第23話 闘技祭⑤ 〜急転直下〜
盛大な不平が狭い通路に反響していたので、控え室のシンカにも大体の事が分かった。
ほどなく、あまりにも早く無傷で戻ったリマシィは立ったままシンカを見下ろした。
「相手の少年、現れませんでした。不戦勝でしたわ」
「……そうか」
仮面越しなので、自分の表情を気にする必要はなかった。しかし一方的に窺えるリマシィの顔には、なんだか嫌な心持ちが数多含まれているみたいで、吐き気がするくらい苦しくなる。
「昨日、食事を作っている時でしょうか?」
「なんの事だ」
リマシィは声が震え、泣きそうな顔をしていた。シンカにはなんでそんな顔になるのか理解できず、苦しさは増し、冷たい力に首を絞めつけられる。
今にも叫び出しそうな力を、リマシィは必死に抑えているようだった。
「シンカ様は嘘を見抜くのがお上手なのに、嘘をつくのが下手です」
「……」
「シンカ様は強いのに、いつも弱い人の事ばっかり考えています。弱い者を見捨てて置けないので、強い者から斬り捨てます」
嘘に対する目ざとさに身が縮み、シンカはたまらない窮屈さに締め付けられる。それでも黙っていると、リマシィはついに直立したまま、ボロボロ泣き出した。
「シンカ様には私がそんな弱い人間に見えるのですか?」
シンカは聞こうかと思った。なぜ泣いているのか。自分のどこが問題だったのか。どうすればよかったのか。だが聞けなかった。
『アスミ=シンカ選手ー! 闘技場へお越しくださーい!』
ゴングに救われるボクサーのように、シンカは闘技場へと逃げ出した。
逃げ出したところで、心ここに在らず。目の前にいる対戦相手なんか目にも留まらず、シンカはリマシィが流した涙の、因果の因をひたすら追っていた。
(守った事がいけなかったのか……黙っていたのが悪かったのか)
その余りにも一方的な権限を行使して、自分の小さな裁量で裁き、少年を一人処刑する。
それはシンカにとって傲慢でおこがましい行為でしかなかった。兎にも角にも、口に出して行う行為ではあり得なかった。
そうでなくたって、夕食を楽しそうに研究する二人に、『少年を一人殺してくる』なんて言える筈も無かったシンカを、誰が責められようか。
ボーッと遠くを見ていたシンカだが、痛みと鈍い音にハッと我に帰ると、身体に何かが刺さり、自分が流血している事にようやく気がつく。
シンカに突き立ったのは農具だ。四つ又の大きなフォークが腹に刺さっていた。シンカはルシアの翼ですら傷を負わなかった体を、よもや傷つけられるとは想定していなかった。
無造作にそれを引き抜くと、ちゃんと赤い血が流れた。
「やはりな。お主、何故か知らんがソウルそれ自体が効かないのであろう?」
初老とも壮年とも見える白髪の男は勇ましい顔つきだった。どこからかき集めて来たのか、傍に農具やらガラスやら包丁やらが山積みになり、ギャリギャリと不快な音を立てている。
「空恐ろしいスピードだったからな。このままハリネズミになって頂こうか!」
男は凶器の束を半分くらいソウルの大袋に詰めて、凄まじい勢いで振り回しはじめた。
(タイミングが掴めない……面白い。アレを投げつけるつもりか)
シンカが心を研ぎ澄ませた時、袋は横に広がる散弾銃の如く咆哮し、爆煙が上がった。
「煙が多すぎる……上か!」
老獪と呼ぶに安くない男だ。決着と見ず、さらなる激戦を空に見出した時、隙とも呼べない視線の移動が仇となった。
「続けるか?」
シンカの声は初老のすぐ後ろで発せられ、左手は初老の首を掴んでいる。上を見たまま、男は身動きをしなかった。取れなかったのだろう。
「ありえない……アレを躱したと?」
「いや、たぶん横には躱せなかった」
「ならば、いったい……」
煙幕が晴れ、正面に大きくめくれ上がった地面と、そこに刺さった道具が浮かび上がる。
「岩盤のソウル……?」
「ただの地面だ。ひっくり返した」
男はため息で間を作って、握った左手を挙げた。白旗は見えないが、実況の女が勝者を告げる。
「世の中は広いな……よもやこんな荒唐無稽なモンスターに出会うとは……国に戻ってもだれも信じまいが」
「いや、洞察力、戦法、それにこの威力……あんたも素晴らしかった」
シンカはもう塞がりかけている傷口を撫でながら言った。実際、激しい痛みよりも大きな喜びに震えていた。久しく忘れていた『戦い』に出会ったようで、全身が熱くなる。
二人はごく自然に互いに手を取り合った。
『見事! 勝利した謎の仮面戦士、アスミ=シンカ選手には冥帝様と戦う事が出来るチケットが送られまーす!』
リングの中央で審判から受け取ったそれを見て、シンカは馬鹿馬鹿しくて吹き出した。『冥帝様といつでも戦えるチケット』、親切にそんな事が書かれている。
『ではアスミ選手! そのチケット、今すぐ使用する事も出来ますが、チャレンジされますか!?』
大声を張るのも面倒なので両手でバツ印を作ると、代わりに遠くの空の方で誰かが叫ぶ……女の声だった。
「いけませ、ちょっ!! 冥帝様ァーーーー!!!」
空ではない。闘技場を見下ろす城から声がして、何かが武舞台に降ってくる。激しい衝撃を伴って落下したそれは、砂煙りの中で喋った。
「今すぐ俺と戦え」
上からした声とは違う、ドスの効いた、芯まで貫く鋭利な声だった。そこから先をかき消す大喝采が、コロシアムを巨大なドラムに変える。
地響き誘う声の嵐に『冥帝』だの『殺せ』だの物騒なワードが混じっている。
(今の声……どこかで……)
そう思ったのも束の間、正体を現したのは巨躯のキヴだった。
その男が両手を上げると、コロシアムの歓声はピタリと止む。シンカにはそれが、不格好なオーケストラの指揮者みたいに見えた。
首から顎にかかる爪痕の刺青、人の体に野獣の魂を押し込んだ眼差し、見間違える筈もない、シンカがフィスカの橋で出会った男。
「ゴア!」
「やっぱ知ってる? いやー有名人は辛いねぇ」
(なぜここに……? ああ、俺が言ったのか)
もっと早く気がついても良さそうなものだが、ようやくシンカの中で筋書きが一つに繋がった。
ソレイルのせいで混沌に落ちた冥府中央に現れた英雄、たった一人、剣を頼みに戦いを謳った救世主、その人物こそが地上最強位、ゴア=ライダルクに他ならない。そして戦いに明け暮れるうち、いつしか空席となっていた冥帝の座まで祭り上げられていたのだ。
南に行け、そう助言したのは他の誰でも無い、シンカ自身である。
「最強位と冥帝の二冠か」
「自分でも驚いてだけどさ、天才って奴ぁ実在するらしいね!」
裏表無しに照れるこの男に、シンカは苛立ちを思い出し、どこか懐かしく、そしてどこまでもイラッとする。シンカはチケットをピラピラと扇いだ。
「このチケットはいつ使ってもいいと聞いたが」
「大会なんかもう関係無ぇ……体が震えてんだ。こいつかもしれねぇって」
ゴアは急に厳しい顔で語り始める。
「俺ぁ生まれて今日まで戦いに苦労した事がねえ。こんっくらいの小せえ時からどんな大人よりも強かった。そりゃあ最初は楽しかった、ガキ大将ってのは気分がいいもんさ」
もう話の帰結が予想できたが、シンカはその長話を黙って聞く事にした。
「そのうちそれじゃ足んなくなってよ。もっと強敵と戦いてぇ、俺より強い奴はいねえかな? って走り回ってる内に……周りには誰もいなくなってたんだ。気が付いたら地上最強になってた」
(結論を言え、結論を)
「なぁ? 俺がなんであんなデカい剣を使うか、知ってるか?」
「知らんがな」
シンカはゴアが大剣を使う事実さえも知らない。
「見た目がイイってのもあるけど、邪魔だからだよ。重くて邪魔なソウルじゃなきゃ碌な戦いになりゃあしねえと思った。けどそれでも駄目でよ、しまいにゃこれに慣れちまって」
ゴアの物憂げな表情を見て、シンカは初めて会った時のこの男を思い出した。橋の欄干で、あの寂しそうな背中の裏ではこんな顔をしていたのかもしれない。
「こんな予感は初めてなんだ。コイツとなら戦いになるかも……って、そういやアンタどっかで会った事ない?」
「結論を言え、結論を」
「おお! なんかその冷てぇ感じ、どっかで……まあいいや、とにかくそういう訳だから、俺様と戦っておくれよ! って話。これ結論」
イライラしながら斜に構えていた体を、シンカはようやくゴアに向けた。
「いいだろう。受けて立つ」
会場が再び沸く。シンカはいい機会だと思っていた。いつかは決着を着けなければいけない事だ。運命というものがあるならば、これがそうかもしれないと思う。
(いや……ただの腐れ縁か)
好都合な仮面を深く掛け直す。この世界で最強の男……もし仮に、あっけなく倒してしまったら? そんな恐怖で、千載一遇の機会からシンカは一度逃げ、答えを保留した。
とても自分らしく無い行為だったと、実は少し後悔していた。
「やる前に一つだけ言っておく。俺にソウルは通じない」
「はあ?」
この男に一から説明するのは骨が折れそうで、シンカは手っ取り早い方法に出る。
「試しに俺を攻撃してみろ」
「……はあ?」
「いいから」
「なんかよく分かんねぇけど……攻撃すりゃいいのか?」
頷くシンカに、ゴアは恐る恐る構えた。会場中に知れ渡ってしまっても、もはやシンカは構わないと思っていた。
(これは俺の旅。俺の目的地……俺の人生だ)
「本当にやるぞ?」
「早くやれ」
シンカとゴアの間にはかなりの距離がある。しかしゴアは構わず、その場で剣を薙いだ。
風圧が突き抜け、観客席がどよめいた。
「なるほど……だからさっきの奴ぁ農具なんか使ってたのか」
獣の瞳が鷹のそれになる。硬い地面が競り上がって、みるみる大剣に形を変える。それは巨躯のゴアの身の丈を優に超える巨大な剣だった。幅広で、巨大なナイフの柄を細長くした様な形をしている。
(どうやら、ただのバカでは無いらしいな)
「ほいじゃあ準備が整ったところで、いっちょやりますかあ!!」
実況が喧しかった。観客が舞台を揺らす程に騒いでいた。しかし二人の瞳にはお互いしか映らず、静かだった。シンカは黙って構え、祈る。
(頼む……頼むから俺の敵であってくれ)
銅鑼が鳴った。




