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第20話 冥帝 VS 白天使

 冥帝ヴェクストレフは予想通りに想像以上で、規格外の強敵だった。

 ソウルは固体よりも液体、液体よりも気体を扱う方が難しい。だから大抵の人間はイメージしやすい剣や盾といった常識的な武器を扱う。その意味で小国クヮコームの巨人、マトゥーヤは偉大な英雄だった。


 巨大な生物のようにうねる液状のソウルは、まさに怪異だった。射程距離こそ長くないものの、近づいた瞬間に硬化して串刺しにする。おまけにこちらの攻撃は水により減速して威力を殺される……攻防一体、難攻不落のモンスターだ。


 ただ、ヘルムダードのノリが常軌を逸しておちゃらけて軽いので、それほど真剣なシーンには見えないかもしれない。


「ラスキュール様、あれ無理っスわ。殿下(※)でも通らないんじゃないでスかねー」

「グダグダ言うんじゃない! だいたいなんでもっと、こう……バラエティーを揃えて来なかったんだ!?」


 ラスキュールのふんわりしたジェスチャーは何を表現したいのか良く分からない。


「いや、目的は視察っスから。無茶言わんで下さい」

「そもそも殿下が悪いのだ! 実力登用主義が行き過ぎたから、あんなゴロツキに寝首を掻かれる!」


 こんな世間話をしながら全力で戦っているのだ。さらにターゲットまでのんびりニコニコしているのものだから、場面と台詞を取り違えた舞台劇のようだった。


「いいですねぇ。楽しいですねぇ。私はあなた方のコントを、いつもいつも楽しみに拝見していました。もっと続けてください……全部日記に残しておきますから」

「だいたい貴様! なぜ我がヘルムダードに潜入した。それほどの実力があれば単身フィスカに攻め込めばよかったろうに」

「見聞を広めたかったのです。文化を、歴史を、風土を、学問を、医療を、兵法を、料理から植物の生態に至るまで……」


 ルシアは空で指揮を取りながら、ただ『恐ろしい男だ』と畏怖するばかりだった。隙を見せず、クモの様に神経を張り巡らせ、二つの軍を相手取って、あまつさえ会話までしているのだ。


「そんな無駄な事をして何になるというのだ!?」

「これほど大事な蓄積を忘れ、『無駄な事』呼ばわりする人類の目を醒まさせるため、ですよ」

「また『忘れる』か……」

「付け加えるなら、『冥帝』の双璧とされる『聖帝』がどの程度のものか興味があったのですが……あのアンポンタンを見ていたらなんだか民の行く末が気の毒に思えてきて……今日に至るまでは治国にでも勤しもうかと発起したんですよ」

「貴様ァ! 殿下の悪口は許さん!」


 ラスキュールは右の剣を長槍に変え、水の中央目掛けて投擲した。勢いは十分だったものの、渦巻く水流に流されて、逸れてしまう。


「いやいや、さっき自分でも言ってたじゃないっスか」

「私のは愛情と愛嬌があるからいいのだ!」


 すでに数十名のフィスカ、ヘルムダード兵が水の刃の餌食となり、間合いを保っての膠着状態に入っていた。ヴェクストレフはうねる水の中、駆け足の速さで北東へと後退を始める。


「ルシア君! とりあえずここは我々で追う! 君は軍に戻りな!」

「それは出来ません!」


 後方で指揮に専念するルシアは懸念していた。常識で考えれば、戦力を本国から引き剥がし、北東の長刀の軍勢に誘い出す陽動に見える。

 だが、現状苦戦しているのにラスキュールの隊だけで倒せるとはどうしても思えなかった。

 それにもう一つ、理由がある。


「こいつはきっとラスキュールさんを殺して、またフィスカに濡れ衣を着せるつもりでしょうから」

「それじゃあ高潔のルシアと、妖艶のラスキュール! 絶世の美少女と美女で冥帝狩りと行こうじゃないか!」


 ヘルムダードがざわざわする。


「うわぁ、自分で妖艶とか言っちゃってるよ」

「ルシア様と並ぶと、豊麗線とか目立っちゃいますよ」

「俺はラスキュール様一筋ですからねー!」


「奴の後で、全員ひき肉にしてやる……」


 全然冗談では済まされない凄みが、ラスキュールの言葉に滲んでいた。




 おちゃらけたヘルムダードの総攻撃は壮烈にして苛烈だった。その烈火の中心で、たった一人のモンスターはあまりにも平静で、ふいに演説を始める。


「分かって頂けないのが大変辛い。この世界には信心が、信仰がありません。それは死に対する恐怖を抑制されているからだ……しかし、それでは本当の意味で生を謳歌しているとは言えないのです」


 本気で残念そうに首をゆっくり横に振って、ヴェクストレフは続ける……演説はとても長かった。


「私はいつかあなた達が、あなた達の子孫が、安心して生きる世界を、必ず実現します」


 膨大な水の前に、フィスカとヘルムダードはあまりにも無力だった。きっとこの場にダボネオールがいても針は届かなかっただろう。それほどに巨大な塊になっている。


「私は精霊の支配を逃れ、初めて死という概念に直面した日、恐怖に泣きました。『絶対に訪れる世界の終わり』に心臓が潰されそうになった時の事を、私は生涯忘れません。いっそ、このソウルを剥ぎ捨てて、全て忘れてしまおうかと考えた。ですが、それは精神の敗北です。思想の敗北と言ってもよい……それが死よりも恐ろしくなったとき、私は死を克服したのです」


 冥帝は淡々と舌戦を繰り広げる。たった一人で行うそれはパントマイムだ。フィスカとヘルムダードの連合はずっと攻撃を続けている。


「私はいつだって笑って死ねます。『こんなの怖くない。私は未来を目指した。記録を残した。過去から未来を学ぶ術を書き残した』ですが、それではまだ……まだまた足りません。彼の言う新しい世界には人々を導けない。人は弱い……新世界で、誰もがあの恐怖と共存出来るはずがない」


 不可解だが、どこか興味を引く話に、戦いながらもラスキュール達は聞き入った。


「心のどこかで、世界もそれを知っている筈なのです……六枚の翼を六人英雄に変え、世界を守った勇気の熾天使フィスカ。世界に愛の種をまく女神シェレール……どれも未来のために準備された神々なのです」


 ルシアは以前から、『命を大事に扱いすぎる』と多くの者達に注意されてきたのだ。そのせいかこの男の演説に共感を持ち、空から賛同する。


「あなたの言っている事は正しいんだと思う……そんな気がする」

「さすがは天上の覇者。やはりあなたも、精霊の加護を抜け出しつつあるようだ」


 交戦中に敵と話すなんて不謹慎だとも考えたが、それ以上に大切なものがそこにある気がした。


「正しいと思うよ。わたしも他人の死が怖い……だからあなたと戦う」

「よいよい、それで良いのです。互いの正義が、信仰がぶつかる事は自然な事です。ですが……」


 ヴェクストレフはそのふくよかな頬を弛ませて、笑顔になった。本当に誰かを慈しむ、優しい笑顔だった。


「あなた達がいくら集まっても私は倒せません……大陸のソウルは切迫さに、迫真に欠けます。あまりにも軽い、軽々しい。加えてその傷ではとてもとても」


 ルシアは唇を血が出るほどに噛んだ。リマシィに言われた弱点を突かれて、歯噛みした。


(特訓した4枚の翼で突っ込めば、奴に致命傷を与える事は出来るかもしれない……でもそれはギャンブルだ。ミスれば水に捕まっておそらくやられる……わたしがシンカだったら簡単に倒せるのにな……)

 


……………………。



『もしシンカだったら』その思考の末に、電流が走った。


(そうだよ。シンカになればいいんだ!)


 それに気づく権利を持っていたのはルシアだけであり、都合良くシンカとの会話を思い出せたのは奇跡と言っていい。


「ラスキュールさん! ちょっとだけ耐えててくれますか!?」

「お、どうやら名案でも思いついたようだね。こっちはなにぶん人手不足で……ってアレ?」


 ラスキュールが雑談する間に、ルシアはすでに上空で指示を与えていた。


「なるべくアレを釘付けにしろ! 無理に攻撃もするな!」


 叫んでから、その肩の深い傷を抑えて飛び立った。


====


 律儀に城門から入る時間も惜しい。ルシアが空から入城すると、警戒態勢の兵が集まり、近況を報告する。


「私はすぐに戻る。引き続きダボネオールの指示に従え」


 それだけでルシアは飛び去った。あまりに時間が尊いので、ルシアは城壁の窓を叩き割ってあの小部屋に入る決意をする。しかし一応木戸を叩くと人がいたので、無駄な破壊をしなくて済んだ。


「この声……ルシア様!?」

「ザクライ君? ここ開けて! すぐっ!」


 ドンドン鳴る音にザクライが急いで木窓を開ける。


「どうして、ルシア様、外で何が……」

「時間ないの! コレ借りてくね! あと悪いんだけど、窓閉めといて!」

「ちょっと待ってください!」

 

 もう窓枠に足を掛けていたルシアを、ザクライは精一杯の勇気で引き止める。


「その……ロボが変な事を言ってて……街が大変な事になるとか」

「どういうこと?」


 ロボはその細長い足を組み、首をソファーに預けて天井に目を向けている。


「街が大変な事になる。コレが最大限の譲歩。あとは君達の仕事……そして僕には僕の仕事がある」

「君の仕事って?」

「新しい世界への架け橋さ。さあ、もう行きたまえルシア君。君には君の大いなる自由を勝ち取る戦いがあるはずだ。その黒い翼で、未来を絡め取る蔦を切り裂いて飛ぶんだろ?」

「どうしてそれを?」


 ロボはそれ以上の会話を拒否して返さない。


「わたしもう行くよ。ザクライ君、あとを頼むね!」


 突風みたいにルシアが過ぎ去ったので、ザクライはポカーンとしていた……いや、うっとりしていた。


「やっぱり……カッコいいなぁ」


 ルシアはその手に真っ黒なパドルを抱えてすっ飛んだ。ソウルの通わないそれは、重さという概念も忘れたみたいに軽かった。


「軽い……これなら!」

====


 フィスカのすぐ東の戦場では、ラスキュールが苦戦し、もはや成す術を失いつつある状況だった。水のモンスターは、よりモンスターと呼ぶに相応しい異形になっていた……大蛇だ。頭をいくつも持った大蛇がうねり、空のフィスカと大地のヘルムダードを食い散らかす。


「あなた達は運が良い。天国への階段、その礎になれるのですから」


 最前線でフィスカ兵を庇いながら、ラスキュールは疲弊していた。彼女にとっての追い風は、フィスカの兵の多くが翼兵だった事だ。ヴェクストレフの射程外から翼兵がちょっかいを出し、ラスキュールはそこに千載一遇の隙を探る。


 ラスキュールは器用だ。多様な武器はもちろん、その気になれば空だって飛べる。今回、この化け物を討伐するに相応しいと手にしたのは投げ槍だった。ゴム質のソウルで勢いをつけて放つ、急造の槍だ。


 数打つうちの一本がヴェクストレフの足を掠めたものの、あとは渦巻く激流に翻弄されて敵の体までは届かなかった。


「お前達ももっと頑張らんか! フィスカ兵と私しか参戦していないじゃないか」

「言うても俺ら、視察団ですからね」


 音が聞こえた……誰の耳にも異音と聞き取れる『ゴォォォ』という音。一瞬戦闘を中断させたその音は、再開する間もなく全員の視線を集めるまで近づく。


「ルシア君! 早かったね」

「ラスキュールさん、下がっていてください。こいつはわたしが倒します」


 このパドルが武器であるとシンカが告げた時、ルシアとダボネオール、それにメイロンが聞いていた。

 さらに言えば『シンカが元の世界から持って来たモノはソウルを介さない』という会話の場にいたのはルシアとザクライだけである。


 そう……このパドルは『どんなソウルにも干渉されない武器』なのだ。


(感づかれればまた丸い形に戻って警戒されてしまう……一発で決める!)


 ルシアはパドルを横一文字に構え、加速する。敵も然る者で、既に大蛇の頭を四つもルシアに向けて警戒態勢だ。


 ルシアのソウルが光を放つ。放射状にクロスした4枚の翼は、一般的な翼兵のそれよりも倍以上長く、横一文字に携えた長大な武器がも一対の翼を形作っていた。


 太陽を背にしたルシアのシルエットにヴェクストレフが見惚れ、こう表現するのは、あまりにも必然だったかもしれない。


「おお……六翼の……天使」


 凝縮された濃厚な刹那、ラスキュールには襲う大蛇が止まって見えた。六翼の天使はそれほどに神速で、もはや見えるか見えないかという勢いだった。


 衝突の爆音と爆風が戦場を走った。


 ヴェクストレフは狡猾で聡明だ。防御態勢を怠らず、すでにその体は球形の水に覆われ、ルシアは突進はほんの僅かに届かなかった。


「危なかった……あと一歩、というところでしょうか」


 水のソウルは三分の一が王冠状に弾け飛び、その衝突の破壊力を物語っていた。


 地獄の水に取り込まれ、それでもルシアは笑う……二人の遥か後方にカランカランとパドルが落ちた。


「そんな……そんな」

 

 巨大な水のモンスターが崩壊して地面に溶け始める。その大きな腹を半分近く裂かれ、冥府の王者も地面に墜ちた。


「あなたは正しいのかもしれない……それでもわたしは戦う」

「私は幸せものだ……天使に殺されるんだから」


 ルシアはまたいつもの癖で、泣きたくなった。


「わたしは天使なんかじゃない。人を殺してばっかりだもん」

「ふふ……でもね、地獄の始まりはこれからですよ」


 地獄の使者はそう言い遺し、前のめりに伏せた。フィスカとヘルムダードの歓声が燃え盛る。

 ルシアは最後の言葉がヒューマンの言葉と結びついて、不安に苦しくなった。

殿下……ヘルムダード帝、聖帝に同じ大英雄。ヴェクストレフの言うアンポンタンも同じ。諸国に『荘厳』として名高いヘルムダードが近年やたらとフランクなのは主にこいつのせい。

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