第24話 聖都エテア=ルミラス
王国フィスカと冥府連合、両者を乗せた天秤は、どちらと付かずにフラフラ揺蕩っている。
リッパール隊は善戦していた。馬賊は強いが、頭目たる長刀使いがいない事が優位をもたらした。馬は俊足で丘を駆け上がるが、向かう先には防衛するルシア隊が待ち構えているはずである。数もすでに半数近くまで撃退し、もはや様相は掃討戦に等しい。
そこに来て伝令のこの一言は手痛かった。
「申し上げます。城下町の突然の会戦により、フィスカ側、挟撃の人員が手薄になりました!」
「街への侵入を許したのか!?」
「用水路や使われていなかった地下道に潜んでいたようです」
「世知辛いな……全員先回りだ! フィスカ側から防衛する!」
馬よりも速く、数十人の戦力を残して、リッパールは空を駆け抜けた。
ほど近いフィスカへと戻れば確かに警備は手薄になっている。それはおろか、街の方から悲鳴や爆発音がして、尋常ではない危機を告げている。
「我々ば馬賊を最優先だ! 一匹の侵入も許すな! ラーネイザ様の顔に泥を塗るなよ!」
指揮は高い。皆が呼応し、手薄とは言え加わった兵力が頼もしかった。砂煙を引き、馬賊と蔑むにはもはやあまりにも勇ましい、騎兵隊が突っ込んでくる。
間も無く衝突というところで、北東の丘から攻め上がる騎馬隊は左右に分かれて一時引き返した。その原因にリッパール隊も目を奪われる。
太陽が南中に達しようかという時刻に、空が急に暗くなったのだ。その場にいた全員はおろか、フィスカ中の民が空を見上げただろう。
リッパールは真下からそれを見上げた事なんか一度もなかったので、一瞬何が起きたのか分からなかった。黒い土と大きな岩の塊が空と日差しを遮り、フィスカを覆っていた。
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ラーネイザとラスキュールは北側から回りフィスカへと向かっていた。ラーネイザを送り届けたら、そのまま帰国する算段だ。
転ばした程度でダメージを与えられる筈もなくヴァーゼルはその距離をグイグイ詰めながら単身、猛追する……が、彼も途中で馬の足を緩めてしまった。
「変だね……あいつ追ってこない」
「好都合。ほら、君のホームが見えてきたよ!」
二人の位置からはフィスカの上に陣取る、その城までもが遠目にはっきり見えた。ラーネイザはつい最近見たそのシルエットを訝しむ。
「エテア=ルミラス? なぜこのタイミングで……ずいぶん早いな」
聖都、エテア=ルミラス、平和と平等の象徴。聖王と、世界各国から選りすぐられた親衛隊が住まう天空の城。
大きな戦争、無益ないざこざに際し聖王が仲裁に入る事がままある。それだけの戦力を持ち、永世中立を誓う彼らの仕事がそれだ。
だが今日勃発したばかりの戦いに現れる事がラーネイザの腑に落ちなかったのだろう。
ただ理由はどうあれ、これはフィスカの救いの手に他ならなかった。エテア=ルミラスは自らの利益と発展を放棄して、調停と交易に勤める、言わば世界の架け橋、仲介者なのだ。
エテア=ルミラスを利用して、和平調停の直後、友好国に不意打ちを仕掛けた不逞な国が実在した。結果、その国は諸外国全てを敵に回してエテア=ルミラスが攻撃するまでもなく滅びた。ここに喧嘩を売る事は軍事と外交の両面からタブーな事は、世界中が知っている。
「いずれにせよ助かったみたいだね」
ラスキュールはそう胸を撫で下ろし、街の付近でラーネイザを下ろした。
「ありがとう、恩に着るよ。この礼はいずれ必ず」
「気にする事は無い。これが礼なんだ。ルシア君に助けてもらった礼なんだから」
ラスキュールは申し訳なさそうに続ける。
「それに我々は薄情者でね。なにやら街の方が騒がしいようだけど、悪いが見て見ぬフリをして帰らせてもらうよ」
「ああ、聖帝様にちゃんと釈明しておくれよ!」
ラスキュールは大きく手を上げて、馬の腹を蹴る。ラーネイザは此度、お互いが敵同士ではなかった事に安堵した。心情と武力の両面から、敵に回したくない相手だと悟った。
フィスカ兵の馬にその身を預けながら、ラーネイザは北東を一瞥する。撒いたとはいえ、いつまでも追ってこないヴァーゼルが不気味だった。
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壊滅的に危機的に破綻していたのは城下町だ。フィスカに常駐する一万を超える兵が処理に当たり、それでも苦戦を強いられていた。暴れまわっている覚醒者と賊の数はおよそ三百。一人頭30人以上の兵を割いた上で手を焼いている事になる。
いま、中央の噴水広場では巨大な人型に、ワニの頭がいくつも垂れ下がった化け物が暴れまわっていた。引き裂かれた無数の死体の上、化け物はまだそれを増やそうと躍起になっている。それを囲んだフィスカ兵達の数え切れない武器が放たれる……化け物は蹲ってそれを受け、背中が針山みたいになった。
何を思ったのか、中年の女が兵と化け物の間に飛び込んで叫ぶ。
「やめとくれっ!! その子はうちの子なんだ!」
一人の翼兵が急いで女を退けようと降りてくる。己を忘れた無慈悲な顎は、大きな牙で二人まとめて噛み砕かんとした。しかし、実際に届いたのは上顎だけだった……上顎が二人に力なく被さり、下顎はボドッっと音を立てて地面に落ちる。
化け物は溶けて、そこに残ったのは全裸で傷だらけの、痛ましい少年だった。女は少年の名を呼びながら走り寄り、泣き崩れる。
ザクライはそれが見ていられなくて、すぐにその場を逃げ出そうとしたが、グレ隊の腕章をつけた兵士に呼び止められてしまった。
「失礼だが、どちらの隊の方だ? 覚醒者を一撃で真っ二つにするなんて……」
ザクライが隊服を着ていないから、非番の助っ人だと勘違いしたのだろう。顔を上下してザクライをまじまじと観察している。
「その、僕は退役したばかりでして」
「なんと!? それは信じがたいな。君なら隊長も夢じゃないだろうに……どこぞの隊にでも斡旋しようか」
「あ、いえ、僕他も助けにいかなきゃいけないので。それじゃこれで!」
「あ、ちょっと!」
ザクライは矢の如く飛び去った。男はそれを見送って赤らめた頬で呟く。
「なんと慎み深く……健気な少女だ……」
次の敵を空から探しながら、ザクライは迫ってくるエテア=ルミラスを見た。
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もっとも勝利が近そうなのは南のダボネオールだ。
すでに仲間を三分の二まで減らしたフィルクレッサは、まだ気力の衰えない彼女達をさらに鼓舞する。
「敵は流れてる! もうちょっとの辛抱だ!」
この底力にはダボネオールも脱帽するよりなかった。そこらの野党ならばいくら実力があろうとも、これほどまでに食い下がらない。その真髄に、ダボネオールはなんらかの底知れぬ信念を見た。
それが攻勢に出る決め手に杭を打って、決断を鈍らせ、感嘆を吐かせる。
「すげぇ精神力だな」
敵は何かを待っている……ならば。
遅まきながら、いつかは仕掛けなければいけない決断を、ダボネオールは今この時に下した。大きく手を叩き、三本の柱を立てる……それに伴って、左右中央と、三分割された翼兵が手際よく広がった。
「油断はするな…… って、なんだぁ?」
ダボネオールは空に視線を奪われた。翼兵の戦場を奪い、空の大地がフィスカを覆う。
「グッドタイミングだ! 戦力まで貸して貰えたらありがてぇ!」
すでに何本目か知れないタバコを放って、ダボネオールはエテア=ルミラスに伝令を送らせようとする。
全身からオドオドと怯えたオーラを放つ伝令の女は渋った。
「なんだかミョウじゃありませんか? 入国許可があったんですか? あれじゃ領空侵犯じゃ……」
「それだけ非常事態だって気ぃ効かせたんだろ」
「私のようなぺいぺいが直接行っても良いものでしょうか? 失礼では……」
「構やしねぇよ非常時だ! ルシア様も送ってるだろうが忙しいからしょうがねぇ」
伝令の背中を叩いて送ろうとした時、向こうから、エテア=ルミラスから人が降って来た。伝令は自由落下するそれを思わずキャッチして、けたたましい悲鳴を上げる。
それは聖王本人であり、首から下は無かった。
「もう、来るの遅いよ……ソレイル」。珍しく安堵を顔に浮かべて、フィルクレッサは部下を引き連れ、上空の島へと急いだ。
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ルシアは指揮に追われる最中、不思議な声を聞いた。
『ルシア君。ちょっと城壁の小部屋まで来てもらえないかな?』
「この声……ヒューマン?」
ルシアにしか聞こえない声に応えたので、周りがみんなルシアを見る。
『竜は目覚めた。どうやら僕の仕事、最後の使命を果たす時が来たらしい』
「最後って」
『その前に、君にしか出来ない、君なら出来る仕事を頼みたい……すぐに済むから』
「……わかった」
少し間があったが、ルシアは側近にその場を持たせて、シンカの小さい部屋に走る。ヒューマンは窓際に立っていた。
「前もって言う事は出来なかったし、本当はこんな事も言ってはいけないんだけど……」
とくに躊躇う様子も無くそんな風に切り出して、ヒューマンは続ける。
「この戦いはフィスカ対冥府なんて単純な構造じゃ無いんだ」
ルシアは黙って聞く。このロボは全てを知っているかの様で、今まで何も情報をくれなかった。ここにきて殊更ルシアを呼びたてる用事だ。いつもはふざけたヒューマンも、冗談でルシアを呼んだとは思えない。
「大げさな表現じゃあ無い。この戦いには世界の未来が懸かっている……どちらの勝利が望まれた未来を導くのかは知らない。けれども君たちが勝つ事を願っている」
「どういう事?」
「詳しい事は言えない。でも可能性は一つより二つがいい。未来は明るい方がいい」
ルシアは知らずに胸を押さえていた。言葉という能力に稀に内在する不思議な力、それに強く胸を締め付けられていた。
「可能性が二つ……?」
「君たちが勝てば二つになるだろう……あちらが勝てば一つ」
ヒューマンの言葉からは感情なんて読み解けない。記号としてプログラミングされた言葉を放つだけだ。それなのに、ルシアはそこから確固たる信念を感じていた。
「わたしは何をすればいいの?」
「助っ人を呼ぶんだ、これからフィスカを襲う敵は、君達には重すぎる……きっと押し潰されてしまうだろう」
「助っ人??」
話の核心を掴めず首を傾げるルシアを無視して、ヒューマンの目が光った。その光は何か映し出す様に輝き、少しぼやけたてから鮮明な映像になる。
そこには見た事あるような、少し髪と髭の伸びた大男がいる。やたらと服もボロボロの男がこちら見て、話しかけたものだからルシアはビックリした。
「ルシア?」
「え……シンカ?」
二人の目が合って、空が暗くなった。




