第35話 無力な最強、無慈悲な天使
「この際だから、是非教えてほしいね。どんな思考回路が君を『この世界が異世界』だなんて荒唐無稽で奇想天外で突拍子も無い、面白おかしい結論への胴体着陸に導いたのかを」
ソレイルの忌々しい表現の中には、フィスカではあまり使われ無い語法がたくさんあった。それはシンカがいつか懐かしい記憶の中で聞いた事がある言葉使いな気がする。
「質問しているのは俺だ」
「いやいや、しかしよくよく考えて見れば自然な帰結と言えなくも無いかもしれない。遺物も文明も面影を残していない世界に、魔法の如き力が反映しているのだから。そんな絵空物語はこの世界でもたくさん愛されている。もっとリアリストかと思っていたけれども、君は意外とロマンチストなのかな?」
「いい加減に……」いい加減にしろ。そう言いかけて、シンカはソレイルが胴に纏う黒い鎧に目を奪われた。先ほどまではソレイルが肘を抱えていたせいで見えなかったのだ。「その鎧……そうか!」
「そう、君の武器と同じ素材で出来ている。これで分かっただろう?」
世界中に散らばったパーツが、シンカの中で組み上がり、色付けされた。
「そういう事か。お前も俺と同じ……いや、俺よりは未来の地点から此処に来たという事か」
シンカの脳裏に鮮烈で壮大なイメージが広がった。
シンカが旅立った時代よりも未来のいつか、きっとソウルと科学が融合した幻想的な世界があったのだ。ソウルで動くロボットが農作業や家政婦をしていたかもしれない。数え切れない竜が人々を乗せ、緑に囲まれた空中庭園への旅行に案内したのかもしれない。ソレイルのような翼人達と共存していたのかもしれない。その空想的な風景は美しかった。
そう考えればソレイルが測量の旅に出た事についても合点がいく。過去の地図を知る彼は自分がどこにいるのかを知りたかったのだろう。シンカとは違う大きな志を持って、なんらかの方法、もしかしたらシンカと同じ方法でフィスカに来たのかもしれない。
「呆れてしまうね。どこまでトンチンカンな発想をしているんだか……私は生まれも育ちもフィスカ。家族がいるとさっき言っただろう」
一蹴されてシンカは永い沈黙を余儀なくされる……決まりが悪い。怒り猛った力が抜けてしまいそうになる。
「じゃあおまれはいった……ひ」
挙句、ここ一番の大事な場面で噛んでしまう。元から喋るのは得意な男ではないが、余りに大事な場面の台詞がしどろもどろでは、居心地は悪くなるばかりだ。
「おまえ……は」
次いで、呼吸がスムーズに機能していない事に気がつく。声が上手く出せず、ヒューヒューと息ばかりが漏れた。ソレイルは一服したように息をついた。
「なん……だ?」
「やっと効き始めたのか。効かないんじゃないかとヒヤヒヤした」
手足が痺れる。ソレイルはまだかなりの距離を保ったまま、空から降りてこようとはしない。
「毒……?」
「その通り。そうでも無ければ、私が君にペラペラと情報を喋るはずが無いだろう。私は長話も無駄話も得意じゃ無いんだ」
シンカはもはや喋る事が大変な困難だった。フラフラして思考がぼやけ始める。
「この世界には無い…………はず」
「ソウル体には効き目が薄いというだけさ。毒を持つはずの草や動物をごちゃ混ぜにして鉄に塗ったんだ」
シンカがなぜか嬉しそうに笑った。目の前にいるのはルシアを殺した敵なのに、自分は圧倒的に不利なのに、それでも笑いが止まらないのだ。
「面白い」
「正直言うとね、私は君が恐ろしい、怖いんだ」
ソレイルは油断には程遠い距離と視線を保ちながらゆっくり地面に降りる。シンカはよろめいて、ついに膝をついた。パドルをつっかえ棒にして、かろうじて寝る事を拒絶している状態だ。
「…………」、非情な毒を相手に、シンカはもう声が出せなかった。
「この状況で笑う君がね。だから調べた。この状況を作り出すために」
千鳥足で、それでもシンカの目は深く落ち着いていた。戦闘に毒を用いる事が卑怯、なんてこの男は一生考えないだろう。ただただ勝機を伺いながら、不覚を反省する。
(次は気をつけないとな)
上空ではよくわからないたくさんの声が喚いていた。他の五感が駄目なせいか、シンカの聴覚はその中からダボネオールの声援だけを聞き取れるほどに冴えていた。『頼む、立て、負けるな』そんな様な事を叫んでいる。ザクライの『ルシア様の仇を討つんでしょ!?』という叫び声だけで、泣いている姿さえも見えるようだった。
(ルシアは……ルシアは助からなかったのか?)
シンカの心がルシアの笑顔でいっぱいになった。あの少女と約束をしたのだ! ……ヒュン、っと風を切ってシンカのパドルが空を切り裂いた。シンカの渾身の一撃は十分に速かったが、ソレイルが躱せる程度には遅くなっていた。
「まだ動けるのか。ますます信じがたい」
ソレイルは避けるなりまた距離を取った。朦朧とする意識と視界の中、次の攻撃を理解してシンカは青ざめる。ソレイルは先ほどと同じ鉄クズまた取り出し、胸の辺りに浮かべているのだ。
(飽くまで近づかないつもりか……しかも次は集中砲火で来る)
予想の通り、無慈悲なそれは散弾銃に等しい速さで、前の半分ほどの角度に放たれた。シンカは辛うじて体を可動させ、なるべくパドルの影に隠れる……それでも足や肩を抉る金具が、一度目の倍近い皮膚を削り出血させた。
(猶予は無い。次で決める)
その覚悟でシンカは武器を握りしめ、足の指先の力を込める……だがその決意や意思とは無関係に、体が地面に伏した。痛みはあまりなかった。戦闘ばかりを望んで歩んできたシンカの人生に、五体は喜んで付いてきてくれたものだとばかり思っていた。初めて裏切られた気持ちになる。
(なんだよ……動けよ……大事な時に……)
「さて、いくつの毒がどれだけ効いてるのか知らないが、君はきっとすぐにでも免疫を作り、立ち上がるんだろうね」
ザワザワする空の声は遠く、ソレイルの声はハッキリと聞こえる。地面についた左耳からは靴音が、もうすぐ近くに来ている。手から抜ける武器の感触にも、シンカは反応できなかった。
(相手がいないとか粋がっておいて……このザマか?)
「私は幸運だ。きっと未来の神は私を選び、こうして君を殺す唯一の武器を授けたんだから」
その毒は常人、もちろん毒に強いソウルを持つ常人の致死量を遥かに超えるものだった。それを全身に受けたはずのシンカが土を掴み、肘で這いつくばって、不自由な体を奮い起こす……膝立ちになったところで、ソレイルがパドルを振り上げた。
「さようなら、一つの未来」
諦めるなんて言葉はシンカの辞書には無い。それなのに、自分の支配下から遠退いてしまった体には、片手を無造作に上げる力しか残っていなかった。その右腕の骨まで至るパドルの感触がシンカに伝わる。
「俺を……舐めるな」
「脱帽だね」
ソレイルはまたパドルを振るった。今度はシンカの左肩に刺さり、赤い血が噴き出す。
「こんなのは私の趣味じゃないけれど、これをずっと繰り返す事にしよう。君が死ぬまで、私は一方的に君を切り続ける」
多量に出血しながら、動かない体で、大男はずっと笑っていた。
そこから先の惨状は筆舌に尽くし難い。屠殺に近い行為だった。戦闘に特化したシンカの本能は急所を防御し、頑強極まる体は死ぬ事を許さず、返ってそれが酷かった。
もちろんシンカは諦めない。これが戦闘ならば、本望なのだ。それなのに、最期には戦いとは関係の無い音が聞こえてきた。シンカは最初、自分の血しぶきの音だと思い死を悟った。
(今日は……雨だったか……)
「雨……?」
ソレイルがそう言った。




