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第31話 揃い踏み

 太陽は落ち始めていたが、まだ夕暮れには遠い時刻だ。

 南より飛来する影を最初に察知したのはフィスカの哨戒を主とする兵だった。彼らは独自の形、糸や網状に成形したソウルを周囲に張り巡らせている。

 そんな兵達の目はすべからく戦況に釘付けだったが、南よりのビリビリしたソウル、雷じみた攻撃的なソウルが彼らの神経を否応なしに刺激した。


 その速度は凄まじく、哨戒兵が騒ぎ始めた時、鳥類とも爬虫類とも付かない巨大なシルエットは、ゴゥゴゥと音を立てて既にエテア=ルミラスを旋回していた。




「ねえ、アレってもしかして、君んとこのじゃない?」、フィルクレッサはまだ体から湯気が出ている。

「……似ているな」、ヴァーゼルは馬上からさらに上を見上げ、他人事みたいに吐き捨てた。


 ヴァーゼルはその明瞭な、明瞭すぎて起伏に乏しい語り口で、竜の伝説をフィルクレッサに事務的に説明した。

 フィスカの空を一周だけ旋回したその背中に人影が認められるものの、姿形までは判然としない。


「じゃあ背中に乗ってるヤツが世界を破滅させるって事?」

「救済か破滅かは……誰も知らない。ただ……」


 空を仰いだまま、いつも以上に話を長く区切るヴァーゼル。


「ただ?」

「予感がする……心が……騒ぐんだ」


 フィルクレッサも空を見つめたまま、独り言みたいにつぶやく。


「キミもたまには人間みたいな事言うんだね」

「…………」




 国中の人間はもちろん、犬や猫でさえも空を見上げていたのだから、誰もがその黒いシルエットに目を奪われただろう。

 あっという間に大きく見えて、その細長い胴に優美な翼の黒いドラゴンは、聖都を旋回しながらその速度を下げた。当然フィスカに包囲される。


「撃つな! 敵じゃねえ!」


 ダボネオールが竜の背に乗る一人を認めて、声を荒げて兵を制した。シンカはそこまで竜を移動させ端的に聞く。


「何がどうなってる」


 いつも悠長で余裕ありがちな隊長の声が、今は悲痛に聞こえた。


「頼むフィスカを……ルシアを救ってくれ。もうお前しかいねぇ」


「シンカ様、下を。あれがソレイルですわ」、リマシィは慌てた様子も無く顔を下に向けている。熾烈な戦闘の匂いが残る空の荒れ地に、シンカは二人を見出した。一人はうっすら笑ってこちらを見上げる美男子。もう一人は……


「シンカ! ルシア様を早く!」


 正規兵ではないのに下方に滞空していたザクライが泣きつく。もちろんシンカには障壁が見えなかったが、兵の布陣からその結界が赤ら様に見て取れた。

 シンカはザクライには何も答えず、竜の背から飛び降りる。


「それでこそ、私のシンカ様ですわ」リマシィは綺麗に笑って落下する背中を見送った。「ねえドラゴン? あの結界を突き破れまして?」

「問題ありません。私はそのために作られました」


 王都フィスカの上空の聖都エテア=ルミラス、そのさらに天空へと竜は昇った。




 二人の間にシンカは落下し、衝撃も土煙も介せずルシアに歩み寄ってその名を叫んだ。


「ルシア! ルシアッ!」


 抱きかかえたシンカの大きな腕から力なくこぼれた小さな手は傷だらけで、特注の淡いピンクの隊服は泥と血と綻びに染まっている。同じくらい乱れたシルバーの髪の間から、ルシアはいつもの元気な笑顔を見せてくれない。

 目を精一杯に半分ほど開き、声は震え、それでいていつものルシアの調子だった。


「ごめんね。シンカの事、信じてあげられなかった」

「ソレイルの事か? そんな事気にするな」


 抱き上げた小さな背中から暖かいルシアの命が流れている。ザクライの時とイメージが重なって、シンカはルシアが冷静な分だけ焦った。ルシアはゆっくり喋るのに、シンカの声は早くなる。


「最後にお願い、いいかな?」

「最後じゃなくていいなら言ってみろ」


 ルシアは笑う。


「わたし、みんなに幸せになってほしいんだ」

「分かってる……俺がやる」


 その先をルシアは明瞭に言った。笑う表情が明るさを増す。


「フィスカを守って」

「分かってる」


 竜巻のような突風を叩きつけて、ドラゴンが結界を突き破った。ルシアの髪が揺れて、優しい表情が見えた。


「もう一つ……みんなのところに行きたいの」


優しく笑った顔のまま、ルシアは目を閉じた。シンカはルシアを抱き上げ、ソレイルに背を向け、ただ竜へと歩き出した。リマシィとゴアは降り、代わりに少女を慈しんで竜の背に預ける。


「頼む、上に」


 ドラゴンは少しだけ首を上下して、ゆっくりと上昇を始めた。ザクライの例を思い出し、シンカは一縷の奇跡を祈る。

 おぞましいほどクレバーな声がシンカの背中を冷やした。


「ずいぶん早かったんだね……なるほど、やっぱりあれは時間稼ぎだったわけか」

「貴様がソレイルだな」


 シンカは表情を一切見せなかったが、その優しい響きには内心驚いていた。


「初めまして、無力なアスミ=シンカ君。君は間に合わなかった。戦いしか取り柄が無い君は、それでもルシアを救えなかった。君は弱い」

「なんでこんな事する」


 対照的にシンカの声は咽んで震えていた。自分の心が弱いから泣くのだと、シンカは考えている。


「全部君のせいさ。君さえ来なければ誰も死ななかった。君がフィスカを出なければ、私は開戦に踏み切れなかった」


 シンカは泣きながら、それでも振り返った。この男が戦う理由が、シンカには全くわからない。なぜ自分の武器であるパドルをソレイルが持っているのか? 色々と状況がわからなかった。


「そんな虚勢を張ってまで安い挑発する理由はなんなんだ」

「分かる必要は無い。無力な君は今日、ここで死ぬんだから」


 シンカは相手をあまり意識していなかった。ほとんど独り言に近く、半ば怒りを自分に向けている。


「お前の言う通りだ。分かる必要も、分かりたくも無い」

「ここで死ぬのも現実になる」

「それでもいい。ただ……」


 元より死ぬつもりでこんな世界に迷い込んだのだ。今さら敵に臆するという感情などどこにも無い。ただこの相手に限っては強くあって欲しいなんて発想は微塵も浮かばない。


「俺は約束を守る」


 『みんな幸せになってほしい』だなんてエゴでしかないとシンカは考える。知的な発想でも、生産的な発言でもない。

 ルシアのそんな生き方が、シンカは好きだった。それこそが人間らしさだと考えていた。


 シンカはその目の奥に冷たい炎を宿すのに、ソレイルは微笑した様にも見える優しい眼差しで相手を見据える。


 そしてお互いの左右には、お互いの二人の仲間。

 

「手伝うよ。ソレイル……っていうかそいつボクに殺らせて」、フィルクレッサは黒い服の女を一点に見ていた。みなぎる殺意に、リマシィは笑顔で手を振って返す。


「なんか話がよくわかんねぇけど……俺は余りもんか? まあ、とりあえず食っとくか」、一見して百戦錬磨と見て取れる相手に、まんざらでもなさそうなゴアは両手を頭の後ろで組んで、なお品定めを続ける。


 ヴァーゼルはそれを確認したのに、手綱をとって馬を引き返してしまう。ゴアは慌ててそれを追いかけた。

※結界に突っ込んだらシンカは服だけ破けるんじゃ無いのか?……気にしてはいけません。


※なんでフィスカ兵みんなで突っ込まないの?……気にしてはいけません。

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