第4話 天空騎士隊フィスカ総隊長
城門へと続く中庭の石畳に、ルシアは立っていた。足元にはシンカの荷物がある。
「ずいぶん時間かかったね?」
「ああ。おせっかいな人だった」
彼女はただ笑って、それには答えず空を見た。笑顔の次くらいに空が似合うかもしれないとシンカは思う。
「風、気持ちいいでしょ。今日はいい天気」
少女に習って、シンカも無言で空を見上げる。吸い込まれそうな蒼い晴天だった。
「はい、これ預かってた荷物。こんなに少なくて大丈夫なの? それに……」
ルシアは一番大きな荷物を凝視する。ルシアに出会った時に見せた『橈』、つまりダブルブレードのパドルだ。
「真っ黒ね……何でできてるのかな? それにすっごい軽いし」
「さあな、わからん」
ルシアはパドルをグルグル回している。無愛想な男は片耳でそれを聞きながら、辺りの景観に見とれていた。
四方を囲む城壁は、重厚な涼味と静寂を表現している。その中で、温かい日差しに照らされて、軽やかに風にそよぐ芝生……コントラストがなんとも言えず美しかった。
後ろに控えるフィスカの王城は誇大な主張を避けつつ、しかし威厳と貫禄を示していた。城門が少し遠くに見え、そこから風が吹いてくる。
「世話になったな」
それだけ言って荷物とパドルを受け取るシンカ。芝生へ踏みしめて城門へと歩きだすと、ルシアも後からついて来た。
「城門までは送るって」
横に並んだ少女は先ほどと違い、橙のケープを羽織り髪飾りを付け、おめかしをしていた。巾着の替わりに、鍔の広い帽子を後ろ手に持ち、見上げるかたちでルシアは柔らかい言葉を続ける。
「今だから言うけどさ……あなたがあんまり怪しかったから、牢屋に閉じ込めちゃったんだ。ごめんね」
いつの間にか、呼び方が『君』から『あなた』に戻っていた。
『そんな事とっくに承知していたさ。なにせ落ちた星の調査と言いながら、あの牢屋で星に関する質問を一切されていなかったのだから。それにあんな開け放たれた牢では、幽閉された気にもならない』、そんな無駄に言葉をこの男は口に出さない。不器用なのだ
「構わない、むしろ色々良くしてもらって助かった」
「よかった、そう言ってもらえ……」
そう少女が言いかけた時、別の声が続きを遮った。
「ルシアさまー」
城門の方から声の主が小走りで近づいてくる。
「シェラ!」
そう大声で返すとルシアも歩み寄り、二人は互いの指を絡ませた。
「すみませんルシア様。時間になっても来ないから、心配になって来ちゃった」
「ごめんねー、遅くなって。今ちょうど行くとこだったんだ」
邪魔しては悪いと思いシンカは二人を黙って追い抜いたが、シェラと呼ばれた大変美しい少女が、両目を瞑っている事だけ妙に気になった。
買い物の話題を楽しそうに交わしながら、少女達は談話がてらにまだ後ろからついてくる。
「ちょっと待ってて」
城門まで辿り着くと、ルシアはそう言い残して、城門脇の詰め所に立ち寄る。
二人きりで取り残されてしまったシンカは横を見た。
十人の男とすれ違えば、九人は間違いなく振り向かせそうな、端正で、しかしなんとも儚い花がそこに咲いている。
彼女自身にはそんな自覚や自負が無いであろう事が、その彩をさらに引き立たせていた。
……なにせ自分の姿が見えないのだから。
シンカは沈黙が気まずかった。だが話しかけようにも、少女の事はまったく知らない。気を揉んでいるうちに、シェラという少女は、囁くような声で鼻歌を歌い出してしまった。シンカの事には気が付いていないらしい。
シンカは美少女をさりげなく観察する。色白で本当に美しい。きっと誰もがそう思わずにはいられないだろう。歳はルシアと同じくらいだろうか? 見た目と実年齢が判然としづらい年代だ。白地の絹の上からモスグリーンの編み込まれた上着を羽織っている。それはさながら中世の街娘といった出で立ちだが、外連味の無い上品さを感じる。その長い髪なんか、水に濡れたらそのまま溶けてしまいそうな程、きめ細かく、柔らかそうだ。
もっとじっくり観察してもよかったが、タイミング良くか悪くか、ルシアが走って戻ってきた。
「さて、あなたとはこれでお別れだね。元気でね! 活躍できるといいね!」
「ああ、本当に世話になったな」
盲目と思われる少女は、急に聞こえた知らない男の声に驚いたのか、ルシアの腕に絡み付いた。
二人が並んで街で買い物をする光景を想像しながら、シンカは城と街を唯一結ぶ橋の上を歩き出した。楽しそうに服を選ぶ二人の姿より、それを見て嬉しそうに鼻の下をのばす男達のほうが容易に想像できる。
彼女達も街へと出かける様子だったが、大男が足早に大股で歩くので、もう聞く事が無いであろう二人の澄んだ声は次第に小さく、聴こえ難くなっていった。
「さっきの殿方……全然気がつきませんでした。あぁ、すごくビックリした」
「ホント? 珍しいね。なんでも武者修行の旅人らしいよ……ねぇ、今日どこから見に行こうか?」
「ルシア様がこの前言ってたお店にしましょう。私は帽子が見たいな。船着き場の近くにあったでしょう?」
「じゃあお昼もそこでいいか。なんて言ったっけ? あそこの海鮮のお店。ほら! 行列ができるっていう」
「あんなところにルシア様が行ったら大騒ぎになりかねませんわ。それに、天空最高位にして天空騎士隊フィスカ総隊長、ルシア様とのデートなんだから。もっといいところに行きましょうよ!」
紙一重、シェラという少女の最後の言葉は、かろうじてアスミ=シンカの耳まで届いた。
(どういう……事だ??)
シンカの頭は混乱し、足が止まる。その謎を放ってはおけなかった。振り返り、二人が目の前に来るのを待つ。
「盗み聞くつもりは無かったが」
「えへへ……聞こえてた?」
ばつの悪そうなルシアが頬を掻く。
「本当なのか?」
「一応ね……ごめんね、黙ってて。わたし、戦いとかあんまり好きじゃないからさ」
「それは構わないが……ルシアがこの国で一番強い、という事なのか?」
「まあ一応そういう事になるかな」
シンカは思い返した。ルシアという名前を隠していた事も『喧嘩を吹っかけられるのが嫌だった』と考えれば説明がつく。
(どういう事になっているのか? 確かに彼女の運動神経には目を見張るものはあったが……)
「そうか、まぁそれならそれでいいさ。世話になったな」
いろいろ考えた挙句、シンカは踵を返して郊外へと歩き出してしまった。ルシアにとって、それは思いがけない行動だったのだろう。
「あれ? 意外だな。わたしてっきり『勝負してくれ』って言い出すと思ってたけど」
「さすがに君とは戦えない」
「うんうん、いい心がけだ。平和が一番よね」
喜ぶルシア……これで会話が終わればよかったのかもしれない。
「君? ずいぶん仲がよろしいんですね? ルシア様とはなぜ戦えないんですの?」
目の見えない少女、シェラが初めてその声をシンカに向けた。
「仲が良いわけじゃない。勝負にならないと言っているんだ」
「まあ珍しい! とても潔い方なんですね。なかなか出来ない事ですわ。旅の武芸者が実力差を認めて、キッパリ負けを宣言するなんて」
(何か勘違いしてるな……)
「そうじゃない、逆だ。戦ったら俺が勝つ」
それを聞いた二人の反応はシンカが予想もしないものだった……予想しなかったのは向こうも同じだろう。
ルシアはポッカリと口を開けて、何にも考えていないような、驚いたような、あるいは放心したような顔で帽子を取り落とした。シェラと呼ばれた少女も、呆れ顔で一生懸命、説得するようにこう言った。
「あ……呆れた方だわ。ルシア様はフィスカの頂点に立つ方なんですよ! あなたがどんなに頑張っても、ルシア様に触れる事も出来ずに倒されてしまいます! そのくらいにすごいのです!」
ルシアは透明になったり、空を飛んだり、あるいは瞬間移動でもするんだろうか? シンカは『どれだけ頑張っても触る事すらできないルシア』を想像して、吹き出してしまった。
「はは、そいつはすごいな」
態度が良くなかったのだろう。少女は眉間にしわを寄せ、明らかに不機嫌な表情になる。
『まあまあシェラ、落ち着いて』、となだめるルシアを無視して、少女はなおフィスカ総隊長の凄さを、その武勇を語り続けた。
それでも戦わないというシンカの意思を確認すると少女はついにこんな捨て台詞を吐いて、ルシアの手を引っぱって街の方へと歩き出した。
「もう行きましょうルシア様! 絶対に勝てないと踏んで、余裕のフリをして、逃げるつもりなんですよ。殿方にありがちな、ありきたりで狡い手段ですよ!」
「勝負するのは別に構わんが……」
シンカに売り言葉に買い言葉なんてつもりはなかった。本当にそれでよかった。しかしこの言葉でシェラは満足せず、それどころか反ってその逆鱗を刺激したらしい。振り返り、落ち着いた声に怒気を交えて、震えながらこう言い放つ。
「決闘です……そこまで言うならルシア様と勝負したらいいじゃないですか。さもなくば、勝てないから戦わないのだと、この場で認めるべきじゃないですか?」
ライトブラウンに艶めく、ウェーブのかかった長い髪も、風と怒りでにわかに震えていた。
(なんでルシアじゃなく、この娘が躍起になってるんだ?)
ちなみに半ば強制的に勝負をする事になった不運な天空最高位は、事の間ずっと当惑し、狼狽しているだけだった。
最後に一言だけ、苦笑いで嘆いた。
「わたし……今日も休みのはずなんだけどなぁ」
※パドル……主人公はこのパドルで舟を漕いで来た訳ではない。これは彼の武器だ。