第28話 正義の決起
フィスカの軍務塔には以前ソレイルが使っていた小さな書斎が綺麗なまま保存されている。『いつでも戻ってきてください』、そんな誰ともない暗黙の願いが、その部屋を時間から隔離した。
埃を被れば誰かが払い、その姿のまま風化せず、部屋は季節を乗り越えた。そんな寂しく取り残された部屋にも、華やいだ時間があった。
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ある日、ソレイルは書斎の赤っぽい花梨の大机で、大きな製図板に見入っていた。俯きながらもメイロンの話をしっかりと聞き、その手と口と羽ペンは止まらない。
「すごい子がいる?」
「ええ、十三歳で。軍属所願では無いのですが」
「無理強いする事も無いだろう」
「それが、報告があったのは無理強いした後だったんですよ」
メイロンの談を聞けば、どこぞの小隊長が路地裏の子供の才能に惚れ込んで『どうしても』と推薦状まで書いたのに断わられ、強行手段に出たらしい。
そこまで聞いたソレイルは漸く顔を上げた……が、上げてはすぐに横にあった手記をパタパタとめくりだす。何もしていない、という事がこの男には許されないらしい。
「なるほど読めたぞ! 私の数少ない一つの安息と知りながら、メイロンが測量の邪魔をしに来た理由が」
「別に邪魔してもいないでしょう」
メイロンは懐から一通の手紙を取り出しソファーで見開くものだから、互いにそっぽを向くかたちになる。
「その子の退役なんて私の許可も必要ないだろうに。よっぽど可愛がられてるらしいね、その少年は」
「早合点はあなたの悪い癖です。その子はまだ養成所にも入っていません。それに少女です」
ノーアルムからソレイル宛に届いた手紙の内容は、後にフィスカなら誰もが知る、あまりに有名な逸話になる。
小隊長が口説きに学校まで押しかけたところ、少女は悪ガキをたくさん引き連れて校門まで来たらしい。後ろに控える誰もが誇らしそうで、ルシアの敵は自分の敵だと言わんばかりに鼻息を荒くしていた。手を腰に当て、背筋をピンとして、少女ルシアは小隊長にこう言い放ったそうだ。
「そこまで言うならおじさん、鬼ごっこで勝負しようよ! もしわたしを捕まえる事ができたらニュウタイする」
「参ったなぁ……私は翼兵じゃないんだが」
「誰だっていいし、何人だって構わないよ!」
ソレイルの手がやっと止まった。思考と行動を同時にする事が出来ない、複雑な事態だったのかもしれない。両手を広げておどけてみせる。
「そんな間の抜けた話がある!? 軍属の誰もその子を……ルシアって子を捕まえられなかったって言うつもり?」
「つもりも何も、事実です。後日、面白がって遊山に来たノーアルム隊の副隊長が二人がかりで捕まえられなかった、そんな報告まで上がっています。当然秘密裏に、ですが」
「副隊長まで……おいそれとは言えないだろうね……十三歳の少女に副隊長二人まとめて煙に巻かれたなんて」
それとなく眺めていた書面を、メイロンはソレイルの方、製図板の上に放った。
「ノーアルム様からの手紙、最後の部分はこう締めくくられています」
『伝聞のみにて申し訳ありませんが、その少女ヴィセッカ=ルシアの稀有な実力に関して、軍部が熟考する余地は多分にあるかと思います。もしお暇がありましたらソレイル様自らご視察なさってみてはいかがでしょうか? ヘルムダード国境警邏のため、残念ながら私は近日中に本国を離れますが、帰ってきてまだ手が付いていない様でしたら、私から伺ってみようと考えています』
ソレイルはメイロンの言葉と同じ速度で文章を追いかけて、その先にワクワクを見出した。
「俄然興味が湧いてきたよ。鬼が出るか蛇が出るか……今から行ってみようじゃないか」
「今からですか?」
「ちょうど学校が終わるくらいの時間じゃないか」
「大騒ぎになりますよ」
「まあそれもまた、一つの愉悦としようじゃないか」
インクに蓋をして、羽ペンを革のケースに丁寧にくるんで、ソレイルは簡単に支度を整えた。
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授業はもう終わったというのに、ルシアは割り算が理解出来なくて、洋紙を何枚か費やしてクシャクシャにしていた。仲の良い男の子の一人が覗き込む。
「なあ? 今日もあいつら来るかな?」
「そんなの知らないよ」
ルシアは口をアヒルみたいに尖らせてやきもきしていた……割り算の方法は覚えたのだが、『なぜそうなるか』が理解できなかったのだ。
「なあ? なんで軍に入らねぇの? ルシアならぜってぇ隊長になれんのに」
「人を傷付けるのが嫌いだって、何度も言ってるでしょ!」
半ば怒っているのも、算数の八つ当たりだ。少年はそんな事気にする事もなく、嬉しそうに立ち上がった。
「でもあいつら今日もきっと来るって! 俺ら校庭で待ってるかんな!」
「もうやんないよ。ワリザンやったら帰るもん」
「チェッ。おとなたちがビックリしてんのスッゲー楽しんだけどなー」
ルシアは男女問わず人気者だった。少年が仲間内で何やら話して走って去ったかと思うと、次は女の子の集団に捕まる。
「ルシア、ちょっと聞いて! ルシアのストーカーいたじゃん!?」
ストーカーとはルシアをスカウトしにきた小隊長の事だ。
「うん、それがどうかしたの?」
「プラネがね、あの人チョーかっこよくない? って」
「えー! まぁカッコイイ? うーん、でもすっごい強引だったよ……」
「そこがいいんだってさ!」
ルシアは算数の事なんか忘れて話し耽った。次に小隊長が来たら何を実行するか、あるいはしないのかまで話しを煮詰る算段に到。プラネと呼ばれた少女はモジモジとしてあまり喋らなかった。
「とりあえずルシア、あの人に彼女いるかそれとなく聞いてみてよ」
「なによそれ!? わたしがあの人に気があるみたいになるじゃない!」
下階からバタバタと近づいてくる足音で、女の子たちは決断が迫られていると知る。
「やっぱり来たんだ。あの人たち」
「プラネどうするの!? あんたが決めなさいよ」
「えぇっと……そんな急に決められないよぉ……向こうも困るだろうし……」
教室に駆け込んだのは世にも奇妙な表情の、さっきの少年と数人だった。ルシアは嫌々、仕方なしに立ち上がる。
「おいルシア! そと外! 校庭に……」
「はいはい分かった、いま行くよー」
「ソレイル様が来てんだッ! お前に会いに!!」
その言葉に全員が一瞬凍ってから、同時に二階の窓まで詰め寄った。実物を見つけるなり一斉に歓声を上げ、教師に怒られる事も省みず、我先にと窓枠から飛び出す。ルシア一人だけ、言い訳の様に階段に向かった。
ルシアが校庭についた時には当然、前に進めない程のダンゴになっている。
「だからってみんな、窓枠から出ちゃ駄目だよ」
ソレイルの一言にみんな律儀に返事をする。いつもはヤンチャな少年達も、憧れの大英雄の前では従順だった。
「あ! ソレイル様、あの子がルシアです!」
これだけ同い年の子がいるのに、自分が呼び出された事が気まずくて、ルシアは引け目を覚えた。「ちょっといいかな」とソレイルが一歩前に出ると、みんなが横に動いて道が開く。自分も横に動こうかと思った。
「君がヴィセッカ=ルシア君?」
「あ、はい。そう……です」
ルシアは何度かその行軍を遠目に見た記憶があった。フィスカの実質的最高権力者、大英雄、白天使……そんな形容のどれもが合致する美しさに、誰もが抱く羨望と憧憬を人並みに抱いたが、それは絵画の中の天使を愛でる事と同じ、絵空事のはずだった。はずだったそれは今、額から飛び出し、いつも遊んでいる校庭で自分に歩み寄ってくる。
近づいても近づいてもそのイメージは崩れず、むしろ圧倒的な輝きとリアリティを纏って、ついに目の前まで来てしまった。
「ルシア君、君の話を聞いたんだけど本当なのかな?」
「ホントって、なにがですか?」
俯いて返すそっけない返事とは裏腹に、ルシアの胸は高鳴っていた。
「いくつか聞いたが、例えば副隊長から鬼ゴッコで逃げ切った話とか」
「鬼ごっこって言うか……逃げはしましたけど」
「それだけの力がありながら、軍には入りたくないの?」
「…………」
ルシアは黙った。次の言葉が目の前の人の気分を害する気がして、言えなかった。元来そんな事気にするルシアではないはずなのに、なぜか言えなかった。
「理由は言いたくない?」
「その……人を傷つけるのが嫌なんです」
言ってしまってから冷や汗をかいたが、ソレイルは笑ってくれた。太陽みたいに笑ってくれた。太陽みたいに暖かい手で頭を撫でた。
「ではしょうがないね。すまなかったね、ルシア君。もう無理強いはしないよう、軍隊の人たちには言っておくから、安心して」
それだけ言ってソレイルは踵を返してう。ルシアは何か伝えたいが適切な言葉が浮かばなくて、少し足が前に出ただけだった。なにも言ってくれない事が悔しかった。
「そうだ、ルシア君」
もう消えそうだったその背中から、横顔が覗く。
「私たちは……いや、私個人で言えば、フィスカの皆が傷つかないように、平和で幸せに暮らせるように戦っているんだ。そんな人もいるって事は知っておいてほしいな」
ルシアはその言葉を理解した。そして恥ずかしい気持ちに赤面した。
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今、頭上には強大な敵がいる……かつての恩師、いやそれ以上の存在だ。フィスカを支えた大英雄その人が牙を剥いた。理由はわからない。
ルシアは的確な指示を与え、自らは国王、ダボネオール、リッパール、メイロンを主とする極緊急の会議を開いていた。ヒューマンが時間稼ぎをしている事まで伝え、答えを急ぐ。
国王は冒頭に『自分に力はなく、実情と現場をよく知る君たちに任せる』という旨を伝えたっきり、ほとんど喋らなかった。初めてそう経たないうちに、空から催促が響く。
『聞こえているだろうかフィスカの諸君? これよりしばし後、王城に伝令を送る。君たちの答えを教えてほしい。答えは二択、抗うか、従うか。それ以外は認められない。従う場合、フィスカ軍部の全面的掌握を条件とする。抗う場合は……まあ各々のイメージにお任せしよう』
聞き終わるなり、ダボネオールが頬杖に口を開く。
「ここはフィスカの頭脳、メイロン殿のご意見を伺ってはどうですかね?」
「あの人知を超えた攻撃が出来ないのであれば目標は二つ。城下における覚醒者の鎮圧と、エテア=ルミラスの制圧。前者は収束しつつあるようですから、後者に注力するは必然。相手にソレイルがいるとは言え、まだ兵力で言えばまだこちらに分があるのは明白」
頬杖の黒獅子隊長は、目線を遠くに向けてぼやいた。
「昔っからよく分かんない奴だったが、何があいつをそこまで変えちまったのかねぇ」
ダボネオールの独り言は会議には相応しくないが、誰も咎めなかった。メイロンとダボネオールはソレイルのすぐ横で、五年以上も副隊長として側にいたのだ。思い出と情が無い筈もなかった。メイロンは一つ咳払いを交える。
「ともかく、私個人としてはできる限りの抵抗を進言します。月並みですがそれ以外の道は無いかと」
ルシアが口を開く。
「私もそれ以外の道は無いと考えています。他に考えがある者がいれば意見を聞きたい」
リッパールが手を挙げた。
「異論は無いのですが、あの障壁をどうするつもりですか? 自分も触れてみましたが、とても突破できるものではありませんでした」
「包囲して解けるのを待てばよいでしょう。あれを永遠に張り続けられるとは考え難い」とメイロン。
「もしバリアが解けるより早くあの攻撃が復活したら?」、とダボネオール。
全員が沈黙した。もう一度あの絶望的な一撃が来れば、きっと全てが終わってしまう。そこに決定的な打開策は見出されず、誰もが口をつぐむ。
「やむを得ません……直上からの総攻撃にて障壁に穴を開けるというのはどうでしょう? 円錐陣による一点突破を進言します」
「そりゃあ、それが出来れば一番だけど、そんな事できるのかよ?」
ここで会議室の大げさな扉を開け放つ兵があり、震えながらヒューマンの敗北とソレイルの異常性が詳細に報告された。
「あれはソレイル様の……いや、人間のものではありませんでした。恐らく数で押しきれる類の力ではありません」
「総攻撃だと的になっちまうな」
メイロンは聞こえていないように下を向き目を閉じていたが、おもむろに顔をあげた。
「的を散らしての総攻撃……」
全員の目が、全員の同じ覚悟を確認していた。若輩のリッパールは唾を飲みこむ。
「それしか無いのであれば、やるより他に無いかと」
ダボネオールはまたうわ言みたいにつぶやく。
「賭け事は嫌いじゃねえからいいけどさ」
ルシアが国王を睨むと、王様は優しく髭を揺らして頷いた。ルシアは目をギラギラさせる。
「やりましょう。フィスカの未来を切り開くために」




