第34話 三者三様
ヴァーゼルの黒馬は手足と同じに駆動し、もはや命令を下す必要もなくなっていた。飛来する斬撃を駿馬は主人の意図する方に躱し、野生動物に特有の粗製の尖ったソウルを放つ。
すれ違い様、片手で払ったゴアの肩口をヴァーゼルの長刀が捉えた。高密度のソウルを前にそのダメージは浅かったが、ヴァーゼルは予見から外れる結果ではない。
(それでいい……実力差は手数で埋める)
「違ぇな」傷口を撫でながら、手に付いた血を見てゴアはぼんやり呟く。「こんなんじゃあいつのところまで、千年あったって辿り着けねぇ」
聞いていたヴァーゼルの全身が寒気に震撼した。遥かに霞む頂点に見える目の前のキヴは、さらに遠くの誰かを見ている。
そんな遠くまで、自分だったらいったいどれほどかかるのだろうか? ヴァーゼルは戦闘中にそんな想像までするようになっていた。
「アスミ……シンカ」
「そんな名前だったな」
ゴアは剣を解いてしまった。形の決まらないソウルをこね回しながら、キヴの男は落ち着いている。
「どうした? まだ戦いは始まったばっかだぜ。手を休めねぇでくれ」
ヴァーゼルは襲いかかった。格下である事は承知しているのだから、その隙を是非もなく攻め立てる。総動員された思考と攻撃は、ただただ最前の一撃を、致死性の行動だけ求める。
(こんな刀では駄目だ。もっと重い一撃でないと)
心の声まで聞こえたのか、長剣の囮にした黒馬の蹴りがゴアを跳ね飛ばした。そのあまりの飛距離に、偉丈のキヴが大きなアーチを描く。
普通なら致死の一撃だろうが、ヴァーゼルはさらに加速して追撃を重ねる。先ほどまであれほど巨大に見えたゴアは打たれ、切られ、なんとか躱すばかりで蛹のように攻勢を見せない。
(もっとだ……もっと疾く、もっと鋭く、もっと重く)
全身全霊で恐怖を克服してみせる。その決意の猛攻を、ヴァーゼルは急遽止めた。彼の百戦錬磨の感性が警笛を打ち鳴らし、馬は野性の警戒心で飛び退く。
(手応えは……あったはずだが)
遠くからよくよく観察してみれば、ゴアは初撃の肩口の傷以外に外傷が無い。
もやもやとしていたソウルがようやく形を帯びはじめ、ゴアの手足に巻きつく。それは鎧のようだが、関節のほとんどが剥き出しで、至る所に発光する穴が空いている。時折、穴から火を吹くような音がした。
「まだだ……スピード? 密度? 根本からまだ違うな」
シンカには散々(心の中で)バカにされてきたが、この男は殊戦闘に関して言えば天才に他ならない。それがシンカという具体的な敵、到達点を見つけた事でさらに開花を始めていた。この短い戦闘の中、すでに大剣たった一本で勝ち続けてきた世界から脱却、羽化を進める。
ゴアは石を拾い上げ、ソウルで包む。ヴァーゼルはその石が半分近いサイズに圧縮されるのを見た。
石はゴアの圧縮されたソウルによって高速で打ち出され、黒馬の額を射抜く。馬は嘶きもせずに崩れ落ち、騎乗者を振り落とす。
もうヴァーゼルには恐怖なんか微塵もなかったが、敗北する未来だけは濃厚に感じていた。
ゴアが再び石を打ち込む。それはあのキヴの女、ラーネイザの鞭が戯れに思える程の、以前ソレイルに受けた一撃を超える程の膂力だった……が、今のヴァーゼルの感性はそれを真っ二つにする程に冴え、研ぎ澄まされていた。
(まだ……戦える)
斧を切り株に打ち下ろした様な、『ドッ』という鈍い音がした。この世界では非常に珍しい攻撃、右のボディーブロウがヴァーゼルの腹に突き刺さる。
圧縮したゴアのソウルの爆発的な射出は、二人の距離を一瞬でゼロにする事さえも可能にしたのだ。ルシアに近いソウルの運用を、この男はたった一回の戦闘で会得した事になる。
ヴァーゼルの体はくの字に折れ、耐える様子もなく、地面に伏して動かなくなった。
「こんなもんじゃねえ……あいつの一撃には……」
不満げにそう残して、ゴアは歩きだした。
====
もはや勝敗なんてどうでもよかったのだろう。真黒き翼の面々は二人の戦いの行方を見守っていた。どちらがリーダーになっても口を挟む余地の無い、まさに真黒き翼に相応しい戦い激戦が蒼天に咲く。
リマシィの翼は漆黒で少し分厚い。フィルクレッサの薄い羽はコウモリのそれで、艶消しの黒だ。終始リマシィが優勢に見え、実力差を示していたが、戦い方が少し変わり始めた。
「楽しいわね、フィル! 私、まだ強くなれそうよ!」
はしゃぐリマシィは少女のようで、言葉の通り強くなっていく。フィルクレッサはそれについていくのが精一杯だったが、自分も釣られて成長していくのを実感する。
今やリマシィの鎖は地面に壁面に障壁に、ありとあらゆる場所に刺さり、縦横無尽に張り巡らされていた。時にそれを足場として加速し、武器として手にし、罠として破裂させる。千変万化に運用される鎖の森は厄介極まった。
フィルクレッサは苦戦する。自分にとって鎖は邪魔でしかなく、足場にしようとすれば消えたり、近づくだけで不意に破裂したりする。それを迎撃するため、フィルクレッサの矢数とバリエーションも自然に増えていた。コの字にした矢を時には十本以上も一度に放ち鎖を断ち切り、リマシィを狙う。
……そのまま青天井に白熱を続けるかと思われた戦闘は、唐突に終わりを迎えた。
「どうかしたの? フィル?」
フィルクレッサは手を止めて地に降りる。つられてリマシィも降り立った。
「この戦い、やっぱりボクの負けがいい」
「急にどうしたの? 実は私、ちょっと興味出てきたところなんだけど……」
その事は言動や笑顔から、誰の目にも明らかだったろう。
「上手く言えないんだけど……ボク達は世界の未来のために戦ってたんだ。それで、なんて言えばいいのかな? リマシィ様はきっと未来に必要な人だから」
「だから?」
「だからその、もっと広い世界に出て行かなくちゃいけないんだよ。きっと」
フィルクレッサは泣いていて、リマシィにはその理由が分かっていた。だからやさしく抱き寄せる。当たり前だが、昔よりずいぶん背が高くなっていた。
「成長したのね、フィル。周りの事を考えて行動するリーダーになった。優しい嘘が吐ける人になった」
「一つだけ本当の事……ワガママ言っちゃダメかな?」
リマシィは答えを少し躊躇った。
「私はきっと、それには応じられない」
少し背の低いフィルクレッサはリマシィにしがみ付いた。リマシィはその頭を撫でる。
「髪、切っちゃってごめんなさいね」フィルクレッサは何も返さない。ただリマシィを掴む力が強くなる。「さあ、もう行きなさい。仲間があなたを待ってるわ」
リマシィの目線の先には何人もの懐かしい女の清々しい表情が見えた。少し間をおいて、篭った声が帰ってくる。
「泣いてるとこ、見られたくないです」
リマシィはしばらくその髪を撫で続けた。
====
空がやかましい。誰だか知れない助っ人ではあったが、誰でも構わなかったのだろう。それに加えて竜の方でも叫ぶ声が大きい。
空中庭園ではシンカの内に燃え盛る炎に掻き消されそうな、少しだけ残った冷たい理性が理由を求め続けていた。
「なぜルシアを殺した。なぜフィスカを襲った」
「ルシアだけじゃない。ヒューマンとかいうのも、そこらに散らばっている聖都の兵も、フィスカの民も、みんな私が殺したんだ」
答えが返ってこない事くらいは承知している。ソレイルは意に介する様子を微塵も見せない。
「お前の大切な仲間じゃなかったのか?」
「今でも大切な仲間さ。大切な戦友で、親友もいただろう。悪友も部下も……家族だって。フィスカは私の大切な家」
シンカが吠えた。言葉と行動の矛盾に怒り、聖都を覆う結界を割らんばかりにビリビリと吠えた。
「なぜ殺したと聞いてるんだ!?」
「そうだな……強いて言語化するなら、私が悪だから、じゃないか? 悪は大切なものを壊す。悪は奪う。悪は平和を嫌う。悪は善の対極。聞かれてみると難しいものだね……別にフィスカでなくともよかったのかもしれない。さしずめ、詰まる所、偶然の域を外れないだろう」
シンカはその腕に厚く巻いていた布を解き始めた。ほどかれた包帯は冥府での連戦で埃っぽく汚れていた。
「お前は許せない」
「君は私に勝てない」
いたずらっぽく笑い続ける美男子を尻目に、ドスッっと音を立て、シンカはその右足をくるぶしまで地面に突き挿す。本気で戦う時、シンカはいつもそうした。彼の力の前に、地面や靴は柔らか過ぎるのだ。
この後に及んで、シンカは『出方を伺う』とか『様子を見る』なんて心境では在り得なかった。事務的な冷徹と残酷で速やかな処理に徹する。
先に動いたソレイルは、その懐から尖った鉄の礫を目の前に集め、シンカ目がけて撃ち出そうとする……その刹那と呼べる極々短い所作は、本気のシンカの前では隙でしかなく、地面を蹴る轟音がした時にはすでにソレイルの真横、その右腕を右手で掴んでいた。
「これは俺の武器だ、返してもらうぞ」
シンカは掴んだソレイルを無造作に投げた。そのあまりの膂力と特質的体質のために、ソレイルは声も出す暇も、為すすべもなく宙に舞い、遥か斜め上空の結界に背中を強く打ち付けられる。
息も意識も戦意もあったが、右の手首から先は失われ、そこから先とパドルはシンカの右手に置き去りだった。
パドルにへばり付いた手首を投げ捨て、男は冷たい目つきで武器を構えた。圧倒的な戦力差を目の当たりにしてなお、ソレイルは空中で不気味に笑う。
ソレイルの狂気が炸裂する。シンカの真横に残っていた鉄クズが爆発したのだ……広範囲に粉塵と爆音を巻き起こしてエテア=ルミラスを揺らす。
誰だか知れない勇者の死に落胆し『次は我々が』と、荒ぶるフィスカの戦士達は障壁を強く打ち鳴らした。
「やはり俺の体についても知っているらしいな」
立ち込めた煙の中でそんな低く落ち着いた声がする。
晴れて見れば、中の巨漢はほぼ元気だった。急所はパドルでガードされ、手や足に破片が刺さっているだけで、致命傷と言える傷が見当たらない。それを見たソレイルの顔が初めて崩れ、呆れ果てた。
「実物を目の当たりにしても、ちょっと信じがたいね。まさに定向進化の到達点」
「あとで俺について知っている事も話してもらおう。なぜこんな異世界に迷い込んだのか」
「…………イセカイ?」
しばらく沈黙してからソレイルはまた笑った。左手と無い右手で腹を抱えて爆笑する。それは本当に楽しそうで、明らかに嘲笑だった。
「異世界ってなんだい!? まさか君は……ソウルが蔓延しただけでパラレルワールドにでも迷い込んだと思っていたのか?」
言葉の意味を理解しようと思案したが、ソレイルの言いたい主張はとても簡単に理解できて、シンカはただ唖然と目を見開く。
「その反応、本気で別の世界に来たと思ってたみたいだね! これは傑作だ、滑稽だ! こんなのが次の可能性だなんて」
「ここは……未来なのか?」
嘲笑うソレイルはやけに流暢だった。




