第18話 南の海戦
フィスカの南に広がるサファイアみたいな深い青の海、全天を覆う淡いアクアマリンの空、真珠色に照り返される石灰の家々……今だけは誰も、そんな雅を堪能する余裕がなかった。
弓が鳴き、剣が走り、伝令飛び交う、そこは戦場だった。
フィスカの翼兵に負けず劣らず、熟練された戦闘を展開する女主体の兵団は、ダボネオールに近づく事を決してしなかった。
自分の顔が割れている事に不審を抱きながらも、ダボネオールは指揮に専念する。
フィスカの南でやっているのだから、必然的に海戦になる。しかも翼兵同士の空中戦だ。フィスカに空中戦を挑んだ国は歴史に少なく、勝利と呼べる結果を収めた国は無い……史実を信じるなら、善戦した国すら存在しない。
「ルシアかノーアルムが来るまでの辛抱だ。深追い禁物な」
手慣れた黒獅子隊長とは対照的に、ツインテールのコウモリ女、フィルクレッサは苦戦していた。個々の質は真黒き翼が上でも、練度の高い兵に数で圧倒され、押し返されながら海上での持久戦を強いられていた。
彼女が一番最初に戦闘を展開したため、十分な戦力が南に割かれているのだ。
次第に冥帝と竜殺しに兵が流れ減っていくが、それでもフィスカの優勢は揺るがない。持久戦に有利なのは城を後ろに控えるフィスカ。フィルクレッサはこのまま海上で手を焼いているわけにもいかない。かといって陸に上がる事は火中に入るに等しい。
起死回生の一手は、どうやらあの眼鏡と無精髭の智将(だとフィルクレッサが勝手に思いこんでいるだけ)を打ち倒す事だと、結論した。
「ボクちょっと突っ込むよ、あと頼むね」
副長に至極淡々と言い残して、フィルクレッサがその矢で敵を掻き分け、急襲する。
「あ? なんだありゃ?」
こんな時でも煙を吹かして、ダボネオールは遥か彼方より飛来する派手な一騎駆けに目を細めた。
女は何本もの矢を同時に番え、放射状にそれを放つ。放たれた硬質の矢はさらに散弾となってフィスカ兵を蹴散らしてゆく。
「ツインテールに不思議な弓矢。あいつで間違いなさそうだな」
標的が自分である事を悟り、黒獅子はタバコを人差し指で弾き捨てた。
二本の矢が放たれる。予め地面に敷いてあったダボネオールのソウルは、成型と発射を寸分違わず同時に行い、細長い柱をもってこれを防いだ。
フィルクレッサは距離をさらに詰めながら三本の矢を手にする。飾り気の無い弓にそれを番える。そして照準を定めながら、驚きのあまり『わっ!?』っと叫んだ。
ダボネオールがその靴の裏から針を伸ばし、爆発的に加速しながら眼前に迫っていたのだ。
交差して火花を散らす刹那、長い髪が焦げる匂いと、タバコの香りが混じった。
「チィ……いい反応してやがるぜ」
間一髪、真横に回避したフィスクレッサは、警戒心とダメージから自由落下する敵を追撃しなかった。
悠々と着地したダボネオールの不敵な薄笑いが、空を見上げる。それが獲物を待つ食虫植物のように不気味だった。
数千のフィスカ兵に包囲されてはさすがに敵わないと踏み、フィルクレッサはくるりと身を翻して海へと引き返す。途中で後ろから『あいつは後回しだ! 焦る事はねぇ』という厄介な指示が聞こえた。
「大丈夫? フィル?」
「うん。あいつなかなか手ごわいよ」
副長が心配して近寄ってくる。普段は陽気でよく喋る、フィルクレッサとは対照的な女だった。
「フィル……目が!」
「どうって事ない。たぶん皮膚が切れただけ」
左目付近から流れる血はソウルですぐに止めたものの、奪われた視界はしばらく戻りそうになかった。戦場でそんな事に逐一かまっている余裕はない。フィルクレッサは全員を勇気付ける言葉を考えた。
「ボクたちも耐えるんだ! 援軍はじきに来る!」
大嫌いなアイツだったらどんな声援でギルドを盛り上げるか、指揮を執る時、フィルクレッサはいつもそんな思考をしていた。
そんな自分が、大嫌いなアイツと同じくらい大嫌いだった……
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フィルクレッサはいつでも鮮明にその光景を思い出す。
そろそろ訪れる雨季を待ちわび、空を見上げていた、ありふれた昼下がりだった。ギルド、真黒き翼の集会場からヴォルグレイの太い声が聞こえる。
「ふざけんなよ! 次に会う時は敵同士って事か!?」
「その心配は必要無いわ。私、この冥府を出るつもりだから」
いつかその横に肩を並べて戦いたい。そう夢見ていた憧れ、リマシィの不穏な会話に、フィルクレッサはドアまで寄って耳をそばだてた。
「はあ? それでどこに行くってんだよ?」
「さっきも言ったでしょう。どこか遠くよ」
そのあとも似た有様だった。誰かが説得しては、リマシィが突っぱねる。『理屈じゃないのよ』という言葉に隙はなかった。
まだ若すぎたフィルクレッサはただ漠然と、未来が暗く濁って、遠くぼやけるような気がした。
話し合いは不毛に終わり、ドアを開けたリマシィはフィルクレッサを見つけるなり頭を撫でた。無愛想でも、手は暖かかった。
「リマシィ様、行っちゃうの?」
「ええ。遠いところにね」
「なんで?」
涙ぐむフィルクレッサに、リマシィは頭を下げて耳打ちした。ふわっといい匂いに包まれる。
「フィルにだけは教えてあげるわ。私、『愛』を探す大冒険に出るの」
その頃のフィルクレッサにはまだ事の深刻さが理解できなかった。太陽を初めて見たヒマワリみたいに笑うリマシィの一言と体温で、不安はなんとなく霧散して、前人未到の冒険を決意したリマシィが、勇者みたいにかっこよく見えた。
リーダーが変わると、すぐに真黒き翼の勢力は衰えた。しばらく低迷と困窮を経た末に、そのリーダーはあっけなく戦死する。
リマシィの時代からすでに実力が飛び抜けていたフィルクレッサは、自他共に避けがたく、若くしてリーダーになった。
それからというもの、立て直すための戦力を力づくで全身全霊に集め、集団戦に長ける戦陣を、ソウルを、訓練を、徹底的に指導した。
数年が矢の如く過ぎ、フィルクレッサが後ろを振り返った時、真黒き翼はリマシィの時世よりも強大になっていた。
自分はリマシィよりもギルドに貢献した。ギルドを大きく強くした。みんな豊かになった。それなのに戦員からはリマシィへの懐古が絶えなかった。
大した不満ではなかった。そんな風評は無視しても、きちんと仕事さえこなせば、結果と仲間は自然についてくる。
頭では理解しているのに、なぜか心は霧の中にいるらしかった……
さらに時が経ち、いつしか『嫌い』は戦いへの原動力になっていた。
『好き』を探して逃げ出したあの女は弱者だ。それをソレイルに力説した。
「たいていの物事は相対的……ただ個人的な経験則から言わせてもらえば、愛を知る人間は総じて強い」
「ボクがソレイルに勝てないのも、そのせいだって言うの?」
「私が言っているのは精神的な話だけど。もしかしたらそれも一因としてあるのかもしれないね」
「いったい……愛ってなんなのさ?」
その疑問は自分の奥底から身体中をむしる悲痛な足掻きみたいで、フィルクレッサは悔しかった。
「もっと広い世界に足を踏み出してみないか? フィルクレッサ=バストレアル。広い世界にはたくさんの、いろんな形の、色とりどりの愛や恋が、きっと君との出会いを待っている」
ソレイルの差し伸べた手には、いつかの温もりがあった。
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時を同じくして、シンカの小部屋は静かだった……ザクライは声を潜め、ロボは存在自体が静かだった。
ザクライは慌ただしい城外が気になって仕方が無いが、戦時は木戸がもれなく閉まるため、やきもきする。
「何かあったんだ……」
「キミは行かないのかい?」
ロボはその細い腕を太々しく広げて、ソファーに大の字に本を読んでいた。
「僕はもう兵隊じゃないから」
「でもキミのソウルは強い」
「そうかなぁ? そんな事ないと思うけど」
「戦うか戦わないかはキミの自由だけれど、もうすぐ町は大混乱になる」
「え!? どうゆー事?」
ロボットに表情なんて無かったが、振り返ったザクライはそれが笑っている気がした。
「言葉の通りさ。もうすぐ、町が、大混乱に、なる」
「急にどうしたの? いつもはなーんにも教えてくれないくせに」
ザクライとこのロボ、ヒューマンはシンカの小部屋でよく身も無い話をする仲だ。いつも飄々とした、浮ついたヒューマンの声が、今日はなんだか真面目だった。
「常態であればそうなんだけどネ。今回だけは特別、キミの見方だ」
「僕はどうすればいいの?」
困った少年の顔は、年齢以上に幼く見える。言葉を返す無機質なロボットは、流暢で落ち着いた男の声だった。
「それもさっき言ったはずだ。『キミの自由』。でも一つだけヒントをあげよう。キミは精霊の次元に行った事があるネ?」
「え? 何それ?? 無いと思うけど……てかジゲンってどこ?」
「覚醒とか愚者墜ち、って言うやつさ」
「あ……どうして知ってるの? 僕が覚醒した事……」
ロボットはその点いたり消えたりする一つ目を赤と白に点滅させている。それだけが表情らしかった。
「そんな事はいま問題じゃない。問題はキミがその覚醒をして、精霊のサイドに肉体が寄っている事だ」
「どういう事? 僕あんまり頭良くないから、分かりやすく言ってくれないと理解できないよ!」
「それじゃあ分かりやすく言うヨ。キミは覚醒してから不思議な夢を見たり、不思議な世界を体験しているね?」
「う、うん……」
「それはキミがほんの少しだけ時間的に自由になった証拠。キミが見た夢は過去や未来の膨大な情報の断片」
急に理解できない事、ザクライの観念からずれたセリフに、少年は首も目線も左右に傾げる。
「つ……つまり?」
「あの世界を思い出すんだ。君たちがソウルと呼ぶものを正しく理解するんだ。そうすればキミはもっと強くなれる」
「ソウルを正しく理解する……?」
「あとは『忘れない』事だ。ハイ! ヒントはここまデ」
その細長い腕を天井に伸ばし、ロボは両手をパチンと併せた。ザクライも両掌を併せる。
「えー……もう少しだけ! お願い!」
「エッ……意外と強欲だね。もうヒントはあげないけど、一つだけいい事を教えてあげよう」
「なになに?」
続くヒューマンの言葉を、ザクライの耳はすぐに受け入れられなかった。
「キミが助けに行かないと、きっとシェラールちゃんはもうすぐ死ぬヨ?」




