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第32話 竜殺 VS 地上最強

 ヴァーゼルが馬を止めないので、ゴアは両手でジェスチャーを交えて、並走しながら必死に訴えていた。


「おいおいおい、ちょっと待てよ! さっきの流れでなんで帰っちまうんだ!? おかしいだろ! それなりに戦えそうな雰囲気だしてんのによぉ!」

「お前はフィスカの人間じゃないだろう……そうか、あのキヴの仲間か?」


 ゴアは何故か胸を張る。聖都の城の傍、白い平屋の城壁を過ぎていた。


「あのキヴってどのキヴ? 俺はなんの後ろ盾も持たねぇ、孤高の戦士、ライダルク=ゴア様でぇ!」

「知らん名だ」

「……あそ」


 ヴァーゼルは目を合わせようともしない。コトコトと馬蹄を鳴らすのに熱心だ。


「では……なぜ戦う?」

「アンタ『空気が読めねぇ』って人によく言われね? なんかこう……場の流れってもんがあんだろ? あの場の流れでアレはねぇぜ!」


 そのまま、古い建造物や柱をツタが覆い尽くした、エテア=ルミラスで最も永く放置された場所に来ていた。


「お前は……変な奴だ」

「フツーな奴、なんて奴ぁ世の中にそうそういねぇもんよ。まあ中でも稀代の天才がこの俺様、地上最強にして、ついさっきまで冥帝を兼任しちまった天才がこの俺様なんだけどな!」


 ようやく馬の足が止まる。バーゼルの声はまだ落ち着いて、聞き様によっては眠そうだった。


「冥帝を……お前がか?」

「おっ、やる気出た? どだ? ドーンと胸を借りるつもりで!」


 ゴアは自分の胸を手のひらで二度も叩いて威張った。ヴァーゼルは目をウロウロさせてから、左上を見つめる。


「切ってみればわかる……か」

「そうこなくっちゃ!」

 

 さんざん威張ってから、ゴアはわざわざツタを掻き分けてかなりの距離を取り、ヴァーゼルの正面で仁王立ちした。

 ヴァーゼルは黒馬の腹で踵をカチャリと鳴らす。一瞬にして完全武装の騎馬が組み上がる。


「いいねえ……いい。すげぇいい感じだ」


 一撃、その野生の赴くままにゴアの目が愉悦を帯び、舌舐めずりしてから先制攻撃を仕掛けた。


 地上最強を冠する者、ゴアは大剣の創出と攻撃が同時だった。

 フェイントを入れるでもなく、シンカとの一戦からヒートアップしたままの体が、振りかぶって、大きな、しかし鋭いモーションで剣を創り、そのまま袈裟に斬撃を飛ばす。

 切り終えた姿だけを確認して、ヴァーゼルはその生涯で最も大きく目を見開く。馬が勝手に避けるのと、回避の命令を出すのが同時だった。

 論理的思考が割って入る時間的余地など無く、ヴァーゼルと馬は一心同体に、その身を斜め後方に飛び退いていた。


「いい反応だ」


 相手のその言葉で、ヴァーゼルは回避が間に合った事実に遅れて気がついた。それでも馬ごと胴体を真っ二つにされたイメージがハッキリと焼きついている。一瞬で全身が汗だくになり、手綱を持つ手が滑りそうだった。


 動悸と不安に後ろを振り返ると、自分に代わって、古い小屋がスッパリと斬り落とされ、斬撃が遥か遠くの障壁さえも切り裂き、小屋の上部が崩れるところだった。


 相手に向き直り、そのソウルに言葉では表現し難い吐き気を催す。全身の骨の中まで冷たい鉛を流し込まれた様で、『自分』という内容物を全て吐きそうだった。


 人は本当に怖い時、「怖い」なんて考えない。思考と感情は動物的に退行して、無我夢中で生存を求め、原始的な本能に走る。


 ヴァーゼルは逃げた。馬は馬の意思で勝手に逃げるようで、それに任せて脇目も振らずにゴアから遠ざかった。


 それっきり、ゴアは緑ばかりの蔦の庭園でポツンと取り残された。


「なんでぇ……意外と臆病なヤロウだな」


 初めて感じる馬の荒ぶりにしばらく身を揺らされてから、ヴァーゼルは相手が追って来ない事を確認して、ようやく自分を見た。手や足の先にも心臓があるのかと思うほど全身が波打っている。体は熱いのに、これ以上無いほどの寒気に震え、本能が無意識で隠れる場所を探している。


『いつか君も巡り会うはず。膝が震え、鳥肌が立ち、全身の血が凍ってしまうような、理想の恐怖に』


 そんなソレイルの言葉を思い出し膝を見れば、膝どころではなく、腰から下が全て笑っていた。長年の相棒も同じ気持ちらしい。息が荒く、絶えず足を動かしている。


「これは……恐怖?」


 口に出すや否や、ヴァーゼルには、ついさっきまで振り払おうとしていたそれが、愛おしく思えてしまった。探し求めたそれは、ヴァーゼルの想像より遥かに濃く、致命的なまでに甘美な匂いで、彼を魅了した。


「これが恐怖」


 確信して、滅多に笑わないヴァーゼルは笑い、恐怖らしき熱に酔いしれた。


 あのスリルをもう一度、そして乗り越え、打ち勝つ事こそが至高にして愉悦であると悟った。


「もう一度……」


 手綱を戻し、踵で腹を蹴ると、いつもとは違う、今までに経験した事のない反応が返ってくる。馬が進まない。


「どうした?」


 もう一度、少し強く蹴っても、馬は嫌がって逆の方を向いてしまった。


「そうか……お前も恐怖を感じたのか」


 気持ちが急くヴァーゼルは馬を繋ぎ、ひっそりとした遺跡に急いで戻ったが、蔦の庭園にはキヴの男の姿はなかった。辺りを探しても見当たらない。


 城まで探しながら戻ったが、部下に聞いても誰も見ていないと言う。仕方なく、竜殺しを総動員して捜索させた。


「大将ー! どうやらこっちみたいですぜ!」


 見つけ出されたのは間違い無くあのキヴ……の服だけだった。城のすぐ脇にある露天風呂の更衣所、しかもなぜか女湯のそこに、雑に脱ぎ捨てられていた。

 ヴァーゼルは興が削がれるのを必死に抑える。


 扉を開ける。ヴァーゼルは火が嫌いだし水も湯気も嫌いだったが、それがムワッと襲ってくる。構わず土足で湯船を見ると、そいつは心の底から気持ち良さそうな顔で大の字になっていた。

 ヴァーゼルの姿を認めたその男は、アホらしいセリフを吐いた。


「よぉ! お前も風呂?」

「ここ……女湯だぞ」

「ッゲ!? まじで!? それならそう書いとけよ」


 入り口に大きく書いてあるのだが、ヴァーゼルは後ろの方をチラリと見ただけで、何も言い返さなかった。


「お前も入ってけば? さっきは汗びっしょりだったかんな!」、ゴアは嫌味でもないらしく豪快に笑う。

「俺はお前に恐怖した。もう一度勝負しろ」


 ヴァーゼルのこれ以上無い愚直な言葉に、ゴアの目が鷹のそれになる。


「リベンジマッチか。それならいくらでも付き合うぜ。終わったら次はちゃんと男湯に案内してくれるんだろうな?」


 赤銅色の、筋肉質な体がおもむろに起き上がる。二人は対峙したまま、長い間静寂を共有した。


「服を着ろ……さっきの場所で待つ」

「やっぱ気になる? いや俺は別にいいんだけどよ、絵面てきにちょっとなぁ」


 ……。


 ヴァーゼルは気をとりなおし、枯れた噴水の淵に腰を下ろして待ちわびながら、イメージした。


(俺はおそらく……負ける)


 そんな思いで臨む戦いは初めてだった。負け戦なら回避してきた。一時の劣勢なら盛り返した。敗北の許されない世界で生き延びてきた。


 今、『生き延びる』という前提条件から離脱しつつある己の思想に、ヴァーゼルはどうしよもない疾走感を抑えられなかった。それは先ほどまで生きようと必死に逃げ延びた自分から進化する一歩目に思える。


 あの男は何の迷いもなくここに辿りつき、躊躇一つ無しにその剣を振り下ろすだろう。


(それでいい……俺はそれを躱す)


 次の一撃はもっと鋭く、さらに重いだろう。


(想像しただけで……体が冷たくなる)

 

 もはや勝敗ではなかった。ヴァーゼルはいま、『生きる』という未来を、死に対する恐怖、敗北の先に待つ身震いのさらに先にしか見出せなくなっていた。


 そいつが気配を消す素振りも無く、堂々と物影から姿を現す。


「よお!」

「待ったぞ」


 無垢な笑い一つにさえ、今やヴァーゼルは恐怖と驚異を禁じ得なかった。無邪気の裏に、この男が想像を絶する狩猟本能を宿している事は承知している。今のヴァーゼルはその先が見たいとさえ思っているのだから。


「どうやら覚悟はできてるみてぇだな」

「ああ。俺も遅くなった」


 ヴァーゼルが事前に想像していた恐怖のイメージとは程遠く、ゴアは竜殺しの仲間達よりも親しげに語りかけてくる。友人のようだった。


「なに謝る事ぁねぇさ、馬はどした?」

「置いてきた」


 ヴァーゼルは自分の舌がいつに無く滑らかに回るのを自覚する。このくらい速く対応しなければ、奴の奇襲には絶対についていけない。顎にうっすらのった無精髭を撫でながら、ヴァーゼルを見るゴアは、値踏みをしているようだった。


「なかなかいい馬に見えたけどな。無しでいいのかねぇ?」

「お前の前だと言う事を聞いてくれない」


 ガチャリ、鈍い音で剣を突き出し、ゴアは顎をしゃくった。


「そうでも無ぇらしいぜ」


 見れば裏庭に留めていたはずの愛馬が、ヴァーゼルへと駆けてくる。


 ヴァーゼルにはそれがなんとも言えず、しかし感慨深かった。お互いが幼い頃から、お互いが生き抜くための共存関係を築いていたものとばかり思っていた。だから名前もつけなかった。それなのに今同じ方角を睨む先にいるのは生存戦略からは程遠い相手だ。

 ヴァーゼルが「やっぱり怖いからやめたい」と言い出せば、おそらくこの戦闘は回避できるだろう。

 

 だが、黒衣の剣士は黒馬に駆け乗り、人馬一体の黒いソウルに身を包み、気が付けば駆け出していた。

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