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第1話 精霊の塔

ちょっと過去の話。

 竜巻と巨大な台風が共存する新世界を前に、ソレイルはわくわくしていた。ソレイルは誰も知らない、まだ一人も足を踏み入れたことのない世界の話が大好きだった。世界の地図を描くという目標はその好奇心が産み出した副産物でしかない。


(私は知りたい……精霊の塔に何があるのか)


====


 故郷のフィスカには親友、ツフレットという隊長がいる。ツフレットは誰よりも深く、誰よりも永く海に潜る事が出来、また、それを人に伝え魅了するのが得意だった。ソレイルは彼に会うたびに深い海の話を聞いては、いつもいつもその面妖で不思議な体験談に聞き入った。

 ツフレットを手放しで褒めるたび、大して年の変わらないツフレットはそれを高い鼻であしらった。


「旦那、『海をよく知ってる』なんて言い出すやつがいたらそいつは全部偽物だと思っていい」

「でも君は誰よりも海をよく知っているだろう? ツフレット」

「ああ、そいつは間違いない。だから言うんだ。誰よりも海をよく知っている俺でさえ、海をほとんど知らない。知っている事と言えば、『海はどれだけ潜っても、知らない事ばかり』という事実くらいだ」


 答えや事実というものに対して、ソレイルは正確性を求めなかった。興味の赴くまま、万華鏡に移る多様な世界をありのままに眺めるのが好きなのだ。

 対照的に、ツフレットはいつも分析していた。『あの生物の色が赤いのは~』『あの時期だけ海流が南に流れるのは~』等々。いつも真実を求めて話を論じるツフレットをソレイルは尊敬していた。

 ソレイルの出会った勇士、賢者はみな敵と味方を問わず戦士としての格、賢人に相応しい覇気とかオーラみたいなものを纏っていたが、ツフレットからだけはそういった雰囲気を一切感じなかった。

 細い体、低い身長、目つきもおっとりして、若いのにシワと白髪で老けて見える。フィスカの街を歩いても誰も隊長と気がつかないかもしれない。


「君はいつも謙遜する」

「じゃあ逆に聞こうか? 旦那は空をどれだけ知っている? 一から十までとして、どれだけ手中に収めたと自負できる?」


 ハッとする質問だった。空のスペシャリストだからこそ分かる事が確かにある。


「どれだけ誇大に見積もっても、一にさえ満たないだろうね。なるほど、その質問は答えに他ならない。僕は誰よりも空を知っているけれど、空をほとんど知らない」

「そうだろう。お互い酒もろくに飲めないのだから、こういった事くらいは楽しく喋りたいものだね。総隊長」

「君との話は常に興味深い。いつだって新しい発見がある」

「そう、人は海と一緒だ。いつだって発見があり、いつでも知らない事ばかり」

「空も一緒だよ。常に新しい発見と未知がある」

「海には常に新しい発見と未知と、それに恐怖がある」

「恐怖……僕は空に恐怖を抱いた事は一度も無いな。あるとすれば希望だけだ」

「それは旦那が空をまだよく知らないからさ」


====


 今さらになって、こんな思い出に深々と浸っていた。今確かにソレイルは生まれて初めての恐怖を空に見出していた。

 いつもより暗く見える空の中にぼんやり霞む塔、まっすぐに伸びた一本の細い線が見える。そこに近寄る者を決して許さない暴風、分厚いソウルの万年台風が行く手を阻む。


(これを突破して塔にたどり着くには、台風の上から、目の上から忍び込むしかない)


====


「海は深ければ深いほど手強い。原理はよく分からないが、水に押し潰されそうになるんだ。それに抵抗するだけでまずは精一杯、手一杯。空気を確保している余裕がなくなる」

「空と海というのは、驚くほど似ているね。空は高ければ高いほど寒くて、風が強い。おまけに原理はよくわからないけど、息苦しくなるんだ」


====


 ツフレットの手法を取り入れる他に、あの暴風地帯を突破する打開策はありえないだろう。ソレイルはそう結論づけた。つまり、息苦しさや寒さから守るヴェールを纏うのだ。だがそれだけの時間と距離、高密度の薄くて軽いソウルが維持できるだろうか?


====


「不思議なものだな、旦那は軽さで俺は重さを、旦那は空で俺は海を。全く逆を目指しているのに、似たようなメソッドにたどり着く」

「案外、そんなものかもしれないよ? 僕のよく知る小さな老人はとてつもない膂力の鎧で敵を砕くんだ。僕のよく知るいつも軽薄な斥候は、誰よりも忠実にクールに任務をこなす」

「へっへっへ! 違ぇねえや! 俺の知ってる古貴族の倅なんか誰より空想家で妄想ばっかりしやがる。紅蓮桜なんかあんな強えのに……この前マフィンの作り方が分からねぇとか本気で喚いてたからな」


====


 記憶の中で笑うツフレットに笑い返して、ソレイルは飛び上がった。風を最小限にする山なりの角度で塔を目指して飛び立り、アプローチを開始する。しばらく経つと強風と寒さに身が震えたが、まだ塔の終わりは雲に隠れていた。


(予想はしていたが、これは暗い空まで行かなければならなそうだ)


 ソレイルはツフレットの装備に似せた、透明でガラス質のソウルで頭を覆った。空というのは不思議なもので、伸び上がれば伸び上がる程に暗くなっていくのだ。勝手に夜になる世界をソレイルは『暗い空』と呼んでいた。そこは生き物の生存を拒む、排他的な世界。

 凍りつく寒さに拍車をかける強風、それを防ぐヴェールを維持する事さえ困難になるほどの時間と出力を要求される高度。困難になる呼吸。初めて飛ぶ高さの空はツフレットの言う通り、恐怖と脅威に満ちていた。

 それでも好奇心で胸の高鳴りが止まないのだ。もはや外観が見えてきた白っぽい万丈の塔は一部が光っている。


(これは先人が建てたものだろうか……しかし、こんなにも高い塔を建てる技術を持った人間達が、いったいどうやって滅びる?)


 そんな疑問は長く持たなかった。莫大なソウルの放出で寒さこそ凌げたものの、太陽に接する面が異常な熱を持ち始めたのだ。ソレイルは長いマントでそれを防ぎ、少しづつ回転しながらアプローチを続けた。それも長くは持たなそうなので、引き返せるか後ろを見た。


(後戻りは……できないか。もう中間地点はかなり過ぎたように見える。それにしても……美しい)


 青い地球は丸かった。丸くて、ぼんやり輝く宝石だった。雲の切れ間から覗くいくつかの大陸の形が、ソレイルの記憶に残る地形図と一致して、内心で苦笑した。


(私が測量したのは、あんなにも小さなエリアでしかなかったのか……おそらく十分の一にも満たない。空も海も……地上も同じか)


 もう塔は目と鼻の先に思えた時、世界最高の翼を持つ男のソウルが揺らぎ始めた。原因不明の激しい吐き気や目眩に襲われたのだ。吐く息が一瞬で凍っているような錯覚に襲われ、目を開けているのも苦しい状態になっていたのに、それでも断然わくわくする気持ちが心のを支配していた。


(おそらく、私が最初の人間だろうな。この塔に上からたどり着いたのは)


 空は未知と驚きに満ちている。台風の目を上から眺め、ソレイルは驚嘆した。中心軸となる細い塔が、近くで見てみれば想像よりもかなり巨大な円周だったことにも驚かされたが、本当に驚いたのは、先端が未だに見えないことだ。永遠に続くのではないかと思われるほど高く、まだまだ暗い星空に上に伸びていた。


(下に降りる余力は無い。入り口なんて親切なもの無いだろうから、勝手に侵入させてもらうしかないな)


 そう考えて壊しやすそうな場所を探すと、少し遠くに煙を吹き出す巨大な筒状の噴出口があった。そこからは時折、透明なソウル、見た事もないほど純粋なソウルの気体がキラキラと吹き出している。

 ソレイルはその穴、ソレイルの身長の三倍はありそうな穴から、驚きに満ちているであろう白い塔へと侵入した。ついさっきまで極寒と灼熱に挟まれていたはずなのに、もはや感じるのは自分の心臓の鼓動だけだった。


 長いダクトを抜けると、ドーナツ型の真っ白で広い空間に出た。広さからは塔の一階層全てを使い切っている事が分かったが、このだだっ広い空間がどのような目的で存在するのか、全く理解できなかった。一面白いパネルで覆われ、大きなパネル一つ一つが溶接かリベットか分からない手法で取り付けられている。見慣れた接着方法に安堵したが、ソウルのヘルメットは用心のために外さず、出口を探した。

 そんな時、四方に開かれていたダクトが急にガラガラと音を立てて閉まった。


(閉じ込められた、誰か見ているのか?)


 ソレイルが身構えると、地震に近い振動が襲った。少し遅れて天井の至る所、無数に開いた小さな穴からソウルが入り込んできた。

 先ほど見たキラキラしたソウルではない。重苦しく攻撃的で暗いソウルだ。平常時ならば問題なく全身をガード出来たに違いない。しかしソレイルにはもうその力が残っていなかった。絶体絶命ではあったが、不思議と悪意に満ちたソウルは襲ってこなかった。ただ水のように部屋に充満していく。


(噴出口からは綺麗なソウルが出ていた……ここは瘴気を洗い流す場所か?)


 ソレイルは一縷のチャンスに賭けて、耐えて待つことにした。部屋の隅に座り、最小限のソウルで自分を覆った。暗いソウルはとても人が耐えられそうな代物には見えなかった。何千人……何万人……そんな人間の悪意だけを集約したようなおぞましさだった。


 どれだけの時間を耐えただろうか。ソレイルは永い時間を耐えた。


 瘴気を防ぎきれなくなってからは地獄だった。敵意、憎悪、嫉妬、狂気、絶望、怨念、邪心、ありとあらゆる凶暴さが自分を殺し、取って代わろうとしてくる。実際に行われたであろう殺戮や悪行の数えれらないイメージが同時に頭に入ってきて、流れる血の体温までが再現される。

 のたうち回り、あがき苦しむうちに段々と意識は薄れ、最後の時を迎えるのがもはや待ち遠しく、救いの光に思えてきた。


 全てが途絶える時に見たのはルシアの笑顔、夏の日差しみたいな笑顔だった。

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