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第16話 北東の開戦

「こういうのは俺の天職じゃ無えんだけどな」


 軍務の中央部でダボネオールは煙を吐いて苦笑した。笑ってばかりもいられない。危機はすぐそこ、しかも三つだ。


「ツフレット隊は?」

「南海の敵は全員翼兵らしく、手が出ないとの報告です」


 ツフレットは水宝玉を関する隊長の一人で、海洋全般の警備を任されているが、海上というよりは海中が専門の特殊な編隊だった。


「リッパールは」

「交戦中です。十中八九グレ隊を襲った連中との事です」


 北東からは馬賊、南から翼賊。具体的な情報は少ないが、ここから最善策を模索するしかない……ダボネオールは黙考する。


 グレ隊を襲った山賊、その半数を占めたとされる翼賊が北東の森に見られない事から、翼兵だけで分隊を組み南側から襲ってきていると推論できた。

 フィスカの南には海しかない。海上に忽然と現れた事からもこの線が現実的だ。ただし、数が少ないくせに、南に空賊、北東に馬賊と分散した理由が判然としない。


 もう一つの戦場、ルシアが戦っているのはたった一人の男、ましてラスキュール将軍がついているのだ。すぐに倒して戻ってくる事を願い増援はしない。


 南から攻め込んでいる連中は王城フィスカを目と鼻の先に激戦を展開している。不穏な音は城壁を超え、もう朧げに聞こえていた。風雲急を告げるとすればそこからだ。


 戦力の相性上、できれば自分の隊が曲刀の男と戦い、(おそらく)ツインテールが指揮する南にはルシア、ノーアルム、またはグレ隊が当たるのが望ましい……しかしその布陣を敷く時間的余裕はなかった。


 ダボネオールは急いで伝令を北東のリッパール隊へと向かわせ、南へ走った。


 ====


 リッパール隊は空に大小二重の円陣を組み、平野から森を窺っていた。


 才能ある彼は戦う前から臆していた。偉大な英雄グレを倒した細身の男に、敗走した記憶と責任の重圧に、その身を捻られ、縛られていた。


『情けない弱音を吐くんじゃないよ! 男ならそんくらい度胸で乗りきるもんさ!』


 正規隊長ラーネイザのそんな叱咤が耳の奥で聞こえた気がして、気恥ずかしくも勇気付けられる。


「来た……グレ様の仇!」


 森の切れ目から馬群が雪崩れる。規則正しい二列縦隊だが、先頭だけが一騎、前がかりに突進を敢行する……あの長刀の男だった。


 リッパールが自分の身長ほどもある愛用の武器を両手に振り下ろすと、外側の円環から一斉に矢が降り注いだ。


「素晴らしい……これがソレイルの軍」


 先陣を直走るヴァーゼルは感嘆した。実際、音も無く一個の生命の如く躍動するそれは芸術的だった。


 馬賊へのダメージは少ない。次の合図で内側の輪がその形のまま襲いかかる。途端に喧噪が戦場を支配した。


 ヴァーゼルは冥府でも見た試しが無い、不思議な形状の得物を訝しんだ……それはYの形をした、言ってしまえばパチンコだ。ある時はそれに矢を番え、ある時は剣とし、またある時は鞭になる。


 トリックスター、リッパールの変幻自在の武器だ。

 

 左手にYの下端を持ち、右手で矢とゴムを具象化しながら左足でそれを打ち出す……矢を振り払ったヴァーゼルを、間をお数にリッパールの獲物本体が襲いかかった。

 巨大なパチンコと極めて長い刀の衝突は、見ようによってはシュールかもしれない。


「勇気……蛮勇」 


 ヴァーゼルは力任せにリッパールを吹き飛ばした。空に跳ね飛ばされたリッパールは広くなった視野を分析する。

 二百騎を超える敵の縦列がその形をV字に変化させていた。墜とせたのは十騎程度。どちらかと言えば、乱されているのはフィスカの方だった。


 統率抜群の早馬は、さらにフィスカへ加速する。リッパールは森での戦闘を回想して、やりきれない屈辱と重責に押しつぶされそうになる。


「クソッ! 平野でも勝てないっていうのか!?」

「情けない弱音を吐くんじゃないよ! アンタ達は『残り』を追いな!」


『あの人さえいれば』という希望的観測が、ラーネイザの幻聴を生み出してしまった……リッパールがそう思った次の瞬間、一刃の雷鳴が、耳と戦場を叩き割った。


 それは幻惑を打ち破る、圧倒的な爆裂の音だった。悪魔的な咆吼に敵の先駆け、最大の脅威を秘めた男が落馬する。


「んにゃ? 首をはねたと思ったんだけど、しぶといね」


 他の『竜殺し』はヴァーゼルを無視してフィスカ本国へと進軍を続ける。ヴァーゼルはすぐに体勢を立て直し、相手を睨みつけた。


 キヴ特有の褐色の肌、結わえた炎の髪、切れ長の紅い目、右手に垂らした長い鞭まで血の赤で染まっている……ソレイルが『危険な相手』と言っていた女だ。


「ラーネイザ隊長!」

「ぼやっとしてんな! 後ろの奴らにフィスカの土を踏ませるんじゃあないよ」


 フィスカ側の士気が目に見えて蘇った。ヴァーゼルは横目に馬の無事を確認し、女を睨みつける。

 ヴァーゼルはあの褐色の肌と赤い瞳が嫌いだった……敵に回したキヴ人は例外なく脅威だったから。


「あんた、グレさんを殺った男だね?」


 ヴァーゼルは小さく頷いてから名乗る。


「ヴァーゼル……ハンツァー」

「あたしはヴェラル=ラーネイザ。じゃあいっちょやりますか!」


 ラーネイザが気迫を顕にすると、ヴァーゼルは左手に大きな盾を構えた。爆音がそれを撃ち、あまりの膂力にヴァーゼルは踵から後退した。

 

 ソレイルから事前に『ラーネイザは刃の如き鞭を使う』と聞いていなければ、その一撃で終わっていたかもしれない。


『形容するなら、それは剣の竜巻。グレさんがフィスカの鎧なら、剣は間違いなく彼女だろう。広い世界を巡ったが、稀代の凶暴なソウルだった』。ソレイルにはそう忠告されていた。


(強い……)


「そんな亀みたいになっててくれるんなら好都合さね!」


 これ幸いと、ラーネイザは刃の鞭で無造作に幾度もヴァーゼルの盾を削る。耳鳴りと痺れる左腕の制止を振り切って、男は突進を仕掛けた。

 曲刀の2倍はあろうかという間合いから、ヴァーゼルは一瞬の隙をついて刀を伸ばして奇襲する。


「おっと! 案外長いんだねえ」


 ラーネイザはその身を後方に翻し、なんなくこれを躱した。


 剣の切れ味、槍を超える射程、矢を優に超える速度……鉄とゴムと革の性質を併せ持つ凶悪な獲物は、まさに『攻撃は最大の防御』を体現する。

 あの細長い武器にどれだけの重さを詰め込んでいるのか、ヴァーゼルには不思議でならなかった。


 ふと我に帰り、ソレイルの言葉を思い出す。血が凍る感覚というのは理解できないが、どうやら膝も震えていなければ、鳥肌も立っていない。


「なんだい急に? 身なりなんか気にして」

「教えてくれ……俺は恐怖しているか?」

「は?」


 バカみたいな質問をしたことに気づいたが、ヴァーゼルは歯牙にも掛けなかった。


 ====


 彼は記憶にある自分の人生というものを、とても空虚に感じていた。記憶を掘れども潜れども、奪い、喰らった弱者の断末魔しか聞こえてこない。

 そんな過去に、うんざりしていた。


 ある日、奪った金貨を数えていた時の事だ。血の匂いにつられて、一匹の犬がやってきた。ヴァーゼルがじっと見ていると、犬はヴァーゼルに警戒しながらも、金貨の持ち主の肉を貪り始める。


 生きる、ただそれだけのために。


(俺の命は……こいつと何が違うんだ?)


 その瞬間、彼はヴァーゼル=ハンツァーと書かれた薄っぺらい紙は、仰々しい『空虚』の烙印でクシャクシャになってしまった。


 近くではギルドのメンバーが笑っていた。


(俺とあいつらは一緒なのか?)


 再び足元を見れば犬の姿はもう無く、血の色が抜け落ち、青ざめた死体がヴァーゼルを見ていた。


(今日死んだこいつと俺は……何か違ったのか?)


 最後に上を見た。いつも自由気ままな精霊は、流れる雲に逆らって泳いでいた。




 そんな折も折だった。凡てを満たし、聞く者の心を潤す、あの優しい声に出会ったのは。


「それは君が幸せな証拠だよ、ヴァーゼル。普通、生きるので精一杯の人間はそんな事まで気が回らない」

「俺はそんなの……幸せに思わない」

「だったら生きるだけで精一杯の状況に自分を追い込む事だね」

「そんな状況……?」

「世界は広い。君はどうやら恐怖とか情熱という、人が必死になる感情を失っているみたいだ。精霊によって奪われてしまったんだよ」

「それを知れば……俺の世界には色がつくか?」

「それを確かめに、広い世界へと一歩足を踏み出してみないか? ヴァーゼル=ハンツァー。君が世界に羽ばたく姿を見てみたい……」

「なぜ……俺を」

「君を気に入ったんだ。それに君のような強い力が、私にはこれから必要になる。僕たちの未来と進化を切り開くために」


 ====


 セピア色に滲んだ彼のパズルは、『恐怖』という最後のピースが嵌った瞬間に深みを持ち、極彩色になる。ヴァーゼル自身はそう信じていた。


「恐怖してるようには見えないねぇ」 

「じゃあお前は……恐怖しているか?」

「いや、してないけど。さっきから何なんだい? すっごい変な奴だね」

「俺は……恐怖が知りたい」


 ラーネイザにとってはそんな彼の人生、どうでもいいのだろう。『降りかかる火の粉は払う』、それだけの事だ。


「アタシを相手に恐怖しないようじゃ、アンタにはたぶん一生恐怖が分かんないよ」


 ラーネイザが振りかぶって一撃を放った。ヴァーゼルが衝撃で飛ぶ。先ほどの攻撃が手抜きであった事が、嫌でも釈然とする一撃だった。

 ヴァーゼルの盾は横一文字に割れ、腹が切れていた。後から襲う爆音に鼓膜まで破れそうだった。


 蔑むように見下ろすキヴの女は、両の手から鞭を垂らして微笑する。


 竜殺しをさらに二頭の蛇が襲いかかる。ヴァーゼルは左右にそれを避けながら盾を消した……元から彼は盾を使った戦闘が得意ではない。脱力し、脇構えに一刀を下げた。


「ずいぶんサマになってるじゃないか、どうやらそっちが本命のスタイルらしいね」


(目だ……この女は目が鋭い。だから攻撃に全てを注げる)


 だが刀の切れ味に絶対の自信を持つのはヴァーゼルも同じ事だった。二本の鞭を切り落としては隙を窺う。ラーネイザはそれをすぐさま再生して襲いかかる。


 しばし、ヴァーゼルは刀で応戦した。持久戦に持ち込もうとしたのだが、それでも一太刀を入れる隙は無く、切り傷と消耗が増していくのはヴァーゼルの方だった。


(このままでは死ぬ)


 万策尽きたのか、ついに竜殺しが退いた。距離を取りながら身を翻し、馬の手綱を掴んだ。


「馬には悪いけど、仕方ないさね!」


 そんな隙を見逃すはずもなく、ラーネイザは馬と男の首、両方を撥ねる最後の一撃をその剛力で打ち込んだ。


 ……しかし弾かれてしまう。ゴム質を打つ乾いた破裂音がした。


「なるほど、最初の一撃で仕留め損なったのは、そいつのせいかい。いい馬じゃないか」


 ヴァーゼルの体を守ったのは、漆黒の馬にふさわしい黒いソウルの鎧だった。黒馬から立ち昇る強力なソウルが瞬く間にヴァーゼルの全身を覆い、一つの奇妙な生命体を形作る。


「ゆくぞ、ヴェル……ヴェララ……」

「ヴェラル=ラーネイザ」

「…………ゆくぞ、ラーネイザ」


 黒馬に跨った長身の剣士はその威圧感をそのままに、ラーネイザ目掛けて疾走した。


 ラーネイザの研ぎ澄まされた百戦錬磨の感性が、うるさいくらいに警笛を鳴らしていた。

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