話す、嘘を吐くはずもないキラキラした瞳を目前に、学者は神の存在を感じた。もとよりキリスト教徒だが、海を割った先にだって、チャレンジャー海峡の底にさえ、そんな破天荒な生命体を信じてはいなかった。
「一応月並みに『信じられないね』と、お手上げのポーズをしておこうか」
「俺だって未だに信じられない」
天才的な慧眼の女学生が見晴らしきれなかった戦闘の天才。その戦闘の遺伝子を打ち負かした有機生命体がいるらしい。
学者は自分の常識をすぐに砕き、再構成する。
(どうやら、僕の考えていた天才というのは、本物よりもかなり水準が低いらしいな)
「まさかシンカから女の人に襲い掛かったわけじゃないだろう?」
「まさか」
シンカは山の奥で出会った、だれも信じられないおとぎ話を嬉々として喋り出した。
※理論……理論物理学の事。主に理論物理学と実験物理学に大別される。




