第22話 波状地獄
晴れた草原に響く鞭の音、馬蹄の音、刀の風切り音。今日は暑いが、風の強さで清々しい日だ。
フィスカの北東の平原にて決戦、あるいは決闘と見るに相応しい、勇壮な一騎打ちが燃え上がっている……もっとも、ヴァーゼルだけ協力な助っ人に跨っているのだから、一騎打ちとは呼べないかもしれない。
ヴァーゼルと黒馬のコンビネーションは脅威だった……防御を馬が担い、ヴァーゼルが攻撃に専念するだけの単純な戦法だが、どちらも超一級の組み合わせは威力絶大だった。
「勇敢だ……キヴは皆勇敢だ」
「そんな高飛車な言葉、聞きたくないね!」
優劣はもはや決着していた。ラーネイザは深いダメージこそ無かったが、攻めあぐね、致命の一撃をなんとか避けている状況だ。どうにか避けていたそれが、ついにラーネイザを捉える……太腿を深く切られ、その移動が著しく制限された。
「まいったね、ブランクあるのに一人で突っ込むんじゃなかったよ」
「終わりだ」
ヴァーゼルが手綱を打って駆ける。ラーネイザは一矢報いようと、相打ち覚悟でその鞭を振りかざした。
だが、その打ち合いは第三者によって互いの道が逸れる。彼方から飛来した投槍が馬に命中したのだ。
「ずいぶん硬いね! でもギリギリ間に合ったかな!」
誰か知れない女だが、その後ろにフィスカ兵が控えていたのでラーネイザはどっと安心した。フィスカが空から馬に襲いかかる。
「さあ! 後ろ乗んな」
「悪いね、誰だか知らないけど助かるよ」
その手を取って、ラスキュールはラーネイザを馬上に引き上げる。そしてフィスカへと一目散に逃げ出した。それに八騎のヘルムダードと数名のフィスカが伴う。
「なんだアンタ? 逃げんのかい?」
「あいつを倒しても、君が死んだらルシア君に顔向けできないからね!」
馬の揺れは激しかった。取り巻き走るヘルムダードの従者達は、こんな時でもおちゃらけている。
「なんて事だ! フィスカには美人しかいないのか!?」
「俺はラスキュール様一筋ッスからねー 安心してください!」
「キャラ被った上にちょっと負けてゃブフッ!?」
悪態ついた最後の一人を、ラスキュールは黙って槍の柄で小突いた。ラーネイザはその名を反芻する。
「アンタがラスキュール武将かい!?」
「いかにも。故あってね、一瞬だけ加勢させてもらうよ!」
「ラスキュール様! 後ろの奴、これまたヤベェっすよぉ!」
汗だくの小柄な従者が喚いた。後方では黒い恐怖の権化が、その獰猛な刃を振り回し猛追する。すでに何人か翼兵が切られていた。
「どうせあいつも冥府のなんちゃらとか言うんだろう? 無視してフィスカに送り届けるよ!」
ラーネイザが突然叫ぶ。
「お前達! そこを退きな!」
フィスカ兵は誰でもこの言葉を聞くと、本能に従ってすぐに逃げ出す。あの破壊的な音に巻き込まれたくないからだ。
その音を初めて聞いたラスキュールは首を竦め、後から耳を押さえた。
「なんて音だい。派手だね」
「駄目だ……なんて丈夫な馬だい」
ヴァーゼルは音にも威力にも慣れたのか、歯牙にも掛けず猛追を速める。馬は一瞬よろけるが、その俊足はどの馬よりも優れていた。
「ラーネイザ君だっけ? ちょっと手綱を代わっておくれよ!」
「なんかいい作戦でもあるのかい?」
そう言いながら、ラーネイザはすでに手綱を取っていた。脚を怪我した自分よりは闘将として名高いこの女の方が戦えるはすだ。
「まあね。私のソウルは応用と機転が効くのさ!」
ラスキュールは後ろを向き、簡易な弓矢を二本放った。
「そんなんじゃアイツには通らないよ!」
苦もなく矢が弾かれた次の瞬間、ヴァーゼルの黒馬はズルッと前のめり、崩れ落ちた……矢を目くらましにした、ラスキュールの透明なシートに足を取られたのだ。
「ふふ。このラスキュール様にかかればこんなものさ」
「うっわ……なんだか小物っぽい作戦が……」
三本目の矢は部下に放たれ、ベチャっとしたソウルが不遜な口を塞いだ。ラスキュールは前に向き直り、勇ましく声を張る。
「さあ、先を急ごうか!」
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軍務塔に帰投して、ルシアは戦況の優位を確信した。
北東はリッパールと馬族が交戦中だが、国内の戦員を割けば脅威と呼べるものではないらしい。最高戦力をラーネイザが抑えているという事が、巨木に寄りかかるような安心感をもたらした。単純な闘争に限って言えば、ルシアは自分よりもラーネイザが優っていると自覚している。ラスキュールも別れ際に加勢を表明してくれた。
疲弊した兵は、どこかの臨界点で糸が切れたように瓦解する。その訪れがもう南の賊の足を掴んでいるらしい。そんな伝令の話を聞いて、ルシアはさらに安堵した。他国にも類を見ないほど練達された翼兵達が暴れまわっているが、ここは翼人の国フィスカだ。ダボネオールの指揮だけでも間に合いそうだが、いざとなれば自分向かえばいい。
フィスカという巨大な一枚岩に千足らずの蜂が群がろうとも、土台攻略は無理な話だったのだ。それなのに、迫る危機があらかた回避されたはずなのに、二つの言葉、ヒューマンとヴェクストレフの言葉がルシアの耳から離れなかった。
それはドアを勢いよく開け放って、具現化する。
「申し上げます! 街の至るところで新手が出没しました!」
ルシアの懸念が現実になった。だが覚悟はしていた事態だ。
「状況をもっと詳しく報告しろ」
「各所で賊が……おそらく地下水路に潜んでいたものと思われますが街を襲撃しています。街頭警備が処理にあたっておりますが個々の能力が非常に高く、その上『覚醒者』を放って手に負えません」
ぞっとする情報だった。
「リッパール隊を街まで戻せ! 私の隊も三分の一、小隊毎に処理に当たらせろ!」
もう一人呼んで、ルシアはもう一つの命令を与える。
「ダボネオールに状況を伝え、残存する戦力だけで凌ぐよう伝えろ!」
ルシアは軍務室を動かず、そして祈った。
(これ以上の厄介は勘弁してよね……)
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シェラールはいつものようにパン屋に出ていた。彼女は兄の収入で十二分に不自由なく生活できるのだが、それでは退屈だし自分も働きたいと、熱心にパンを並べては接客をしている。いつもメイロンが食べているのはその残りだったりする。
なにやら物騒な事件が起きているらしい事は客との会話で知っていた。
「最近なんだか物騒ねえ。行方不明事件だったり、賊に襲われたり、噂ではグレ様がやられたって言うじゃない」
そんな世間話が好まれるのは、古今東西、異世界だろうと、人間がいる限りきっと変わらないのだろう。シェラールはグレの件を兄から聞いて知っていたが、『今はまだ』と口止めされていた。
「シェラールちゃんも可愛いから、気をつけるんだよ」
「ありがとうございます」
路上まで出て常連の女を見送った時、叫ぶ声がした。人々はざわめき、また別の方から悲鳴が聞こえる。
「覚醒者だ! みんな逃げろぉ!」
シェラールのソウルは遠くに覚醒者を見出した。店長にそれを伝え、家に避難する旨を伝える。
「ここにいてもいいんだよ? 危かねぇかい?」
「大丈夫です。私には全部見えますから!」
また外に出ると、危険なソウルの数は増え、街は混沌に騒然としていた。その隙間を縫って、シェラールは遠くない家へ駆ける。
用水路の石橋を走り抜けた時、シェラールは見捨てては置けない影を捉えた。用水路へと降りる小さな、数段しかない石段の下の方、ずぶ濡れの少年が倒れている。
駆け寄ってからシェラールはその無残な姿に血の気が引いた。傷だらけで、無数の刃のソウルが手足に刺さっている。それでもシェラールは力強く叫ぶ。その点でシェラールは気丈だった。
「すみませんそこの方! この少年を安全なところまでお願いします!」
石段の上で見ていた男を呼び止めてから、シェラールは後悔した。その男、隻眼の壮年の纏うソウルは、今少年に刺さっているものと全く同じ匂いだ。
「もうちょっとなんだけどなぁ。駄目かね」
「なぜこんな酷い事をしたんですか……」
「お? 嬢ちゃん俺がやったって分かるの? すごいね」
「なぜこんな酷い事をしたんですか!?」
振り向いて叫ぶ。男はそんな事意に介さないらしい。ゆっくりと石段を降りてくる。
「なぜかって言うとね。そいつを覚醒させて爆発させるためだよ」
「覚醒?」
「小さい子とかを拷問するとね、三人に一人くらい覚醒するんだよね。しかも見境ないから暴れてくれて助かるんだ」
シェラールは男を止めようと細いソウルを伸ばしたが、強いソウルの前に押し流されてしまった。ふいに首を掴まれ、シェラールは苦しさに咽ぶ。
「君でとちょっと大きいけど……いけるかな?」
「あなた達なんか……ルシア様がきっとすぐに倒します」
「そのルシアとかいうのがヴェクス様を倒したから、俺らがこうやって働いてるんだけどね。じゃあまず腕から行こうか」
ふいに、シェラールを掴んでいた腕の力が軽くなる。男は腕、上半身、下半身を一刀の元に三分割されていた。
「家まで送ります」
「ザ……ザクライさん?」
疑問系だったのも仕方がない。ザクライは全身を強靭なソウルに包み、一対の羽になっていた。羽が生えているのではない。巨大な羽の中心にザクライが配置されている、という表現が近い。声さえも少し大人びて聞こえた。
「ではあの少年も……」
言いかけて、そのソウルがもう散っていたので、シェラールは控えた。ザクライは『行きます』とだけ、シェラールの家までを一跨ぎに飛んだ。
「ありがとうございます。ザクライさんは?」
「僕はなるべくみんなが助かるように戦います」
次の声を掛ける間もなくザクライは空を駆けた。そして空でヒューマンの言を思い返す。
『それはキミがほんの少しだけ時間的に自由になった証拠。キミが見た夢は過去や未来の膨大な情報の断片。あの世界を思い出すんだ』
目を瞑り、白い世界に自分の体を溶かす。時間から解放された世界。ヒューマンの言葉の真意こそ理解していないが、その身動きの取れない白い世界に身を浸したつもりになると、カタチが、性質が、色や匂いに至るまでが自分の中に入り込んで、不思議といい感じだった。
奇怪で角ばった、凡そ飛べそうもない翼になって、ザクライは騒ぎの大きい方へ翔んだ。




