第27話 ヒューマン
覚醒者による混沌も終焉に向かういま、フィスカの民は直上の怪異を見上げていた。
フィスカ軍が異変に気付いて包囲した時、全てを阻む分厚いソウルが結界となって城全体を覆う。天空から不思議な、声が響いた。
『おかしいなあ……外線スピーカはどれかなあ……』
エテア=ルミラスは島に比べて城が小さく、敷地のほとんどが手の行き届いた空中庭園になっていた。フィルクレッサ達はそこで羽を休め、緊張の糸が切れたせいか、だらけきっていた。障壁に包まれたエテア=ルミラスから反響する声が、フィスカ中に響く。
『あれ? これもう入ってる?』
生ける伝説となった大英雄の声だ。ましてやその出生国だ。名乗らずともフィスカの人々はその名を口々に漏らしていた。
乱れた街で国民は歓声を上げた。どんな世界、いつの時代であろうとも、遅れて来る救世主というのはドラマティックだ。そのヒーローに虐げられるなんて、だれも想像していなかったろう。
『王国フィスカに速やかな投降を要請します。さもなくばこのエテア=ルミラスでフィスカを壊滅させます』
「ソレイル様! どこですか」
これまた英雄的人気を誇る大英雄の声が割り込む。ルシアはその隊を引き連れ、聖王城を見渡す上空に布陣していた。
ルシア達の眼前に一枚の大きなパネルが浮かび上がる。そこに映るのは紛れもなく、彼女が追い求めた人だった。豹変したでもない、記憶の中の優しい顔をそのままに、肩から前に垂らした髪を撫でている。『やっぱりソレイル様だ』、そんな声が至る所で上がった。
『久しぶりだね、ルシア。私が今いるのはこの島の中央、制御室さ』
「何かの間違いですよね? さっきの……中にいるならすぐに逃げてください!」
『良い機会だから、しばし質疑応答にしよう。ルシア、フィスカには悪意が無い。搾取され、洗脳されて迎合を強いられている』
中庭には、馬の部隊、竜殺しまでが集結しはじめる。ヴァーゼルはじっとルシアを見ている。フィルクレッサは噴水で血を洗い流していた。
「何を……言ってるんですか?」
『これは試みだ。悪意を外的要因によって植え付ける事が出来るかどうか……これが失敗に終われば、私は最後の、実際的に最終の手段に出る』
ルシアは熱を出したみたいに頭がグルグル回って、体が熱くなった。
「質問に答えてください!」
『フィスカを攻撃しているのは、ここにいる私の良き協力者達。そして私も今から参戦する。つまり君達の敵だ』
シンカの言っていた事が現実になろうとしている。自分が尊敬し、愛していた人間の所業が、ルシアは受け入れられなかった。絶望に首を掴まれる。
「なんで……そんなの嘘です」
「嘘をついているのはこの世界の方だ。これは世界があるべきカタチを取り戻す戦い、精霊が抑えきれなかった人間としての当然の欲求の発現なんだ」
ルシアに攻撃する事は出来ない。結界は邪魔だが、それがなくとも攻撃出来ないかもしれない。
ルシアは逃げる事が出来ない。逃げ、帰る家が戦場になっているのだから。
『私の目標が達成されればルシア、君もきっと幸せな、もっと深い世界の住人になれる。もっとも、ここで死んでしまうかもしれないけれどね』
何がそれほどまでにこの少女を支えるのか、ルシアは折れない。不屈の心はその瞳に炎を灯す。
「わたしが止めます……わたしが止めなくちゃ」
『やってみるといい。そうだ! せっかくだから良いものを見せてあげよう。ルシア、これが私の悪意だ』
途端、島が光ってフィスカを照らした。後から表現しがたい轟音に包まれる……
衝撃波にルシアが下を見ると、フィスカの西側が蒸発していた。何万人という人間が暮らしていた土地が絶望の煙に沈み、さらに西の広大な平原までもが火の海になっていた。
理解と限界を絶望的に超えた戦力差に、己のあまりの無力に、裏切りに、ルシアの翼が崩れそうになる……ルシアの根っこにある、何か大切な、一番強い芯にヒビが入った。
「こんなの……どうしようもないじゃん……」
『諦めるのかい? 君を待つ大勢のみんなを見捨てて!』
その声はソレイルではなく、耳元で、小さな声で叫ぶヒューマンの声だった。
「ヒューマン? どこ?」
「ここだよ」
急に指向性を持ったその声の方を見れば、結界の中の空中庭園、フィルクレッサ達のすぐ近くにヒューマンは立っていた。
『最後のアドバイスだ、ルシア。君に出来ることはたくさんある。君は他の皆よりたくさんの可能性を持っている。そしてそれは、いつまでも、どこまでも君の自由だ。使うか使わないかさえも。未来という不確定な因子は、どこまでも可能性が切り開くストーリーなんだ』
ルシアの目に再び火が灯った。口を強く結んで、力が宿る。
『一撃目には間に合わなかったけど、さっきの攻撃はもう撃てない様にしておいた。そのソウルの導くまま、君のしたい事をすればいい。君の翼は、壁に飾っておくにはあまりに即物的だから』
ヒューマンの問いかけに答える代わりに、ルシアは猛然として檄と使令を飛ばしていた。
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フィルクレッサは、初めて見るキカイな相手に話しかけた。
「なぁにキミ? 面白い格好してるね? キミもフィスカ?」
「フィスカの味方じゃないけれど、君たちの敵ではある」
ヴァーゼルの掲げた手から刀が伸びる。
「ならば……切る」
言いながらすでにヴァーゼルは斬りかかり、フィルクレッサの破裂する矢が嘶いた。
「ぐぅっ……」
「わわっ!?」
そんな呻き声とともに、二人は吹き飛んだ。光に包まれ、庭園の植木を突き抜け、石のアーチを破壊して弾き飛ばされた。障壁……エテア=ルミラスを覆うものと同じ類の透明な障壁がヒューマンと……吹き飛んだ二人の体をも包んでいる。
「主砲が撃てなくなってしまったんだけど、これは君の仕業かな? 招かれざるご来訪者様」
聖王城から、水路の飛び石をのんびりとソレイルが歩いてくる。そんな姿がなんとも風景に溶け込んで、絵になる美男子だった。ヒューマンはよく通る声で遠くに呼びかける。
「艦載武装の統括システムを一時的に麻痺させた」
「迂闊だったな。フィスカ王の部屋で見た記憶はあったんだけど……残骸だと思って放置していた」
「名はヒューマン。君を特例異常因子と判断して、処置する任務を運命付けられた」
ソレイルは歩きながら、薄く、綺麗に微笑する。
「滑稽で自惚れた名前だ、機械に『人間』なんて。あの人のやりそうな事ではあるけれど」
「博士は『人間らしく』という願いを込めてこの名前をくれたんだ。馬鹿にしないでほしいね」
飛ばされた二人が戻ってくる。服や髪は乱れているが、結界に守られて飛んだせいか無傷だった。フィルクレッサが叫ぶ。
「気をつけてソレイル。そいつフツーじゃないよ!」
「二人とも下がっていてくれ。どうやら彼は私のお客様みたいだから」
ヒューマンは中庭の端に突っ立っている。二人の間にはまだ距離があり、ソレイルはようやくお互いの顔がよく見える位置、庭園中央の噴水にたどり着いた。
「それで? どうやって私を処置するつもりかな?」
「質問に質問で返すようで悪いけど、和解の道はないだろうか」
ヒューマンは腕をダラリと下げたカカシの様に立っている。
「あるとも。君たちが精霊による統括と制御を止めればいい。それだけの、ごく簡単な話だ」
「その権限は僕にも君にも与えられていない。それに君だって見たんだろう? 自律的な発展を遂げた人類の行く末を」
ふいに、ソレイルの顔が平素からは想像できないほどに歪んだ。怒りと憎しみがその口から溢れ出す。
「未来は何一つ達成されていない! 君たちが滅ぼしたんじゃないか! いつまでこうして箱庭に閉じ込めるつもりだ!」
「新しい可能性が見出されるまで」
次に瞬間には落ち着きを取り戻し、ソレイルは小さな噴水を見上げている。女神の彫像がその手を掲げ、掌から水が溢れ出している。
「それはアスミ=シンカの事だろう?」
「彼は可能性の一つではある。たった一つの……しかし、大きな一つである事は確かだ」
「親バカじゃないのかな? そこに情や贔屓が介入していないと、誰が言い切れる?」
ロボはソレイルに正面切ってその目をチカチカさせる。
「誰も言い切れない。だから博士は選択の権限を博士自身にさえ与えなかった」
「ナンセンスだ、全くもってナンセンスだ。だからってその権利をアスミ=シンカ自身が持っているのでは何の意味も無い」
「未来は遠いほど予測が困難になる……その点において、アスミ=シンカはうってつけだった」
ソレイルがようやくヒューマンに体を向けて両肘を抱えた。結んだ髪が揺れる。優しいその目が湛える覚悟は、揺るがない強靭さを孕んでいる。
「もう終わりにしよう。この話はきっとどこまで行っても平行線だ。これは生存権の争いなんだから」
「その様だね、ソレイル。悪いけど、君だけは殺さなくちゃいけないらしい!」
ヒューマンが掌を前に向けた。敵意と殺意に満ちたレーザー状のソウルが放たれる。それはソレイルの前に現れた黒っぽい何かに阻まれて、散らばって空に消えたり、草を焦がしたりした。
ヒューマンの目がさっきまでの倍くらい忙しく動いて点滅する。
「悪意……人間の持ち得るキャパシティを著しく超過している。そうか! 君ハ……」
一瞬の出来事だった。ソレイルは微動だにせず、両肘を抱えた直立姿勢のまま、無言で胸の辺りから灰色のソウルを放つ。
「ガッ!?」
微かに翼の面影を残すソウルは、ヒューマンの結界を貫通、その肢体をバラバラにして、島を包む障壁さえも突き破り、遥か雲の彼方へと消えた。
相手を確実に無力化した事を確認してから、ソレイルはヒューマンの残骸まで歩み寄る。首と胴体がパイプ一本分だけ繋がったヒューマンは、なんら変わらない調子で喋った。
「シミュレート段階で示唆はされていた……君も大きな可能性の一つだったと言うわけか」
「私は辞退させてもらうよ。もし自由な人類が私の力を持ったら、それこそ人は驕ってしまうからね。『自分たちが神なのだ』と。いや、それ以前に誰もあの苦しみには耐えられない。悪意のソウル全てが自分に流れ込む、あの地獄の苦しみには」
「つくづく惜しい。落ちた先が『悪意の転換炉』でさえ無ければ……」
ヒューマンはそれ以上喋らなかった。その目から光が失われ、駆動を終える。ソレイルは暗く落ちくぼむ瞳から目を離さなかった。
「妙だな。そこまでの情報を知りながら、戦力差までは予見できなかったのか? ただの悪あがき……経年劣化……時間稼ぎ……いや、彼の言葉の通りか。遠い未来ほど予測は難しい」
そう言い残して制御室に踵を返した。




